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前兆──68.
レオも驚きのあまり落としてしまった煙草を拾う気にはなれず、ばさりと踵を返した友人の後を追った。
「エミー」
かつかつと、レオを振り返りもせずに歩くエミーをゆったりと追いかける。
「おい、エミー、落ち着けって」
「ねえレオ」
いつのも間延びしたような声色じゃない。これはかなり怒っている証拠だ。
「今のトイだったよね」
「……あー、やっぱそうだよなぁ」
互いに何か聞き覚えのある声だなとは思っていて、ちらちらと顔を見合わせては記憶を探っていた。
そして褐色の肌に、目深にかぶった毛糸の帽子から覗く赤茶色の髪に該当する人物を思い出した。
移民の血が混じった髪色は大して珍しいものでもないし、なによりもエミーにとっては1年も前に記憶の彼方へと投げ捨てた存在だったので、思い出すのに時間もかかっていたようだ。
それに声変わりをする前のトイの方が強く印象に残っていたため、レオとてはっきりと確信したのは途中からだった。
「死んだものだと思ってた、んだけど。捨てた時だって虫の息だったよね」
「俺も。幽霊見た気分だぜ、あの状態でよく生きてたな」
「……なんで生きてんの?」
それはただの疑問ではなかった。
なぜ生きてやがったのかという憎々しい想いが込められているように聞こえた。
「誰かに助けて、貰ったとか?」
「ソンリェンはあり得ないよ。だってあの後俺たち、丸2日間くらい一緒にいたじゃん」
遠い記憶を辿る。
そうだ、トイをボロボロになるまで壊した後、やけにハイになって、あの時の反応がおかしかっただのあれはやばかっただの、トイの様子を肴にして酒を飲みまくっていたのだ。
ソンリェンももちろん混ざっていたし、その時の彼の様子はいつも通りだった。
それどころかソンリェンもそれなりに最後の時を楽しんだのか、時折歪に笑いながら会話に混ざっていた。他の3人と同様愉し気ですらあった。
ロイズが狙っている新しい玩具の存在の話題に花が咲いたのもその時だ。
いつもよりも飲んだので、あとはロイズの部屋でほぼ雑魚寝のような状態だった。ソンリェンがトイを助けに向かう時間などなかったはずだ。心配する素振りさえも見せていなかった。
もう死んじゃったかなあとのんびり窓の外を見上げるエミーに、『あれで生きてたらいよいよしぶとすぎるな』とさえ言ってのけていたくらいだ。
ソンリェンの様子が目に見えておかしくなったのは、トイを壊してからほぼ1ヶ月が経ってからだ。
まあそれまでも、どことなく苛々が治まらないような雰囲気ではあったが。
一体いつから彼は、トイと接触していたのだろうか。
「だな、あの状態で何日も生きてるってことはありえねえし」
「だよね」
「ってことはその後でトイを探してた、ってことかもなあ」
「屋敷出たのも、学院辞めたのもそのせいだと思う?」
「それはわかんねーな」
相槌を打ちながらも、レオはもう一つのことを確信していた。
実はレオは数週間前、打ち合わせの前にここを訪れていた際に、この通りで一度トイを見かけていたのだ。
というよりもトイに似ている子どもを目にしていたといったほうが正しい。
同じような背丈で、茶色の髪を三つ編みにした少女と手を繋いで並んで歩いていた。
初々しく幼いカップルと言った様子だったし、ちらりと横顔を見てぽいな、と一瞬思っただけだったし、トイが生きているはずがないので直ぐに思考を打ち消し今の今まですっかり忘れていた。
だがこれで確信した。あれは絶対トイだった。髪の長さも一致している。
トイの存在など、今となってはそういえばそんな玩具で遊んだなと記憶に残るぐらいで、大した重要事項でもなかったので他の2人にもその件は話していなかった。
似た子どもを見かけたと彼らに話してもどうでもよさそうに返されるだけだと思っていた。
「なんで、ソンリェンは、トイと」
「聞いてみねえとなあ。なんで一緒にいたのか」
「懐かしい玩具を偶然見かけたから、ってことだって、あるかもしれないしね」
自分に言い聞かせるようなエミーの言葉に頭を掻く。
確証は持てないが、あの関係は数日の間に出来上がった間柄ではないような気がする。
それにソンリェンのことだ。たとえ生きているトイを見かけたとしても興味ないと一瞥するだけで無視をするか、面白いと思えばさっさと捕まえて屋敷に連れ戻してくるかレオたちに伝えているだろう。
そうすることもなく、誰にも一切報告せずにこうして隠れるようにトイと歩いているとなれば。
『俺たちになんて構っちゃられないぐらいの大本命が──』
自分の発言が苦く甦ってくる。
口ではそういいつつも、レオとて戯言だと思っていた。ソンリェンにそんな相手が現れるはずがない。ましてやそれがあのトイなどとは。
レオたちが、そしてソンリェン自身がトイに対してどのような行為を働いていたのかを理解している。だから尚更冗談にしか思えなかった。予想外にもほどがある。
エミー同様にレオも狼狽えていた。
待たせていた車に乗り帰路に着いたが、いつもはバカみたいに煩いはずの車内はとても静かだった。
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