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東京の片隅、小さな町のその奥に立派な洋館がある。 ここが暁孝(あきたか)の実家だ。今は亡き祖父母の愛した洋館を守りつつ、智哉(ともや)と二人で暮らしている。 二人共仕事を抱えているので、広い家の管理は大変だ、なので、週三回ハウスキーパーに来て貰っている。担当してくれるのは野間芳江(のまよしえ)というベテランスタッフで、朗らかな女性だ。普段使わない部屋を中心に掃除をして貰っているのだが、この日この家を訪ねてきたのは、珍しく芳江以外の人物だった。 背がすらりと高く、掻き上げた黒髪、穏やかな眼差しと誂えの上質なスーツ。 彼の名前は、和泉始(いずみはじめ)。イズミ探偵社の社長だ。 始は応接室のテーブルの上に、書類と崩れた社の写真、新幹線のチケットを置いた。 始の向かいに座った暁孝は、それらの書類を見ようともせず、智哉が出したコーヒーをすすっている。そんな暁孝とは対象的に、智哉は二人にコーヒーを出した後、興味深そうに写真に目を向けていた。 「これ、どうしたんですか?」 「(あき)君への依頼だよ」 「それは祖父の仕事だ、俺はやらない」 「見える目を持ってるのに?」 「俺以外に見える奴だっているだろ、他当たってくれ」 「それが出来たら君に頼まないよ、先生」 暁孝が溜め息を吐いてカップを置く。その溜め息の重さに、智哉ははっとして暁孝の隣に腰掛けた。 「な、何コレ!うわ、お社がボロボロですよ!?」 席を立ち上がりかけた暁孝は、再び溜め息を吐いた。あまりにも棒読みな台詞に、智哉の真意がありありと読み取れたからだ。 「…話だけは聞く」 「さすが!暁君は良い友達を持ったね」 「へへ」 「いいから話せ」 はいはい、と頷きながら、始は書類を広げて見せる。 「今回は、地元の役所からの依頼なんだ。この壊れた社の周辺の森で、度々木々が倒されているらしい。根元からごっそりとね。写真で分かるように、切り口はチェーンソー等で切られたわけではない」 「本当だ、無理矢理へし折られた枝みたい…でもこれ、凄い太い木ですよ」 「ああ、熊や猪がいくら体当たりしても倒せないだろうね」 「あ!だから暁の出番ってわけですね」 「その通り」 「俺の前に探偵社の連中は見に行ったのか?」 「行かせたよ。妖用のゴーグル掛けて山の中を歩き回り、社や不可思議な現象が起きた場所にはカメラも取りつけて張り込んだんだけど、残念ながら痕跡一つ見つけられなかったよ」 始は肩を竦めて苦笑う。 「だから、妖が見えて会話の出来る君に頼みたい。森の妖達なら何か知ってるかもしれないだろ?」 「…アンタだって見えるし話せるじゃないか。社員に任せないで、アンタが行けば良い話だ」 「それがね~残念ながらこちらも手一杯なんだ。一足先に君が現場に向かって調べてくれたら、こちらもとても助かるんだけどな」 「……」 「地元の人達、きっと怖い思いをしてると思うんだ。だって原因不明の事態だ、自分の町で異変が起きてるとなれば心配で夜も眠れないよ。役所が動くくらいだからね、一刻も早く解決してあげたいじゃないか」 始は大袈裟に、可哀想にと項垂れ頭を振る。わざとらしいが、暁孝には情に訴えるのが一番なのかもしれない。 「…分かった。行けば良いんだろ」 渋々ながらも、早々に了承を得られた。 「やったー!」 暁孝の返事を聞いて両腕を上げたのは智哉だ。 「なんでお前が喜ぶんだよ」 「だって俺、旅行って久し振りだもん!」 「連れて行くわけないだろ」 「そう言うと思って。はい、どうぞ」 溜め息を吐いた暁孝に、始がにっこり微笑んで新幹線のチケットの上に指を置く。その指をすっと動かすと、一枚だと思っていたそれは二枚重なっていた事に気づく。 「実は二枚ありましたー。二人で行っといで」 「うわっ良いんですか!」 「待て待て、一般人を巻き込むな」 「何言ってるの、智哉君は暁君の保護者みたいなものじゃないか」 「そうだよ!朝も一人で起きられないくせに」 「それ関係ないだろ!」 「まあまあ、多分危険な事はないよ、大丈夫」 始の言葉に、暁孝は眉を寄せる。 「どうして言いきれる、何か知ってるのか」 「確証は無いけど予想はある。だから確かめて欲しいんだ、先ずはこの社に誰が居るのかを確かめて欲しい。だけど深追いはしちゃ駄目だよ、俺が向かうまで」 「誰が深追いなんてするか」 そう吐き捨てると、暁孝はソファーを立ち応接室から出て行ってしまった。 その姿を見送って、智哉は苦笑い頭を下げた。 「…すみません」 「ううん、もう慣れたよ」 「暁、お祖父さんが亡くなってから妖の事とか全然話さなくなっちゃって…まあ、昔からあまり喋るほうじゃないけど」 「義一(ぎいち)さんが亡くなったショックはあるだろうね…俺もあの人にはよく助けて貰ったな」 懐かしそうに目を細めた始に、智哉も義一を思い浮かべ、少し寂しそうに笑った。 「始さん、暁のお祖父さんとどんな仕事をしてきたんですか?」 「んー?そうだなぁ」 始の会社は探偵会社だが、その会社にはもう一つ窓口がある。 それは、妖や神に対する相談所だ。この妖関連については、何店舗か同業者もいるが、イズミ探偵社は国内トップと言ってもいい。 妖の気配を辿れない人間は、妖が居るなんて先ず信じない。しかし妖は存在し、時に人と衝突する。 妖が見えない多くの人々は、見えない恐怖に恐れ、不可思議な現象に謎を解明しようと、様々手を尽くすだろう。見えないから、妖の思いを汲み取る事もしない、それは仕方のない事だ。 妖も人も同じ世界に生きる者同士、互いが辛い思いをしない為にはどうすれば良いのか、そこで、全国の自治体に妖の存在を知る役員を作り、ひっそりとネットワークを張り巡らせ、人が理解出来ない現象が起きてどうしようも無くなった時、イズミ探偵社に連絡が来るようシステムを作った。勿論、個人からの依頼も受け付けている。 そのシステムを作り上げられたのは、義一の尽力によるものだった。 人が良く、懐に飛び込むのが上手い義一は、妖にとってもそれは同じだった。 もし、人にも気づかれない、妖達の中で困った事があれば、それも始に伝えるように示している。 妖から相談が来ればタダ働きだが、妖が困れば人も困る。その流れを絶ちつつ妖に恩も売れる。そうすれば、ある程度平和な暮らしは守れるだろうと。 勿論、抜け目ない始は、義一と違って恩の売り方がねちっこかったが、それが許されたのも、義一が居たお陰だろう。 義一が居なければ、妖から人に相談を持ちかける事はなかったかもしれない。 義一は個人的に妖達と触れ合い、話を聞いては悩み相談のような役割を引き受けていたので、義一がしていた事を始が引き受けた、という感じだ。 義一が居ない今、妖からの相談は極端に減っているが、義一がその役目を託した始なら信用出来るだろうと、時折、始の元に妖達が相談を持ってやってきているようだ。

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