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告白──107.

 ソンリェンは美人だ。  ディアナが彼を綺麗と言ったがその通りだと思う。顔の造形がそもそも整っているのだ。白い肌も高い鼻も切れ長の目も厚い唇も、艶やかだ。つまりは女顔なのだ。  背は高く、服の下は均整の取れたしっかりとした筋肉で覆われている身体だが、腰も細い。  喉仏や独特な低い声、角ばった肩や指を隠せば美女と言っても通るだろう。  ソンリェンは他の逞しい男性側から見れば、「抱かれる」対象に見えなくもないのかもしれない。けれども、ソンリェンは女顔を揶揄られると酷く怒り相手を半殺しにさえする男だ。  20歳を過ぎた今ではそれほどまででもないが、まだ体格が青年の域に達していなかった頃は酷かったと聞く。そのせいで同性にそういった対象で見られることに激しい嫌悪感を覚えているのだと、確かレオが言っていた。  ソンリェンは苛烈な性格している上、ノーマルだ。  エミーやロイズと違って、これまで関係を持ってきたのも女性だけのはずだ。  そんなソンリェンだからこそ、同じ性を持つトイに自らの身体を差し出すような真似をするなんてあり得ないのだ。  しかも、よりにもよって犯せだなんて。  お前になら犯されてもいい。そんな彼の言葉の意味を、正確にはソンリェンがその言葉をトイに言うに至った真意について考えたくなくて。  トイは緩慢な動作で、首を振り続けた。 「でき、ねぇよ」 「なんでだよ」 「なんで、って」 「できるだろ。簡単だ、やり返せばいい」  ソンリェンがトイの手を、彼の服を脱がすように誘導してきた。反射的にその手を振り払おうともがく。 「い、いやだ! 離せよ!」  弾いた手が、ソンリェンの頬に当たってしまったのは偶然だった。 「あ……」  横を向いたソンリェンの頬がじわじわと充血していく。ソンリェンは殴られた衝撃に顔を歪めはしたが、その瞳が怒りに煮えたぎることはない。  相変わらずやけに静かな瞳のままトイを見上げている。  ごめんなさいと、直ぐに謝罪しようとしていた口をトイは閉じた。  音もなく静かに、ぼんやりと靄がかった思考が開けていく。  トイは1年以上という長い間、ソンリェンという男を見てきた。もちろん身体しか知らないが、それだけでもわかっていることは多い。  ソンリェンは自分勝手で、短気で、冷徹で、傲慢で、鬼畜で、わがままでな男だった。他の3人に負けず劣らず、人としての何かが欠けている男だった。  そんな彼が、たかが性欲処理の、嗜虐心を満たすためだけの玩具だった相手にどうしてここまで執着するのだろうか。  彼が再びトイの前に現れた理由はなんだ。  なぜトイに飽きていないんだ。  どうしてキスをしてくるんだ。  どうして抱きしめてくるんだ。  どうして壊そうとしたくせに、こんな風にトイを看病しようとしてるんだ。  どうしてトイ以外の人間なんてどうでもいいなんて、トイに近づく人たちを殺してやりたいだなんて言うんだ。  それではまるで、トイのことはどうでもよくないと、言っているみたいじゃないか。 「だれ……」  トイはゆっくりと、ソンリェンの上から後ずさった。  こんなソンリェンは知らない。グラスを頬に思い切り叩きつけられても頬を張られても、怒りもしないソンリェンなんて。 「アンタ、誰なんだよ」  激高するソンリェンも恐ろしいが、静かな目でトイを見つめてくるソンリェンも恐ろしい。  今のソンリェンは、トイの知るソンリェンではなかった。  トイに執着心を持たず、痛めつけていた悪魔のようなあの青年ではない。お前に飽きたとトイの存在そのものを否定した彼らとは違う。  じゃあ誰なんだ、今目の前にいる青年は誰だ。  トイをいたぶってきたソンリェンではないのか。違う、彼はソンリェンだ。  僅かに開かれた胸元から、鎖骨と固い胸筋が覗く。  一週間ぶりに見たソンリェンの剝き出しの肌。  トイはいつもソンリェンを見上げていた。瞬く間に溢れ出した記憶に飲まれる。力づくで開かされた両足、被さってくる筋肉の重さ。  引き抜かれては挿入され、体の奥まで侵入してくる異物、鈍痛、圧迫感。  そして狂いそうになるほどの快感。引き攣る自分のしゃがれた声、途絶える意識、ソンリェンの目、氷のように冷たい空。  救いを求めて伸ばしても、面倒臭そうに振り払われた手。ぬめる体液の気持ち悪さ。  全ての記憶が本物だ。彼はあのソンリェンなのだ。 「トイ」  上体を上げたソンリェンが、子どもみたいに真っ直ぐに手を伸ばしてきた。  そしてそれ以上に、哀愁が滲む瞳はトイを憂いているようにも見えた。狼狽えるトイに痛まし気な表情が向けられている。  警鐘がより一層大きく鳴り響いて、止まった。  目の眩むような失意に、思考は一気に冷えた。  ──ソンリェンがトイから与えられる痛みを享受している理由なんて、死んでも知りたくない。 「いやだ!」  ソンリェンの指先が頬に触れる直前、トイは這いずるように飛びのいてベッドの背もたれに背中をぶつけた。ソンリェンも動きを止めた。  背中から身体全体に響き始める痛みより、体の奥底からあふれ出す崩壊感に身体が震えた。 「くるな……!」  トイは口元を抑えた。そうでもしていないと叫びだしてしまいそうだった。口を抑える手のひらも震えていた。  生暖かな唾を何度も飲み込み、噛み合わない奥歯を噛みしめる。 「さわるな」 「トイ、俺は」  それでも近づいてこようとする男を全力で拒む。 「……うるさい! その名前で呼ぶな !!」  トイという名前は自分でつけた。響きが柔らかくて気に入っていた。  けれどもあの監禁生活で大嫌いになった。  トイという名前には、玩具、穴、人形、性欲処理道具、便器。そんなおぞましい意味が詰め込まれてしまった。  誰かに『トイ』と呼ばれるたび、トイは人間ですらなくなってしまったのだ。  特にソンリェンはトイのことを名前でも呼ばなかった。  おい、お前、てめえ、このバカ。そんな風にトイを呼んでいた。ではいつから彼はトイの名を呼ぶようになったのか。そうだ。  2ヶ月前、トイに前に彼が現れた時からだ──なぜ?  どうしてソンリェンは、トイのことを名前で呼びだしたのか。  ずきりと頭が痛む。考えたくない。  ただふるふると首を振って、ソンリェンを否定する。

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