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第2話
「じゃあ結局、俺がいなくてもうまくいったんですか、防犯講話」
前日の勤務員からの引き継ぎを終えた交番の中で、部下でありペアでもある巡査、田村慶治 が言った。心なしか、残念そうな響きだ。
「まぁ、結果的には、な」
旭の回答は、どことなく歯切れの悪いものになる。教師陣からの評判は悪いものではなかったが、万事つつがなく、という訳ではなかった。冒頭わずかな時間とは言え、旭としてはあまり思い出したくない醜態を晒してしまっていたからだ。もちろん、そのことを部下にわざわざ伝える気は全くないのだが、鼻高々と「大成功だ」と言うのもはばかられる。
田村は引き継がれた書類を確認しながら、おどけた調子で続けた。
「そっかぁ。いや、俺が急に行けなくなっちゃったから、旭部長ひとりになっちゃったじゃないですか。さみしがってないかなぁ、うまくいくかなぁって、心配してたんですよ」
本来なら、旭と田村の2人で防犯講話へ向かうはずだった。しかし直前になり、捜査書類の不備が見つかった田村が刑事課に呼び出されたのだ。こちらにも都合はあったが、至急訂正の必要があると刑事に言われれば仕方がない。やむを得ず旭が1人で向かったのだった。
田村が書類から顔を上げ、旭を見つめる。
「ほんとうに大丈夫でした? 俺がいた方がよかったんじゃないですか?」
「確かにそうだな」
旭の返事を聞き、田村はにんまりと笑みを浮かべる。
「やっぱり? でしょでしょ!」
「お前がいなかったから、報告用の写真撮影を先生に頼むことになった。申し訳なくて、あぁ、お前がいれば写真も雑用も頼めたのになぁと思ったよ」
田村の笑顔が一転して曇る。
「そういうのじゃなくってですねぇ~……」
ふくれっ面になる田村を見て、旭は思わず吹き出してしまった。昨日の失態も、話したところでなんら気にせず、何でもないことのように笑い飛ばしてくれるのではないかとも思う。
田村慶治は高卒で採用された、まだ二十歳の若者だ。警察学校を卒業して署に配属になり、旭とペアを組んで一年が経つ。右も左も知らない若者を任され、当初は旭もしばしば頭を抱えたものだが、今ではそれなりに仕事をこなしてくれるようになった。お調子者ではあるが、今は旭にとって気の置けない弟のような存在だ。
ぶつぶつと不満を口にしている田村を後目に、旭は引き継ぎ事項に目を通す。昨日、旭は夕方までの勤務だったため、防犯講話を終えてからすぐに帰宅した。日中は静かだったが、夜間には様々な事案が発生していたようだ。
家族トラブル、物損事故、自転車盗に不審者情報。110番通報だけでなく、一般の加入電話からの通報も多い。一つ一つの事案概要に、じっくりと目を通す。
「どうしたんですか。そんな険しい顔して」
ふくれっ面をやめた田村が問いかてきた。
「いや、別に。大したことじゃない」
旭の回答を無視するように、田村が続ける。
「どうせまた、『どうしたら、被害に遭ってつらい思いをする人をひとりでも減らせるんだろう』なんて考えてたんでしょう?」
ドキッとした。完全に、図星をさされたからだ。
若干動揺しつつも、平静を装いながら問いで返す。
「……その通りだけど、なんで分かった?」
「そりゃ分かりますよ。旭部長と組んで一年、しょっちゅう同じことを聞かされてるんですから」
田村が事も無げに言ってのけた。
どうやら旭は、意識しないうちにたびたび思いを口にしていたようだ。胸中を読まれたのではないと分かり、少しほっとする。
「部長はほんと、正義感強いっすもんねぇ。お陰で俺まで正義の味方になっちゃいそうですよ」
警察官が正義の味方にならずに、一体何になるのだと思ったが、あえて口にすることはやめた。
「で、旭部長。気になる子はいなかったんですか?」
唐突な質問に旭は面食らう。気になる子?
「昨日行ったの、高校ですよね? っていうことは、いわゆるJKが多数群れなしてる訳じゃないですか。かわいい子とかいなかったんですか?」
女子が群れなすとは品のない言い方だとは思ったが、同時に「そういうことか」とも思った。警察などという仕事は、出会いの場が少ない。現役の高校生とほど近い年齢の田村からすれば、昨日の防犯講話は数少ない「出会いの場」となる可能性もあったわけだ。参加出来なかったことを本当に残念に思っているのだろう。田村の胸中を推察し、旭は苦笑する。
「なんすか、その笑い。かわいい子いたんですか?」
「いや、そういう訳じゃ……」
答えようとして、ふと思い至る。
「……気になる学生なら、いたな」
えーっ、ずるい! と田村が大声を上げた。田村が思っているようなものでは全然ないのだが、旭にとって気になる存在が、一人。
時間超過の防犯講話を終えてから、職員室に戻り教頭ら職員としばらく雑談をしていた。講評ももらい、ひとしきり話し終えてそろそろ撤収しようかというタイミングだった。
「そう言えば、遅れて入ってきたあの男子学生は……」
自分の口をついて出た問いに、旭は自分で驚く。それほどまでに彼のことが気になっていたのか。何を聞こうとしている? 聞いてどうする?
