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第4話
モモの穢れの無い瞳にエイダンは何度も救われた。けれども、この目を受け入れることはとてもじゃないが出来なかった。
『なぜだ……モモ。俺たちのことが嫌だったのか』
モモは頑固だ。一度決めたことを覆すことはしない。
『そんなわけないじゃん! ここで出会った人たちのことはもちろん大好きだよ──エイダンのことも。元の世界に戻っても忘れない。そりゃ、最初は突然わけわかんねえところに連れて来られて、世界を救えー! とか言われてめちゃくちゃビビったたけどさ……』
ふ、とモモが笑った。愛おし気で柔らかな笑みだった。エイダンの好きな、モモの笑みだ。
『この2年間この世界で得た経験は、俺にとっての宝だよ。たぶん、一生の』
『では……』
そんなことを言うくらいなら、なぜ。
『アスティンに、背中押して、貰ったんだ』
『……アスティン?』
身分の差を気にすることなく誰とでも対等に話すモモは、優しいアスティンをまるで兄のように慕っていた。そしてアスティンもモモを弟のように可愛がっていた、はずなのだが。
『背中を押して貰ったとは、なにを』
『なーいしょ。エイダンには教えてやんねー』
そう言って内緒話でもするように首を傾けたモモは、頬を僅かに赤らめていた。それでいて、今にも消えてしまいそうな儚げな笑みを浮かべるものだから、エイダンにはわかってしまった。
モモはアスティンに、親愛の情以外の感情を抱いているのだと。
そんなアスティンに説得されたせいで、モモは元の世界へ還ることに決めたのだと。
『あ、そういえばエイダン、新しい側室2人迎えるんだって? すげえよなあ。これで今の奥さんって14人? はは、ハーレムって奴だよなあ。仲良くやれよ。エイダンのさ、全員を平等に扱って、しっかりこの国の王であろうとする姿勢がさ、俺は好きだよ──本当に、好きだよ』
エイダンも、モモが好きだった。モモの言うものとは違う意味で。
この国は同性婚は認められていない。エイダンとて、同性にこういった感情を抱いたこと初めてだった。この時モモは15歳でエイダンは31歳だっだ。歳は離れているが、エイダンはモモに本気で恋をしていた。政略結婚で無理矢理相手を愛しいと思い込むよう努力しているわけでもなく、性欲のままに彼に欲情を覚えるでもなく、ただモモという人間に愛しさを覚えていた。愛していた。
幼い頃より英才教育を受け、国の王としての務めを果たすべく決められた妻たちを娶り子を作り、歪みない人生を送って来たエイダンにとって、モモという存在は異質で、初恋だった。
真っ直ぐで純粋で芯の通った優しい男の子に、エイダンはどうしようもないほどに恋焦がれていた。エイダンにとってモモは唯一無二だ。それこそ、国を捨てることさえ出来るほどの。
そして、モモに優しく接するエイダンに、モモも懐いてくれていたはずだ。少なくとも嫌われてはいなかった。けれども。
『エイダン、今までありがとうな。俺シングルマザーの家庭でさ、恥ずかしくて言えなかったけど、何ていうかエイダンのこと……父親みたいだと思ってた。だから幸せになってくれよ。子どもたちもちゃんと育てろよ?』
無邪気にエイダンに駆け寄ってきていた理由が、そんなものだったとは。
モモに気持ちを伝えることはせず彼を見守ってきた。最初は価値観の違いから衝突することもあったけれども、互いを認め合っていい関係を築いてきた。
慈しんで来たつもりだった。
今はこれでいい、全てが終わったらゆっくりと愛を囁いていこうと。そしてこれからだという矢先に、モモはこの世界との関係を綺麗さっぱり断つことを選んだ。
モモにとって、エイダンはそれだけの存在だったのだ。
──ああ。
この時の感情をどう表すことが出来るだろうか。頭に血が昇っていた。
ただ、脳内はやけに冷静だった。いつも通りモモの頭を撫でながら、お前は一度決めたら聞かないからな、わかった、と苦笑して見せて。うん、ありがとうと頷いたモモの背を見送って。
そして───後ろからモモを殴りつけて、昏倒させた。
意識を失いごろりと転がったモモを抱き抱え歩き出した。向かう先は、先代が愛する妻を閉じ込めていた恐ろしい王宮の奥の部屋だ。
父のようにはなるまいと己を律し、生きて来た。しかしエイダンを駆り立てたのはどうしようもないほどの歪んだ愛情だった。狂気とも呼べるほどの。
自分は、母への愛に狂っていた父の血をしっかりと継いでいるのだとこの時初めて自覚した。これまでは想いを向ける相手が見つからなかっただけなのだと。
いつかこの感情がモモのみならず、エイダン自身。そしてやっと安寧を迎えた国をも焼き尽くすということはわかっていても、止めることなどできやしなかった。
エイダンは、モモに飢えていた。
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『どういう、つもりだよエイダン……!』
目が覚めてから驚愕に瞳を震わせたモモは、食ってかかる勢いのままエイダンに詰め寄った。どうやら昏倒させられたことをしっかり覚えていたらしい。
が、手足に絡みつく枷が鎖でベッドに繋がれていることに気づいた途端、唇を戦慄かせて混乱したようにベッドに沈み込んだ。
『な、なんだよこれ……エイダン?』
震えながらエイダンを見上げた瞳は、怯えに彩られていた。
『──お前は今日から死ぬまで、この部屋で暮らす』
『……は?』
『もう二度と、元の世界へ還ることは許さない』
一息に吐き捨てる。剣呑に揺らめいたエイダンの瞳にモモは息を飲んだ。
『なんだ……よそれ。なあ、冗談だろ』
モモの口元が少し引き攣っているように見えるのは気のせいではないだろう。この期に及んでまだエイダンを信じているとでも言うつもりか。
父親などというそんな安っぽい信頼など、エイダンが本当に欲しているものではない。
『疑うのなら逃げればいい。尤も、お前が元の世界に還ることはもう不可能だがな』
『……え? それって、どういう』
『あの泉は壊した』
『……は?』
ぽかんと口を開けたモモに、冗談などではないと淀んだ笑みを頬に浮かべて見せる。
『お前が目覚めるまで一日経った。その間にあの泉は壊した。そしてお前の私物もほとんど処分した。もうお前は、二度と元の世界へは戻れない』
『な……に、言ってんだよ』
ふらりとモモがベッドの上で後ずさった。その顔は青を通り越して蒼白だった。それもそうだろう。唯一信頼していた人物に無残にも裏切られているのだから。
しかしそんなモモの姿を見ても、止めようとは少しも思わなかった。それどころか、やっと手に入ったという残酷な安堵感が広がるばかりだ。
もう少しはやくこうしておけばよかったと思えるほどに。
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