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第6話

   **** 「……モモ、答えろ。今、誰のことを考えたんだ」 「誰の、ことも……考えて、ない」  ふるりとモモが首を振った。その表情に含まれているのは痛ましいほどの悲しみだ。  あれから半年以上。未だにモモにこんな顔をさせるあの男が憎い。モモとよく乗馬を楽しんでいたあの男。 「アスティンのことか」  くっと唇の端を釣り上げて見せる。モモは面白いくらいに肩を震わせた。 「……ち、ちがう」 「嘘をつけ」 「ぁ……」  ぐいとモモの手首を拘束した枷を引っ張る。モモがよろりとエイダンに傾いた。 「鎖の長さを、調節する必要がありそうだな……」  モモが息を飲んだ。モモの剥き出しの恐怖を感じても、モモを解放してやろうという気持ちにはなれない。モモの足の腱を切ってから、どうせ歩くことも出来ないのだからと鎖を長くしてやった。モモの精神状態が極限に達していると金を抱かせた主治医に提言され、せめて見える範囲の鎖だけでも長くすれば心も落ち着くのではという配慮をしたことも要因の一つだ。  けれども、言うに事欠いて靴が欲しいだなんて。狂い過ぎて足の腱を切られていることを一瞬でも忘れていたのか。それともまだ、どうにかして逃亡を図ろうとしているのか。  今度は一人で。 「ほんとに、誰も……エイダンの、こと、だけだ……」  例え自由を制限されても、死んだ男の名誉を必死に守ろうとするその懸命な姿。それは、エイダンの嫉妬心を煽るには十分すぎるものだった。  モモは周りのためならばとことん自分を犠牲にする性格の人間だ。そんなモモだからこそこんなにも恋焦がれたというのに、モモの優しい心根に苛立ちが抑えられない。なぜその優しさが自分には向かないのかとモモに問い詰めたくなってしまう。  国民から慕われている賢王が聞いて呆れる。モモの前では理性など無いに等しい。あれほど国のことを考えていたエイダンは、モモのせいでどこまでも自分勝手な男になってしまった。  妻たちやエイダンに仕える者たちですら、もうエイダンを止めることは出来ない。 「ごめん……ごめんなさい……」  モモがしゃくり上げ始めた。その謝罪はエイダンに向いているものではない。モモを犯している最中、彼が無意識に助けを呼ぶ相手に対してのものだろう。  死して尚もモモを縛り付ける、忌々しい我が息子。 『エイダン!』  モモの必死の呼びかけにエイダンは答えなかった。すらりと剣を抜き、近衛兵に押さえつけられた息子の首筋に鋭い切っ先を添える。 『待って、やめてくれ! エイダン! エイダン……!』  泣き叫びながら、拘束から逃れようとするモモを一瞥することすらなく、エイダンはアスティンを見降ろした。見事な逃亡劇を図った二人は、あと一歩のところで近衛兵に捕らえられた。  逃げ切ることが出来ないということぐらい、モモはともかくアスティンはわかっていただろうに。どの子どもよりも優秀だった王子はモモのせいでバカになったのか。それとも、もしかしてうまくいくかもしれないという一縷の望みにかけたのだろうか。  愛するモモを助けるためにがむしゃらに突っ走る。確かにアスティンは王子よりも騎士に向いていたのかもしれない。エイダンの命によりアスティンに仕えていた男が、かつてエイダンに言っていたように。 『アスティン王子はとても優秀です。剣技にも優れていらっしゃる。王を支えるよき王子となりましょう』  そう言ってアスティンを褒め湛え、アスティンを可愛がっていた男はもういない。王宮の扉の前で血だまりの中で死に絶えている。切って捨てたのはエイダン自身だ。  息子のように思っているアスティンのために身体を張った男だったが、数多の近衛兵に押さえつけられればいくら武芸に長けた男であっても呆気なかった。  血に濡れたエイダンの剣に、モモもアスティンも全てを察しているのだろう。味方は全滅したと。近衛兵に押さえつけられ下を向いているアスティンからは血が垂れている。唇を、血が出るほど噛みしめているに違いなかった。 『モモ』  顔をモモの方へは向けずに、モモに声をかける。 『俺は確かに言ったぞ、もしも逃げようとすればアスティンがどうなるかわかっているなと』 『お、俺が! 俺がアスティンに頼んだんだ! 