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第一章

「舐めろ」  豪奢なソファで悠々とくつろぎながら、サフィヤは目の前に跪くユージーンを見下ろした。  孔雀の刺繍のクッションにもたれ、ゆったりと足を開く。冷たい青い瞳に意地の悪い笑みを浮かべるサフィヤの前で、ユージーンはただ顔を伏せた。 「言うことが聞けないのか?」 「…………」  ユージーンは諦めたようにサフィヤの足元へいざり寄り、膝の間に顔を埋めた。服の合わせを開き、そこへ震える舌を伸ばす。  奴隷の身に、選択の余地はない。 「……ふッ」  サフィヤは小さく息を吐き出した。 どこかあどけない桃色の、すべすべしたサフィヤの性器は、ユージーンの舌が触れるとぴくりと震えた。根元の柔らかい肉球を掌で丁寧に包み、ユージーンはしっとり熱く肉厚な舌で、半ば屹立したその形をなぞるように、ゆっくり上へ舐め上げる。 「……はぁッ、」  サフィヤの吐息に応えるように、ユージーンはどこかもの言いたげな唇を開き、熟れた果実のような先端を口に含んだ。 「ン……っ!」  思わず漏れた声を、サフィヤは慌てて飲み込んだ。頬を染めてユージーンを見下ろせば、頭に巻いたヒジェガからのぞく、黒い巻き毛が目に入る。サフィヤは少し身体を起こし、無造作に手を伸ばした。 「――――!!」  ヒジェガのたっぷりした布を鷲掴みで剥ぎ取られ、ユージーンは慌てて上体を起こして頭に手をやった。豊かな黒髪が波打ち、広い肩に乱れ落ちている。 ヒジェガは成人男子の証しとして、日中は必ず頭部にまとっていなければならない。それを剥ぎ取る行為はその昔、決闘の申し込みを意味した。現代社会においてそのようなことはないが、ひどい侮蔑であるには変わりない。  誇りを傷つけるような奉仕を強いられた上での、さらなる辱め。ユージーンの瞳に怒りの炎が燃え上がる。その瞳もまた髪と同じ、闇夜のような漆黒だ。 「なんだ、その目は!」  サフィヤは癇癪を起こし、頬を紅潮させた。 「跪け!」  二十歳にもなるというのに、その口調は我儘な子供のままだ。  高名な石油王として多忙な父親からは、何不自由ない豪邸での暮らしと、いいなりになる家庭教師、つまりは無関心を。顔も覚えていない母親からは、王族の血を引くというプライドと、驕慢を。それが幼い頃から愛情や躾の代わりに、この傲慢な御曹司、サフィヤに与えられたものだった。  ユージーンは言われた通り跪く。大人しい犬のように顔を伏せるが、その瞳は決して屈していないと、サフィヤには分かる。黒髪を乱暴に掴んで後ろに引くと、自然、ユージーンは天を仰ぐような格好になった。  伸び上がった琥珀色の喉元は男らしい曲線を描き、ナツメヤシの幹のように艶やかで滑らかだ。対照的に、黒髪に絡むサフィヤの指は細く、真珠のように白い。小麦のように頼りない金髪も、ユージーンの美しい黒髪に比べてひどく貧弱に見えた。欧州から嫁いできたという、母方の祖母の血が色濃く表れているせいで、サフィヤの容貌はこの国では少々異質なものだった。 「……ッ!」  サフィヤがユージーンを床に振り捨てると、 ユージーンは唇の端を切ったらしく、滲む血を手の甲で拭った。 「おいおい、可哀想だろ、そんなことしちゃ。自分の奴隷は大事にしなきゃ」  向かいに座る、遊び仲間のイルハムが、いかにも軽薄な口調で言った。  片腕に最近買った美少年奴隷を抱え、先ほどからサフィヤが内心辟易するほどの、淫猥な遊戯に耽っている。その様はまさに絵に描いたような放蕩者だ。 