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トイの青空(終章)──135.*
最後にソンリェンと身体を重ねたのは、あの水辺でだ。
しかもいつものように無理矢理で、薬を使われて、死にたくなるほどの苦痛と快楽に壊れそうになった。
だが今はどうだろうか、薬も使われていない。綺麗なベッドの上でもない。むしろ動く度に細かい埃が舞って、しかもギシギシと軋む古いベッドは今にも壊れそうで多少不安だ。
しかも真昼間で、たぶんだけど侵入してきたクモやらなんやらの虫だってどこかしらにもいる。
それなのに、今までで一番気持ちがいい。
どうしよう。どうしよう。
ソンリェンが優しい。
ぽたりと汗が散ってきて、唇にかかったので舐めとる。
ソンリェンがそんなトイを見下ろして、またキスをしてきた。もう何回したかは数えていない。ただ無心でねっとりと唾液で満ちる舌を絡めて、また離して、また重ねる。律動の合間にそれをただ繰り返していた。
場所が場所なので服を全て脱ぐことはなかったが、いつのまにかトイの方はかなりはだけてしまった。けれどもトイが一人だけは嫌だと言ったらソンリェンも前を閉じていたボタンを外して肌を見せてくれた。
きゅっと近づく度に、ソンリェンの細いけれど均整の取れた筋肉がぺたりと肌に吸い付いてきて、擦れて、身体いっぱいにソンリェンの熱を感じる。
それはもう、しつこいくらいに。
「ぁ、あん……ァ」
じっくり時間をかけて入って来たソンリェンの熱に、落ちる感覚がした。
どこへかはわからない。ただ沈んでいく。じんと痺れるような快楽には果てがなくて、トイは快楽に溺れるという言葉を身をもって味わった。
不思議だ。重くて、深くて、圧迫感はあるのに痛みはない。違う、多少の痛みはあるものの以前のような引き千切られるような切なさや痛みを感じないのだ。
心が痛くないから。
挿入した時、素直にちょっと痛いと訴えればソンリェンはトイの中がなじむまで待ってくれた。
そのおかげでソンリェンの肉はぴったりとトイの内壁に吸い付き、トイの腹の形に合わせて膨らんだ。引き抜かれても挿れられても、隙間なくトイの奥を満たしてくれる。
圧迫感さえ離れがたくて、自然と脚が広がりソンリェンの腰に絡めてしまった。
そうするとソンリェンは一瞬だけ息を飲み、トイを抱きしめて深い所を擦ってくれる。瞼の裏がちかちかと光って、また落ちてしまいそうな感覚にソンリェンの肩に縋りつく。
ずっと、それを繰り返していた。
「っ……ん、ぁァ……ふぁ」
トイの身体のあちこちが濡れているのはソンリェンに舐められたからだ。丁寧に首筋を、鎖骨を、胸先を、濡れた入り口を弄られた。
今だって、熱塊に貫かれながら尖った胸の膨らみをこりこりと刺激され、吸われ、波紋のように広がるむず痒い快感に目眩が止まらない。
時折切羽詰まったようにソンリェンの動きも激しくなるけれど、いやじゃない。圧迫感と苦しさに息が詰まる瞬間はあるけれど、その度に顔を覗かれ額にキスを落とされるから怖くもない。
それになにより、トイの濡れそぼった幼い男性器を律動に合わせて優しく擦られるから嬉しかった。
そう、嬉しいのだ。
快感を高めるためだけにめちゃくちゃに擦られるのでもなく、トイの反応が面白いからでもなく。
トイの震えてしとどに蜜を零すそれが愛おしいのだと、ソンリェンの気持ちが彼の手を介して伝わってくるから。熱のこもった愛撫に心が満たされていくから嬉しいのだ。
嬉しくて嬉しくて、ソンリェンにキスを強請ればまた唇を奪ってくれる。口内になだれ込んでくるソンリェンの舌と荒い息に、肺の奥までもに心地よさが浸透してきそうだった。
「トイ」
かわいい。
「あ、そんりぇ、ん」
