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夜が明ければ、また知らない朝がやってくる。
カーテンを開け、眩しさに目を細めた。
晴れているのかと思えば、外は今にも一雨来そうなどんよりとした曇り空だ。あの厚い雲の向こうでは、私の沈んだ気持ちなど構いもせず太陽が照り輝いているにちがいない。
目覚めたのは三日前だった。
落馬し、頭を打って昏倒したらしい。
らしい、というのはその前後――事によるとここ数年の記憶がすっかり欠落しているからだ。
目覚めた直後はさすがに混乱を隠せなかった。
知らない部屋に、知らない寝台。
私を含む家人と使用人たちは、いつの間にか住み慣れた館を離れ、瀟洒だがこぢんまりとしたこの館へ居を移していた。
先祖代々受け継いできた館を手放すとは、ただでさえ虫の息だった我が家もいよいよ取り潰しかと、見舞いに来た侍従長に――こちらは知らぬ間に隠居の身となっていた――尋ねたところ、記憶にある姿よりいくらか歳をとった彼は、さらに驚くべきことを口にした。
〝あなた様のご指示でございますよ、テオドール様〟
私は耳を疑った。
理由を尋ねても、元侍従長は「今はご自身の身を第一に」と言うばかりで埒があかない。
そうこうしているうち数日が経った。
そして、今日である。
こん、と誰かが扉を叩いた。
〝誰か〟とはいうものの、私はその音の主が誰であるか知っている。
控えめな打音は、ここ数日で何度も聞いた音だ。
あちこち痛む身体を起こし――なんとなく居住まいを正して――私は扉の向こうに声をかけた。
「入れ」
扉が開く。黒髪の男がひとり入ってくる。
私を見ると、彼は安堵したように微笑んだ。
「お目覚めですか」
「今起きた」
「傷の具合は?」
「多少痛むが、昨夜よりは悪くない」
答えると、男――リュシアン・ヴァローと名乗った――は、榛色の瞳に喜色を滲ませる。
「それはよろしゅうございました。……今朝方、市場で買い求めた南国の果実です。少し召し上がりませんか」
手に皿を持っている。皿には見栄え良く切りそろえられた果実が並んでいる。
途端に空腹を思い出した。腹がぐう、と鳴った。
ヴァローが笑った。
「よかった。昨夜は何も口にされなかったので、皆心配していたのですよ」
彼は果実を一切れフォークに刺し、こちらへ差し出す。
「さあ、どうぞ」
私はフォークを受け取った。厚い果肉は濃い橙色で、よく熟れているようだった。
「今日は昼食もきちんとお摂りください。何か栄養のあるものを口にされませんと、治る傷も治りませんよ」
まるで幼子を諭すような口ぶりだ。
旦那様――と隠居した侍従長と同じように、ヴァローもまた私をそう呼ぶ。聞けば、以前から私に仕える従者なのだという。
しかし不思議だった。
数年の記憶がなくとも、長年仕えてくれた者たちの顔はわかる。皆一様に歳を取っているが少なくとも名前と顔は一致する。
しかしヴァローは違う。数ある使用人たちの中で、ヴァローだけその存在を思い出せないのだ。周囲の者によると彼は私が物心ついたときにはすでに館にいたというのに、だ。
「どうかなさいましたか?」
手を止めた私を見、ヴァローが尋ねる。榛色の瞳が窓から差し込む光を含んで、溶けた琥珀のように輝いている。
私はこの男を知らない。
だが。
「――美しいな」
ヴァローが振り返った。
私は答えた。
「この果実だ。まるで宝石のようだと思わないか」
彼は一瞬、呆気にとられたというような顔をし、すぐに、ああ、と皿に目を落とした。
「ええ、本当に。異国の植物というのは、その物珍しさゆえもあるでしょうが、時折はっとするほど美しく見えるものです」
薄い耳朶が陽光を透かして赤く染まっている。
その背中を見つつ私は考える。
「ヴァロー。なぜ私はお前を思い出せないのだろう」
答える代わりに彼は優しく微笑み、
「お茶を淹れてまいりましょう」
そう言って、部屋を出て行った。
果実を一切れ、口に運ぶ。
口中に広がるその甘酸っぱい香りを、私はなぜか懐かしいと思った。
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