「生意気だからだ」  サフィヤはムキになって言い返した。 「奴隷にしちゃ、綺麗な髪だよな……」  イルハムは美少年を愛撫しつつ、ちらりとユージーンを見やる。 「なあ、俺にも遊ばせろよ。代わりにこいつを貸してやるからさ」  イルハムは美少年奴隷の背中を押した。 「だめだ」  サフィヤはイルハムを睨む。 「ユージーンは俺の奴隷だ」 「ケチだな」  イルハムは気楽な口調で呟き、奴隷が口元に運ぶ果物を食んだ。サフィヤはなんとなく見下された気がして、不機嫌に眉をひそめる。  イルハムへの対抗心から放蕩の真似事をしてみても、イルハムほど思いきった遊び人にはなりきれない。そんな自分を見透かされ、揶揄されているように思えた。 (イルハムは僕に対して少し図々しいな。従兄弟のよしみで、こうして対等につき合ってやっているのに)  イルハムは成り上がりである父方の従兄弟で、あまり血筋が良くない。母方に王家の血を持つサフィヤとしては、自分を格上として扱うべきだと、一言注意してやろうと思った。  その時、部屋にノックの音が響いた。 「坊ちゃま。緊急の知らせがございます」  扉の向こうの声は、サフィヤの家に長年仕える老執事のものだ。 「なんだ。入れ」 「失礼します」  執事は緊張した面持ちで部屋に入ってきた。 「坊ちゃま。原油価格が大暴落しています。先ほどニューヨークの原油先物市場で、史上最安値をつけました」 「……え?」  サフィヤは、ぽかんと口を開けた。  それは、お楽しみを邪魔してまで伝えるべき重要な知らせなのか。それすらサフィヤには分からなかった。家業の石油ビジネスはサフィヤの父が経営管理していて、サフィヤは日々遊び暮らしているだけなのだ。 「そ、そういうことは父上に……」  しどろもどろで言いかけたサフィヤは、途中で思わず言葉を切った。いつも冷静沈着で、何があっても動揺を表に出したことのない執事が、眉根を寄せている。  執事は重苦しい口調でサフィヤに告げた。 「……旦那様はショックで心臓発作を起こされ、先ほどお亡くなりになりました」    高齢で心臓が弱っていたサフィヤの父は、一人息子を残してあっさりと逝ってしまった。  所有会社は全て負債を抱えて倒産、または整理、売却され、サフィヤは大富豪の御曹司から一夜にして一転、路頭に迷う身となった。怒濤のような混乱の中で、サフィヤには、どうにか父の葬儀を行うだけで手一杯だった。  寂しい葬儀だった。  参列者のほとんどは事業の関係者で、親族では唯一、叔父の一家からイルハムが代表で列席したくらいだ。サフィヤの母は早くに亡くなったので、そちらの親族とはつき合いが途絶えているし、父の他の妻たちも既に鬼籍に入っている。  富豪の子息に取り入ろうと、かつてあれほど頻繁にサフィヤの元を訪れていた者たちも、どこかへ姿を消してしまった。  サフィヤは父とあまり愛情深い関係でなかったことを、ありがたいと思った。もしそうだったら、もっと悲しみが深かったに違いない。葬儀の間中、サフィヤは父の死に実感が湧かないまま、ぼんやりと人々を眺めていた。  そして埋葬が終わると、サフィヤは債権者たちの手で、とある秘密クラブへ連れてゆかれた。そこでは夜ごと、表向き「人材オークション」と銘打たれたショーが行われている。  現代に残る奴隷制度、人身売買のオークション。そういったことが半ば公然と行われているこの国で、資産を失った人間の行く末は、一つしかない。 「…………」  オークション会場では舞台に司会が登場し、盛大な拍手喝采と共に、いよいよショーが始まった。サフィヤは舞台袖の粗末な椅子にかけ、出品の出番を待っている。  