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カナリアの恋人 Ⅲ

すっかり寒くなった外の景色に、ふうと息を吐くとそれが白く残る。マフラーを鼻の上まで巻きつけて俯いてじっとしていると、じわじわと体の芯の熱がどんどん冷まされていくような感覚がする。じりっと熱い指先が触れているのは、昼間堪らずに買いに走った使い捨てカイロだった。それをポケットから引っ張り出して、両手で包むとじわじわっと温かくてほっとした。 「ごめん、侑史くん」 「・・・おー」 裏口から出てきた逢坂は、中途半端にコートを羽織って、首からマフラーを下げている。それを見ながら手を上げて、柴田はガードレールからひょいと降りた。ばたばたと走ってきた逢坂の鼻の頭と頬が赤い。柴田はそれを見ながら今日は寒いなとぼんやり思った。 「待った?ごめんね、先帰って良かったのに」 「んーん、そんなに」 眉を下げたまま逢坂が、口元を曖昧に歪める。それが何だか酷く愛おしく思えて、柴田は逢坂の手をぎゅっと握った。冷たい指先だった。 「・・・な、なに・・・」 逢坂が声を震わせて、ついと視線を動かして辺りを見渡した。そんなことしなくても深夜の繁華街で手を繋いでいる奴なんかいっぱいいるだろうと、言うことすら何だかもどかしく思えた。頭がぼんやりしているのは飲んだ酒のせいなのか、それとも時間帯か。急に面白くなってきて、柴田は逢坂の手をぎゅっと握ったまま、くつくつと笑い声を上げていた。 「なんだよ、侑史くん・・・どうしたの?酔っぱらってるの?」 「そうかもな、しずかが飲ますからだろー?悪い男だなお前は」 はははと笑いながら、柴田はぱっと逢坂の手を離した。 「もう。車どこ置いてあるの」 「うん、あっちー」 「あっちじゃわかんないよ、角のパーキングエリア?」 「うん、たぶん、そこ」 上機嫌で笑っている柴田のことを振り返って、逢坂はひとつ溜め息を吐いた。柴田がコートのポケットを探って、車の鍵を出してそれを逢坂めがけて放った。くるっと宙を回ったそれを、逢坂は慌てて腕を伸ばしてキャッチした。それを見てまた柴田が笑う。 「今日、面白かった。お前の友達と喋れて」 「あーそう。俺は会わせたくなかったけどな・・・」 「何だよ、俺は友達には会わせられないあれか」 「あれってなに。結局アイツらの分も侑史くん払ったんでしょ、そんなことしなくていいのに」 「ばか、俺にだってプライドあるんだよ。大学生2人くらい奢らせろ」 はははとまた柴田が笑う。パーキングエリアには、確かに柴田の白のフーガがぽつんと取り残されたように止まっている。チャリと逢坂の手の中で鍵が音を立てる。時々柴田のフーガを運転することがあるけれど、免許は持っているものの、普段バイクしか運転しない逢坂は、運転席に座るたびに緊張するから、本当はタクシーにでも乗って帰って欲しかった。柴田はそんな逢坂の気も知らずに、さっさと後部座席を開けると、のろのろそこに体をおさめ、そのままごろんと横になって、眠そうに目を擦った。基本的に朝が早い柴田は、休日前にも余り夜更かしをしないひとだった。こんな深夜まで起きているのは珍しいことなのだろう。開けっ放しの扉に手をかけて、仰向けでうとうとしている柴田のことを見やる。 「んー?なに、着いたら起こして」 「ほんとひとの気も知らないで・・・」 「なに?あー・・・お前、またやらしいこと考えてるな、今勃たないぞ、俺、たぶん」 「酔ってるから?流石にここで襲ったりしないよ。まだローン残ってるでしょ」 「いや、キャッシュで買ったから残ってない」 「・・・―――」 「なにー?早く閉めろ、寒いんだよ」 転がったままコートの前を集めるように手繰って、柴田が足を小さくまとめる。それを見ながらはぁと溜め息を吐いて、逢坂は車の扉を閉めた。寒がりの柴田にこの気温は辛いのだろう、そんなになるまで外で待ってなくても良かったのにと思いながら、柴田が外で待っていたのは多分自惚れなんかじゃなくて自分のためなのだろうと思う。運転席に乗り込むと、後部座席に寝転んでいた柴田が、急に何かを思い出したようにむくりと起き上がった。ルームミラーに写る髪の毛がぐしゃぐしゃになっている。 「なに、怒ってんの、しず」 「怒ってないよ、別に・・・ちょっと拗ねてるだけ」 「怒るなよ、家帰るのやめてホテル行く?」 「・・・侑史くんやっぱり酔っぱらってるね・・・」 ハンドルに額をつけて、逢坂ははぁとまた盛大に溜め息を吐いた。後ろから柴田が逢坂の服を、甘えるみたいに引っ張ってくる。 「行かないよ、行っても多分すぐ寝ちゃうでしょ。そんなの空しいだけだもん」 「拗ねるなよ。キスしてやるからこっち向け」 「んー・・・またそうやって・・・」 単純な仕掛けで気を引いて、と思ったけれど、逢坂はそれを無視することが出来ない。振り向くと髪の毛がぐしゃぐしゃになったままの柴田が目を瞑って待っている。後頭部を撫でてその散らばった髪の毛を梳いてから、逢坂は柴田の唇にキスをした。 「してやるって・・・結局俺がするんじゃん」 「そうだな、ははは」 「はははじゃないよ、全く」 「頑張れよ、しずか」 するりと柴田の手が逢坂の頬を撫でて、そのまま後部座席に吸い込まれていく。ちらりとルームミラーで見やると、そのまま倒れるように柴田はまた後部座席に寝転んだ。いよいよ眠いのだろう。逢坂はそれから目を反らして、車のエンジンを入れる。きっと柴田のマンションに着くころには、すっかり熟睡して呼んでも絶対に起きないから担いで部屋まで向かわなきゃいけないのだろう。立ちっ放しだった足は辛いし腰も痛いけれど、何故か逢坂は少し浮足立っている自分のことを知っている。 (そうだね、俺、頑張るよ) 君との未来のことを考えてもいい、幸福なその時間の為に。 fin.

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