「トイ」
かわいい。
「っ──ふ、ぁ」
名前を呼ばれる度に、ソンリェンにかわいいと言われている気がする。そしてそれは勘違いではないと思う。だってずっとソンリェンと目が合う。
キスをしてても、少し身体が離れてても激しい律動を受け入れている時であってもソンリェンと視線が絡む。
お前しか見えないと、思わず笑ってしまうようなことを言われたがどうやら本当のようだ。だから、トイも早々にソンリェンしか見えなくなった。
ここがどこだかもわからなくなる。埃も、塵も、光の届かぬ部屋の隅も視界には入ってこない。ただ目の前に、トイを抱くソンリェンがいる。それだけが今のトイの全てになった。
ソンリェンはトイに侮辱的なことを囁いたりはしなかった。性的欲求を煽るような言葉も。ただ、トイの名を呼んだ。だからトイも、トイを求めてくる青年の名を呼んだ。
始まる前はもっと色々なことを喋った気がするけれど、もう喘ぎ声と、互いの名しか口に出来ない。
それ以外の言葉は今はいらないのだ、きっと。
「そんりぇん」
揺れるソンリェンの白い首に、うっとりとする。ソンリェンの首は細い。けれども硬くて男らしい。彼の喉仏に歯を立てたいと思った。トイがそう思うくらいなのだからソンリェンも同じことを思っているのかもしれない。
誘うように喉を曝け出すとごくりと唾を飲み込んだソンリェンの綺麗な顔が下りて来て、舌を這わされてから歯を立てられた。
窺うような仕草だったので、もっととソンリェンの首にしがみ付くと少し力を加えられて噛みつかれる。
じんと響く痛みが瞬時に悦楽に変わり、トイは喘いだ。喘いで、ソンリェンの耳たぶに歯を立てた。
「ア……ぁ……ひぁ……あ、ン」
ソンリェンと、セックスしてる。
今トイは、ソンリェンとセックスしてる。
無理矢理抱かれているわけじゃない、物として扱われているのでもない。視線を絡めあって、同じ気持ちで身体を重ねている。二人分の体重で軋み続けるベッドがこんなにも嬉しい。
ソンリェンとする時はいつも過ぎるほどに乱されていて、まともにソンリェンの顔を眺めることなんて出来なかった。でもこうしてソンリェンを長く見上げていると、彼がどんな顔をしてトイを抱いているのかがよくわかる。
赤らんだ目尻と、時折痛みではなく苦しそうに寄せられる眉間の皺。額に滲む汗、ぽたりと降りかかるそれ。詰まったように喉が上下し、食いしばった歯の隙間から薄く息が吐き出される。その間、ソンリェンはずっとトイの目を見つめていた。
ソンリェンはトイを身体いっぱいで感じ、トイを求めていた。
表情や仕草一つで、トイの身体で快楽を得ることに気持ちよさを感じていることがわかってしまう。
そんなソンリェンに、トイの心臓はもうずっと早鐘を打ちっぱなしだ。途方も無い熱に煽られている感覚に近い。
密着した部分に汗が溜まる。粘着質で濡れた音が増して、天井から差し込む淡い光の中に散っていく。ひとしきり淫らな音を互いの耳で弾かせてからソンリェンにぐっと両足を抱え上げられた。
ソンリェンに絡みつかせていた腕を解き、ソンリェンが動きやすいように背中を覆ってくれる羽織を握りしめて仰け反った。
ぱさりとトイの足首にひっかかっていた下着がついに脱げて、床に落ちた。汚れてしまったかもしれないけれど気にならなかった。
きっと最後は立てなくなったトイを羽織りで包み込み、車まで連れてってくれるだろうから。
激しくなる穿ちの合間、揺れるトイ自身の脚にすら思考が浮かされる。視覚も聴覚も、五感の全てがソンリェンに奪われてしまったかのようだった。
ソンリェンもそうなのだろうか。組み敷くトイに彼は全てを奪われているだろうか。奪われてほしい。一緒がいい。
