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endless 交わった未来を

 初めて出逢ったあの日は。  こんな風に穏やかに笑い合えるようになるなんて、本当に思ってもいなかった。  ましてや。  オレの家で二人して試験勉強したり、課題のレポート書いたりする日が来るなんて想像もしていなかった。  お互い専攻は違うし、そもそも学校が違うから協力できないところが唯一の難点だけれど。  それでも、こうして二人で頭を抱えているというのも、なかなか楽しい時間だ。 「ねぇ、司」 「んー?」 「今日、晩ごはんなに食べたい?」 「んー? もうそんな時間?」  小食すぎた司も少しずつ食べる量が増えて、最近ようやく----女子の人並みくらいまでは食べられるようになってきた。  司とこうして家で過ごす時間が増えてから、オレは料理本を買い込んで、本格的に自炊をするようになった。  一人前を食べきる自信のない司が、気兼ねなくいつでもゆっくり食事が出来るようにと考えた結果だ。  もちろん、最初から上手くできた訳じゃない。  焦がす、溶かす、散らかす、燃やす----一通り失敗した。  人並み以下だった料理の腕も、司がおかしそうに笑いながら食べてくれたり、そもそもの調理を手伝ってくれたことで、ようやく人並み程度には成長したと思う。 「今日は何にしよっか」 「んー……なんか、あったまるのがいいよねぇ。冬だし、寒いし」 「やっぱ、こたつ買おっかなぁ……」 「狭くなっちゃうよ、部屋」 「……そうなんだよなぁ……」  他愛もない会話をしながら、二人でちゃんと服を着込んで外へ。  一緒に行ったスーパーで、あれじゃないこれじゃない言いながら買い物する時間は、なんていうか本当に。  新婚さんみたい、だなんて惚気た台詞が頭をよぎるくらいに、幸せな時間だ。  二人で半分こした買い物袋をぶら下げて、家に帰る途中。  季節柄早々と沈んでいく夕陽のオレンジに、照らされた司の。  綺麗な瞳を横から見つめていたら、あの頃を思い出して少しだけしんみりする。  あの頃、空ばかりを切なく見つめていた司が 「----たきがわ? どしたの?」  今は、オレを。  真っ直ぐに見つめてくれる奇跡を。  噛みしめて、笑う。 「司に見とれてた」 「----また。……瀧川ってさ、ホンットに、気障だよね」 「そうかな……」 「そうだよ。……ほら、瀧川がさ、すごい熱出した時あったじゃん」 「あぁ、うん。あったね」 「あの時さ、瀧川、こんな気障なこと、熱出てなかったら言えないって、言ってたけど……結構、フツーに、気障なこと普段から言ってるよね」 「フツーじゃないって! 照れてるって、オレも!」 「ふぅん……」  からかうような司の目と、くるんと巻かれた唇の端。  豊かになった表情は、いつでもオレを幸せにしてくれるから。 「からかうなよ、こんにゃろ」 「わっ、バッ! たまご割れる!!」  プロレス技かけるみたいに、わしっ、と司の肩に腕を回して。  笑って文句言う司の頭を、わしわしと撫でる。  幸せだ、本当に。  他愛ない会話と、くるくる変わる表情と。一緒にわーわー言いながら作るご飯と、ゆったり摂る食事。  まったりテレビを見ながら食後に一休みしたら、進まない課題に頭を抱えて。  交代で入ったお風呂の後に、やっぱりまたひっついてくつろぐ。  そのうち司がウトウトし始めて、一つの布団で寄り添って眠る。  そんな風に過ごす時間が。心から幸せで、愛おしいと思う。  こんな時間がいつまでも続けばいいなと、幸福を噛みしめて。  隣でくつろぐ司に、触れるだけのキスをする。  くすぐったそうに笑った司が可愛くて、もう一つ軽くて柔らかいキスを贈って。  ----だけど、そこで止めておく。  これ以上は、まだ進んじゃいけない気がして。  安心しきって体を預けてくつろいでくれる司を、どうにか保った理性でもって受け止めながら。  それでも幸せなんだよなぁ、なんて心の中で惚気て笑った。  *****  瀧川も章悟も大事だなんて我が儘を言ったオレを、瀧川が受け入れてくれたあの日から。  