これから運命が決まる。肉体労働者として、劣悪な環境で死ぬまで働かされるのか。良くても召使い、最悪の場合は――、変態の慰み者だ。自分の行く末を想像し、サフィヤはごくりと唾を呑んだ。  サフィヤは小柄で、体つきも逞しいとはいえない。してみると、肉体労働用の奴隷という線は薄そうだ。見目の良い召使い、または性奴隷として見い出される方が、大いにあり得るだろう。珍しい金髪碧眼の奴隷は、さぞかし金持ちの虚栄心を満足させるに違いない。  舞台の上で司会が出品番号を読み上げた。サフィヤが首に提げた札に記された番号だ。ハッとして顔を上げると、仏頂面の係員が腕を引く。しかしサフィヤはその手を振り払い、毅然と立ち上がった。 「下賤の者に手を引かれるまでもない」  舞台に向かうサフィヤの背後で、係の男は小馬鹿にした笑みを浮かべて見送った。    その出品は大いに沸いた。大勢のオークション参加者が次々と挙手し、落札額は見る間に膨れ上がってゆく。次第に一人、また一人と落伍者が増えていった。悔しげな顔が未練がましく、舞台上のサフィヤを見つめている。  やがて、最後に残る二人の一騎打ちとなった。一人は、紳士的な雰囲気の壮年の男。そしていま一人は――、変態趣味で有名な、とある大富豪だった。有り余る財で肥え太ったその男は、サフィヤを眺めて好色な舌なめずりをした。サフィヤの背に寒気が走る。サフィヤはもう一人の男に、どうか競り勝ってくれ、と胸の中で祈った。  しかしその祈りも虚しく、肥えた大富豪が大台の値をつけると、紳士は司会に向かって肩をすくめて断念の意を示した。会場が沸く。 「あ……」  サフィヤは唇を噛んだ。 「さあ、他の方は? 次いつ手に入るか分からないこの逸材、お見逃しとあらば――」  司会が参加者を煽る。人を珍獣か何かのように、とサフィヤはその男を睨んだ。 「いらっしゃいませんか? では――」  サフィヤが目を閉じたその時、会場に朗々とした声が響いた。声は現在値の倍額を告げている。 「おおっ!」 「なんと!」  観客の間にどよめきが沸き起こった。  人々は首を回し、その豪気な富豪が何者か確かめようとした。しかし声は舞台横上部、美しい天幕に覆われた、VIP用の桟敷席からのものだった。人々は諦めて、代わりにサフィヤをじろじろと値踏みした。 「なんと、一気に倍額ですが、他の方――」  太った富豪は腹立たしげにVIP席を睨む。名残惜しげな目つきでサフィヤに一瞥をくれたが、やがて分厚い唇を噛み、諸手を挙げた。 「おめでとうございます!」  司会は桟敷席を見上げ派手に鐘を鳴らした。  扉の向こうで、足音が止まる。 「さあ、いらしたぞ」 手続きが済むまで控え室で待たされていたサフィヤは、係員の声に漫然と顔を上げた。 「お前のご主人さまだ」  係員はサフィヤの腕を乱暴に掴んで椅子から立たせた。しかし咄嗟に舌打ちし、手を緩める。「高級品」に傷でもつけたら大事だ。  己の運命を握ったのはどんな男か。サフィヤは静かに開く扉を凝視した。  ゆったりした民族衣装ガラドゥーシャの、白い裾が翻る。そして――、 「な……っ!?」  現れたのは、よく見知った顔だった。 「ユージーン……?」  高級な布地のガラドゥーシャに身を包み、奴隷のユージーンがそこに立っていた。 「お、お前が!? 一体どうして……」 「ご主人さま、と呼んでもらおう」  背の高いユージーンはサフィヤの前に立ち、自信に満ちた表情で、青い瞳を見下ろした。 「原油先物に売りを入れたところで、運良く大暴落してくれたんでな」 ユージーンはニヤリと笑った。 