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【番外編】月の影(あかり)
「今付き合ってる子がさ。すげえ好きなの」
聞き慣れた柔らかい声に目が上がった。
廊下で告白なんてすごい大胆だ。
でも……そうでもしなきゃ、あの人は振り向いてくれないからなんだろう。
新しい彼女が出来て、堅くなったと噂になっていた。
呼び出しなんかには全然応じないし、友達といつも一緒で、一人になるのは避けている。
茶色いウエーブのある長めの髪。物憂げで優しい目と通った鼻筋、キスするのに丁度いい綺麗な唇。少年特有の細さをまだ残した長身の身体。
本当に月村先輩は綺麗な人だ。
向かい合った女の子の肩が震えている。オレからは顔が見えないけど、きっと可愛い子なんだろうと思う。
自分に自信がなきゃ、きっと……彼女のいる人になんて、告白なんて出来ない。
ストレートのロングの黒髪が揺れている。
月村先輩はそれが好きだって有名だから、きっと先輩の為に伸ばしているんだろう。
ふって目があがって、月村先輩と視線が絡み合う。
先輩がオレに向かって綺麗に微笑んだ。
「だからさ……ごめんね」
聞こえてきた言葉に、きゅって心が痛む。
勝ち誇っていいはずなんだ。先輩はオレを選んだんだから。
なのに、全然そんな気持ちにはならなくて、石を呑み込んだように胃の辺りが重くなる。
すれ違いながら、横目で女の子を見た。
やっぱり、すごく可愛い。
流れる涙をぬぐう指先が細くて白い。
絆されないほうがどうかしてる……そう思った。
「星影」
ポケットに手を突っ込んだ先輩が、身体を回すとオレの横に並んでついて来る。
「どこ行くの?」
「いいんですか?」
質問を無視して、冷たく呟く。
「断るしかないのに、構っちゃうと期待させちゃうだろ?」
「断ること……ないじゃないですか」
「なんで?付き合ってる子いるのに……だめじゃん。そんなの」
俯いて、ぎゅっと歯を喰い縛った。
早足になりそうな足を宥めて、努めてゆっくり歩く。
『先輩のお気に入り』が不機嫌になっているって、誰かにそう思われたくない。
オレが嫉妬するとか、どう考えたっておかしいから。
「な、どこ行くの?」
「理科室です」
意識して微笑みを浮かべる。
嘘は得意だ。何も感じないふりをするのは。
「へ~」
先輩がゆっくりと歩く。
教室に戻らないといけないからだろう。
それに併せて歩調を緩めた。
クラスメイトが、そんなオレたちを横目に追い抜いて行く。
月村先輩は学校の有名人で、オレはその後輩で、ルームメイトで、『お気に入り』
そして『お気に入り』と一緒のところを邪魔されると、不機嫌になるっていうことは、もう知れ渡っていて。
だから、こういう時のオレには誰も声を掛けない。
角を曲がって、理科室へ続く廊下に出ると、もう廊下には誰もいなかった。がやがやと音が聞こえる理科室は家庭科室の向こうだ。
「授業に遅れますよ?」
先輩が手前の家庭科室の扉を開けている。
次の授業、隣だったんだ。
そう思った時には腕を引かれて、中に押しこまれていた。
家庭科室には誰もいない。
かしゃって音がして、鍵がかかったと気づく。
うろたえる間もなく背中に扉を感じた。
ぐいっと下に引かれて、尻もちをつく。
「った……」
扉に凭れて膝を立てて座っているオレの上に、先輩がのしかかって来た。
茶色い先輩の髪が頬に触れて、息を飲む。
偽りの微笑が口元から吹き飛んで、素顔のオレが現れた。
何やってるんだ。
しっかりしろよ。
「星影……」
自分を叱り付ける自分の耳元に、誘惑そのものの声が響いた。
こんなとこでやめてくださいよ。
微笑んでそう言いたかった。
でも、オレの表情は固まって、声は喉に張りついたままだった。
「キスして?」
柔らかい声がオレに促す。
オレの方から?
