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プロローグ 夕陽の中で笑った君を

「瀧川くんてさ……優しいよね」 「……何、急に。どしたの」  突然呼び出されて出向いたコーヒーショップで、向かいの席に座って俯いたまま呟いた彼女の唇は、うっすらと笑みを象っていた。  ----あぁまたか、と思ったけれど、顔には出さない。  どしたの、とヘラリと笑ったら、きゅっと唇を噛んで顔を上げた彼女の泣き出しそうに潤んだ瞳に睨み付けられて。  内心、溜め息を吐いた。 「でもさ、それってさ……あたしのこと、好きだからじゃないよね」 「……何言ってんの」  好きに決まってんじゃん、と付け足したくせに、自分でもその台詞のわざとらしさに笑ってしまった。 「瀧川くんさ……。……誰にでも優しいから。……勘違いする」 「勘違いじゃないって」 「勘違いだったよ」 「……」  まるでオレの言葉に被せるように、ぶった切るみたいに放った後、彼女は黙ってオレを静かに睨んでいて。  何か言おうとして口を開いたものの、結局、何も言えずに黙り込む。  ----どうしてだろうか。  付き合って欲しいと言われて付き合って。  買い物も、映画も、食事も。ちゃんと付き合ってるというのに。  いつも、同じ結果になる。  何が悪いのかもサッパリ分からないまま違う女の子に告白されて、また付き合って、別れて。  繰り返しだった。  みんな違う女の子なのに、みんな同じことを言って離れていく。  弄んでるつもりなんてこれっぽっちもないし、その時々で付き合う女の子達にちゃんと向き合ってきたつもりなのに。  いつも結局こうなる。 「もう別れよ」 「……」 「あたしのこと----好きじゃないんでしょ」  静かに断定する口調と、泣きながらもオレを責める目。  そんなことないと反射的に叫べないんだから、やっぱりオレにも原因はあるってことなんだろうか。 「…………何も、言ってくれないんだね」  淋しそうに呟いた彼女が、そっと涙を拭って。 「……さよなら」  するりと立ち去っていく。  その後ろ姿をじっと見送りながら、やれやれと溜め息を一つ。 (なんだかなぁ……)  見えなくなった後ろ姿は、やけに凛としてピンと背筋が伸びていて、とても綺麗だった。  ----だからといって惜しいとも思わない自分は、やっぱり彼女を好きじゃなかったことになるんだろうか。  店内にいた客達の好奇の視線を体中に浴びながらゆっくりと立ち上がって、中身の減っていない二人分の紙コップをゴミ箱に捨てたら、何もなかったみたいな顔して店を出る。 「……寒……」  途端に吹き抜けた風に首を竦めた。  昨日までならこんな時、手を繋いで「あったかいね」なんてむず痒く笑っていたけれど。  上着のポケットに手を突っ込んで、溜め息を一つ。  淋しいんだか、寒いんだかよく分からないまま駅に向かう。  呼び出されて大学のそばにあるコーヒーショップまで、わざわざ電車に乗って来たというのに。無駄なコーヒー代まで払ってフラれるだなんて。  だったらメールか電話で済ませてくれたらいいのに、なんて多少デリカシーにかける文句を呟きながら、電車に乗り込む。  車内は十分に暖かいのに、わざわざ身を寄せ合ってるカップルの姿にトゲトゲと心を刺激されながら、窓の外を睨み付けた。  小さな声で、それでも弾むように会話するカップルの華やかな音にじわじわと責められて、心がくさくさする。  最寄り駅に着く頃には、もうカップルも外の景色も睨むだけの気力は残っていなくて。  惜しくなかったくせに、独りであることを強調された途端に淋しくなる自分勝手さに、更にヘコんで電車を降りる。  気分的に駅前の賑わうメインストリートから逸れて、いつも人気がなくて静かな公園の中を通る途中。  目の前で沈んでいく大きなオレンジ色の太陽を見つけて、立ち止まる。 (………………キレーだなぁ……)  いつもならそんな風に立ち止まったりしないくせに、やけにセンチメンタルな気分で沈んでいく夕陽を眺めていたら。  視界の端。  