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第1話 *

 太陽が沈んだ暗い夜。俺は窓枠に腰かけて、ぼんやりと月を眺めていた。今宵の月は見事なもので、その月明りだけで十分に辺りが見渡せる。人里離れた場所にあるこの龍の社では、人々の喧騒といったものからは無縁で、静かな夜が心を落ち着かせてくれる。ただ俺の耳に届くのは、この社に共に暮らす一人の人間が眠るために布団を敷く音だけだった。  しばらくして、その音は微かな布の擦れる音に変わる。そこで月から視線を外して、音のする方に目をやると、人間は早くも布団に寝転がり眠る体勢になっていた。艶やかな濡羽色の髪は布団に散らばっている。黙って窓枠から腰をあげ、布団に転がる人間、深海(みうみ)の傍に腰を下ろす。すると深海はすぐに俺に向かって身を寄せて、体を預けてくる。いつも眠る時はこうしているから、習慣になっているのだろう。  深海は眠いのだろうが、生憎俺は眠くない。俺には睡眠も食事も必要ない。それでもこうやって夜になったら共に眠り、朝昼晩に食事を摂るのは、一人の子どもに人間の生き方を教えるためだった。その子は俺の育て方の甲斐あってか、立派に成長した。初めて出会った日のあの小さな子どもの姿とは大違いだ。 「……生意気だな」 「んん? なにが? おれ、なんかした?」 「いや、俺よりデカくなる? フツー」 「えぇ……そんな急にいわれても……」  横に並んだ時、俺よりも身長が高くなった日。結構本気で縮めてやろうかと思った。俺は龍で、人間の姿に変化している状態でもそれなりに見栄える容姿、だと思っていた。だからまさかこんなに小さい子どもが自分よりも恵まれた容姿になるとは思っていなかった。しかし、何となくこれくらいの身長の高さが性格に合っている気がしたから止めておいた。やろうと思えばいつでも出来るのだし。 「たった十年ちょっとでこうなるんだな」 「たった、って……人間にとって十年って結構長いんだぞ?」  十年なんて、俺にとっては人間の三日くらいのものだった。ちょっと寝て、起きたくらい。本当にたったそれだけの間に子どもはこんなに成長してしまった。人間の寿命は百年ともたない。コイツはいつか俺を残していなくなる。それは出会ったときから分かっていたことだし、長く生きる俺のような生き物からすると、見送るのはいつものこと。  俺は生まれついての、いわゆる龍神という存在だった。人間には赤龍と呼ばれ、恐れられている。ここにいる深海は、そんな俺に捧げられた生け贄だった。十年前、長く続いていた災害やら飢餓、それから救いを求めるため。俺の怒りを鎮めるためとか何とかという理由で幼かった深海は、近くの村から差し出された。たった十年前の話、よく覚えている。あの日、村から捨てられた深海を今日まで育ててきた訳だが、よく俺もここまで面倒を見てきたなと思う。 「あーあ、あの頃のちっさくてフルフルしてる仔犬みたいな深海のが可愛かったのになー」 「はいはい、悪かったなでっかくなって」  十年前。豪奢な白い着物に身を包まれ、背後の村の人間に背中を押されるようにして身を投げた子どもが思い出される。普通なら黙って見捨てる。俺も最初はそうしようとしたし、今までもそうしてきた。だが、そうするには惜しかった。あんなに小さい子どもが、全く足を震わすことなく、海に飛び込んだ。その表情は真っ直ぐで、怯えた様子などなくて。紺碧の瞳は、ただ幸せを願っていた。  ここで無意味に死なせるのはもったいないなと思った。体が水に落ちる前、受け止めて助けてみたら、子どもの紺碧はしっかりと俺の姿をその目に写した。人成らざるものである俺の姿はそれなりに素質が無ければ見えないはずなのだが、深海は出会った瞬間から俺の姿をその目に写していた。その真っ直ぐな青を生かしたいと思った。そしてその日以来、帰る場所もない生け贄と今日まで生きてきた。 「……お前もいつかは死ぬんだな」 「そりゃ、な。おれは炎騰(えんとう)と違ってただの人間だから」  布団に寝転がったまま俺を見る深海の瞳はあの日と何も変わっていない。真っ直ぐな強い瞳。そっと傍らにすり寄って、瞼に触れる。柔らかくて、暖かい人肌の感触。初めてだった。これほど人間に対して深い気持ちを持つのは。いつか、俺は深海を看取るのだろうか。