瀧川は、照れ臭くなるほどに優しくオレを包んでくれて。  毎日、本当に温かく柔らかくオレを満たしてくれる。  オレは同じだけの愛しさを返せてるんだろうかと不安になりながら、優しく笑ってくれる瀧川につい甘えてしまう。  いつも本当に驚くくらいにオレを甘やかしてくれる瀧川は、オレがあんまり食べられないことを理由に料理まで始めてくれた。  最初は確かに、真っ黒焦げになったハンバーグとか、どろっどろに煮崩れた肉じゃがとか。思い出すだけで、微笑ましく笑ってしまうくらいの腕前だったけれど。  二人でああでもないこうでもないと言いながらレシピ本を覗き込んだ甲斐もあって、めきめき腕を上げた最近は、大抵の家庭料理ならお互いに作れるようになった。  自分達で作った食事だと思うと、嬉しさと喜びが加わっていつもよりもたくさん食べられるようになった。  未だに時々、唐突に襲ってくる申し訳なさと強烈な寂しさに押し潰されそうな時には、瀧川はオレが何を言わなくても気付いてくれて、オレをあやすみたいに抱き締めては大丈夫だよと囁いてくれる。  そんな風に瀧川は、オレをどこまでも甘やかしてくれる。  ----そう、たとえば。  オレを抱くということに関して、ものすごく我慢して待ってくれていることでさえ、きっとオレを甘やかしてくれていることの一つだと思う。  あの土砂降りの雨の日に強引に家に誘った大胆さとは裏腹のその気遣いが、嬉しいような淋しいような、複雑な気分だった。  何より。  あの公園で瀧川は、オレに言っていたのに。 『オレに、抱かれてもいいかどうか』  あの日の瀧川の声を思い出すと、今でも胸の奥が跳ねて心臓がドキドキバクバク言うのを止められない。  そうなってもいいと、オレ自身は思ってはいるのだけれど。  瀧川には、まだ一度もそんな風に伝えられたことはなくて。  瀧川の家で、気持ちいいキスでオレを優しくあっためてくれるあの心地良い時間に、流されてしまえばいいんだと分かっているのに。  なかなかその先へ踏み出せないのは。  やっぱり、ほんの少し恐いからだ。  たぶん瀧川は、そんなオレの気持ちに気付いて、我慢してくれているのだと思う。  どこまでも優しくて----なんだかもどかしいのに。  やっぱり結局は、優しくされることが嬉しいんだから、オレも大概瀧川に甘えてると思う。  どうしたらいいんだろう、なんて。考えても分からない問いに、溜め息を一つ。  無理してすることでもないと分かっているからこそ、余計にもどかしかった。  *****  オレと付き合うようになってからも司は時々あの頃を思い出したみたいに、寒い外へ薄着のまま出かけようとしたり、雨の日に傘を持たなかったり----そういうことを無意識にしてしまうようで。  そういう日には、あったかくて美味しいご飯を作ることにしている。  ほんの少しだけ淋しそうに曇る瞳も、時間をかけてご飯を食べてじっと引っ付いていれば、徐々にいつもの司に戻ってくれる。  ----だから今日も、いつもよりも手の込んだご飯を作ったのだけれど。 「…………どしたの司」  もういらないのと声をかけたら、ハッとしたみたいに顔を上げた司が、ぎこちなく笑う。 「なんでもない」 「……なんでもないって顔じゃないよ」  どしたの、と重ねて優しく聞いたら。  何度も何度も口を開けたり閉めたりして躊躇った後で、司がもそもそと呟く。 「瀧川ってさ……」 「うん?」 「優しいよね」 「----ぇ?」  ギクリとした。  それは、今までに付き合ってきた女の子達が揃って口にしてきた----別れの台詞だ。 「な、んで……そんなこと、急に?」  心臓が恐怖に震えて、声も一緒に震えた。  こんなにも恐いのは、初めてだ。  恐くて目を逸らしたがる自分を抑えつけてじっと見つめた先、司はまた躊躇うみたいに口ごもってから、オレを見ないまま続けた。 「なんでそんな、優しいの?」 「----へ?」  予想外のセリフに拍子抜けして、間抜けな声が出たオレに。  司は顔を上げないまま、ぼそぼそと続ける。 「……オレ……瀧川に、なんにもしてあげれてない気がする。……オレは、こんなにいっぱい……色んなこと、してもらってるのに」  しょんぼりした口調のそんな台詞に、心底ホッとして。 