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1. 明日も君に、逢いたいと願う

『----オレ! バイトの帰りとか、大学の帰りとか、よくここ通るんだけど』 『……うん?』 『今度、また、司のこと見かけたら、声、かけてもいい!?』 『…………----うん』  あの日、勢い任せに取り付けた約束。  今思い出しても、あの時の自分のテンションは恥ずかしいものがあったなと少しヘコむけれど。  それでも、あの勢いがなければ何も始まらなかったのだと、あの日の自分を褒めてやることにする。 (……今日はいないか……)  あの日以来、通学はもちろん、バイトやちょっとした買い物への行き帰りなんかに、わざわざこの公園を通るようにしている。  毎回会える訳ではないし、バイトの前なんかだと時間もないからほとんど話が出来ないこともあるけれど。  それでも、顔を見られるだけで満足だし、安心できて。  何より。  野良猫が懐いてくるみたいにゆっくりと。時間をかけて互いに馴染んでいく穏やかな時間は。  じれったいような、もどかしいような。  なのに、どうしようもなく幸福に満たされていて。  司にとっても同じように、幸せを感じられる時間であればいいと。----せめてオレと一緒にいる少しの時間だけでも、あの淋しい目をする時間が減ればいいと思っている。  同時に、いつも沸き上がるのは。  あんなにも綺麗な目で真っ直ぐに見つめてもらえる筈の誰かは、いったい、いつになったら迎えにきてやるんだろうなんていう、軽い嫉妬めいた憤りだ。  詳しい話を、聞いた訳じゃない。  でも、あの目を見ていれば分かる。  哀しい目で、淋しい目で。諦めたみたいに遠くを見つめるくせに。  愛しい誰かを希う目は、オレを通り越して、ここにはいない誰かをいつも見つめているのだ。  誰を待ってるの、なんて。軽いノリで聞けるほど簡単な想いじゃないことは、火を見るよりも明らかで。  いつも核心に踏み込めないまま、司の心の一歩手前をウロウロしている。  その奥に。  ----待ち望む誰かと。  同じポジションに立ちたいんだと。  気づいたのは、いつだっただろう。  本当はあの日、司に出会ったあの瞬間から、見たこともない誰かに嫉妬していたのかもしれない。  オレがどれだけ強く願ってもそのポジションには辿り着けないなんて、勝手に負けた気分になって。一歩踏み込む勇気も持てずに、勝手に拗ねて不貞腐れていたのかもしれない。  けれど、そんな自分の情けなさを突き付けられてでも司に会いたいと思うのは、あの綺麗な瞳が笑うところを見たいと----そう願っているからなのだと。自覚した日は、そのままオレが司への恋心を認めた日とイコールで。  初めてその想いに気づいた時は、自分で自分を疑った。  男同士。  何をどうしたら、男が男に惚れるというのか。  気の迷いだ。  あの淋しそうな目を放っておけないというお節介な想いを、恋だと勘違いしているだけだ。  そんな風に何度も何度も言い聞かせて、それでも湧き上がってくる想いを、打ち払って拭い捨てたというのに。  司の瞳が曇るたびに、胸が痛くなって。  オレじゃない誰かを探してオレを通り抜けて彷徨う瞳を、見つめるたびに切なくなった。  --------オレは、ここにいるのに。  誰をそんなに、一生懸命探してるの。  オレはこんなに傍:(ちか)くにいるのに。  いったい、誰を欲しがってるの。  ずっとずっと司のことを、待たせるだけ待たせて迎えにも来ないやつなんて、もう放っとけばいいのに。  オレはここを----司の傍を離れたりしないのに。  オレを見てと切なく叫ぶ声が、蓋をして鍵をかけた想いを簡単にこじ開ける。  苦しくて、辛くて、どうしようもない切なさは。  どうしたってやり過ごせない痛みに変わって、オレを責めてくる。  自分を誤魔化すのも限界なんだと、渋々認めた司への想いは。  真っ直ぐ彼へと向かう分、苦しさを増した。  オレを見ない瞳は、オレの想いも僅かな希望もねじ伏せて、他の誰かを待っているから。  逃げ出したいくらいに辛いのに。  オレは結局、司の姿を探して、ここに来てしまう。 (オレも大概バカだね)  呆れたみたいに笑って時計を見たら、溜め息を一つ。  そろそろここを出なければ、バイトの時間に間に合わない。 「----よし」  区切りを付けるみたいにわざと声を出して、出入り口へ。  こんなにも苦しくて、こんなにも痛いくせに。  帰りもまた来ようと考え始めてる自分を、そっと嗤った。  ***** 『大丈夫?』  あの日、突然かけられた声に顔を上げるとき。  本当に。分かっていたはずなのに、少しだけ期待してしまって。  