そんな日が来て欲しくなかった。  深海の肩を押して仰向けにすると、深海は自分から腕を伸ばして首に手をかける。深海が受け入れるまま、その唇に触れた。やはり柔らかくて暖かい感触は、龍にはないものだった。深海と比べると、俺は冷たいだろうが、いつも深海は黙ってされるがままだった。初めて唇に触れた日も、初めて体を開かせた日も。きっと、深海は突き詰めれば自分は所詮生け贄だから。自分の体は、俺のものだからとでも思っているのだろう。だから、俺に逆らおうとしたことはなかった。  その分には別に構わない。それを利用し俺が深海に乱暴なことをすることは絶対にないし、俺が特に何も言っていないのにそうするようになったということは、今さら何か言っても治らないだろう。深海は俺に捧げられたものであることは事実であるし、俺がいなくなったら深海は生きることも出来ない。人間の中での深海は、あの日に死んだ。人間以外で深海のことを知るのは、俺と、時々遊びに来る俺の龍仲間くらい。俺が見捨てて龍神の世界から切り離したら、深海を知る者自体がいなくなってしまう。  唇に舌を這わせて、頬や顎、目尻に唇を落としたり舐めたりしてやるとくすぐったそうに笑った。そのまま首筋をなぞって、鎖骨の辺りに歯を立てる。 「っ、……ぅ」  血が滲むひりつく痛みに身動ぎするのが分かる。そこを吸い上げて、最後に歯形を舐めとってあげると、赤い花が咲く。やはり簡単に目につく位置に付けとくのも悪くない。最近は専ら足の付け根にばかり付けていたから久しぶりにやってみると新鮮だ。 「……」 「なんだよ、その顔」  深海を見上げてみると、なぜか少し不服そうな目で俺を見ていた。声をかけるとプイと視線を逸らされる。 「今さら痕なんて付けなくても、どこにも行かねぇよ」  ひく、と眉が揺れた。自分ではそういうつもりは無かった。俺はどうして鬱血痕を残すことにこだわっている? それは、恐らく、深海がいなくなると分かっているから。知っている。今さら深海が勝手にいなくなったりしないと。でも、お前はいつか俺を残していなくなるじゃないか。俺が引き留めたいのは、お前が生きているうちにいなくなることじゃなくて、お前がいつか死ぬという現実から。  返す言葉が見当たらなくて上から覆い被さるように抱き締める。この柔らかくて暖かい体が、いつか固く冷たくなる日が、怖い。少し目を離したら、すぐに死んでしまうのではないか。そんな恐怖があった。 「お前はいなくなるよ」 「……臆病な神様だな」 「は?」  低く呟いた深海が、突然体に力を籠める。上にいた俺を横に倒して、逆に深海が上に乗る。驚いてその顔を見上げると、深海は薄っすらと頬に朱を差しながら視線を逸らす。その体勢のまま、深海は軽く腰を浮かせて位置を調整し、その場所に尻を置くと擦るように腰を前後に動かしだした。素股なんてやったこともないくせに。今の思いつきで始めたのか。深海に卑猥なことを色々と叩き込んだのは俺ではあるが、まさか自分からするほどになっているとは思わなかった。 「んっ……、ぅ……」  頬が赤く染まっているのが窓から差し込む月明かりに照らされ浮かび上がる。ぎこちないが、下手ではない。どう解釈すればいいのだろう。誘うにしては大胆すぎる。手を出した方がいいのか、それとも任せてみる方が面白いか。とりあえず成り行きを見守ってみる。  ふと、深海がこちらを見る。と、同時に目の上に手が置かれた。 「何でだよ」 「ぁ……だっ、て……なんか恥ずかしい……」 「お前が自分で始めたんだろ、どけろ」  その命令形に深海はすぐに手をどける。今さらまだ恥ずかしいと思うのが深海らしい。せっかくなら、素股のその先までやってもらいたい。膝で背中をつつけば、深海の動きが止まる。何を求めているかは分かっているだろう。深海は一度腰を浮かせて、纏っていた羽織の裾を後ろに放る。そして深海は俺の着ている夜着に手を伸ばす。帯をほどいて前を開くと、深海は一度俺を見上げた。 「いい?」 「ここで止める方が悪いだろ」  一言返すと、深海はそっと手を後ろに回して、俺の方を固定する。そこに少しずつ腰を下ろして奥へと侵入させていく。騎乗位だと深く入ってしまうわけで、深海は声を堪えるのに精一杯のようだった。腰を落とし、全て入れてしまうと深海は詰まっていた息を吐き出す。そして少しずつ体を上下に動かし出した。 