「さ、先物取引!? お前のような奴隷が!?」 「奴隷にだって頭はあるさ」  ユージーンは言った。 (それに……、心も)  ユージーンは唖然とするサフィヤに、きっぱりと言い渡した。 「今日から俺が主人で、お前は奴隷だ」  五年前。サフィヤに初めて会った日のことを、ユージーンはずっと忘れられずにいる。  砂漠で暮らす遊牧民に生まれたユージーンは、両親と共に、昔ながらの慎ましい暮らしをしていた。ところが五年前、ユージーンが十八歳の時、両親が相次いで病に倒れた。ユージーンの兄や姉たちは既にそれぞれの家庭があり、暮らし向きも楽とはいえない。そこで兄姉は皆で相談し、治療費のため両親の山羊を売った。遊牧民にとって山羊は大切な生活手段だが、他に仕方がなかった。  だが治療のかいもなく、両親は立て続けに息を引き取った。残されたユージーンは、兄たちの世話になる歳でもないし、働きに出て自分の山羊を買うことにした。しかし、勤め先の斡旋を頼んだ男がまずかった。悪徳バイヤーに騙されたユージーンは、奴隷として売られてしまったのだった。  そしてユージーンは、サフィヤに出会った。  サフィヤは眩い黄金の髪と空のように青い瞳を持つ、十五歳の少年だった。生まれ育った砂漠からろくに出たこともないユージーンは、初めて見る異国風の少年に、一瞬で心を奪われた。美しい、と思った。こんなに美しい少年を見たことがない、と思った。華奢な体つきも、生意気な喋り方も、全てが愛らしいと思った。我を忘れてただ見とれ、両親を失った悲しみすら一瞬忘れてしまったことを、後でユージーンは申し訳なく思ったものだ。  実際のところ、その美しい姿に宿るのは、我儘で傲慢な心だと知るのに長い時間はかからなかった。しかし生まれたばかりの未熟な恋心は少しも損なわれることなく、むしろ日に日に大きく育っていった。ひどい扱いをされても、ユージーンにはかえってその分だけ深く、サフィヤと関わっていられる気がした。  だがいくら焦がれても、奴隷の身では決して手に入れることはできない。つのる想いの苦しみから逃れるように、ユージーンは仕事の合間を縫って、屋敷にある本を片っ端から読み漁るようになった。生来、好奇心旺盛なたちだったが、故郷の砂漠では学ぶ術もなかった。だがここに来て、その機会を得たのだ。  夢中で知識を吸収している間は、辛い恋のことも忘れていられた。やがて経済に興味を持つようになったのは、砂漠では知らずにいた、貧富の差を目の当たりにしたからだろう。軽い気持ちで僅かな給金から始めた投資だったが、元々センスがあったのか、少しずつ蓄えを増やしていった。そして、原油先物の売りポジションに大きくふった資金が、ユージーンの運命を変えた。未曾有の原油価格大暴落により大金を手にしたユージーンは、その金でまず、サフィヤを手に入れた。 「こちらへ」  老執事ハーリドは相変わらず眉一つ動かさず、サフィヤの前に立って歩いた。サフィヤは複雑な想いで、見慣れた廊下をついてゆく。つい先日まで我が家だった屋敷だ。 「競売に出たものを、ユージーンさまが調度など含めてそのままお求めになったのです」  ハーリドは、サフィヤの心を見透かしたように説明した。 「……他の召使いたちは?」  サフィヤは辺りを見回した。廊下は人気がなく、屋敷は静まり返っている。 「ユージーンさまのお心遣いで、ほとんどの者は故郷へ帰りました」  新たな主人に仕えることを望んだ数人を除き、みな充分な手当を貰って辞去したという。 「ユージーンさまは、静かな暮らしを望んでおられるそうです」  そう言って、ハーリドはサフィヤに目線をくれた。