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第10話

「今日新しい妃を迎えた。今から婚礼の儀が始まる。だから今夜はここに来られない」  窓から差し込む朝日に目を細める。  側室を迎えた日は、王は必ず姫の部屋を訪れなければならない。一度の交わりで孕んでくれたのなら文句はないが、そう簡単にうまくはいかないだろう。  これから数か月はさほど間をおかず、エイダンはモモの部屋と新たな側室の部屋を行き来することになる。  ベッドの中に顔を埋めていたモモはエイダンの説明にびくりと震えたが、それきり動くことはなかった。顔は見えないが、今日は犯されることもなく自由でいられると喜んでいるに違いないだろう。 「とはいっても、十三王妃も懐妊したからな。新たな子はさほど重要ではないんだが……」  それでも、王の務めは果たさなければならない。アスティンという優秀な子どもを殺してしまったのだから、特に今は息子が必要になる。  今エイダンには9人の子がいるが、6人が女で3人が男だ。だが、3人の息子たちもお世辞にもアスティンほど聡明な子であるとは言い難い。  かつ今度エイダンの子を産む第十三王妃の腹で育っているのが男なのか女なのかも、今の段階ではわからない。残りの姫たちはなかなか子が出来にくい。  新たな側室を迎えるのも、丁度よいタイミングだった。 『これで今の奥さんって14人? はは、ハーレムって奴だよなあ。仲良くやれよ。エイダンのさ、全員を平等に扱って、しっかりこの国の王であろうとする姿勢がさ、俺は好きだよ──本当に、好きだよ』  新たな妃を含め、今現在のエイダンの妻は14人だ。一人はエイダン自ら手に掛けた。  モモの大事な、そして実の息子であるアスティンと側室の一人を殺してしまった今、エイダンはモモの言う全員を平等に扱う男とは程遠い存在なのかもしれない。  だからこそ、かつてモモが好きだと心の底から言ってくれた過去のエイダンに少しでも近づくために、側室と子を成し国を治めるに値する聡明な次世代を残すことが、なによりも必要なのだと感じていた。 「……モモ。また、来る」  エイダンは服を着こみ、体を丸めたままシーツに顔を突っ伏しているモモの汗ばんだ背をゆるりと撫ぜ、そっと愛しい髪にキスをしてから部屋を後にした。  だから、モモがどんな顔をして部屋を去るエイダンを見つめていたのかも。モモが自由の効かぬ手をシーツに食い込ませながら、震えながら涙を流してたことにも、気が付けなかった。  **** 『エイダンのこと? 好きだよ』  からりと笑って見せたハルキに、アスティンはなんとも言えない気持ちになった。口元は笑っていても、その目は酷く哀切を湛えていたからだ。 『でも、俺、堪えられそうにないから』 『堪えられない、とは?』  アスティンはハルキのことが好きだった。許嫁のいる身ではあるが、ハルキのためならば王子という地位を捨て去る覚悟も出来るほどに。  だからこそ気が付いてしまった。ハルキを目で追っていたからこそ、ハルキがいつも誰の背を熱く見つめていたのかも。  そして、アスティンを通してハルキが誰を思い浮かべているのかも。 『俺のいた世界……っていうか国ではさ、どんな人でも奥さんは一人しか娶れないんだ。もちろん旦那さんも一人。一夫一妻制って言うんだけどな。でも、エイダンには奥さんが沢山いる。もちろん、子どもも……』  その子どもの一人であるアスティンに、ハルキは困ったように笑った。 『ごめんな、アスティンの父親なのに、気持ち悪いよな』 『ハルキ、そんなことはない。むしろ父上はハルキを愛しているぞ。たぶん、どの妻よりも。僕の母よりもだ……そしてハルキも父上を愛しているんだな? そうであれば父上にきちんと想いを伝えれば、父上だってきっとハルキを正室にしてくれるさ。この国では同性婚は認められていないが、父上ならどうとでも出来る。それになんせハルキは国を救った英雄だ、国民も異議を唱えたりは』 『そうじゃない、そういうことじゃ、ないんだ』  緩慢な動作で首を振るハルキに、アスティンは口を噤んだ。ハルキの眉が、苦渋を湛えるように顰められていた。 『エイダンが俺のこと、大切にしてくれてんのはわかってる。俺のことを、そういう意味で好きだって思ってくれてることも。だけど、俺には無理だ』 『なぜ』 『エイダンは王様だ。王様は子供を沢山作るのが仕事だ。だから奥さんが沢山いなきゃいけないのはわかってる。でも俺は……』  ハルキが、ぐっと拳を握りしめた。 『きっと嫉妬で、狂っちまう……』  アスティンは初めてハルキの想いを理解した。