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第1話

「お忙しいところ、本当にありがとうございます」 「いえいえ。こちらこそ、生徒さんにお話するよい機会をいただきまして」  佐倉旭は教頭の案内で講堂へと向かいながら、何度目かの当たり障りのない挨拶を交わした。自身が学生だった頃は集会と言えば体育館で行われていたものだが、この学校にあってはご丁寧に講堂が設置されているらしい。空調設備のない空間にすし詰めにされていた母校とは大違いだ。 「改めての確認なのですが、佐倉旭:(さくらあさひ)さん、階級は巡査部長でよろしかったですか? 始めに、生徒に向かってご紹介させていただきますので」 「はい、そうです。若輩者で、あまり貫禄がなくてすみません」 「いやいやいやいや、そんなことは。お若いながらも、制服姿に威厳がありますよ」  教頭が慌てた様子で答える。ちょっと自虐しつつ謙遜してみせたところ、思いのほか気を使わせてしまったようだ。失敗した。旭は自分の発言に、開始前から気が重くなる。  旭は警察官になって、まだ10年も経っていない。中堅とも若手とも呼べないような、中途半端な立場だ。二年前に運良く昇任試験に合格し、今は交番で若い巡査とペアを組み勤務している。  清掃の行き届いている廊下を歩きながら、旭は思う。そもそも学校に出向いての防犯講話なんてのは、交番のトップである警部補、交番所長が行うのが筋ってもんじゃないのか。自分みたいな若僧よりも、年配の、恰幅のいいおっさんが偉そうにしゃべった方が絶対説得力がある。学生の野次にも、経験豊かなおっさんの方が冷静に対応出来るはずだ。  そう、冷静に……。  旭の頭の中に、数年前の自身の失態が思い出される。学生の野次に、ついカッとなってしまい声を荒らげてしまった自分……。いまだに時折思い出されて、顔が熱くなる。今回は、同じ轍を踏まないように気をつけなければ。  講堂には、既に学生が揃っていた。一年生から三年生まで、男女併せて数百名。全校集会の中の一環で行われるので、全校生が一同に会していた。講堂はすり鉢状になっており、講師が立つ壇上を底に、離れていくにつれ聴講者の座席が段々と上がっていく。おかげで後ろの方の学生の、つまらなさそうにしている無表情まではっきりと見てとることが出来た。  居並ぶ学生に向かって、マイクを握った教頭が前口上のように説明を始める。 「……そういう訳で、今年も交番の警察官の方に防犯講話に来ていただきました。お忙しい中貴重な時間を割いて来ていただいているので、生徒のみなさんにあっては失礼のないように」  全校集会の中のたかだか30分程度だが、貴重な時間を割かれてると感じているのは、学生の方なのではないかと思った。警察としてはまとまった人数に防犯指導が出来るのだから、有り難い話だ。  誰も被害に遭ってほしくない。自分の気持ちがどこまで伝わるかは分からないが、下手なりに懸命に話そうと旭は決めていた。  防犯に関して、話したいことはいくらでもある。無数に起こる犯罪の中でも、特に中高生に関係あるものをと考え、交番所長は元より生活安全課員とも相談して話す内容は決めてきた。原稿は用意してあるが、出来るだけ生徒たちを見ながら話せるようにと、練習もした。あとは冷静に、落ち着いて話すだけだ。  教頭の紹介が終わり、壇上に立った旭は一瞬息を飲んだ。覚悟していたこととは言え、数百の目が一斉に自分を見つめているとなると、さすがに緊張するなという方が無理だ。 「あ、初めまして……駅西交番に勤務しています、佐倉旭と言います。今日はよろしくお願いします」  喉から声を絞り出す。仕事上大声を出すことには慣れているはずなのだが、思うように声が出ない。マイク越しに、緊張が生徒に伝わっている気がする。背中にじっとりとした汗がにじむ。 「……いろいろとお話したいことはありますが、今日は出来るだけ皆さんに関係のありそうなことを重点的にお話したいと思います。