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第9話

「ひ、ぁあ……ッ」  首筋にエイダンの息がかかることすら耐えられないのか、モモがゆるゆると首を振った。その視線の先にあるのは白い天井だ。モモはエイダンに犯されている間、エイダンの目を見ることなく遠くを見ていた。  この部屋は天井が高く、ベッドも広く、風呂場も手洗い場も完備している。壁に施された模様も一流の建築で、宝石すらも埋め込まれている。装飾品だって値の張ったものばかりだ。エイダンの側室や正妻すらも、ここまでの部屋を持ってはいない。父が母のために作らせた、あらゆる金と富をつぎ込んだ奥の間だ。  しかしこの荘厳な部屋はモモに安らぎを与えてはないだろう。それどころか苦痛の巣窟だ。どれほど高価なものを与えても、どれほどの人間が羨む部屋を与えても、モモの望む自由には程遠い。  自分よりも一回りも二回りも小さな子供の自由を奪い犯すエイダンの姿は、第三者から見ればさぞおぞましい光景に映るだろう。  けれどもここにはエイダンとモモしかいない。遮断された世界に二人きりだ。どんな狂乱の夜を過ごしても、止める野暮な輩はいない。モモは監禁され、この部屋からろくに出ることも許されぬまま、動かぬ足を抱えた状態でエイダンに死ぬまで愛される。エイダンの傍で、エイダンに抱かれ続ける。  こんなに幸せな事が、他にあるだろうか。 「あ……ァ、あす、てぃ……」  しかし、そんな幸せな世界はたった一言によって地に落とされた。エイダンの動きが止まった。 「許し、て……あすてぃ…ごめん、なさい……ごめ……」  エイダンを見ながら、怯えた顔でふるふると首を振るモモに湧き上がってくるのは汚泥のような昏い感情だ。エイダンの顔はアスティンによく似ている。アスティンをエイダンと間違えるのならまだしも、エイダンをアスティンと間違えることは許せない。  ここまでモモの身体を砕いても、モモの中からアスティンの存在が消えることはないのか。鋭い痛みは怒りに変わり、一瞬で弾けた。 「くそっ……!」 「……ぁッ、ぅ゛」  がっと力を込めて両の手のひらで細い首を締め上げ、ぎりぎりと徐々に力を込めてゆく。小さな顔はすぐに赤くなった。 「モモ……俺以外の男の名を口にするなと言っただろう」  身勝手な事を言っている自覚はある。けれども、もうモモの体はエイダンのものだ。他の何人たりとも、モモの心に居座るのは許せなかった。たとえ壊れた心であってもだ。  もうモモはエイダンのものにならないと、わかっているからこそ。  すっと手を放す。強い圧迫によってしっかりと痣になってしまった首が、過呼吸のように震える。せき込んだモモが虚ろな表情で顔をくしゃりと歪ませた。 「呼ぶなら俺の名を呼べ。エイダンだ、わかるだろう?」 「あ……あぁ……」 「エイダンだ。呼べ」  ぐん、と、より一層体重を乗せて奥を穿つ。 「やッ……!」 「呼べ、モモ」  虚ろだったモモの瞳が、一瞬だけエイダンを捉えた。 「俺がわかるか、モモ」 「ぁ……」 「エイダン、だ。お前をここに閉じ込め、お前を抱いているのはこの俺だ!」 「あッ……んぁ、え、いだん……!」 「そうだ、言え」 「……え、いだん……」 「もっとだ、呼べ」 「エイ、ダンッ……!」  カラカラに乾いた喉からしゃがれた声を懸命に出そうとするモモを見てもまだ怒りは収まらなかった。噛み付く勢いのまま小さな口を塞ぐ。 「エイ……ん、んふ……」  わずかな隙間から酸素を求めてモモが口を開けた。そこにすかさず舌をねじ込み、丹念に中を嬲る。  苦しそうにうねるモモの喉奥に、舌を深く差し込んでは緩く吸う。溢れ出てきたものを一滴も零さないように吸いあげる。 「ん、う……ぅん」  モモが身を捩った。たぶん無意識なのだろう。エイダンはそんなモモの身体を押さえつけたまま口を離し、再び腰を打ち付けた。先程よりももっと激しく。 「あっ、ぁあ……ぁあアァ……ッ!」  モモの嬌声に煽られる。腰を抱え直し、穿ちの感覚を狭め動きを細く狭める。ぱんっぱんっと肉が破裂するような音の隙間からモモのすすり泣きが聞こえた。その泣き声に煽られ、より一層激しくなる。  最後に、抜けてしまうほど浅い所まで引き抜き、固い欲望を奥まで侵入させ熱い飛沫をモモの最奥にぶちまける。一滴たりとも零さず注ぎつくすため腰を軽く揺すれば、放出の勢いに合わせてモモの体がぴくぴくと痙攣した。 「ひ……ぁあ、ああッ……」  もっと注いでほしいとばかりに収縮を繰り返す内壁に搾り取られる感覚に、酔う。呆然と天上を見上げるモモに覆いかぶさりながら、中に放った白濁を今だ萎えることのない肉棒でかき混ぜる。  同時にモモも絶頂に達したらしい。虚ろな目を泳がせたまま小さく痙攣し、三度目の白濁液を零すモモを見下ろす。  