細身の男が、やけに熱心に空を見上げているのに気づいた。  同い年くらい、だろうか。  近所にふらりと散歩に出かけるみたいな軽装で、公園の隅にあるベンチに座っている。  なんだか切実な願いの込められた目は、恐いくらいに綺麗に澄んでいるのに、とてつもなく深い哀しみを映していて。  笑って欲しいと唐突に思った。  その想いはまるで、胸を刺されたみたいな強い痛みでもって、オレを揺さぶって。  見ず知らずの----しかも男を相手に、なんでそんなことをと狼狽えながらも。  哀しみ苦しんでいるその瞳は、オレの心までも切なく痛くして。 (なんで、オレ……)  訳が分からなかった。  なんでこんなにも心揺さぶられるのかも分からないまま、ふらふらと男の元へ歩み出している自分に気づいて、またも狼狽える。 (オレが行ってなんになるんだ、って……)  オロオロウロウロと歩く自分は、さぞかし不審者めいていることだろうと。  自分のことながらにゲンナリする。 (----でも)  放っておけないんだと、何度も足を止めたり進めたりしながらようやく気づいたのは、そんな単純な理由だ。  苦しい。淋しい。辛い。哀しい。  瞳に映るそんな気持ちの奥にある『助けて』が。  今のオレを揺さぶっているんだと、自覚した瞬間に放っておけなくなった。  ドキドキと胸が鳴るのは、見ず知らずの男に、男である自分が声をかけるなんていう気持ちの悪い状況を強いられているせいだと決めつけて。  じゃり、と音を立てて、彼の傍で立ち止まる。 「----、っ」  誰を、呼んだのだろう。  立ち止まったオレに気づいて、ハッと顔を上げた彼の唇は、見知らぬ誰かの名前を紡ごうとして口ごもった。  その綺麗な目に浮かぶのは、哀しいくらいの落胆だ。求める誰かがここに立ったと勘違いしたのだろうか。  あからさまな落胆を浮かべるのに申し訳なささえ覚えながらも、ほんの少しだけ傷ついた心を隠して、そっと声をかける。 「…………大丈夫?」 「……ぇ?」  目の前の彼は、キョトンと目を見張ってまじまじとオレを見つめ返してきた。 「…………大丈夫?」  透明な瞳に無言で見つめられて、やっぱりやめておけば良かったか、なんて一瞬後悔しながらも。  結局はその瞳を放ってはおけないのだからと、腹を括って同じ台詞を繰り返したら。  目を見張っていた彼が、じわじわと顔に苦い笑みを広げながらぎこちなく頷いてくれる。 「だい、じょぶ」  こっくりと頷くその姿は、幼い子供のようにあどけないのに。  その哀しげな瞳の深い色は、やけに色っぽくてドギマギしてしまう。 「……そう……」  ならいいんだけど、とモソモソ呟きながら、その強い瞳から無理やり視線を逸らして。  気まずい沈黙の中で、頭を掻いた。  放っておけなくて声をかけたものの、この後何をどうするかまでは考えていなかった。  ちらり、と彼を伺ってみれば、またあの綺麗な瞳とバッチリ目が合ってしまう。 「----あの」 「あの」  何も考えないままに口を開いたら、オロオロした声が不意に重なって。 「あ、そっちから」 「ごめ、そっちから」  お互いの声が重なったままに譲り合いをしたら、吹き出したのは多分同時。  笑いの治まった頃に、また譲り合いになっても仕方ないからと、先に口を開いた。 「オレ、瀧川颯真」 「……藤澤、司」  短く名乗ったら、数瞬の躊躇いの後で、彼もぽつりと名乗ってくれる。  その名前を、何度か舌先で転がした後。 「ぇと……----司」 「……うん?」 「大丈夫?」  思い切って下の名前で呼んだら、少し驚いた顔をしながらも素直に頷いてくれた司に、もう一度念押しで尋ねたオレを。  戸惑ったみたいに見つめた司が、何度か口を開いてはもごもごと口を閉じるのを、辛抱強く見守っていれば。 「-----------うん。大丈夫」  そう呟いて、小さく笑ってくれた。  まだまだ無理をしていることがありありと分かるその笑顔は。  けれど夕陽に眩しく照らされて、妙に優しい笑顔に見えた。 「オレ……」  その笑顔を。  もう一度見たいと思ったのは、何故なんだろう。 「----オレ! バイトの帰りとか、大学の帰りとか、よくここ通るんだけど」 「……うん?」 