1 / 4
前編
強大な力を持つシェルード王国は、レインと言う名の若い王によって治められていた。
レインはまだ28歳という若さで、レインの最愛の王妃フェイシアはレインよりも年上の32歳だった。
そして、生まれたばかりの王子ルーク。
レインはフェイシアと王子ルークをそれはそれは大事にしていた。
レインでさえフェイシアの素性を詳しくは知らなかったが、それでもフェイシアを愛していた。
この幸せな生活が続けばいいと願わずにはいられない。
しかし、シェルード王国をこれ以上強大にはさせまいとする国も多く、王を始め王妃と王子も暗殺に警戒しなければならなかった。
レインは時々思い出す。
占い師が告げた言葉。
─王妃様は覇者の相を持っています。覇者の相を持つものは世界を動かす力を持つと言われています。王が若くしてこの国を治めていられるのも、おそらく覇者の相を持つ王妃様がいるからでしょう。しかし女でその相を持つ者は短命であるとも言われています。王妃様は近いうちに何らかの形で命を落とす事になるでしょう─
フェイシアが出産する前、占い師はレインにそう語った。
この世界では占い師の言葉は神の言葉とされる。
フェイシアが覇者の相を持っている事にも驚いたが、短命であると知って驚愕した。
覇者の相など、レインにとってはどうでもいい事だ。
フェイシアが生きていてくれるなら、そんなものはいらないと思った。
だが、どんなに嘆いたところで占いは当たるだろう。
それでもレインはいつか訪れる大きな悲しみを少しでも遠ざけたいと祈っていた。
しかし、覇者の相を巡って醜い争いが起きようとしている事は確かだった。
覇者の相は謎が多く解明もされていないが、世界中の権力者が欲してやまない力だ。
その相を持つ者は、嫌でも運命に翻弄されるだろう。
もちろんフェイシアも例外ではなかった。
そしてそのフェイシアは、自分の生まれ故郷から呼んだと言う17歳の少年を側仕えとしていつも側においていた。
フェイシアとどことなく似た瞳を持つ少年は、少年とは思えないくらい美しい容姿をしていた。
フェイシアはその少年─ルーシェを大事にしていた。
自分の息子にルーシェと似た名前を付けるほど。
そして、時としてレインがその関係を疑ってしまうほどに。
そんなある日。
フェイシアはようやく首の座った王子を抱き、ルーシェと共に城の中庭に出ていた。
中庭は手入れがしっかり行き届いており、美しい花や木が植えてあった。
「今日は良い天気ね」
椅子に腰掛け、フェイシアは空を見上げる。
その脇でルーシェも空を見上げた。
「本当に良い天気ですね」
「いつまでもこんな平和な日が続けばいいのにね」
フェイシアは王子をあやしながら、少し悲しそうにつぶやく。
平和が長く続かないという事は、フェイシアが一番良く知っていた。
それでも平和を願わずにはいられない。
「王妃様」
ルーシェは複雑な顔でフェイシアを見つめた。
フェイシアの痛ましい胸の内は、ルーシェにも良くわかっているのだ。
「あらルーシェ。2人の時はそんな他人行儀な呼び方はやめてちょうだい」
王妃様と呼ばれ、フェイシアは少し不満そうにルーシェを見る。
ルーシェの憂いを感じたのだろう。
「で、ですが、どこで誰が聞いているかもわかりませんし」
「私が貴方をこの城に呼んだのは何故か、わかっているのでしょう?」
「それは⋯⋯」
「いいのよ。2人きりの時は」
「⋯⋯」
フェイシアの優しい眼差しに、ルーシェは俯く。
そんなルーシェを見て微笑むと、フェイシアは立ち上がった。
ルーシェに近付き、その額に口付ける。
「お、王妃様っ」
ルーシェははっと顔をあげ、フェイシアを見た。
うろたえるルーシェを見て楽しそうに笑っている。
やがてルーシェも微笑んだ。
その様子を、塔の窓から見ている人物がいるとも知らず。
その人物は、数日後帰って来たレインにその事を告げた。
そしてレインはルーシェを執務室に呼んだ。
「家臣のひとりが、お前が王妃と親しげに顔を近づけて話し込んでいたと言うが、それは本当の事か?」
俯くルーシェに、厳しい口調で訊く。
ルーシェはためらいながらも、はっきりと頷いた。
「本当でございます。しかし、陛下が勘ぐるような事は何もございません」