モモの腕がだらりと下がり、ベッドの端から落ちた。エイダンはモモの頬を包み込み、ガラスのように透明な黒を覗き込んだ。 「モモ……」  かつては光り輝いていたその瞳には、今は何も映っていない。  あるのは、どうしようもないほどの深淵だけだ。今モモを抱いているのがエイダンであるということさえ、モモは忘れかけているのかもしれない。  モモはもう、以前のモモではない。モモの生まれた世界のモモタハルキは消え、この国を光に満ち溢らせたハルキも、アスティンの愛したハルキも消えた。ここにいるのは正気を失い狂ったモモだ。  モモの心を破壊している最大の原因は、エイダンだ。  二人の関係は何も変わらない。エイダンがモモの側を離れない限り。  そして、どんなに壊れたとしてもモモがモモである限り、エイダンはモモを手放せない。 「モモ、好きだ」  啄むように、愛しいモモの頬に口づける。瞼に、鼻の頭に、そして薄く開いた唇に。モモはぼんやりとした表情のまま、一切抵抗することなくエイダンの唇を受け入れた。もうエイダンを拒むことさえ疲れてしまったのかもしれない。エイダンはモモをぎゅうと抱き締めた。 「愛してる──モモ」 「……おれ、も」  ぽつりと零されたモモの台詞に苦く笑う。初めの頃モモに強制的に言わせていたこの言葉を、モモは今でもオウムのように返して来る時がある。  それ以外の言葉には答えてはくれないくせに、それこそ正気を失っている時であってもだ。  モモはエイダンを愛してはいない。これ以上酷いことをされないように、エイダンの命令に従っているだけだ。そんなことわかり切っている。 「モモ、モモ……」  本当に愛しているのであれば自由にしてやれと人は言うのだろう。アスティンも叫んでいた、愛する人を苦しめて何が楽しいのだと。 「モモ……笑って、くれ」  モモが薄っすらを目を開け、ぴくりと頬を震わせた。しかしそれが笑みを形作ることはない。  エイダンとて決して楽しいわけではない。笑いもせず、日に日に衰弱していくモモを見て胸が潰れそうになることもある。こんな狂った男に愛され、家族の元へも還れなくなってしまったモモは、本当に哀れで不幸だとも思う。  こんな人形のようなモモを望んだわけではなかった。出会った頃のような太陽のような明るい笑顔でエイダンに笑いかけてほしかった。  それでも、誰よりも愛しい人を無理矢理手に入れた結果は、これだった。それでも手放すわけにはいかなかった。  モモにとってエイダンは不必要な存在だろう。けれどもエイダンが生きていくためにはモモの存在は必要不可欠だ。モモが死ねばエイダンは死ぬ。しかしモモが傍にいなければエイダンは生きていくことすら出来ない。  例え、モモの腕がエイダンを抱き締め返してくれることがなくとも。 「俺を見てくれ、モモ」  哀願する響きを含んだ自分の声を内心で嘲笑う。  アスティンを殺して自由を奪った。これでモモはエイダンのものになったはずだ。けれどもモモはエイダンを見てくれることはなかった。アスティンに心を空へと、持っていかれてしまったみたいに。 「俺を見てくれ、モモ──……」  モモからしてみれば、エイダンは非道な男なのだろう。世界を、自由を奪い、愛する者を殺し、無理矢理その身や心までも支配しようとする男。モモを壊してまで自分の物にしようとする身勝手極まりない男。  この世界に召喚されてしまったことを、きっと心の底から後悔していることだろう。  しかし、モモはわかっていない。エイダンはモモに狂ったどうしようもない男だが、その実、報われない恋に焦がれ続ける哀れな生き物にしか過ぎないことを。モモの前ではエイダンは王でもなく、ただの愚かな男なのだ。  嘘でもいいから好きになって欲しいと。  モモの心と体をがむしゃらに手折りながら、祈るように生きている。 「エイ、ダン……」 「ん……?」 「かなしい……ね」  はっと目を見開く。モモがじっとエイダンを見上げていた。しかしやはりその目はエイダンを見てはいない。懐かしい記憶を辿っているかのようだ。いつの頃を思い出しているだろうか、初めて喧嘩した日か、ともに国民の前に顔を出した時か、怖くて乗れないというモモを抱えて、共に乗馬をした時か、モモに教わったサッカーというやつをやってみたはいいものの、見事に足が絡まって転んだエイダンを指さしながら、モモが腹を抱えて笑っていたあの時か。  ぽつぽつと、エイダンの額から汗が落ちた。それはモモの眦に落ちつうとシーツへと沁み込んで行った。 「かなしい、ね……」  モモの小さな声に、エイダンはくしゃりと顔を歪め。  そうだな、とモモの首筋に顔を埋めた。

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