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第1話

   どこまでも深く求める、細部まで。  少しの逃げ場さえも縫い留め、隙間さえも塞ぎ尽くす。  骨の髄までむしゃぶり尽くそうとしてしまうこの貪欲な感情を、一体なんと呼べばいいのだろう。  確かなことは、この想いは「恋」の一言では片づけられないものであるということだけだ。  恋であれば、優しい想いだけを与えられる。だがエイダンの抱く想いはそうではない。  小さくて華奢なその体に自分自身を刻み込みたくてしょうがない。たとえどんな手を使っても、どれほどの犠牲を払っても、だ。  そして刻み込めないのならば、その細い首を締めあげたいとさえ思う。  膨れ上がる残酷な破壊衝動のまま、いっそのこと他の誰もその目に映さぬようその黒い瞳をえぐり取ってしまいたい。  誰にも奪われぬよう細い手足を切り取り、自分無しでは一切生きられない身体にしてしまいたい。  日々、そんなことすらも考える。  自分に、こんな常軌を逸脱した猟奇的な側面があるとは思いもしなかった。このエイダンが、己の力では抑えきれない感情に振り回されることになろうとは。  エイダンはどちらかと言えば性に淡泊な方だった。正妻以外の側室を持つことはあれど、それは立場上仕方なくだ。もちろん部屋を訪れ、それぞれ側室の女たちと身体を重ねることだってある。そうでもしないと他国から嫁いできた姫たちの間で軋轢が生まれ、外交問題に発展するからだ。  血を分けた子どもだとて既に何人かはいる。正妻はもちろんのこと、満遍なくすべての側室たちにも子を産ませるために、一人の女に執着せず、全員を平等に慈しんでいた。  一人の女に骨抜きにされ民を苦しめ国を傾かせる愚か者にはなるまいと、幼き頃より心を律して来た。  冷静に、思考を冷やし周囲の動向を観察する。理性を最後まで保ち的確な命令を下す。権力に溺れず、恐怖にも、絶望にも、性というものに支配されない。  それがこの世界の賢王として生きる、エイダン・リードバルドと言う存在だった。  自分の行動を理性で抑え、感情を押し殺すことなど造作もなかった。自分はそれができる人間であると、思い込んでいた。そう思っていたのだ。  この少年に出会うまでは。 「モモ」  部屋に戻ると真っ暗だった。  いつものことながら内心で小さく溜息をつき、エイダンは部屋の隅に置いてあるランプに火をつけた。  ぼうっと揺れるした視界に入ってきたのは、暗闇に溶ける黒い髪。絢爛豪華な部屋の中で、その色は多少異質ではあった。  エイダンにとっては、誰よりも愛しい色なのだけれども。 「モモ、返事をしてくれ」  エイダンの想い人は、大きなベッドの上で膝を抱えて蹲っていた。気配を殺すように、とても静かに。その体は微動だにもしない。  華奢な体にゆっくりと近寄る。エイダンが側に来ても少年は顔を膝に埋めたまま顔を上げすらもしなかった。返事など言わずもがなだ。  慣れたことだ、これは仕方ないことなのだ。  エイダンはベッドに腰掛け、そっとモモの肩に手を添えた。服の下の肌は冷えていた。 「こんな薄着では風邪を引くぞ」  努めて穏やかな声でモモに声を掛けながら、手に持っていた食事をサイドテーブルの上に置く。  どれも、一般の庶民であれば食べられないようなものばかりだ。この国の王室貴族でさえ、祝賀等でしか口にすることが出来ない。  遥か遠く、他国から取り寄せた珍しい食べ物もある。どれもモモの生まれ故郷に似ている東の国からわざわざ輸入した代物だ。 「モモ、今日は君が懐かしいと思うような食べ物も取り寄せてみたんだ。口に合うといいが」  この白い粒のような食べ物も、エイダンからしてみたらよくわからない代物だ。硬くて、味もしない。料理長に指示を出しミルクで煮て柔らかくしてみたはいいものの、どうにもモモが以前話してくれた食べ物とは程遠い気がする。だが、モモに作り方を聞けない今手探りで作るしかない。  王の権力を笠に着て、一人の人間のために国の財政を潰すわけにはいかない。しかし、モモに関心を持ってもらいたい一心で食べ物で釣るという極端な行為をエイダンは繰り返していた。  そうすることでしか、モモの精神を留めて置くことが出来ないとわかっていた。  貧しい国民であれば一度は憧れるであろう高価な絹で出来た服や、貴金属や宝石など、モモは一切欲しくないと言う。  着飾るためだけに石ころに金を使うだなんて馬鹿じゃないのか、それだったら国の再建のために水道でも整備して国民の喉を潤せ、と宝石を強請る側室の一人に激しい叱責を食らわせていたモモの姿に、一瞬にしてエイダンは落ちたのだ。モモという人間の真っ直ぐさに。  モモはいつも有言実行の人間だった。神託によって異世界から強制的に召喚された黒髪黒目の小柄な少年は、最初は元の世界に帰りたいと切望し苦しんでいたようだが、枯れた大地が広がるこの国の悲惨な現状を知ってからは憂いの眼差しを見せ、自分に出来ることをと知識や力を出し惜しまず精一杯この国に尽くしてくれた。  1000年に一人と言われている異世界から召喚された少年だ。願えばなんでも手に入る地位であるというのに、国民と同じような質素な服装で、泥にまみれ、垢にまみれ、貧しい人々のために奔走してくれた。  そのお陰でこの国はだいぶ建て直した。枯れた大地に水が戻り、草木が戻った。今は内戦も起きず、安定した治世を保っている。  だから、もうモモがその身を削ってこの世界に残ることなど、しなくていい。  それを、エイダンは受け入れられなかった。

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