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第7話その四

「私の家は、母と弟と私の3人家族です」  長くなると前置きした優真は、志望動機を家庭環境から話し始めた。 「私が小学生の頃に両親は離婚し、私の家は母子家庭になりました。幸い母は職に就いており、母方の祖父母の助けもあったため何不自由なく生活を送ることが出来ました」  面接の回答は冗長になることを避けた方がよいと思ったが、優真がやり直したいと言ってまで話し始めた内容なので、旭は遮らずに最後まで聞くことにした。 「母も祖父母も、父親がいなくなった私のことを不憫だと思ったのか、私のことをあまり叱ることがなくなりました。学校の教師もあまり熱心なタイプではなかったので、次第に私は大人をあまく見るようになりました。法を犯すようなことはありませんでしたが、何をしても怒られることはないと調子に乗っていたように思います。くだけた言い方をすれば、少々ヤンチャでした」  優真が何を話そうとしているのか、旭には図りかねた。志望動機にしては、あまりにも前置きが長すぎる。しかもヤンチャをしていただなんて、正直さを買うにしてもマイナスでしかない。優真の目が至って真剣なだけに、余計に意図がつかめなかった。 「中学校に入ってからです。特別授業として、全校集会での防犯講習が行われました」  中学校での、防犯講習?  その単語を耳にした瞬間、旭の脳裏に浮かぶものがあった。 「体育館に全校生徒が集められ、SNS利用等学生が被害に遭いやすい犯罪に関する防犯講話が行われたんです。その防犯講話の講師として来てくださっていたのが、地元を管轄する警察の方でした」  旭はその続きを、聞きたくないと思った。おそらく聞かなくても、何があったのか自分には分かっている。 「生活安全課の警部補という方が壇上でお話をされている時、正直私たち学生のほとんどはまともに話を聞いていませんでした。単純に飽き始めていたのと、友人と雑談をする方が楽しかったからです。」  そうだ。確かに体育館の中はざわついていた。生安係長の話なぞ、誰も聞いちゃいなかった。だから。 「その時、壇上に制服の若い警察官の方が駆け上がりました。突然響いた荒っぽい足音に何事かと思って見やると、その警察官は警部補の方のマイクを奪い大声で叫んだんです。『静かにしろ』って」  ……若かったのだ。言い訳にもならないが。 「一瞬にして、体育館の中は静かになりました。いえ、正確に言うと、その若い警察官の声だけが響き続けました」  生徒の態度に腹が立ち、カッとなってやってしまったことだった。後から当の生安係長からはもちろん、その場に一緒に来ていた交番所長や、後日地域課長からも呼び出されこっぴどく叱られた。警察人生初の始末書を書いたのも、この時だ。  この防犯講話での出来事は、言わば旭の警察人生においての黒歴史だ。思い出すと、今でも羞恥と後悔で顔が熱くなる。優真は何故この話をするのか。旭の胸中を知ってか知らずか、優真の話は続く。 「細かい言い回しは残念ながら忘れてしまいましたが、その警察官はどれだけ私たち学生の安全安心が大事かということを、熱く語ってくださいました。 『自分たち警察官は、誰一人として被害者になってほしくないと本気で思っている。自分は警察になってまだ間もないが、様々な被害者に会ってきた。その悲しさや悔しさを目の当たりにして、自分の無力感に泣きそうになる。誰にも、つらい思いはしてほしくない。我が子が被害に遭って嘆く親御さんの姿を、見たくない。だから頼む。自分たち警察官は本気で君たちを守りたいと思ってる。頼むから君たちも、他人事だと思わず本気で自分たちの話を聞いてくれ』  そう言ってその警察官は、壇上で泣き始めたんです」  繰り返すが、若かったのだ。人前であられもなく感情をむき出しにしてしまうほどに。  周囲の反応など覚えてもないが、駆け寄ってきた交番所長に頭をこづかれ、壇上から引きずり下ろされたことは覚えている。 「同級生の中には、その警察官をバカにする人間もいました。いい歳して熱くなってバカじゃねぇのとか、恥ずかしいやつとか」  そうだろうなと自分でも思う。 「けれど私にとって、その警察官の存在はとても鮮烈でした。