主家の子息が新入りの奴隷に様変わりしたというのに、戸惑う様子が少しもない。 (何を考えているのか分からない男だ)  サフィヤは心中で呟いた。  老執事ハーリドは、サフィヤが物心つく頃には既にこの家の執事だった。だが長年見知っているにも関わらず、サフィヤはどこかこの男に、得体の知れないものを感じていた。  廊下の端までゆき、ハーリドは足を止めた。そこは浴場だ。 「湯浴みを済ませてユージーンさまのお部屋へ。あまりお待たせしないように」  意味ありげなハーリドの言葉に、サフィヤの頬が火照る。だが使用人ごときに動揺を見せるなど、自尊心が許さない。サフィヤは返事もせずに浴場へ入り、扉を閉めた。 「…………」  風呂に入ってから部屋へ来いとは、つまりそういうことなのだろう。今はともかく、元々は奴隷のユージーンごときに慰み者にされるのかと、サフィヤは唇を噛んだ。 (なんとか逃げられないだろうか?)  だが屋敷の周りは防犯のために高い鉄柵で囲まれていて、乗り越えるのは不可能だ。かといって門をこじ開ければ、警報装置に引っかかる。元々自分の家だけに、サフィヤは警備システムの厳しさをよく知っていた。 「無理か……」  サフィヤは肩を落とした。  浴室内を見回すと、ともかくシャワーを浴びたくなった。あの店に連れてゆかれ、昨日から風呂に入っていない。身体が汗と埃にまみれて不快だった。すっきりすればいい考えも浮かぶかもしれない、と思ったサフィヤは、ひとまず入浴を済ませることにした。 「ええ、と……」  サフィヤは服を脱ぎ、ずらりと並んだブラシや瓶などを一つずつ手に取って首を傾げた。 (どう……、するんだったか?)  一人で入浴するのは初めてだ。いつもは――、今までは、脱ぎ捨てた服をメイドたちが下げ、奴隷たちも万事心得ているので任せておけば良かった。 「ええと、確か、こう」  記憶をたぐりつつシャワーを浴び、見よう見まねでブラシやタオルを使って身体を洗う。髪にシャンプーをのせようとすると、取りすぎたのか、泡だらけになってしまった。 「う、ぷっ」  泡と格闘していると、扉の開く音がした。 「?」  目の周りの泡を拭って見れば、ユージーンがそこに立っている。 「な! 何をしに来……」  一歩踏み出した瞬間――、泡だらけのタイル張りの床で、足が滑った。 「あっ!」 「――!」  背中から勢いよく床に打ちつけられる寸前で、逞しい腕にしっかりと身体を包まれる。 「気をつけろ! 危ないだろう!」 「なっ、なんだその口のきき方は!」  腕を振り払おうとして、サフィヤは思わずハッとした。何年も側にいたユージーンの腕が、こんなにしなやかな筋肉に覆われていたのだと、初めて気づく。 「は、放せっ……」 「生意気な奴隷だな」  ユージーンはニヤリと笑った。片方の手でサフィヤの顎を捕らえ、くいと上を向かせる。 「遅いから様子を見に来たが……。お前のせいで、服が濡れてしまった」  ユージーンはサフィヤを放し、両腕を上げてみせた。サフィヤを抱きとめたおかげで、着ている部屋着はずぶ濡れだ。 「まあいい。ついでだし、お前に初仕事をさせてやろう」 「なっ!」  ユージーンは服を脱がせろと身振りで示す。 「…………!」 「何してる。早くしろ」 「だ、誰が! 貴様、いい気になるなよ!」 「自分の立場が理解できていないようだな」  ユージーンは静かに言った。 「俺はお前を買った。お前があの変態の餌食にならずに済んだのは、誰のおかげだ?」  サフィヤは言葉に詰まってしまった。 「分かったら、自分の役割を果たせ」  ユージーンはくるりと背を向け、肩をいからせて催促した。