「別に勘ぐってなどいない。ただお前は素性が知れないからな」
「⋯⋯」
ルーシェは言葉に詰まった。
フェイシアはルーシェの素性を誰にも話していない。
だから、ルーシェの口からも何も言えない。
「王妃がお前を側仕えにしたのだから俺は何も言えないが、用事がない時はあまり王妃に近付くな」
「⋯⋯はい」
レインにきつく言われ、ルーシェは仕方なく頷いた。
下手に口答えをして城を追い出されては、ルーシェは死ぬしかない。
王妃の側仕えであるというだけで幸せだったルーシェは、これ以上レインを刺激すまいと心に決めた。
「わかればいい。下がれ」
「失礼します」
ルーシェは執務室を出た。
フェイシアが廊下で待っていた。
「王妃様、何故ここに⋯⋯」
「私のせいで、あの人に何か言われたのでしょう」
「⋯⋯」
「私の部屋に来て」
フェイシアはルーシェを見つめると、そう言って歩き出した。
フェイシアはルーシェを部屋に入れると、決心したように話し出した。
「私の命はもう長くないわ。自分でわかるの」
フェイシアはそう言って悲しげに微笑む。
「!!」
「あの人が知っているかどうかは知らないけど、私は覇者の相を持つ者だと言われた事があるの。そして女でその相を持つ者は必ず短命であると。女では、覇者の相の力に耐えられないから短命なのだと言われているらしいわ」
「⋯⋯」
「予感がするのよ。私はきっと近いうちに何らかの形で命を落とすでしょう。もし私が死んだら、王子をお願い。そして、王の為に私の分まで生きてちょうだい」
「そんな、悲しい事をおっしゃらないで下さい⋯⋯」
ルーシェは今にも泣き出しそうだった。
フェイシアとどことなく似た青い瞳を曇らせて。
「さあ、もう行きなさい。あの人に気付かれるとまたうるさいから」
「⋯⋯はい」
ほどなく、フェイシアが言った言葉は本当になった。
レインが珍しく狩りに出かけた時だった。
フェイシアも、ルーシェと共に近くの湖まで出かけた。
湖のほとりには、レインが作らせた東屋がある。
石のテーブルと椅子があるだけの質素な建物だが、眺めは最高の場所だった。
「お昼はここで食べましょうか」
フェイシアは嬉しそうに椅子に座る。
その傍らにルーシェがいた。
平和に過ごしていた、その時だった。
護衛のひとりが2人に近付いた。
「どうしました?」
フェイシアはその護衛を見る。
見覚えのない顔だった。
「護衛の者ではありませんね。何者です」
フェイシアは男を睨んだ。
ルーシェも瞳に警戒の色を浮かべる。
遠巻きに立っているはずの他の護衛が見当たらない。
「あなたの存在が気に入らない人物から、暗殺を命じられて来た。抵抗しなければ苦しまずに死なせよう」
男はそう答えると、おもむろに剣を抜いた。
ルーシェはフェイシアを庇うように立つと、剣を抜いて構える。
「誰に頼まれたかは知りませんが、私を殺す事でこの国が傾くとでも思っていらっしゃるのかしら?」
「あなたを殺せと命じた人物は、ただ、あなたの存在が気に入らないだけだ」
男はそう言ってにやりと笑った。
ルーシェが動いた。
男の懐に飛び込む。
「王妃様っ、お逃げ下さいっ!」
ルーシェは男に必死でしがみついたまま叫んだ。
「ルーシェ!」
「邪魔だ、どけ!」
男はルーシェを振り払った。
ルーシェはそのまま地面に倒れ込む。
「何者だ!」
一足先に戻って来たレインの護衛が、男を見つけた。
男が一瞬うろたえる。
「くそっ」
「王妃様、今のうちに早くお逃げくださいっ」
ルーシェは再び男にしがみつきながら叫んだ。
「どけ!」
男はルーシェを突き飛ばすと、剣を振りかざす。
「ルーシェ!」
その瞬間、フェイシアがルーシェと男の間に滑り込んだ。
「ああっ!」
「王妃様!!」
ルーシェの叫びが虚しく響く。
逃げる男を、護衛が追って行った。
泣き崩れるルーシェと、血まみれで横たわるフェイシアだけが残る。
「王妃様、どうして、どうして僕を庇ったのです。僕は死んでも構わなかった⋯⋯」
「前に言ったでしょう⋯⋯私は近く死ぬ運命にあると⋯⋯」
「だけど、何故っ」
「このペンダントをあなたにあげるわ⋯⋯」
フェイシアは苦しそうにしゃべりながら、胸のペンダントを外した。
いつもフェイシアが身に着けている、銀の十字架だ。
中央にルーシェの瞳のような色の宝石がはめ込まれている。