「っ……ぅ、んッ……、ね、おれ、だって、さ、ぁ……いつも、不安だった、よ……っ」  震えそうになる喉から、必死に言葉を紡いでいる。目が合うとやはり照れて逸らしていくのが可愛い。耳まで赤くなっているのは久しぶりに見た。何か言うなら、その目を見たくて、手を伸ばしてこちらを向かせる。欲に濡れ、熟れた頬がそこにある。漆黒の濡羽の髪、透き通った白肌、そして深い紺の瞳。首筋をなぞる汗の雫が月明りに輝いている。深海は知らないだろう。自分がいかに美しいのか。あんなに泥臭かった子どもは、いつの間にかこんなに淫らに揺れるようになっていた。 「……ん、ッ、おれ、邪魔じゃないかな、って……、っい、ない方が、いいんじゃないかなって……ぃ、つか、置いてかれるんじゃないか、って、不安だった、」  紺碧の瞳が濡れている。少しずつ腰の動きが大きくなっていく。吐息混じりのその声が耳を通っていく。俺が言葉にして深海に伝えたことはいくつあったろう。心配するなと言ったことはあったろうか。好きだと言ったことはあったろうか。どこにも行かないと、愛していると、伝えたことはあったか。……なかったから。何も言わなかったから、深海はずっと怯えていた。 「こうしてるときは、炎騰は……んッ、ぅ、おれを、見てくれる、から……必要としてくれるから、だから」 「……バカだな」 「え、な……んぁッ!」  突然下から思いきり突き上げてやれば、びくと背筋を震わせた。一回で止めず、何度も深海が強く反応を示す最奥を突き上げたら耐えきれず深海は体を前に倒した。腕にしがみついて、何とか体を浮かしているが甘い声の方を堪える余裕はない。突き上げるたびに溢れる喘ぎが耳に溶けてくる。  バカだ。俺も、深海も。言葉のない上っ面だけの愛情。こんなに好きなのに、愛しているのに、それを認められない自分。分かっている。愛を自覚してしまうと、別れがもっとツラくなるから。俺が龍神で深海が人間である以上、別れは最初から見えていた。だから、無意識に別れの辛さを軽減するために、俺は深海から逃げていた。 「あッ、ん、あ! え、んっ……と、……ッあ!」 「……深海、好きだ」  どうして今まで言ってやらなかったのだろう。強い子だからと、勝手に思っていた。深海はこんなに孤独なのに。俺がちゃんと愛さなければ、一人だというのに。掴まれた腕の先の手で同じように深海の腕を掴み、横に転がる。深海を寝かせて、俺が前にくる体勢になって、繋がりを深くする。そして早い律動で何度も奥を貫くと深海はどんどんと上り詰めて行く。求めるように何度も名を呼ばれるのに答えるように、好きだと愛していると伝える。聞こえているかは分からない。それでも今言わなければならないと思った。 「ぅッ、あ、ひァッ、あッ! えんっ、と……ッ、あ、あっ!」 「あ、待て」  イきそうになっているのを察して、咄嗟に前を握る。寸止められた深海は苦しそうな目で俺を見上げた。 「少し我慢できるよな? 今日は渇れるまでヤりたいんだよ、お前ここでイったら最後までもたなそうだし、ちょっと我慢な」 「ぅ、ん……んッ、ぁッ!」  小さく頷くのが見えたから、握る手はそのままに律動を再開する。龍は人間より体力がある。それに付いてきてもらうには少しイくには早すぎる。全部伝えきるまで、今日はもう離さない。健気に言いつけを守り、必死で俺に置いて行かれないように付いてくる深海が、いつも以上にたまらなく愛おしかった。  結局、その後俺が三回出すまでの間に深海が何回イったのかは分からなかった。十回を越えた辺りで数えるのは諦めた。布団に転がってぐったりしている深海の頬を撫でる。最終的に「もういやだ」とか「ゆるして」とか言い出していたが、最後まで意識を飛ばすことはしなかった。息も絶え絶えの深海の汗を拭いながらそっと口付ける。  ……明日、銀龍に話してみよう。俺たち龍神の長の一角である銀龍。長く欠番である海龍、そこに新しい龍神を立てる気はないかと。恐らくあの銀龍には、その話をしたら全てお見通しなのだろうがそれなら話の手間が省ける。  深海が人間じゃなければいい。そしたら、深海が俺より先に死ぬことなんてないのだから。 「おやすみ、深海」  閉ざされていく瞼を優しく撫でて、眠る愛し子にそっと布団を被せた。

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