サフィヤが仕方なく服に手をかけると、仕立ての良い服は肩からするりと滑らかに落ちる。陽に焼けた背中と引き締まった尻が露わになり、サフィヤは思わず見とれた。今まで奴隷の身体など気にも留めなかったが、こうして見ると、ユージーンの身体は彫刻のように均整が取れている。  その彫刻を台座に置くように、ユージーンは大理石の腰かけに座った。 「身体を洗え」 「……くっ」  笑みを浮かべるユージーンに歯噛みしつつ、サフィヤは渋々とタオルを手に取った。これまで自分がされてきたように、ユージーンの背後に回り、覚束ない手つきで背中を洗う。 「もっとしっかり洗え」 「わ、分かっている!」  サフィヤは背から首筋、肩、腕と順番に洗っていった。もたもたと手際が悪いが、ユージーンはじっと目を閉じ、静かに座っている。一通り洗い終えると、サフィヤは心なしか得意気に背を伸ばして仕事の成果を眺めた。 「よし。終わったぞ」 「じゃあ、次はこっちだ」  ユージーンは肩越しに振り返り、不敵な笑みを浮かべて下半身を指差した。見事な性器にサフィヤは一瞬目を奪われたが、ハッとしてユージーンを睨みつける。 「だ、誰がそんな! つけ上がるなよ!」  サフィヤは顔を真っ赤にし、タオルを床に投げ捨てた。 「僕を誰だと思ってる! 王族の血を――」 「今は俺の奴隷だ」  しばしの間、二人は無言で睨み合った。が、ユージーンはいきなりサフィヤを引き寄せ、膝に乗せて人形のように抱きかかえた。 「なっ! 何を――」 「不満なら、別の仕事をさせてやろう」 「放せっ!」  ユージーンは暴れるサフィヤを背中から抱え、耳元に唇を寄せて言った。 「奴隷が嫌なら犬だ。俺の愛玩動物になれ」 「な……っ」  白い首筋を急に甘噛みされ、驚いたサフィヤはびくりと身体を震わせた。 「ぁ、ふ……っ、」  熱い唇が首筋を這い、耳元へ上ってゆく。 「ふ、ぁ、なに、を……」  サフィヤはいやいやをする子供のように首を振り、唇から逃れようとした。しかし耳たぶをしゃぶられ、おかしな声を上げてしまう。 「はぁぅ……ッ、ん」 「ふふ。いい声だな」 「は、はな、せ、……ふぁ!」  サフィヤの腰を抱えていた手が前に回り、秘部に忍び寄ったと思うと、小振りの肉球を下からするりと撫で上げた。 「んぁ……ふ!」  撫でるたびにピクピクと反応する身体を腕の中で感じながら、ユージーンは並んだ化粧品の中から香油の瓶を取った。蓋を開けると、えも言われぬ甘い香りが浴場に広がる。香油をたっぷり掌に取ってぬるりと肉球を撫でると、サフィヤは背を仰け反らせた。 「ひぁ、あ……!」  オイルでよく滑る指で揉みしだく。 「んッ、や、やめ、ろ……」 「奴隷の務めより、こうして可愛がられる方がいいだろう?」 「く……っ、」 (こんな……。ユージーンごときに……!)  ユージーンには今までさんざんなことをしてきたが、奴隷なのだから当然と思っていた。しかしいざ自分がその立場になってみると、それを当然とは思えない。 (今までの仕返しをするつもりか)  頭をもたげ始めた己自身を感じながら、サフィヤは口惜しさに涙を滲ませた。 「ふふっ。ここも、可愛がってやろうか」 ユージーンが、声に意地の悪い笑みを含ませて囁いた。大きな掌が性器を包み込む。 「んぁああ……っ!」  ユージーンはそれをゆっくりと扱き始めた。 「あ、あぁ……ッ! ん、ふ、」  思わず漏れた嬌声に、サフィヤは慌てて唇を噛みしめて堪える。 「ん、く……ッ」 「堪えなくていい。声を聞かせろ」 「だ、誰、が……ッ」 「強情だな」  ユージーンは、より熱心にそこを愛撫し始めた。