ルーシェは震える手でそれを受け取った。
「王妃様⋯⋯っ」
「私の寝室、化粧台の引き出しに、王に宛てた手紙が入っています⋯⋯あなたから、王に渡して」
「王妃様、死なないで、どうか⋯⋯」
ルーシェの頬を涙が伝う。
「レインと、ルークをお願い、ね⋯⋯愛してるわ、ルーシェ」
フェイシアは目を細めて微笑むと、そのまま息絶えた。
「王妃様っ!!」
ルーシェは両手でその顔を覆うと、その場に崩れ落ちた。
そこに駆け付けたレインは目の前の光景を見て愕然とした。
血まみれで息絶えているフェイシアと、その傍らで涙を流し呆然とするルーシェ。
レインは言いようのない悲しみと絶望に打ちひしがれていた。
捕らえた刺客は何も言わず自害した。
護衛たちは皆、王妃がルーシェを庇って死んだと証言した。
レインはルーシェに対して怒りと憎しみを覚えた。
占い師に言われた時から覚悟はしていた事だが、こんな形で愛する者を失うとは思いもしなかった。
何故フェイシアは、このような素性の知れない少年を庇ったりしたのか。
それほどまでに、この同郷だという少年を愛していたのか。
王子に、ルーシェに似た名前を付けるほど。
そう思うと、ルーシェが憎くて憎くて頭がおかしくなりそうだった。
今すぐにでも自分の手で殺してやりたいと思った。
しかしレインは、ルーシェを処刑しなかった。
罪滅ぼしをさせる。
そう決めたのだ。
レインの私室に呼ばれたルーシェは、レインが何を考えているのか理解できなかった。
「どうしてです。どうして僕を処刑しないのです。ひと思いに殺してください」
ルーシェはレインを見つめる。
レインは一瞬だけ苦しそうな顔をしたが、すぐに憎悪に歪めてルーシェを睨んだ。
「お前を殺してもフェイシアは戻って来ない。俺の悲しみも癒えないだろう。簡単には死なせない」
端正な顔を歪めてそう言う。
レインの憎悪の眼差しを見て、ルーシェは自分の運命を悟った。
悲しみを癒すには、それに勝る何かが必要だ。
自分を憎む事で少しでも早く悲しみが癒えるなら。
自ら命を絶つのは容易い事だ。
しかしそれでは命を懸けて自分を助けてくれたフェイシアに申し訳が立たない。
死を望んではいけない。
生きて、罪を償わなければ。
「陛下のお気が済むのなら、どんな目にでも遭いましょう」
ルーシェは拷問を覚悟した。
「お前はフェイシアに似て意志の強い目をしている。痛みを与えたところで、結局最後まで耐え抜くのだろう」
「それではどうすれば⋯⋯?」
「楽には死なせない」
レインは、ルーシェを城の地下にある王族用の牢に入れた。
王族用の牢屋は地下だけでなく、敷地内の塔もある。
しかしレインは、塔ではなく地下にルーシェを幽閉した。
光も差さず、湿った空気が澱んでいて衛生的とは言えない場所だ。
塔への幽閉は終身刑のようなものだが、地下牢は主に死罪の決まった王族を収容するために作られたもので、衛生面以外でもとても快適に過ごせる環境ではない。
ルーシェは奴隷が着るような簡素な服に着替えさせられ、薄暗い牢屋の中に入れられていた。
そして身の回りの世話には一人の侍女が付き、世話はその侍女が全て行う事になった。
侍女はルーシェがフェイシアの側仕えになる前からフェイシアに付いており、名前はリーリアと言った。
年の頃はルーシェとそう変わらないか、少し上くらいだろう。
レインは1日に1度程度、牢屋からルーシェを連れ出して自室に連れて行くと、伽を命じていた。
最初のうちはルーシェも抵抗していたが、やがて諦めたように抵抗をやめた。
リーリアは、牢屋に戻された途端に倒れ込むルーシェを支え、ベッドに寝かせた。
リーリアの手には、フェイシアがレインに宛てた手紙が握られている。
まだ封は開けられていない。
「リーリア、それは」
「すみません。見つけてしまいました」
ルーシェが城内で私室として使っていた質素な部屋で、リーリアはその手紙を見つけていた。
ベッドの下に、隠すように入れられていた手紙だ。
レインもまだこの手紙の存在は知らない。
知っているのはルーシェと、これを見つけたリーリアだけだ。
「⋯⋯その手紙の事は他言無用にしてほしいんだ」
「どうして、どうしてです?何故この手紙を王に見せないのです」
リーリアは詰め寄った。