逃がしてくれって! そうじゃないとエイダンに頼み込んで死刑にするぞって! アスティンは俺に脅されてただけだ!』 『ふん、わかりやすい嘘を』  なんとも陳腐な台詞だ。 『お前がそんなバカげた脅しなんぞ使えるはずがない──そうだろう? アスティン』  下を向いたままのアスティンの頬に、剣の先を添える。アスティンはゆっくりと顔を上げた。アスティンの母親は側室だが、その顔はエイダンの少年時代によく似ていた。目の色も髪の色も。  だからこそ、自分に似た男を選んだモモに激しい怒りを覚えた。 『お前脅されたのか? モモに』 『……僕がハルキに? は、戯言を、父上』 『アスティン!!』  モモの悲痛な叫びに、アスティンは笑って見せた。 『ハルキにそんなことが出来るはずもない……それは父上が一番ご存知でしょうに』  仕えていてた臣下を殺されても尚、この堂々たる態度。肝の据わった男だ。だからこそ、アスティンが一番王としての素質を備えていた。  正妻が産んだのは女だった。アスティンを次の王にとの声はとても多かった。エイダンとてそう思っていた。だが今、そんな未来は潰えることになる。 『……なぜ王命に背き、モモを攫った』 『父上こそ、なぜハルキを閉じ込めるのです』  アスティンの目に、剣呑な炎が煌めいた。 『なぜハルキをこのような目に遭わせるのです、このままではハルキが壊れてしまいます』  顔色一つ変えないエイダンに、アスティンは強く歯を噛みしめた。 『泉を壊し、ハルキの還る術を消し去り、ハルキを鎖に繋ぎ傍に囲うことが父上の幸せなのですか……なんとも愚かな』 『ではお前は、ハルキのために俺に逆らったと?』 『いいえ、自分のためです』  遠くで、アスティンを呼ぶモモの声がする。くぐもっているのは誰かがモモの口を抑えたからだろう。エイダンがそう命じた。モモの柔らかな声は好きだが、自分以外の名を呼ぶモモの声ははらわたが煮えくり返るほど忌々しい。 『僕はハルキが好きだ。だからハルキをこれ以上、辛い目に合わせる父上が許せなかった』  なんとも崇高な台詞だ。彼こそ、本来の王に相応しい男なのかもしれない。もしもエイダンの子がアスティンではなく、アスティンの子がエイダンだったのなら。アスティンは王としてモモを現世に還していただろう。そしてエイダンはそれを許せず、アスティンに背き──アスティンに殺されていたのかもしれない。  そんな在りもしないことを考えてしまう自分に、エイダンは笑った。その笑みをどう捉えたのか、アスティンが自分を抑えつける近衛兵を振り払う勢いで身を乗り出した。 『父上、ハルキをこれ以上苦しめないでください! 僕は貴方を誰よりも尊敬していた、誇り高く、民の命を大事にし、子を愛し妻を愛し、治世を正しく治める王としての父上が! 』 『──アスティン』  アスティンの絶叫は、確かにエイダンに響いた。が、エイダンにとっての唯一はモモだ──モモだけ、なのだ。 『お前に何を言われようと、この場でお前を処刑することは決まっている。俺の唯一を奪おうとした罰だ』  後ろでモモが何かを唸った。暴れまわるモモを抑えつけようと近衛兵も必死だ。なにせ、モモに傷一つでも付けたらエイダンの怒りを買う。  このままではエイダンはモモの体に触れただけの近衛兵たちまで刺し殺してしまうかもしれない。だから、はやく事を納める必要があった。  どこまでも、エイダンとモモのために。 『だがその前に、お前の罪をお前と……モモに見せてやろう』  怪訝そうな顔をしたアスティンからするりと剣をどかせ、扉の前で控える近衛兵に命じる。 『連れて来い』  顔を引き攣らせた近衛兵の数人が、扉を開けた。    そこから現れた人物に、これまで冷や汗を流しながらも口角に笑みさえ浮かべていたアスティンも、流石に唖然とせざるをえなかったようだ。それもそうだろう。 『は、はうえ……』  茫然としているアスティン。  ちらりとモモを見る。モモは息を飲んで、近衛兵の手に噛み付き拘束から逃れた。 『エイ、ダンッ……!!』  そして、顔をぐしゃりと歪めると歯を食い縛りながら唸るように叫んだ。悲痛な叫びだった。  モモの脳内にはきっと、あの日のエイダンの言葉が蘇っているに違いない。  ──逃げようとすれば、アスティンと、その血縁者を殺すというエイダンの言葉が。  

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