自分のことを、本気で叱ってくれる人がいる。本気で心配してくれている人がいる。そう思うと、嬉しく、胸が熱くなりました」  えっ?   耳を疑った。旭にとっては封印したいただの黒歴史だが、優真にとっては違うらしい。まさか自分の若気の至りが、そんなにも好意的に受け止められているとは。  自分の中では消し去りたい過去の失敗でしかなかった。恥ずかしい過去だと。感情的に叫んでしまった、青臭い自分のまっすぐな気持ち。どうせ誰にも届いてはいないと、そう思っていた。  なのに優真には、伝わっていた。自分の気持ちが。冷めた目で聞き流すでなくバカにするでなく、あの時の自分の気持ちをそのままに受け止めてくれていた。  無駄じゃなかったと、旭は思った。自分のやってしまったことは方法としては間違いだったかも知れない。けれど無駄じゃなかったと。 「放課後、担任にその警察官の名前を確認に行きました。聞いた時に何故か、初めて聞いた気がしませんでした。もしかしてと思い帰宅後に母に尋ねたら、にっこり笑いながら、1枚の名刺を出してくれたんです。『盗まれた自転車を探してくれたお巡りさんだよ』って」  旭の頭の中で、少しずつ話が繋がっていく。盗難に遭った自転車を必死に探したこと。思わずカッとなってしまった防犯講話。自分を指名してきた異例の職場見学……。 「僕は、あの人のようになりたいと思いました。仕事とは言え、他人である僕たちのことを本気で心配してくれた、本気で叱ってくれた、全力で助けてくれた、あの警察官のようになりたいと。その日から、あの警察官はいったいどんな人なんだろうと考え始めました。あの人なら、どんな風に考えるだろう。あの優しい人なら、他人にどんな風に接するだろう。知りたい。あの人のことが知りたい」  優真の声は、少し震えていた。気がつくと、顔が赤くなっている。あふれ出そうな感情を必死にこらえている、そんな風に見えた。  とてもじゃないが、面接の練習だとは思えない。これは、これはまるで……。 「僕は佐倉さんのようになりたい。佐倉さんのことをもっと知りたい。佐倉さんと親しくなりたい」  これはまるで、告白ではないか。 旭の心臓が高鳴る。 「今年、自分の通う高校で防犯講話が行われたとき、壇上にいる佐倉さんの姿を見てすぐに気がつきました。嬉しかった。警察官になったらいつか会えるだろうとは思っていましたけど、まさかこんなに早く会えるだなんて、思ってなかったから」  優真の瞳が、潤んでいるのが分かる。旭は室内を明るくしてしまったことをわずかばかり後悔した。今の話を聞いて、優真の感情があふれ出てくるその表情を目の当たりにして、自分も少なからず昂揚している。自分はいったい、今どんな表情をしているのか。  これは面接の練習じゃない。そう言って、この場を立ち去ることも出来る。けれど旭は身動きが取れずにいた。優真の瞳から、視線を逸らすことが出来ない。  さっきまでは気にならなかった優真の吐息が、やけに耳に響く。聴覚が、優真の発する音を逃さぬよう鋭敏になっているように感じた。  優真がスッと短く息を吸って、止めた。 「……好きです。佐倉さんと、交際したいと思ってます」  それだけ発すると、長くゆっくりと息を吐いた。逆に旭の呼吸は短く、荒い。自身の心音がけたたましく鳴り響き始めたせいで、優真の吐息も聞こえなくなってしまった。  固まっている旭に向かって、優真が座ったまま頭を下げる。 「……以上が、僕が警察官を志望した本当の理由です。不純な動機と言われるかも知れませんが、被害を減らしたい、人に優しくしたいという気持ちは本当です。最後まで聴いてくださって、ありがとうございました」  優真の肩から、目に見えて力が抜けた。太ももの上に置かれていたこぶしは無意識に強く握りこんでいたのだろう。脱力して少し広がった指先が、かすかに震えていた。 何か言わなくては。旭はそう思うものの、なんと言ったらいいのか分からなかった。徐々に心臓は落ち着きを取り戻してきたが、それでもまだまだ頭の中が混沌としている。  優真が本当は、ずっと前から警察官になることを決めていたこと。その決断に、自分が大きく関わっていたこと。自分の思いを、受け止めてくれていたこと……。  