……それはずるい。ずるすぎるだろ。
うつむきそうになったオレの顔を先輩の指がすくい上げる。
「……して?」
キスなら何回もしていた。
有言実行を貫いて、まるでそれが何かの儀式ででもあるかのように、先輩はいつも寝る前のオレにキスをする。
狭いシングルのベッドの中で、二本のスプーンのように寄り添いながら、悪戯な指先が身体に触れるのも許していた。
その優しげな声が求めることを忠実にこなし、いい子だと囁く物憂げな声を聞きながら、お返しにと全身にキスされたこともあった。
超えていないのは最後の一線だけだ。
そこまで許していながら、オレは頑なに自分の言葉に拘っていた。
ちゃんと付き合うのは、夏休みの後。
だから、オレは先輩にキスしたことがなかった。
それは許されないことだと思っていた。
だって、先輩はオレのものじゃない。
だから、触れることは許されない。
月村先輩はすぐに彼女が変わることで有名な人だ。
休みの前と後で彼女が違う月村和泉。
そんな人が何故オレに執着しているのか。
それは……どこまで続くのか。
告白されて浮かれた気持ちが落ち着くと、オレは先輩の気持ちや、自分の気持ちに怯えるようになり、また前のように仮面を被るようになった。
そして、それがひどく先輩を苛立たせていることに気づきながら、何も言われないのをいい事に『先輩のお気に入り』の役を演じ続けていた。
廊下を先生の歩く足音が近づく。早く行かなければ。
オレと先輩が一緒だったのはクラスの皆が見ている。
もし、このままオレが行かなければ、オレ達は二人で何処かへ行ったと思われるだろう。
「行かないと」
囁いて、顎を押さえている手を振りほどこうとした。
「だめだ」
激しい色を湛えた目がオレを刺す。
「行かせない」
ぶるっと身体が震えた。
力一杯押さえつけられているわけでもないのに、身体がうまく動かない。
「キスだよ……星影。俺はいい子にしてたんだから……ご褒美を貰ってもいいと思わない?」
あの子の所へ行かなかったんだから。
オレの方を選んだんだから。
「早くしないと、誰か探しに来るかもな。
いいの?『お気に入りの後輩』が……俺の『ぞっこんの彼女』だって、バレちゃっても」
その言葉に息が止まった。
それを恐れているのはオレで、先輩じゃない。
「月村先輩……」
「和泉、だろ?」
物憂げに先輩が微笑む。
優しいその微笑みが、全然優しくなんてないことをオレは知ってる。
それは、先輩の本当の気持ちを隠すために浮かんでいるだけだ。
月が本当の姿を地球の影に隠すように、強すぎる自分の思いを隠す為に浮かんでいる。
そして、そんな顔をさせているのはオレだ。
手を伸ばせば手に入ると解っているのに、手を伸ばすことが出来ないオレのせいだ。
待っていてくれると知っているのに。
どうしても躊躇ってしまう。
「……いずみ……」
「好きだよ?星影」
オレも。言いたい言葉を呑み込む。
替わりに両手を伸ばして、先輩の顔を引き寄せた。
がちっと歯が当たって、びくっとする。
ぱっと手を離して、口を手で覆った。
何度もしたことがあるのに、自分からだとなんでこうなるのか。
顔がかあって赤くなる。
それを隠す為に膝に顔を埋めた。
背中に回る腕がオレを身体ごと抱きしめた。
膝の上に何かが乗る感覚と、ふうって髪の毛に当たる息。
「ほしかげ?」
おずおずとあげた顔に満面の笑み。
ぺろって舌が唇に触れて、開いた口の中に舌が入り込む。
「……んっ」
吐息が漏れると、器用な舌が誘うように動いて、いつの間にかオレの舌は先輩の口の中にあった。
舌に柔らかく歯を立てられて、身体が震えた。
その微かな痛みが、オレの嘘を暴いている。
欲しがってないなんて嘘だって。
オレを抱いていた腕が離れて、立ち上がった先輩がオレを見おろす。
「ぐるぐるしてないで……早く俺にしろよ」
かしゃっと鍵の外れる音。先輩が家庭科室を出て行く。
よろっと立ち上がると、理科室に向かった。
そして、息を吸って、先輩に振り回される『お気に入り』のオレの仮面をかぶる。
慌てた素振りで中に飛び込み、クラスメイトのブーイングに明るい笑みを浮かべた。
もう少し。
そう思うのは罪なのだろうか。
もう気持ちはとっくにあの月のものだとしても、オレもあの人もそれを知っていたとしても、もう少しだけ魅力的な月に追われていたいと思う。
きっとそれは罪だろう。
罪だと解っていても、やめるつもりはないけれど。
<月は星の影をめぐる:番外編 月の影(あかり) 終>
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