「そんなん……好きだからに決まってるよ」 「……」 「オレが、司のこと好きだから。してあげたいって思ったことを、やってるだけだよ」 「っ、オレも! オレだって……瀧川のこと……すきだよ」  拗ねたみたいに悔しそうに呟いた司が、意を決したみたいに顔を上げた。 「…………瀧川……前に、言ったよね……」 「……何を?」 「……………………だ……」 「だ?」 「…………っ……」  キョトンと見つめた先で、司の顔が段々と赤くなっていく。 「……司?」 「っ…………----っ、だから瀧川は気障だって言うの!」 「へ?」  茹で蛸みたいに真っ赤になった司は、なんだかそんな風に、オレに八つ当たりするみたいに叫んだ後でがつがつご飯を食べ始める。 (……だ…………って、なんだ?)  その様子をキョトンと見つめながら、司の言おうとした台詞に考えを巡らせるけれど、さすがに分かるはずもなく。  とりあえずは司が元気になって良かったと、色んな意味でホッとして自分も食事を再開した。  *****  あの日の自分の発言をすっかり忘れているらしい瀧川は、今日もオレのことをとことん甘やかすだけ甘やかしてくれた。  美味しいご飯と、いつもよりも優しく抱き締めてくれる腕と、いつまでだって傍にいてくれる温もりと。  じれったいほどの優しさが、なんだかもどかしい気がして。  もっと----もっと触れたいと。  本当はずっと、思っていたんだと思う。  だから。  オレをあやすみたいに優しく柔らかく重ねられた唇を、 離すまいと瀧川の首に腕を回した。 「…………つかさ?」 「--------いいよ」  突然のオレの行動に驚いた顔をする瀧川に何と言おうかと迷いながら、だけど恥ずかしさに負けて、たった一言を絞り出すのが精一杯だった。 「な、にが……」  オレの行動の意味に気づいたらしい瀧川の、掠れて呻く声と戸惑って揺れる瞳を真っ直ぐに見つめながら。 「瀧川が、言ったんだよ」 「な、に……を……」 「----抱かれてもいいか、考えろって」 「ッ」  顔が、熱い。  ----だけど。  これ以上、待てない。 「いいの、ホントに」 「いいよ----ホントに」  喉が、からからに干からびてる。  なのに、目が熱に潤んでく。  顔はこんなにも熱いのに、体は寒いみたいに震えて。  目の前でオレを真っ直ぐに見つめてくる瀧川の、優しいだけだった目にあの日と同じ欲が混ざるのが分かって。  心臓が跳ねた。  恐いのは瀧川が発する欲じゃなくて、オレ自身が瀧川を欲しがるその熱量だ。  いつの間にこんなにも----欲しいと想う心は膨れ上がっていたんだろう。  ドキドキ言う心臓の音が、うるさいくらいに鳴ってる。  獣みたいにギラつく瀧川の目に、射貫かれて身動きが取れない。 「…………止めらんないよ、もう」 「わかって、る……」 「知らないよ、司」 「いいって言ってる……!」  ぎゅっと目を閉じて叫んだら、瀧川の唇に唇を奪われて。 「ンッ……っふ……ッ」  貪るみたいな、濃いその口づけが、瀧川の我慢してきた時間の濃さなのかもしれないと。  思ったらカクンと、体から力が抜けた。  こんなにも。こんなにも強い衝動を、ずっとひた隠していてくれた。  それこそが、とてつもなく深い愛情に思えて。 (溺れる……ッ)  助けを求めるみたいに伸ばした手を、瀧川の手が掴んで。 「もう…………離せないからね、司」  覚悟してねと、耳に注ぎ込まれた低い台詞に、背中を駆けたのは----快感。  熱に浮かされたまま頷いたら、あとは真っ逆さまに瀧川の腕の中。  後戻りなんて----したいはずがなかった。  ***** 『抱かれてもいいか、考えろって』  真っ赤になった顔でそんなことを言われて。  理性を保てるやつがいるなら、教えて欲しい。  しかも、随分と長い間お預けを食らった挙句に、そんな風に言われて。  それでも優しく出来るやつがいるなら、本当に---教えて欲しい。 「ぅぁっ……っ、きがわッ」  零れる嬌声を、どれだけ引き出せるか、とか。  どれだけ高められるか、とか。  今までだったらちゃんと色々気を遣えたはずの----その当たり前の行為が。  