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第65話
篤郎の視線を追った源が、ああ・・・・・・と呟いた。その瞳が篤郎と同じものを目にし、何かを思うように細められる。
「あー、だめだ! 限界! 寒すぎる! あつはなんでそんな平気なんだ?」
とうとう寒さに耐えきれなくなった源がギブアップする。ポケットから手を出して、ぐりぐりと篤郎の頬を撫でまわしながら恨めしそうに、「ほらー、あつの頬もすっかり冷たい。氷みたい」と言うから、篤郎は堪えきれずに笑ってしまった。
「わかった、わかった。わかったから、子ども扱いすんなって。何かあったかいものでも食べて帰ろ」
あー、寒い寒いと源が前をゆく。篤郎は背後の海を振り返った。
遠い昔、この世界はたくさんの色であふれていることを教えてくれたのは源だった。源の手から生み出されるさまざまな色やかたちは命を持ち、幼い篤郎の目にはまるで魔法のように見えた。
あの日、源が隣の家に越してきたとき、子どもは面倒だから嫌いだと言い放った男の何がそんなに気になったのかわからない。決して手の届かない月に手を伸ばすように、ずっと自分の片思いだと思っていたし、この想いが叶うことがあるなんて思わなかった。それでも紆余曲折あっていま源とこうなれたことを、篤郎は驚きを持って奇跡みたいだと思う。
幼い篤郎を魅了した絵にタイトルはない。その理由を知ったとき、篤郎は傷ついた源の心を思い、胸が引き絞られるように痛んだ。
一年前、その絵に並べられるようにして発表された絵には、「暁」とタイトルがつけられた。ちょうど今朝の景色のように、美しい朝焼けの海を描いた絵は、少し前に海外で賞を取り、大きな話題を集めた。何でもその賞を同じ作家が二度取ったことは史上初なのだという。明るい希望に満ちあふれたその絵を初めて目にしたとき、胸に込み上げた感動を、篤郎はいまでも忘れることができない。
できることならば、もう二度とあんな昏い目をした源は見たくない。
そのとき、篤郎の視線を感じた源が振り返った。
「あつ、いま何か言ったか?」
何でもないよと笑って、篤郎は源に駆け寄った。
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