本当に自分はいつまで経っても、忘れることも進むことも----戻ることさえ出来ていないんだなと、気づかされて打ちのめされた。  周囲の人達も環境も、あの頃と何も変わらず優しいのに。  ----章悟がいないこと以外、何も変わらないというのに。  色んな人に心配をかけていると分かっているくせに、心地よい思い出から抜け出せなくて。優しくて虚しい温もりを、振り払うことも出来なくて。無意識を言い訳にしながら、彼をどうしても探してしまう。  判っているというのに。  探しても仕方ないと言うことも、心配してくれる人が大勢いると言うことも。  知っているのに、上手く忘れられなくて。  蓋をして鍵をかけて、心の一番奥にひっそりと片付けたはずなのに。  いつもいつも不意打ちで蘇る彼との思い出を、愛しいと思ってしまうから抜け出せないのだと、自覚しているくせにやめられなくて。  このままじゃいけないと思う心と、このままがいいと駄々を捏ねる心が、せめぎ合って動けなくなる。  力が抜けたみたいに、すとんと腰を下ろすのは、いつも彼と待ち合わせをしていたベンチだ。  ここでこうして座って待っていれば、彼は必ず迎えに来てくれた。  ----だから今も、待っているのに。 「----早く」  迎えに来てと恨めしく空に呟いても、彼の笑顔も声も温もりも、オレを抱き締めてはくれない。 「はやく」  涙を噛んで見上げた空に、この想いが溶けて彼に届くように----祈る。 「----待ってるから」  ***** 「お疲れ様です」 「おー、お疲れ-」  隣で着替えていた先輩に、声をかけてバイト先を出る。  ふと溜め息が零れたのはバイト疲れのせいだけではないと気づいているくせに、今日も忙しかったからなぁなんて、首を回して溜め息を一つ。  とっくに日の暮れた空を見上げて意識せずとも思い出すのは、司の淋しげな横顔だ。  ベンチに隣り合って座るせいか、横顔を見ることが多い分、ふと思い出す司の姿は焦がれるように空を見上げる横顔のことが多い。  その哀しい顔の理由を聞いてみたいのに聞けなくて、どうでもいい話しか出来ない自分にほとほと呆てしまう。  いつもいつも明日は聞いてみようと思うのに、だけどやっぱり、いざ司の哀しい目を前にすると何も聞けなくて。  惚れた弱みってやつ? なんて見当違いを思い浮かべて、力なく笑うことしかできない。  とぼとぼ歩いて、いつもの公園の前。うろうろと迷った挙げ句、結局は公園の中を通ることにして、いつものベンチに目をやる。 (--------いた)  いつも通りの軽装。  けれど、違和感を感じて立ち止まる。 (……薄着すぎんじゃん?)  季節はそろそろ春が近い3月とはいえ、朝晩の陽のない時間はまだまだコートが手放せないというのに、司は上着も着ずにベンチにちょこんと腰掛けていた。 「……なにやってんだよ、全く」  がしがしと頭を掻いたのは、自分を大切にしない姿にほんの少し苛ついたせいだけれど。  歩みを早くして側に近づいたら、綺麗なはずのその目がいつもよりも哀しく沈んでいることに気づいて、上手く怒りを持続できずに。  声をかけることすら迷いながら、それでもそんな哀しい顔をしている司を放ってはおけないと、深呼吸して自分に弾みを付ける。 「----司」  呼びかけた声に小さく肩を揺らして顔を上げ司が、オレを認めてぎこちなく笑う。 「たきがわ」 「今日は会えたね」  にこりと笑って見せたら、うん、と言葉少なにもそもそ頷き返されて。 「えらく薄着だね。寒くないの?」  聞きながら隣に腰掛けて覗き込んだその顔は、いつもより暗い色に見えて。よく見れば唇も少し青いように思えるのに。 「…………別に寒くない」  司はぶっきらぼうに呟いて、オレから視線を逸らすから。その華奢な肩を掴んで、強引に振り向かせる。 「肩、冷たいけど。いつからいたの」 「……」  嘘は許さないよと見つめたら、す、と伏せられた瞳。司、と少し強めに名前を呼んだら、鬱陶しそうな目でオレをちらりと見た後に、固く閉じていた唇を億劫そうに薄く開いた。 「…………知らない……」 「……じゃあ、今、何時か知ってる?」 「……知らない」 「夜の八時」 「……そう」  まるで他人事みたいな気のない返事に多少ムッとしながら、頑なにオレを見ようとしない目をじっと見つめて。 「こんな薄着で、何時間ここにいたの?」 「……分かんない」  ふぃ、とまた顔が逸らされたけれど、 「司!」  今度は強引に頬を両手で挟んで、こっちを向かせる。 「めっちゃ冷えてんじゃん! 風邪ひくよ!?」 「……そう?」 「そうだってば!」 「……そっか」  オレがギャーギャー怒ってるのに、司はどこ吹く風でぼんやり呟くから。 