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思い出話に花を咲かせる始 と智哉 の会話を背に、暁孝 は黙ってドアの前から離れた。
その足で中庭に出ると、白いベンチに腰掛け空を仰ぐ。
気持ちの良い青空だ。この場所で暁孝は、義一 から自分は捨て子だったと聞かされた。
赤子の自分が、巡り巡って義一の元へやって来た事。
義一夫婦は還暦を過ぎていた為、父母と名乗るのではなく、祖父母と名乗る事にした事。娘夫婦を先に亡くした夫妻にとって、暁孝は見る事の出来なかった孫のように感じられたのかもしれない。
祖父母は愛情いっぱいに暁孝を育てた。暁孝もそれを感じていたから反抗期なんて無かったし、何より妖の見えるこの瞳を理解し寄り添い、崩れそうな心を温めてくれたのは、感謝しかない。祖父が暁孝と同じ見える人だったからかもしれないが、小さな頃に妖を理解し、人前でどう接するかを教えて貰えたのは大きかった。
「おい、アキ!何ぼーっとしてるんだ?」
声に視線を向ければ、白い猫が首を傾げてお座りしている。ゆらゆら揺れる尻尾は二本、妖だ。名前は、シロといったか。名前の無い彼に名前を与えたのは、義一だ。見た目通りの名前だが、彼は気に入っている。
「俺が何しようとお前には関係ない」
「ギイチが居なくなってから元気無いじゃないか、付き合いの長い僕は心配になるんだ」
「ご心配どうも、さぁ帰れ」
「つれないなー、ギイチとは大違いだ」
そう言いながら、シロは暁孝の足元で丸くなる。皆、寂しいのだ。
暁孝は小さく息を吐き、再び空を見上げた。
用意された宿は山間にある老舗の温泉旅館で、離れの部屋に通された。
始の名前を出せば、女将は「いつも御贔屓にして頂いて」と続け、始が先々週にもここを訪れていた事を知った。
「あいつ、来てたこと何で言わないんだ…」
「うわ、部屋広い!良いの?こんなとこ泊まっちゃって!」
「良いんだろ、指定された宿だ」
離れの宿は内風呂こそ無いが、二人で泊まるには十分過ぎる広さがあり、小さな庭園もあった。周囲は原生林に囲まれて、外界からは閉ざされた秘境の宿という感じだ。
「温泉久し振りだなー」
嬉しそうな智哉に暁孝もつられて口元を緩めた。
暁孝が智哉と仲良くなったのは、智哉の好奇心がきっかけだった。見えないものが見えるとして、小さい頃はイジメの対象になりかけていた暁孝に、智哉は見えないものが見える事に羨望の眼差しを向けた。暁孝の話を嘘だと思わず、自分が見えない世界の話を今も智哉は信じている。そんな彼に救われた事は多い。だから、自分と居る事で、結果、智哉が喜んでくれる事があるなら、それは暁孝にとっても嬉しい事だった。
「温泉の前に調査だ。見に行くんだろ?社」
暁孝の言葉に智哉は更に瞳を輝かせた。
駅前で借りたレンタカーを走らせ、目的地の山へ向かう。広い道路はすれ違う車の姿もほぼ無く、どこまでも続く田畑の景色が、時間の感覚を狂わせる。東京に居るよりも時間がゆっくり流れている気がするのが不思議だ。
智哉の楽しそうに弾む声を聞きながら、暁孝は助手席の窓から外を見る。犬のような何かに、狸のような何か、案山子のような何かに鳥のような何か。
人の数が少ない分、妖の数が多く感じる。
一体、社に居る妖とはどんな妖なのか。
暁孝はちらりと智哉に目をやる。
もし何か起きた場合、義一のように智哉を守る事が出来るのだろうか。
一抹の不安を抱えたまま、程なくして目的の場所へたどり着いた。
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