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第8話
FBIシアトル支局の駐車場は、マイク・ジャコビーの遺体が無いというだけで、そのまま現場保存されていた。
勿論ジャックが厳命しておいたのだ。
『ウィル・グレアム』がプロファイリングを済ますまで何一つ動かしてはならないと。
そして『ウィル・グレアム』が現場に立ったら、全員駐車場から立ち去れと。
ウィルはシアトル支局に着いてから、誰とも話さずに済んだ。
間にビヴァリーが立ってくれたからだ。
ウィルが「君は捜査があるのに。僕の為に残ってくれたんだね。すまない」と言うと、ビヴァリーはアッサリと告げた。
「もう残りの爆弾の設置場所は割り出したわ。
今、爆弾処理班が向かってる。
本当はジャックが残ると言ったんだけど、私達が止めても聞いてくれなくて、とうとうドクターストップが掛かったの」
ウィルの顔色が変わる。
「ドクターストップって?
捜査に出てるってブルーム博士から聞いた。
肩の傷は大したこと無いんじゃ…」
ビヴァリーがふうっと息を吐く。
「ええ、肩の傷はね。
でも銃撃された時、頭を打ったの。
彼は何とも無いと言い張っていたけど、あなたを待っていて倒れた。
脳震盪を起こしていたのよ」
「じゃあ今は?」
「絶対安静で12時間の観察経過。
さあウィル、駐車場に行きましょう」
「ジャックと話せないかな?」
その時、レクター博士が言った。
「プロファイリングさえ終われば会える。
そうだね?
カッツ特別捜査官」
「ええ、レクター博士」
ウィルは忌々しげにレクター博士を一瞥すると、ビヴァリーに「分かった。駐車場に行こう」と言った。
駐車場には破壊されたバンが二つと、血溜まりが二つあり、黄色い規制線で囲まれていた。
駐車場にはウィル以外誰もいない。
正確にはシアトル支局の駐車場に続く扉の向こうに、ビヴァリーとレクター博士、シアトル支局の局員数名が駐車場に設置されている防犯カメラをパソコンでモニターしている。
ウィルは瞳を閉じる。
そしてマイク・ジャコビーに『共感』した。
俺はFBI本部からやって来た行動科学課を殺したい。
なぜ行動科学課かって?
シアトル支局の局員なんか吹っ飛ばしても大したニュースにならないし、俺が『侮れない存在』だと知らしめるにはヤツらは丁度良い。
武器は勿論爆弾だ。
だったら車に取り付けるのが一番効率が良い。
他の爆弾はもう装着済みだしな。
他の爆弾!
そうなんだ!
FBIの行動科学課のヤツらのせいで、俺の爆弾は爆発していないらしい!
だけど普通爆弾があるだけでもニュースになる筈なのに、それも無い!
『週末の爆弾魔』が帰って来たのに!
許せない!
だけど行動科学課の傲慢なジャック・クロフォードを殺せば、俺が『侮れない』存在だと世の中に知らしめられる!
相討ちだって名前が残る!
「ジャコビーはジャックを殺して、『侮れない存在』として名前を残そうとした。
FBIの駐車場に難なく侵入出来たのは、今迄のスキルを活かしたことと、殺されても構わないという心理状態だったからだ。
そこが3年前までのジャコビーと決定的に違う。
『週末の爆弾魔』だった頃のジャコビーは、名前が売れていくのを喜んでいたが、決してマスコミに踊らされて爆発の回数を増やしたり、ましてや捕まろうとなんてしなかった。
犯行は大胆だが彼の行動は彼が作った爆弾と同じ、緻密で慎重だった。
今回の9個の爆弾もジャコビーらしく無い。
『週末の爆弾魔』の掟を殆ど破っている。
守ったのは土曜日午前0時に犯行予告をした事と、12時間ごとに爆弾を爆発させようとした事だけ。
そしてなぜ2年間沈黙し続けたのに、また犯行を再開したのか。
全てを鑑みて言えるのは、ジャコビーを『真に』理解してくれる人間をジャコビーは見付けたんだろう。
『良き』理解者じゃない。
『真の』理解者だ。
ジャコビーはその人間と一緒にいたから、この2年間、犯行を起こす必要が無かった。
そしてジャコビーがジャック達を狙って爆弾を爆発させたり、それが囮だと分かるとジャックを撃ったのは、今回の爆弾事件がマスコミに流れなかったのがストレス要因となったからだ。
但しこのストレス要因は、『真に』ジャコビーを理解してくれる人間が取り除くことが出来た。
ところが2年間もジャコビーの『真の』理解者だった人間は、今回のストレス要因を取り除かなかったし、そもそもなぜ『真に』理解してくれる人間がいるのにジャコビーは事件を再開したのか。
その『真の』理解者がそそのかしたんだ。
『真の』理解者はジャコビーを2年間手元に置いて飼いならし、いつでも犯行を再開出来るように爆弾を作らせておいて、ここぞという時に実行させた。
だからジャコビーは『真の』理解者にそそのかされるまま『週末の爆弾魔』に戻り、水曜日まで犯行を続け、ジャコビーがマスコミが騒いでいないと知って『真の』理解者に不満を漏らすと、今度はジャック達を狙えとそそのかした。
ジャコビーがジャック・クロフォードと名指ししているところを見ると、きっとその中でもジャック・クロフォードと『真の』理解者から名指しされたんだ。
そしてジャコビーは『全てを』実行した。
これが僕の見立てだ」
そう言うと真っ青なウィルは、フラリと倒れそうになった。
レクター博士が部屋から飛び出し、さっと支える。
そしてシアトル支局員達と一緒にいるビヴァリーに、「ウィルを休ませても?」と訊いた。
ビヴァリーは真剣な顔を崩さず頷く。
「ええ、お願いします。
もう十分です。
私からジャックにウィルの『見立て』を伝えます。
なんてこと!