質問等があれば、出来るだけお答えしたいと思いますので、手を挙げてください。出来るだけ時間内に終わるように……」  不意に、旭が話している途中だというのに、生徒の一人が勢いよく手を挙げた。旭はえっと面食らいながらも、思わず「どうぞ」と生徒に向かって発言を促す。  だらしなく制服のボタンをはずした男子生徒が、軽い調子で、けれど他の生徒にも聞こえるような大声で言った。 「出来るだけ出来るだけって、もしかしてお巡りさん、緊張してます?」  旭の顔が、赤くなる。  その生徒を含め、幾人かの生徒から笑い声が湧いた。どこの学校にもよくいる、お調子者なのだろう。大人を小馬鹿にしているような、反発することをステータスとしているような、少し不真面目な生徒。  緊張してるか、だって? 旭は少なからず動揺した。普段の勤務中、深夜の街中でタバコを吸っているような、いわゆる悪ガキを相手にすることだってある。少年の扱いには慣れているはずだ。しかし、多数の人間を前にして緊張していることを見透かされ、あまつさえ笑い物にされてしまった。  羞恥と、怒り。  旭の脈が、速度を上げていく。背中だけではない、体中の至る所から汗が吹き出す。  ダメだ、抑えろ……このままじゃ、前と同じ……。  幾人かの生徒はくすくすと笑い、そして多数の生徒が気まずそうにうつむいている。教頭が生徒に向かって注意している声をぼんやり聞きながら必死に深呼吸していると、思いがけず講堂の入り口が勢いよく開いた。 「遅れてすみませーん」  旭が入り口を見ると、一人の男子生徒が立っていた。旭よりも上背がありそうな長身。光の加減か微かに栗色に見える短髪は、ふわりとしていかにも柔らかそうだ。遅れて来た割には堂々とした様子で、言葉とは裏腹に全くすまなさそうには見えない。微笑すら浮かべていて、先ほどの声の主なのかどうかも疑いたくなるほどだった。 「ちょっと体調が悪くて」  聞かれてもいないのに教頭に向かって弁解する。教頭の表情を見ると、怒りよりもあきれの方が強く感じられた。こういった遅刻の常習者なのかも知れない。特に呼び止められることもなく、三学年の座席へと向かって歩いていく。まっすぐに伸びた背筋はあまりにもピンとしていて、旭は思わず彼が座席に着くまでずっと目で追ってしまっていた。  そして、彼が席に着いたころに気がついた。講堂内の空気が変わっていることに。先ほどまでの緊張やあざけりと言ったものが消え失せて、全体的にやわらかな雰囲気で包まれている。生徒たちが、彼を見ていた。それこそ、男女、学年問わず。ある者はじっと凝視するように、ある者はこっそり盗み見るように。  人気者なのだろうなと思う。憧れか恋慕の情かは分からないが、多くの人間から好かれているのだろうなと感じる。旭自身も一瞬とは言え、目を奪われてしまったほどなのだから。  座席に着いた彼が、旭の方を向いた。目が合ってしまい、ドキリとする。彼がその場で立ち上がり、一礼する。 「中断させてしまい申し訳ありませんでした。どうぞ、お話を続けてください」  大声でなくても、よく通る声。旭はその声ではっと我に返った。傍らに立っていた教頭に「お見苦しいところを。失礼しました」と頭を下げ、再度壇上から生徒たちに向き直った。  少し前まで感じていた緊張は、今は欠片もない。彼のおかげだ。  旭はマイクの電源を切ると、訓練で培った腹から出す気合いの入った声で、 「初めまして!!」 と挨拶からやり直した。壇上の旭からは、度肝を抜かれた生徒たちの顔と、そして相変わらず微笑を浮かべている彼の表情がはっきりとよく見えたのだった。  終了後、その熱が入った防犯講話は教頭から大いに誉められ、終了予定時刻を過ぎてしまったことも不問とされた。 「この調子ですと、来年は最初から1時間でお願いしなくてはいけませんね」と賞賛とも皮肉とも取れるコメントをもらったことは、交番所長には黙っていようと旭は思った。 

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