たっぷり絡められた香油が卑猥な音を立て、浴場に響く。 「ッんひッあ、あ、あぅ、ふ、」 「あ、や、やめ……っ、んぁあぁ!」 「――ッ、ひぁ」  サフィヤの身体がひくひくと痙攣したのを合図のようにして、ユージーンはもう片方の手を胸に伸ばし、小さな突起を引っかいた。 「ふぁ……あ――!」  甘い声と共に、サフィヤ自身が脈打った。気持ちいい、と言っているかのようだ。 「ふふ。存外に素直だな」 「く……っ!」 「愛玩動物らしくなってきた」 「――ひぁぁああ!」  胸の突起を指先で摘ままれ、くりくりと擦り合わすようにされると、すぐに固く立ち上がる。サフィヤは抑えきれずに声を上げた。 「あ、アッ、い、や……」 「はぁっ、あ、あ、」 「あ、ん……っ」  性器がべっとりと濡れている。それは溢れた蜜ではなくて塗りつけられた香油だと、サフィヤは自分で自分に言い聞かせた。 (こんな、こと……っ)  必死で快感に抗っても、感じやすいところを二つも同時に攻められては、どうしようもなかった。自尊心と肉体への刺激の間で揺れ動く心はそのまま声音に現れ、ユージーンの欲望を揺さぶった。積年の想いを抱え込んだユージーンの雄は既に驚くほど固く立ち上がり、解放を訴えている。しかしユージーンは、逸る心を抑えた。 (まだだ。この手の中で、サフィヤを……)  腕の中にいるサフィヤの存在を、心ゆくまで感じたかった。 「あっ、あ、あぁ……」 「ん、ふっ、ふぁ、あ、ぁ」 「もう、やめ……、あ……あ……」  切なげな喘ぎに答えるように、耳たぶを強く噛んだ瞬間、 「ぁあああ! あ――――!」  サフィヤは熱いしぶきを吹き上げた。 「あぁあああ――……アッ、ぁ、あ」  泣き声に近い声を上げ、濡れた子犬のようにぷるぷると震える。 (僕が、奴隷ごときにこんな……!)  射精の屈辱に、サフィヤは身を震わせて耐えた。使い慣れた香油の良い香りに包まれているのが、なんとも皮肉だった。 「なかなか可愛い犬だ」  ユージーンはサフィヤを立ち上がらせ、それこそ犬を洗うように、シャワーで背中から身体を流してやった。 「こっちを向け、サフィヤ」 「嫌だ」  羞恥のあまり、顔が火照っている。ユージーンに見られたくなかった。 「こっちを向けと言っている。命令だ」  ユージーンはサフィヤの肩を掴み、無理に振り向かせた。サフィヤは顔を見られないように伏せたまま向き直る。その眼前で、ユージーンの立派な雄が屹立していた。 「お前に処理してもらおうか」  ユージーンが言った。 「舐めろ」 「な……っ!?」 「今までさんざん俺にやらせてきたんだから、どうすればいいか分かるだろう?」 「――!」 「自信がないなら、俺が作法を教えてやる。――愛玩動物としての、な」  ユージーンはニヤリと笑った。 「跪け」 「…………」  サフィヤは唇を噛み、微動だにせず立ち尽くした。青い瞳にありったけの憎しみを込め、上目使いで睨みつける。 「飼い主の言うことが聞けないか?」 「そんなことをするくらいなら――」 「どうするというんだ?」  ユージーンは余裕の笑みでサフィヤを見下ろしていたが、次の瞬間、顔色を変えてサフィヤに飛びついた。 「おい!」  慌てて片方の手で下顎を捕まえる。舌を噛もうとしていたサフィヤは、それで動きを封じられてしまった。 「バカなことを!」  サフィヤは呻いて身をよじり暴れた。顎を捕らえる手を振りほどいたと思ったその時、ユージーンはサフィヤをきつく抱きしめた。 「――!?」 「サフィヤ……」  サフィヤは思わず動きを止める。 