旭の動揺には露ほども気づかぬ様子で、教頭が「あぁ~」と声を漏らす。
「三年の菊池優真 のことですね? すみません、生徒には時間通り集合するように周知していたのですが。不快な思いをされたのなら、申し訳ありません」
「いや、不快だなんて、全然そんなことは……」
教頭は、開始時間に遅れてきた学生がいたことに、旭が気分を害したと受け止めたようだ。もちろん、全くそんなことはない。むしろ逆だ。彼が遅れてやってきたことに、旭は助けられたのだ。
どう伝えたものか。
「不快だとか、そういうことではなくて、ただちょっと、気になったもので……」
結局、思ったことをそのまま口にした。そう、気になっただけなのだ。あの場の空気を一変させた、彼のことが。
苦情の類いではないと理解した教頭が、表情を和らげる。
「まぁ、ちょっと個性的な生徒でして。成績は良いのですが、マイペースと言うか、空気を読まないと言うか。けして不良ということではないんですけど、つかみ所がないと言うか」
教頭の言葉の選び方から、手放しで誉められるような生徒ではないことは充分伝わってきた。
「生徒会長ではないのですか?」
旭の質問に、教頭はおろか付近で2人の会話を聞くともなしに聞いていた教師たちもが吹き出した。悪意は無いことは分かるが、そのリアクションに旭は戸惑う。
「違うんですか?」
旭の重ねての質問に、教頭が笑いをこらえながら答えた。
「……いや、失礼しました。何故そう思われたのか分かりませんが、あれは生徒会長どころか生徒会役員も何も勤めてませんよ。生活面ではマイペースが過ぎるほどですから、規則や規約を"守らせる"という側ではないんです。まぁ、まじめはまじめなんですが」
周りにいた教師たちも、教頭の話にうんうんと頷いている。まったくもってその通りということなのだろう。
旭にしてみれば、逆にそれが不思議だった。
あれほどまでに場の空気を掴み、人の目線を集めることが出来る人物なら、それなりの立ち位置にいてもおかしくない。それこそ生徒会長などの役職が与えられたなら、見事なまでにカリスマ性を発揮するのではないか。
勘違いだったのだろうか。自分が目を奪われたのも、あの場で無意識のうちに助けを求めていたから?
結局もやもやとした思案の種を抱えたまま、旭は教頭に頭を下げ職員室を辞したのだった。
「いいなぁ。俺もやっぱり行きたかったなぁ……」
「だから違うって言ってるだろ。いいから仕事しろ、仕事。立番でもしとけ」
「はいはい。了解です」
ぶつくさ言いながら田村は交番出入口へと向かう。立番とは、交番勤務の警察官の業務の一つだ。交番の外、出入口付近に立ち、周囲の警戒をしたり訪れた市民の対応をしたりする。
ペアの田村が立番をしている間、旭は事務室で書類整理を進めることにした。
来客や事案の少ない午前中の時間の方が、書類に集中出来る。出勤してからまずは書類仕事に取りかかるのが、旭の仕事の進め方だ。
小一時間ほど経ったろうか。ある程度の目処が立った旭は、立番中の田村に声をかけようと事務室を出た。すると、田村が市民と何か話している様子が伺えた。こちらからでは田村の背中が見えるばかりで、相手の様子がはっきりとは分からない。
何か事件でもあったのだろうか。旭も交番出入口、立番中の田村の元へと向かう。
「お話の途中にすみません。何かありましたか?」
そう声をかけたものの、旭はそこで固まってしまった。
あ、部長、こちらの方はですね。ーー
田村が旭に向かって、これまでの聞き取り事項を説明し始める。しかし旭には、その声はほとんど耳に届いてはいなかった。
田村と話していたのは、制服姿の男子高校生。旭よりも少し背の高い、背筋の伸びた立ち姿。やわらかそうな栗色の髪の毛。その彼が、今は旭に向かってまっすぐに視線を向けている。
旭は昨日の記憶を反芻する。
間違いない。
目の前に立っているのは、「気になる学生」、菊池優真その人だった。
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