「そっかじゃないでしょ、もう!」  全くって怒りながら、着ていたコートを脱いで司の肩にかけてやる。 「…………いいよ。瀧川が風邪ひいちゃうよ」 「人の心配してる場合!?」 「……でも」 「いいから!」  まだ何か言おうとした司を強引にコートで包んで、その目を覗き込む。 「司が風邪ひいて、明日、会えなくなったら……淋しいでしょ」  何を気障ったらしいことを、と思ったけれど。驚きに目を見張った司が、一瞬泣きそうに顔を歪めた後。 「--------ありがと」  小さな声で呟いて泣きそうな目のまま笑うのに一瞬見惚れて、胸の奥で高らかに鳴ってる鼓動に落ち着けって言い聞かせながら、ドギマギと目を逸らした。 「……もっと……自分のこと、大事にしなよ」  気障ついでにそう呟いたら、哀しい顔で笑った司が、そうだね、なんて他人事みたいに頷いて。唐突に立ち上がって、コートをオレに着せかけてくれる。 「……つかさ?」 「ありがと。今日はもう、帰るね」 「っ」 「ありがと」  ふわりと司が、儚げに笑う。司が笑ってくれて嬉しいはずなのに、儚すぎるその笑顔にむしろ胸が痛くなって。 「--------司!!」  ふらりと背を向けて公園を出て行こうと歩き出した司を、呼び止めて立ち上がる。 「……何?」  さっきまでとはうって変わって強ばった顔で振り向いた司の元へ走って、華奢な肩にさっきと同じようにコートを着せた。 「……たきがわ?」 「着て帰って」 「でも」 「いいから」 「……でも」 「オレは寒くないから。大丈夫だから、着て帰って。じゃないと、心配だから」  頼むから、と切なく言ったら、司がまた儚く笑う。 「心配性だね」 「……--------うん、そうかも」  だって、司がもう二度とオレの前に現れないんじゃないかなんて、不安になるくらいに儚く笑うから。 「着て帰って」 「…………--------ありがと」  コートを貸したらきっと司は、返すためにまたここに来てくれるに違いない、なんて。淡い期待に縋って無理やり押しつけたコートに、袖を通す司の姿にホッとする。 「気をつけて帰ってね」 「…………お母さんみたい」  そう言って少しだけ笑った司の台詞に傷つきながらも、さっきとは違う笑顔を見られたことにホッとした。  ***** (……あったかいな……)  ホッと溜め息みたいな吐息が、無意識の内に零れる。温かいコートは、そのまま瀧川自身の心みたいにオレを包んでくれている。  まだ温もりの残るコートを押しつけてきた瀧川が、オレに見せてくれた表情は。  お母さんみたい、なんて言ったものの、どちらかと言えば飼い主を心配する大型犬みたいなひたむきさだったなと、失礼なことを思いついて苦笑を噛む。 『……もっと……自分のこと、大事にしなよ』  なのに、そっと囁かれた声が不意に蘇って、ほんの少し泣きそうになった。  自分を大事にしていない訳でもないのだけれど。何となく、全てがどうでもいいなんていう投げやりな気持ちに、いつも取り憑かれているのは事実で。  そうやって自分を、少しでもいいから傷つけたり痛めつけたりしていないと、彼に会わせる顔がないような気がして。自分の代わりに死んでしまった彼を悼むよりも先に、申し訳なくてやりきれなくなってしまうのだ。  バカみたいだと思う。  彼はそんなことを望んでいないなんていう綺麗事を、色んな人から何度も言われた。  そうかもしれないと、思うこともある。  なのに、どうしても考えずにいられない。  あの日、オレがちゃんと--------死んでいたら。  罪悪感とか、悔恨とか。  憎しみとか、切なさとか。  色んな感情に押し潰されていつものように襲ってくる眩暈を、ぎゅっと目を閉じてやり過ごす途中。  いつもとは違って、ふわり、と躰を包む温もりに気づいて目を開ける。 (…………あったかい)  ふ、と頬が綻ぶのと同時に耳に蘇った瀧川の台詞が、ほっこりと自分を温めてくれていることに気づいて動揺する。  自覚した途端に湧き上がるイケナイコトしてるみたいな後ろめたい罪悪感は、いったい誰に対してだろう。 『明日、会えなくなったら……淋しいでしょ』  一度は胸を温めてくれたはずのその台詞に、だけど、急速に冷やされていく心の奥底。  きっと少しでも無意識にでも彼ではない誰かに心温められたことは、裏切りに違いなくて。  もうどこにもいないはずの彼の哀しい目が、目の前でちらつく。  幻を振り払うみたいにきつく目を閉じてから、真っ暗な空を見上げた。  そんな顔をしてみせるくらいなら。 「--------早く、迎えに来てって。言ってるのに」

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