まとまらない。まとまらないが、だが、しかし……。  呆然としている旭の顔を、優真が心配そうに覗き込む。 「驚かせてしまって、すみません。あの、大丈夫ですか?」 「……嬉しい」 「えっ!?」 「……え?」  ぽろりと、己の口からこぼれ出た言葉に、旭自身も驚いた。考えも思いもまとまらない中、無意識に漏れ出た本音。 「あの、佐倉さん! それ本当ですか!?」  その言葉を、優真が聞き逃すはずがなかった。勢いよく立ち上がり、座ったままの旭に覆い被さらんばかりに距離を詰める。 「今、言いましたよね、『嬉しい』って! 言いましたよねっ!」  優真の顔は照明のせいで逆光になっているが、それでも目が爛々としているのが分かる。優真の勢いに飲まれそうになりながら、旭はなんとか返事を絞り出した。 「……言った。確かに言ったよ、『嬉しい』って」  優真が更に喜色を浮かべる。 「素直に、嬉しいと思った。俺の言葉が届いている誰かがいたことに、正直に言って救われたような気持ちさえしてる。菊池くんの気持ちは、ありがたいと思うし本当に嬉しい。けど、俺は自分の気持ちがよく分からないんだ。だから、その……」  なかなか言葉が続かない旭を見て、優真が軽くため息をついた。 「分かりました」  優真が旭の言葉を遮る。 「失礼ですけど、佐倉さんって恋愛経験少なそうですね」  ちょっとあきれたような優真の突然の物言いに、旭は困惑する。言われたことは確かに、否定は出来ないのだけど。 「僕もまだ学生ですし試験もありますから、急ぎません。佐倉さん自身、ご自分の気持ちをしっかり考えてくださったら、それで結構です」  そう言って優真は、旭に向かって前傾していた体をまっすぐに伸ばした。そのまま後退すると、深々と一礼する。 「今日は、急に変なこと言ってすみませんでした。面接の練習に付き合っていただき、本当にありがとうございます」 「え、あぁ、それは、全然構わないんだけど」  唐突に真顔になった優真に、旭も立ち上がり答える。まっすぐ向かい合う姿勢になり、旭は何となく照れくさくなった。 「おつかれさま。えっと、まぁ、特に問題はなかったし、今日はこれで終わろうか」  場を締めようとした旭に向かって、優真が「佐倉さん」と一歩近づいた。 「え、何?」 「ハグしてもいいですか?」  旭の体がビクッと揺れる。同時に旭は、治まっていた鼓動が早くなり、また顔が熱くなるのを感じる。 「ダメですか……?」  あくまでも真顔で問いかけてくる優真は、どうも冗談ではなく本気で言っているようだ。 「いや、ちょっと、それは、ダメって言うか、ダメじゃないけど……」  しどろもどろに答える旭。優真のあんなにまっすぐな感情を向けられた後でハグなぞ、とても受け止めきれる気がしない。 「ダメじゃないなら、いいですよね……?」  優真はさらに一歩間合いを詰める。 「いや、でも、ここはほら」  取り敢えず、この場を回避したい一心で、旭は声を張り上げた。 「ここは、防犯カメラがあるから!」  旭の必死の叫びに、優真がきょとんとする。 「ほら、仕事上いろいろお店に協力してもらうこともあるんだけど、こういうところって各部屋防犯カメラが設置されてて! スタッフの人がモニターで確認してたり録画してたりするから! だから、ちょっと、ここじゃ……」  旭の弁解に、優真はふっと吐息を漏らし、満面の笑みを浮かべた。 「ここじゃ、ダメなんですね?」  にやりとする優真。 「防犯カメラがない場所だったら、いいってことですよね?」  旭は、言葉の選択を間違えたことに気がついた。間違えたか、またしてもうっかり本音が漏れてしまったのか。  何も言い訳が出来ない旭に、優真が喜びいっぱいに告げた。 「今日はありがとうございました! 試験頑張ります! 絶対合格しますね!」  優真と別れた後、旭は急にいたたまれない気持ちに襲われた。どうにも一人ではいられなくなり田村を電話で呼び出すと、改めてカラオケボックスへと向かう。 「どうでもいいすけど、佐倉部長の選曲、微妙に古いっすね」  そう言って笑う部下をこづきながら、3時間付き合わせたのだった。

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