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前兆──66.
そこから数か月後、その姿を見かけたのはたまたまだった。
つるんでいるロイズがいなかったのは、彼のお気に入りの玩具の具合が悪くなったからだ。
朝から発熱やら嘔吐で忙しい。まあ精神的なものなのだろうが、放置して熱で死なれたら遊べなくなるとロイズが自室に子どもを寝かせてある程度の看病をしている。
ロイズらしくない行動だった。トイの時は独房に入れても、一日に一度は確認しに行っていたがほぼ丸3日は放置していたというのにどういう心境なのかと考えて、あまりよろしくなさそうな結論に思考が達してしまいそうで考えるのを止めた。
そしてエミーと二人で、互いの家と繋がりのあるバイヤーとの交渉を終えた後、滅多に歩かない郊外の小さな市場を歩いていた時、ソンリェンの姿を見かけたのだ。しかもソンリェン家ご用達の異国感あふれる服ではなく、珍しくラフな私服だ。悪く言えば質素過ぎた。
とは言え。彼のさらりとした金髪と見目麗しい容貌は酷く目立つ。
「あっ、あれソンリェンじゃない?」
「まてエミー」
顔をぱっと輝かせてソンリェンに駆け寄っていきそうなエミーの首根っこを掴み上げて様子を伺う。
治安もそこまでよくない郊外の市場といえども、そこその市民が蠢いている。
その中で、ソンリェンは一人ではなかった。何やら一歩離れた隣に、赤茶色の髪を肩より少しだけ長く伸ばしている華奢な少女がいた。
時折ソンリェンが隣の少女に視線を投げ、少女も顔を傾けているため赤の他人ということはないだろう。
今日は朝から冷たい風が吹いていて特に肌寒い日だった。そのためか、少女は長袖に帽子を目深に被っており顔も、そして耳すらも見えない。
「……女の子?」
「みてえだな」
「知り合いの妹かな」
「なんで妹限定なんだよ」
「だって女友達には見えないし、ソンリェンがあんなちっちゃい子を愛人に選ぶわけないし」
最もだ。レオは可愛い系が好きなのだが、ソンリェンの女の好みは肉のついたグラマラスな体型を持つ女だ。あんな棒のような身体の少女をそういった対象として見ているわけがない。
ふと冷たい風が吹き、貧相な少女が寒そうに首を震わせた。
隣からその様子をちらりと確認したらしいソンリェンは、おもむろに自身の首に巻いていた温かそうなストールを外し、少女の首に巻き付けた。
「は?」
「え?」
エミーとレオが口を開けてしまったのはほぼ同時だった。
遠目に見えた光景が信じられなくて二人して小道の端へとより、人を縫うように歩く彼らを凝視する。
突然のことで驚いたらしい少女は慌ててそれを外して返そうとしたらしいが、ソンリェンに何かを言われて歩みを止めた。狼狽えている少女にソンリェンは小さく舌打ちをし、さらに驚くべき行動に出た。
少女が抱えていた荷物を乱雑に奪い取ると、取り戻そうと手を伸ばした少女の手をぱしりと掴んだ。
そして、手を引っこめようとした少女の手のひらを強く握り締めると、さっさと歩き始めたのだ。もちろん荷物は片手に持ち、もう片方の手で少女の手を掴んだまま。
よたりと少女が引っ張られるようにソンリェンの後を追う。少女は手を放そうとしないソンリェンに逡巡しているのか落ち着きがなかった。しかし声をかけても手を解放してくれないソンリェンに諦めたのか、手を繋いだまま歩き続けた。
一連の流れを見てから十数秒、沈黙を打ち破ったのは意外にもエミーの方だった。
「う、わ……なにあれ、気持ち悪い、なにあれ……ソンリェン気持ち悪い」
茫然と何度も同じ言葉を繰り返すエミーは、明らかに動揺していた。
レオも頷く、全く同意見だった。ソンリェンの人となりを知っている身としては、今目に飛び込んできた一連の光景はとても信じられないものだった。
だが恐ろしいことに、今のは確実に現実だ。
「あー……見間違いじゃねえよな、今、ソンリェンが、自分のストールをあの子に巻いてあげたように見えたんだけどな」
「荷物も取ったよね。あれってなに、持ってあげたってこと? ソンリェンが? はあ?」
「前代未聞だな」
ソンリェンは天地がひっくり返っても、他人の持ち物を代わりに持ってあげるなんて殊勝な真似はしない。
『なんで俺が持たなきゃなんねえんだ、てめえが持て』が共に行動していた時の彼の口癖だった。
また自分の持ち物でさえ他人に押し付ける時があるのだ。よく犠牲になっていたのはエミーかレオだ。
「ええ、ソンリェン、手、なにあれ、ええ……」
あ然と見開かれているエミーの目は、遠ざかる二人の繋がった手のひらに釘付けだ。そうだ、荷物を持ってやるというソンリェンらしからぬ行動だけでなく、ソンリェンはあろうことか少女の手を自ら掴み仲良く手を繋いで歩いているのだ。
ソンリェンはそもそも人と接触することが好きではない。
愛人関係の女たちとだって、そこまでベタベタ触れ合うこともしない。終わった後は相手の気持ちなどお構いなしに同じベッドで眠ることもせずさっさと帰るのだ。
他愛もない会話をしながら朝まで共に寝るのが至福なのだとレオが教えてやっても、何が楽しいのかと言わんばかりに不愉快そうに眉根を顰めていた。
長年友好関係を持続させていたレオたちだって、むやみやたらとソンリェンに触れることはできない。
ましてや数いる女性の一人なんてソンリェンにとっては性欲を発散するための対象にしか過ぎないはずだ。
彼ほど、恋愛や可愛らしい恋心という言葉が似合わない男はいない。ああして、まるで恋人に対するような行動を取ること自体あり得ないのだ。
そう、今までの彼であれば。
「あー……、やっぱ女だったっぽいな」
「女って、この前言ってたソンリェンの本命、とかいう話のこと?」
「いやだって。どう考えてもそうじゃねえ?」
そうであればここ最近ソンリェンの態度がおかしかった理由も頷ける。そしてレオたちと関わらないようにしていた理由も。
今までの彼ではあり得ないことを、今まさにレオたちの目の前でしているのだから。
「お、見えなくなる。追っかけてみようぜ」
「で、でもさぁ……もしかして、ソンリェンの父親の手前さ、丁寧に扱わないといけない女とかの場合もあるんじゃないの? ほら、前にジャニスとかいたじゃぁん」
人の波を避けつつ、歩いてく二人を追う。
エミーの呼び方が女の子から女というそれに変わったことで、彼の動揺と機嫌の悪さを伺い知る。
たとえ丁寧に扱うべき相手であってもソンリェンは今のような態度は誰に対しても取らないだろう。ましてや自分から手を握りしめ、並んで歩こうとするなどあり得ない。
ジャニスとかいう女性に対しても、父親の手前それなりにエスコートこそすれ腕を組むなんてことはしなかった。そして最後は面倒くさくなって放置さえしていた。
エミーも頭のどこかでは何かがおかしいことはわかっているのだろうが、認めたくないのだろう。
誰にも関心がなかったソンリェンが。
道端で誰が野垂れ死のうが鼻で笑いもせず無視をするであろうソンリェンが。自分勝手極まりなかったソンリェンが。
自分たちとは違う、『普通』の人間になってしまうことが。
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