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第64話
「どうしてわざわざいきたい場所が海なんだ?」
受験が終わったからどこかいきたい場所はあるかと訊ねられ、思いついたのが海だった。それも夜明けの海が見たかった。砂浜にはほとんど人の気配はなく、時折犬を散歩に連れている人に行き交うくらいだ。
「だから源は家で待ってればいいって言ったのに」
吹き荒ぶ風に髪や服を煽られながら、両手をコートのポケットに突っ込み、襟元に顔を埋める源に、篤郎が呆れたように告げると、源はむっとしたように顔をしかめた。
「別に嫌なんて言ってないし、こんな寒さなんでもない」
大きな身体をさっきから亀のように縮めて震えているくせに、ちっとも素直じゃない。吹き出した篤郎に、源はへそを曲げてしまった。
「どーせ俺はオッサンですよ。あつと違って、ちっとも若々しくないし、かわいくもないし、悲しいことに年々油断をしたらすぐに腹も出てくるし、多少自慢ができることと言ったら、人よりも上手に絵が描けることとセックスくらいで、この間だってあつが何度もアンアン言っているのがかわいくて、しまいにはしつこいと怒鳴られた悲しいオッサンですよ……」
「わーわーわー!」
段々話がおかしな方向にずれてきそうで、篤郎は慌てて源の口を塞いだ。
「だからそれはごめんて謝っただろ!」
真っ赤な顔で睨みつければ、源はにやにやと人の悪い笑みを浮かべている。まんまと源に乗せられたことに気がつき、篤郎はムカッとした。源のコートの前をぐいっと引き寄せる。バランスを崩し、その場でたたらを践んだ源の唇に素早くキスをした。篤郎は身体を離すと、源を挑戦的に見据えたままぺろっと唇を舐めた。目をまん丸くさせて驚く源の頬がじわっと染まる。
「あ、あつ……っ!? そんな真似、いったいどこで覚えてきた!?」
珍しく動揺した素振りを見せる源がおかしくて、篤郎はにやにやした。
ふと視線を向ければ、朝焼けに染まりつつある空から、太陽の光がキラキラと水面に光の道を作っていた。
「……源の絵みたいだ」
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