「それだけは……、止めてくれ」  先ほどまでのからかうような口調とは違う、真摯な声音。抱きしめるというより戒めるような力強い腕は、僅かに震えていた。 「悪いようにはしない……、お前のことは……、だから……」  ユージーンは切れ切れに言った。 (なっ、なんだ……?) 「サフィヤ。お前はもう俺のものなんだ。だから……、受け入れてくれ」  言っていることは横暴なのに、その声音は哀願する幼子のように悲しげだった。 (こんなことを受け入れろだって!? ……でも、確かに……)  虚しい抵抗を続けても、どうにもならない。 我が身に起きた変化があまりに急だったので、サフィヤにはまだ、それが現実だという実感がなかった。これまで、まるで夢を見ているように、どこか遠い場所から自分自身を俯瞰していた。だが今ようやく微睡みから覚め、自分の置かれた状況を現実のものとして認識し始めたのだった。 「わ、分かっ……た……」  長い間の後に、サフィヤは消え入るような声で言った。  悪いようにはしない、とユージーンが言うのは、本心からだろうとサフィヤは思った。ただ、情けをかける代償として、服従の証しを求めているのだ。  サフィヤは躊躇いながらも膝をついて跪いた。そして目の前にそそり立つ、艶やかな琥珀色の幹にゆっくりと唇を寄せた。 「――いい子だ」  ユージーンは柔らかな金の巻き毛を撫でた。 「そう……、両手を添えて、根元から先に向かって舐めてみろ。丁寧に、な」 「ん……、ふっ」  サフィヤは言われた通り、それを両手で捧げ持つようにして舐め上げた。その姿を、ユージーンは熱のこもった眼差しで見つめる。 (これで……、やっと……) 待ち望んだ瞬間に、ユージーンは美酒を味わうように喉を鳴らした。 「…………ふっ」  温かく柔らかい、サフィヤの舌の感触。  これまで二人の世界は、天と地ほどに隔たっていた。どんなに焦がれても、手の届かなかったサフィヤ。しかし、今は違うのだ。 「次は咥えてみろ、サフィヤ」  サフィヤは形の良い唇を素直に開き、艶々とした先端をそっと口腔に収めた。 「そう、そのまま軽く吸ってみるんだ」  つたない快感がユージーンの下腹に伝わる。 「頭を動かして、歯を立てないように……」  サフィヤの頬に軽く手を添えて動きを促し、どうやって舌で男に快感を与えるのか教える。サフィヤは大人しく、その動きに従った。 (俺を受け入れてくれるんだな、サフィヤ)  見下ろせば、金色の長い睫毛が蝶のように舞っている。それを眺めるだけで、下腹部に熱が集中した。だがユージーンは、湧き上がる衝動を抑えた。 (焦る必要は、ないんだ)  サフィヤは手に入った。もうどこへも行かない。あまり無体なことをするのは本意ではないし、少し待とう。ユージーンは自分自身にそう言い聞かせた。 「……ふっ」  サフィヤが、まるで甘えるように先端を舌でつつく。ユージーンは息をついて快感を逃がした。サフィヤはそれを見て取ると、そこを何度もチロチロと舌先で刺激した。  ユージーンの指が、サフィヤの髪をくしゃりと握る。幸福なため息をつき、ユージーンは悦楽に浸った。  だが一方で――。伏せたサフィヤの瞳には、情欲の欠片も宿ってはいなかった。 (今に見ていろ、ユージーン……)  胸の内を悟られぬよう、サフィヤは屈辱に甘んじて奉仕を続ける。 それぞれの想いを胸に秘め事に耽る二人とも、複雑な表情で扉の隙間から様子をうかがう、老執事ハーリドには気づかなかった。

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