「今度、また、司のこと見かけたら、声、かけてもいい!?」 「…………----うん」  きょとんとする司の目に、言い訳するみたいに焦って一気に捲し立てたら。  勢いに気圧されたみたいに軽く仰け反ってた司が。  だけど、ふふっ、と。仕方ないなって感じの苦笑いの後で小さく頷いてくれて。  ----嬉しくて。  嬉しくて嬉しくて、心が躍るってこういうことかも、なんて思いながら。  にかっと、自分でも呆れるくらいに元気の良い笑顔で、司に笑い返していた。 「ありがと」  *****  そっと君の手がオレの頬に触れて、くすぐったさに目を閉じたら、君がふわりと笑う気配。  そっと目を開けたら、幸せそうに笑った君が愛しさを隠しもせずにその頬を緩める。  大好きな表情だった。  優しくて、柔らかくて、温かくて。  オレの頬に触れていた君の手に、自分の手を重ねてそっと君を見つめたら、君は目を細めた後で唇に唇で触れてきて。  しっとりと重なったそれが、またふわふわとオレの心を包んでくれる。  ----幸福ってこういうことなんだと、素直に思えた。  その想いをそのまま君に伝えたら、君も嬉しそうに笑ってくれて。  ひたひたと満ちてゆく幸福が、これから先もずっと続けばいいと。  ----心から、願っていたというのに。 「------------、しょう、ご」  声が。  手が。  届かなかった。  想いは真っ直ぐに君へと走ってゆくのに。  君に----届かなかった。  黒いコンクリートの上に、広がっていく赤い血溜まり。  ひっくり返った車。  ひしゃげたガードレール。  突き飛ばされた衝撃は、今も背中に残ってるのに。 「章悟!!」  叫ぶ声に君の声が応えることはなくて、無我夢中で駆け寄った先。倒れた君の力ない手のひらが、投げ出されたままになっていた。夢中で手のひらを取って、声が嗄れるまで君を呼び続けたけど 「章悟!!」  ----結局一度も、応えてはくれなかった。  あの日、君を呼んで嗄れた声は3日もすれば元に戻った。  あの日、突っ込んできた車に壊されていたガードレールも、いつの間にか綺麗に直っていた。  あの日から、オレは。  一歩もどこへも行けないというのに。  世界は、何も変わらずにくるくると回り続けていて。  不思議だった。  今もこうして自分が、変わらずに息をしていることが。  あの日君が、オレの代わりに死んでしまってから。オレの世界は、いつまでも止まったままだ。  毎日はいつも、無意味に過ぎていく。  こんな毎日なら、さっさと終わらせてしまえばいいと思うのに。無気力なオレには、自らの命を終わらせることさえ億劫に思えて。  心配してくれる家族や友人達には、ヘラヘラと無意味に笑って見せて。  毎日、毎日。----毎日、毎日、毎日。  変わることのない、同じ毎日を繰り返していた。  何を見ても、何を聞いても、何を食べても。  何も感じないし、嬉しくもならなければ、哀しくも淋しくも、悔しくもならなくて。  何もなかった。今のオレには、何も。  心なんて、本当にこの躰のどこかに存在していたんだろうか。  何が好きで、何が面白くて、何を淋しく思っていたのかさえ、分からずに。 『----司!』  あの日の切羽詰まった君の声だけが、今も鮮やかに耳に蘇る。  急に突き飛ばされて地面に転がってる間に、世界は変わってしまった。  あの日失ったのは、君という存在と。  オレを創る何もかもだったのだと思う。 「…………章悟」  呼んでも応えのない名前をそっと呼ぶ時だけ、胸が苦しくなる。  切なくて、痛くて、辛くて。なのに----愛しくて。  哀しくて仕方ないのに、君を呼ぶ時はいつも、幸せで愛しくて堪らなくなる。  もういない君を、オレは今も独り呼び続けているのだと知ったら。  君はなんて言ってくれるんだろうと、一生正解の分からない疑問を空に投げて----嗤った。 「------------早く」  迎えに来て。

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