ハルキは遠い世界からここへ召喚されたが故に、価値観の違いでエイダンと衝突していることもあった。  一人を愛することが常となっている世界で生きて来たハルキにとって、側室を多く娶り子を成さなければならない王というのは、受け入れがたい存在なのだ。  たとえ王がどの側室、さらには正室よりもハルキをただ一人愛していたとしても。王のそんな想いを、ハルキ自身が理解していたとしてもだ。 『エイダンが好きだよ。エイダンが好き……愛してる。俺、こんなに人を好きになったこと、なかった……俺さ、彼女だって出来たこともなかったんだ。クラスに可愛いなって思ってる子はいたけど、こんな狂いそうになるぐらいの恋なんかしたことない。こんなんじゃ、元の世界に戻っても俺、誰とも恋愛なんて出来ない……!』  ぽたりと透明な涙を零したハルキに、アスティンは何も言うことは出来なかった。 『でも……だからこそ、エイダンとは一緒にはいられないんだ。俺以外の人と、そういうことするエイダンを、受け入れられない……無理だ、無理なんだよ……!』  嗚咽を零すハルキを、ただ抱きしめることしか。 『この想いを、断ち切りたいんだ。だから、俺……元の世界に還るよ、もう二度と、この世界には帰ってこない。堪えられないんだ、エイダンの傍に居られないんだ、だから』 『わかった』  アスティンは、震えるハルキの背を撫ぜた。元より自分の想いがハルキに受け入れて貰えるとは思っていない。  愛しているからこそ離れる。身を切るような苦しみを抱きながらも。そんなハルキの王を想う気持ちに勝てるわけがない。 『ごめん、俺……俺、アスティンの気持ちに、気づいてたのに……!』 『いいんだ。ハルキ。元の世界に戻れ』  ぽんと、ハルキの肩を叩く。 『二度と会えなくなるのは辛い。でも、ハルキには笑っててほしいんだ』 『──アスティン、ごめんな……ありがと』 『ハルキ、幸せになれ』  顔を上げたハルキが、やっと笑った。涙で濡れて眉は哀し気に下げられていたままだったけれども。  ハルキは、自分の想いを王に告げることなく去ろうとした。  歯車が狂いだしたのはこの瞬間からだ。それが全ての始まりで──終わりだったのだ。 『エイダン!!やめて、やめ──ッ』  父親が剣を振り被った最後の時、アスティンは絶叫するハルキに視線だけを向けた。笑うことは出来なかった。けれども最後に一言だけ、ハルキに告げたいと思ったのだ。  母を殺され、そして自分も今、実の父親に殺される。ハルキへの愛に狂った父親に、けれどもハルキをあの部屋から出そうとしたことを後悔はしていない。  ただ、ハルキがアスティンが死んだせいで自分を責めてしまうことだけが気がかりだった。アスティンが好きになったのは、誰よりも明るくて誰よりも優しくて──アスティンの父に屈託のない恋をした、ハルキだったから。  ──ハルキ、笑ってくれ。  そう口を動かしたアスティンに、ハルキが目を見開き唇を震わせた。  ぐいと父に前髪を上げられる。狂気を宿し冷たい目をした父が剣を振り被り、真横に切りかかって来た。  母上──父上、お許しください。僕は今この瞬間父上に殺されそうになっても、考えているのは殺されてしまった母上の事でも、父上のことでもなく、ハルキの未来だけなのです。  鋭すぎる激痛は瞬時に消え、あとは身が凍えそうになるほどの熱に変わった。  ごぼりと口から鉄の味が溢れる。呼吸が薄くなり、目も霞む。痛みも、苦しみもすっと消えていく。強烈な寒さに意識が途絶える瞬間、目に入って来たのは近衛兵に抑えつけられているハルキの泣き顔だった。  ハルキ、幸せになってくれ。笑ってくれ。お前の笑顔が大好きなんだ──ハルキ。  最後の声は、きっとハルキに届いたのだと思う。  **** 「アス、ティン……ごめん、許して……ごめん、おれ」  少年は強くシーツを握り顔を埋めながら、虚ろな瞳で絶えることのない涙を流し続けた。  自由の利かない枷に繋がれた両腕と、力を入れることが出来なくなった両脚を縮こませて。  自分以外の人間と新たな婚姻関係を結ぶため部屋を後にした、誰よりも愛おしい男の残り香にしがみ付きながら。  ──ごめん、アスティン。あれほど最後の最後まで、幸せになれと言ってくれたのに。笑ってくれと祈ってくれたのに。 「おれ……もう、笑えな、いん…だ……」  一人ぼっちの部屋で、少年は静かに目を閉じた。  これは、哀しい物語。  誰よりも愛した少年を壊してしまった、異世界の王の話。

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