フェイシアがルーシェを大事にしていたように、リーリアもルーシェの事を大事に思っているのだ。
「その手紙を読んだら、陛下はきっと悲しみから立ち直れない」
「何故です?」
「それを読んだら、陛下は僕を憎めなくなるかも知れない。最愛の妻を死なせた僕を、逆に愛さねばならなくなるかも知れないんだ」
「⋯⋯」
リーリアは何も言えなかった。
一体、この手紙に何が書かれていると言うのか。
ルーシェは何故そんな事をしてまで王の憎しみを受け止めるのか。
「僕を憎めば、きっと陛下は早く悲しみから立ち直れる。僕を憎む事で少しでも早く悲しみから立ち直れるのなら、僕は喜んで憎まれる。僕はそのために生きると決めたんだ」
「どうしてそこまでするのです?これではいつか死んでしまいます⋯⋯」
「いいんだよ。王妃様に言われたんだ。レインをよろしくって。陛下の悲しみが癒えるなら、僕はどんな目に遭ってもいいんだ」
泣きそうな顔のリーリアに、ルーシェは力無く笑った。
王妃様の願いはきっとそういう事ではないと言いたかったが、何も言えずにルーシェを見つめる。
ルーシェはゆっくり目を閉じると、そのまま深い眠りについた。
その後もレインは毎晩ルーシェに伽を命じた。
罪人に与えられるような粗末な食事では栄養も足りず、ルーシェは段々と弱っていった。
「ルーシェ様。もう陛下にその手紙を見せましょう。これ以上ルーシェ様が傷つくのは耐えられません」
リーリアは日に日に弱って行くルーシェを見かねてそう言う。
しかしルーシェは首を振った。
「いいんだよ。陛下は憎みたいだけ僕を憎めばいい」
「ですがルーシェ様。私はあなたが心配なのです」
「ありがとう。でもいいんだ。王子が大きくなれば陛下の悲しみも癒されるだろう。それまでは僕への憎しみを糧に生きてくださればいい」
そう言って微笑むルーシェを見て、リーリアは涙をこぼす。
フェイシアがルーシェを愛していた事は知っている。
しかし、手紙の内容を知らないリーリアには、何故命を捨てて守るほど大事にしていたのかはわからない。
フェイシアとルーシェがどういう関係なのか、本人たち以外に誰も知らないのだ。
だがそうしてでもルーシェを死なせてはいけなかったのだろうと思った。
ルーシェには、それだけの「何か」があるのだと。
リーリアは医者を呼ぶ事にした。
地下牢に置かれた粗末なベッドで深い眠りにつくルーシェを診た医者は眉をしかめた。
「陛下がこのような事を?」
医者は信じられないとでも言うようにリーリアを見る。
リーリアは何も言わずただ頷いた。
ルーシェの体には殴られたような痣もあった。
そしてレインを受け入れている場所は、裂傷こそないものの、爛れて赤く腫れている。
「何故こんなひどい事を⋯⋯」
「陛下は、王妃様を死なせたルーシェ様を憎んでおいでです」
「王妃様が死んだのはルーシェ殿のせいではないと聞いたぞ」
「そうです。しかし陛下は王妃様に愛されていたルーシェ様を、あまり良く思っていなかったのでしょう。それが王妃様の死⋯⋯ルーシェ様を庇って亡くなった事でこのような形で爆発してしまったのだと思います」
リーリアが言うと医者は黙り込んだ。
たとえこの医者が何を言っても、レインは聞き入れないだろう。
「ここに薬を置いて行くから、その⋯⋯行為が終わった後につけるように。私もできるだけ力になろう。何かあったらすぐに呼びなさい」
「ありがとうございます」
医者はリーリアに言うと、そのまま地下牢を出て行った。
リーリアは深い眠りにつくルーシェを見つめた。
前々から思っていたが、意志の強そうな眼差しはどことなく王妃に似ていた。
顔立ちはため息が出るくらいに整っている。
日焼けしていない白い肌も、子供のようにきめが細かく滑らかだった。
自分だったら、こんな美しい人間を傷つけるなんてできない。
リーリアは、憎しみに任せてこんな事をする王が憎かった。
レインは複雑な感情に襲われていた。
ひと思いに殺してくれと言われた時、憎しみと同時に言いようのない感情を覚えた。
それがどんな感情なのかはわからない。
ベッドの上で苦痛に耐えるルーシェを見て、何故か罪悪感を感じた。
何故だ。
ルーシェは自分の最愛の妻を死なせた憎い人間なのに、何故自分が罪悪感に苛まれなければならないのだ?