ジャコビーを理解して操っていた人間がいたなんて!
プロファイルを一からやり直さなくては!」
ビヴァリーはそう言うと「ホテルのキーです。治療しやすい様にスイートを取ってます。今、送らせます」と付け加え、レクター博士の片手にカードキーを一枚押し付け立ち去った。
レクター博士がカードキーを、優雅な仕草でさっとコートのポケットに仕舞う。
そしてウィルを支えて歩き出す。
ウィルが朦朧としながら呟く。
「ジャックのお見舞いに行くんですよね…?」
「ジャックは12間絶対安静だ。
きっと面会謝絶だよ。
君もホテルで休まなくては」
「…嫌だ…見立ては済んだ…。
終わったらジャックに会えるって…」
「治療が終わったら会えるよ。
さあ歩いて」
ウィルから返事は無かった。
ウィルはレクター博士の腕の中で『安心して』、意識を手放していた。
ウィルが目覚めるとそこはホテルの一室のベッドの上らしかった。
室内はゴージャスな作りだ。
ウィルの右手には、そんな部屋に似合わない点滴が刺さっている。
レクター博士がウィルの顔を覗き込む。
「やあ、起きたね。
気分は?」
「…悪く無い…です」
「頭痛は?」
「少し」
「じゃあ鎮静剤を少量足そう」
レクター博士が点滴に注射器を刺す。
ウィルが透明な液体が点滴に混ざるのを見ながら言う。
「レクター博士」
「何かな?」
「点滴が終わったらジャックに会いに行ってもいいですか?」
「ウィル…」
珍しく困った顔をするレクター博士にウィルが早口で話す。
「分かってます。
ジャックと話さなくても良い。
顔を見るだけ。
ジャックが安静にしているところを見たいんです。
大丈夫だって…!」
「ウィル、今、夜の8時だ。
『今日』はもう4時間で終わってしまう。
点滴を終わらせて食事をして…私達に残された時間は幾らもない」
「…?
何のことですか?」
「君はベッドの上に寝てるんじゃない。
白いマットの上だ。
と言えば分かるなかな?」
ウィルの瞳が見開かれる。
そして真っ青になりガタガタと震え出す。
ウィルは白いマットの感触を背中に感じながら、震える声でたどたどしく言う。
「…ぼくとはかせのひみつのやくそく…」
レクター博士が微笑む。
「そうだよ、ウィル。
『君がして欲しいこと』を『君がしたいだけ』してあげよう。
昨日約束したね。
今日してあげると。
今日は残り4時間だ。
君はここに居なければならない。
分かるね?」
ウィルの瞳から一瞬で涙が溢れる。
「でっ…でも…!
ジャックが心配なんだ!
ジャックに会いたい!
無事だって確かめたい!」
「ウィル…」
「その後でいいです…その後で…。
だから先にジャックに会わせて…!
お願い…お願いです…レクター博士…」
「とても残念だよ、ウィル」
レクター博士はため息と共にウィルの点滴の管を引っ張り、ウィルの腕から引き抜く。
パッと血が散る。
そうしてレクター博士は点滴が刺さっていたウィルの腕の『穴』に、新たな注射器を刺した。
レクター博士はウィルの見開かれた瞳の眼球を舐めると、フフッと笑った。
ウィルはぎこちなく瞬きを一度しただけで、裸の身体を微動だにしない。
「ウィル、流石に君だ。
瞳まで美味だね」
そうしてレクター博士は、持ち手のしっかりした床屋が使う様な剃刀を、ウィルの目の前で左右にゆっくりと振る。
「君は今、ケタミンが完全に効いている。
ケタミンは馬などに使われる麻酔薬だが、意識はあっても身体は動かせない。
そう、さっき君がしたように瞬きをゆっくりする位が限度だ。
君は私との約束を破った。
私を裏切り、『君と私だけの秘密の約束』よりもジャックに会うことを優先した。
いくら君でも許せないね。
悪い子には躾が必要だと言ったことを忘れたかな?」
レクター博士が剃刀を上に向かって放り投げ、くるくると回って落ちてくる剃刀の持ち手をキャッチする。
剃刀はギラギラと輝き、念入りに手入れされていることをウィルに伝える。
レクター博士が剃刀の刃を寝かせて、ウィルの胸元から腰へスーッと撫でる。
剃刀の刃の冷たさ。
ウィルの瞳から涙が一粒零れる。
レクター博士は心底楽しそうに、「おや、涙は出るんだね」と言ってウィルの雄をぎゅっと掴んだ。
そしてまた剃刀を滑らせ、雄の根元でピタリと止める。
ウィルの瞳からまた一粒涙が頬を伝う。
レクター博士とウィルの視線が合う。
レクター博士が楽しさを隠そうともせず、しかも冷徹に告げる。
「ウィル、終わったら教えてくれるね?
痛みと、そう。
剃刀の刃の向こう側にいる気分はどうだい?」
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