こんなにも難しいことだったなんて、誰も教えてくれなかった。  震えて跳ねる体にどこまでも煽られて、恥ずかしがる嬌声に耳を嬲られて。  優しくしなくちゃとか、そんなこと。 「ごめ」  無理、と。  情けなく呟いてがっつくしか出来ないオレに。だけど司は、震える腕でオレに縋り付きながら笑ってくれた。 「しょ、が……ない、な」  掠れた声。  身体中に散らばる、紅い印。  あぁ、本当に。こんなにも愛しくて気持ちよくて----壊したくなるなんて。  誰か教えといてくれないと。 「つかさ……ッ、つかさっ」  求めても求めても、全然、足りない。  どれだけ手を繋いでも。  どれだけ唇を交わしても、奥をどれだけ探っても。 「たりない」  もっと、と。  耳元で囁いたら、オレに縋り付いてた指先がぴくりと震えて。 「ど、したら、……たりる、の?」  もう、こんなにも一つなのに。  そんな風に困ったみたいに呟く声に、耳をくすぐられて。 「わかんない…………けど」 「けど?」 「もっと……、ちょうだい、つかさ」  甘えるみたいに首筋に顔を埋めたら、ふふ、と笑う声が聞こえて。 「なんか…………いつもと、逆みたい」 「……ぎゃく?」 「瀧川って、甘えんぼだったんだね」  からかう声は、艶を含んで濡れてる。  なのに、----淋しくて。 「………………それ」 「ん?」 「もう、やめない?」 「何を?」 「たきがわ、って……」  もういいでしょ、って淋しい目で見つめたら、目を丸くした司が。  ----華やかに、笑う。 「そっか…………そうだね--------颯真」 「ッ----」  名前を呼ぶ声の柔らかさと。  幸せを絵に描いたみたいな、柔らかい笑顔に。  呆気なく深い深い奥へと解き放ったオレを。  司は笑わずに、抱き締めてくれる。 「そうま」  耳元で、呼ぶ声。 「そうま」  目の前で、笑う唇。 「そうま」  覗き込んでくる、愛しい瞳。 「颯真」  何度も何度も、心地よく響くその声が。  やっとオレの欠けていた何かを、満たしてくれたみたいな。 「……………………つかさ」  満ち足りた気持ちで呼んだ名前に。  司がまた、微笑う。 「うん、颯真」  オレを抱き締める華奢な腕が。  オレの背中を愛しく撫でて。 「だいすきだよ、そうま」  その声に取り戻した熱で、奥を掻き乱す。 「ッ、ぁ、そ、ぅまッ」  突然の荒っぽい動きに、弓なりに仰け反った背中。  背中に立てられる爪。  ----あぁ、何もかも。  幸せで、愛おしい。 「つかさ………………つかさ」  涙の滲む司の目尻に唇を寄せて、そのまま嬌声を食べる。 「ふぅっン……ッ、ン、ふぁ」  それでも漏れる嬌声を耳で楽しみながら、後は二人で同じ場所を目指した。  *****  目が覚めたら、瀧川の----颯真の腕の中にいた。 「っ……」  あまりにも近くに颯真の顔があって驚きながらも。  その満ち足りた寝顔に、ほろりと笑う。 (……そうま……)  声に出さずに呼んで、幸せそうな寝顔にそっと触れる。  それだけのことで身体中が軋むのは、自分の普段の運動不足がたたっているのか。  それとも、それだけ颯真の愛情が深かったと言うことなのか。  さりげなく思い浮かんだそんな恥ずかしい考えでさえ、今の自分には酷く甘くて。  本当に----幸せで満たされていた。  身体の隅々まで、瑞々しい愛しさに満たされているような気分だ。  あの頃には考えもしなかったこんな幸せを。  いつまでも、覚えていようと思った。  これから先、きっと何度でもこんな風に目覚めて幸せを噛みしめる日が来るのだろうけれど。  今日のこの日を----この、全てが満ち足りた愛しい時間を。  いつまでも忘れずにいようと、目を閉じて噛みしめる。 「…………つかさ」  どれくらい時間が経ったんだろう。いつの間にかまたウトウトしていたらしい所に、そっと自分を呼ぶ柔らかくて優しい声が聞こえて。  目を開けるよりも前に、額に触れてきた唇の優しさに。  愛しさが、弾けた気がした。

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