どんなに悩んでも答えは出なかった。
いつもいらいらするようになって政務もままならないレインに、後妻を娶る話しが来た。
大臣のひとりが提案し、その大臣の紹介でやって来たのはある小国の王女ディーネ。
フェイシアを迎えるよりも前からずっとレインに縁談を持ちかけてきていたのだが、レインはいつも断っていた。
今回は断る理由も思いつかず、レインは仕方なく娶る事にした。
年は22歳。
王族としては行き遅れの年齢であるため、何か訳ありであるのは明白だ。
フェイシアとは全く雰囲気の違う、きつい感じの女性だった。
レインはもう結婚などする気はなかったが、体裁を取るため、ディーネを後妻に迎える事にした。
しかし新しい妃が来ても、レインはルーシェに対する行為をやめなかった。
レインにとってフェイシア以外の女性を愛するなどもう無理だったのだ。
だが当のディーネがそれで満足する訳がない。
ある日ディーネはレインの私室に足を運んだ。
「レイン様。どうしてあのルーシェという者を処刑なさらないのですか?」
ディーネは単刀直入にそう言う。
「お前には関係のない事だ」
レインは椅子に腰掛けたままディーネを見つめた。
その表情は冷たく、瞳に愛情はなかった。
「ですが、あの者を見るたびに悲しみが蘇るのではないですか?」
「何が言いたい?」
「前妃を死なせたあの者を見ると、かえってその悲しみを思い出すのではないかと申しているのです。もしそうならば、あの者を早く処刑すべきです」
「⋯⋯」
確かにディーネの言う通りだった。
ルーシェを見るたびに悲しみが蘇る。
しかしそれだけではなかった。
ルーシェに妻の面影がよぎって見える事があるのだ。
それがレインの憎しみをより強くし、逆に悲しみを乗り越える事ができそうな気がしていた。
ルーシェに憎しみをぶつける事で悲しみが癒えるような気がするのだ。
「あなたが手を下せないのなら、私がやって差し上げましょうか?これでも色々と汚れた事に手を染めていますから、あの者を殺すくらい、訳ない事です」
ディーネは不敵な笑みを浮かべてレインを見つめた。
国を潰さない為に色々とやって来たのだろう。
誰かを暗殺させたりというのは日常だったのかも知れない。
「お前には関係ない事だ。口出しするな」
レインはディーネを睨んだ。
しかしディーネはひるんだ様子もなく笑みを浮かべている。
「口出しはやめましょう。その代わり、私はあなたの子供を生みとうございます」
「俺にはもう子供はいる。王位継承権で揉めるのはご免だからな。子供はもういらない」
レインは冷たい表情でディーネを見る。
ディーネは少し悔しそうな顔をしたが、すぐに笑みを取り戻した。
「そうですか⋯⋯」
何かを考えるような仕草をする。
レインはどうしてもディーネを好きになれそうになかった。
フェイシアとは違い、どこか腹黒い感じがするのだ。
何かを企んでいるような眼差しも気に入らない。
今回の事がなければ妃に迎える事などなかっただろう。
「他に用がないなら出て行ってくれ」
レインはそう言うとディーネの顔も見ずに告げる。
ディーネは唇を噛んでいたが、何も言わず部屋を出て行った。
「邪魔な者はみんな殺してしまえばいいのよ⋯⋯」
自分の部屋となった前妃の寝室で、ディーネはひとりつぶやいていた。
ここに来る時にディーネは自分の腹心を数人連れて来ていた。
ディーネの命令ならば何でも聞く者たちだ。
もちろんディーネが殺せと命じれば、必ず殺してくれるだろう。
ディーネは不敵な笑みを浮かべると、侍女を呼んで入浴する事にした。
やがて、国をあげて婚礼の儀式が執り行われた。
レインとディーネ。
そしてレインの腕にはルークが抱かれている。
人々はレインとディーネの結婚にはそれほど肯定的ではなかったが、フェイシアとの間に生まれた王子を初めて見て歓声をあげた。
フェイシアが亡くなった事は公示されたが、ルーシェを庇って命を落とした事は公にはされていない。
レインの婚礼というより、王子のお披露目の色が強い式となった。
もちろんそれがレインの考えだった。
形だけの嫁取りである事は城の人間だけでなく国民もわかっている事だ。
しかし、ディーネはそれが不満だった。
ともだちにシェアしよう!