そっと腕を上げて、垂れたソンリェンの髪を梳き汗ばんだ白い頬を撫でる。手のひらを重ねられするりと頬ずりされ、ちゅっと手のひらにキスをいくつも落とされる。
まるで、溶けるような愛しさを身体に刻み込まれているみたいに。
ふいに手を捕えられ指を一本一本絡めながらぎゅっと握りしめられた。痛いぐらいの力だった。もう片方の手も同じようにされる。
ソンリェンの手首のミサンガがちり、と輝きを放ちながら揺れた。
手を繋いだままソンリェンの顔が近づき、目尻に口づけられ流れ出た涙を吸われる。
「──トイ」
ああ、ああ、ああ──ああ。
もう忙しなく跳ねる鼓動でいっぱいいっぱいで、ソンリェンの名前を呼ぶことすら出来なくなりそうだ。
ぎゅっと強く瞬きをする。ソンリェンが低く唸り、より一層奥を打ち付けて来た。
もう擦られなくとも、トイの肉茎はソンリェンの穿ちに合わせてぶるぶると飛び跳ねるばかりだ。
互いの荒い息はそれほど長く続かなかった。トイも限界だった。ソンリェンの唇の端が強くひび割れた。
流し込まれるだろうソンリェンの熱情をどこまでも深く飲み込むために、浮かせた腰をくねらせてソンリェンを受け入れる。
「──ァっ」
「く……」
初めて、寸分の狂いなく、同じ瞬間に弾けた。
どく、どくと注ぎこまれる冷たい熱に、胎内が収縮する。喉が渇いて唾を飲み込み、もっと腰を突き出してソンリェンから流し込まれる飛沫を身体の奥まで飲み干した。
ぱたぱたと散ってきたトイ自身の白濁とソンリェンの汗が雨みたいで、うねるような快楽の波に攫われながらソンリェンと、その後ろの天井を見上げた。
未だに脈打つ快楽の余韻に浸りながら、繋がったままだったソンリェンの手を握りしめる。また、握り返された。
トイの大事にしていたボロボロの人形は、どこかへ行ってしまった。
その代わりトイは玩具の人形じゃない、ただのトイになった。
「そん、りぇん」
「……どうした」
「そんりぇん」
「……痛かったか?」
「ううん、溶けそ、う……」
ソンリェンが、かすかに目を見張った。
「あった、かい……ね。ソンリェン」
「トイ……」
するりと頬を撫ぜてくる手にすり寄り、優しさに満ちた指先に唇を寄せた。
ぽっかりと頭上に空いた丸い屋根の穴。
視界の先で広がっているのは、零れてくる空の青と強く明るい光。
きらきらと輝きながらトイを照らしてくれる。
太陽みたいで、満月みたい。
今なら、あの小説の台詞の意味がわかる気がする。
「そんりぇん、キレイ……」
恋した女性と月を見上げた男の人は、切なくてあたたかくて恋しくて満たされて──まるで、心臓が止まってしまいそうになるくらいの幸せを、感じていたのだろう。
「キレイ……キレイすぎて──死んじゃいそう」
一瞬ソンリェンが驚いた顔をしてから、くしゃりと眉を緩めて苦笑し、トイの髪を撫でてきた。
こっちの台詞だと囁かれた掠れ声に、自然と笑みが溢れる。
降りてくる熱い唇を受け入れながら、トイはソンリェンの背に再び腕を絡めた。
天井の隙間からトイの目に映る空の世界が、透き通るように輝く金色の髪と、どこまでも深く染まるソンリェンの青い瞳と重なった。
冷たく寒い雨は、もうどこにも降っていない。あるのは柔らかな白い雲だけだ。甘い甘い、ふわがしみたいな。
あの薄暗い路地裏で壊されたトイは、今はとても綺麗な青の下に居る。生きている。
ああ──やっと見つけた。
ずっと探していたトイの空を。
トイがトイらしく在れる、自由になれる優しい青を。
トイの青空は、ここにあった。
『トイの青空』──了
*これにて完結です。ここまで読んで下さって有難うございました。
番外編等上げに来るかもしれません。
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