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第一章 聖霊の神子

「おっ。これは旨そうだな」  昼食の包みを開いたグレアムは、思わず顔をほころばせた。  丁寧にくるまれた油紙の包みの中は、ゴートチーズとハム、それに野菜たっぷりのサンドイッチだった。厚く切られたライ麦パンから、芳ばしい香りが漂う。 「すげえな! 早く食おうぜ!」  グレアムの肩の上からのぞき込んでいた、ミニ竜(ドラゴン)がはしゃぐ。竜は小さな翼を羽ばたかせ、グレアムが腰かけている平たい岩の上に降りた。 「あのばあちゃん優しいなぁ。ちょっと薪割りと飼い葉運びを手伝っただけだろ。よっ、色男!」 「孫に似てるとか言ってたからな、それでだろ」  グレアムは竜の軽口をいなし、水筒から水を一口飲んだ。  旅の途中、昨晩逗留した宿で、そこを一人で切り盛りする老婦人が、力仕事で難儀していた。グレアムが見かねて手伝ったのを彼女はいたく喜び、今朝出立する時にこの包みを渡してくれたのだった。 微かなビネガーの香りが、空きっ腹を刺激する。なにしろ午前中はずっと峠道を登り通しで、ようやく山頂にたどり着いたところだ。グレアムは腰に下げた剣を鞘ごと外して脇に置き、思いきり身体を伸ばした。 「はやく! はやく!」  竜が尻尾を振りふり、催促した。 「分かった分かった。今、切ってやるから」  グレアムは苦笑いしながら小型のナイフを取り出すと、小さな竜の口の大きさに合わせ、サンドイッチを切り分けてやった。 「そら」  竜はもぐもぐと咀嚼して、すぐにそれを飲み込んでしまった。 「うまい!」 「たくさんあるから慌てて食うなよ。喉に詰まるぞ」  包みには、グレアムのような逞しい男でも、一度で食べきれないほどの量がくるんであった。包みを差し出した老婦人の笑顔を思い出し、グレアムは少しだけ目を細めた。  竜にもう一切れ渡し、グレアムもサンドイッチを頬張ろうと口を開けた――、その時だ。 「貴様! ここで何をしている!?」  鋭い声が飛んできた。 「……?」  サンドイッチを手にしたまま、今しがた登ってきた峠道の方へ目をやると、馬に乗った兵士がこちらを見ている。兵士は蹄の音を響かせてグレアムに駆け寄り、馬から下りた。 「答えろ。ここで何をしている」 「何って、見りゃ分かるだろう。昼飯だ」 「なぜこんな場所で弁当を食べている!?」  歳若いその兵士はグレアムの前に仁王立ちし、横柄な口調で怒鳴った。 「……どこで食おうが俺の勝手だ。見ろ、一休みするのにちょうどいい場所だろう」  グレアムはそう言って、兵士の背後、自分の眼前に広がる風景を顎で示した。 そこからは、麓の景色が一望できる。  山裾の家々はこの国特有の建築様式で、壁や屋根が鮮やかな色に彩られている。おかげでここから眺めるその村はまるで、おもちゃ箱をひっくり返したようだ。村の向こうに広がる田園地帯では、牛馬を追う人々の姿が豆粒ほどに見えている。  視線を上げれば、遠く連なる深緑の山並みが目に入る。山頂に残る雪が初春の陽射しを受け、神々しい輝きを放つ。山並みが途切れるところは、青く輝く海だ。地平線が遙か彼方で、空と海とを曖昧に隔てている。 しかし不機嫌な兵士は美しい風景を一瞥しただけで、グレアムに視線を戻した。 「これから、高貴な方のご一行がお通りになる」  兵士は言った。 「ほう。じゃあ俺も、飯を食いながら見物するかな」 「許可できん。即刻立ち去れ」  兵士は有無を言わさず、そう命令した。 「……なんだと?」 「お目汚しになる。弁当は他の場所で食え」  その言葉に、グレアムの眉がぴくりと動いた。 「言ってくれるな。王族が、自分の民をお目汚しだと?」  投げかけられた鋭い眼光に、兵士は怯んだ。しかし、聞き捨てならない言葉に食ってかかる。 「貴様! なぜ王族と分かった!? 俺は高貴な方と言っただけだ。怪しい奴――」 「別に怪しかねえ。あんたの着てる制服、それは近衛師団のもんだろう?」  グレアムは、兵士の青い軍服を顎で示した。 「近衛師団が王家の守護を専任する部隊だと知っていれば、見当はつく」 「貴様のような田舎者風情が、なぜそんな事を知っている!」 「確かにこの辺りは田舎だが、俺はあちこち旅をしていてな。王城のある都にいた事もある」 「くっ」  言い負かされた兵士は、悔しげに唇を噛んだ。 「と、とにかく! 貴様には関係ない事だ! さっさと失せろ!」 「さっきから大人しく聞いてりゃ、ずいぶんと横暴だな」  グレアムは、サンドイッチをゆっくりと口元に運びながら呟いた。 「まったく、最近の近衛師団はこんな――」  パシッと鋭い音を立て、サンドイッチがグレアムの手から勢いよく飛んでいった。兵士が剣先で弾き飛ばしたのだ。 「貴様! 誇り高き、我ら近衛師団を愚弄する気か!?」 「――てめえ!!」  次の瞬間、目にも止まらぬ早さで間合いに入ってきた男の一撃を、兵士はすんでのところで受け止めた。途端に血の気が引く。 ――この男、手練れだ! 「ぐ……っ、」  ギリギリと音を立てる自らの剣を胸元に、兵士はどうにかつばぜり合いへと持ち込んだ。しかし、逞しい身体の体重を乗せた男の剣は重く、小柄な兵士には受けるのがやっとだ。 「貴様、近衛師団相手に剣を抜くとは――」 「誰が、『剣を抜いた』って?」  男はにやりと笑った。その言葉に兵士が目線を落として見れば、自分の胸元を捕らえているのは、鞘に収められたままの剣だ。 「くっ!」 「抜いてない剣なんざ、棒っきれと一緒だぜ。誇り高き近衛師団の一員が、棒きれでやられましたと訴え出るか!?」 「貴様ァッ!!」  怒りに任せ、兵士は剣の鞘を大きく弾いた。しかし弾かれた鞘はすかさず突きに転じ、兵士の肋骨に軽い一撃を食らわせた。 「そら、隙ありだ」 「ぐウッ!!」  兵士も今さら後には引けない。素早く間合いを取り、体勢を整える。  一瞬の後、仕掛ける! しかし踊りかかった剣はあと一歩のところで空を切った。身を翻して避けた男は、すかさず横払い。鞘の先端がからかうように、兵士の脇腹をかすめた。  それは少しも無駄のない、美しい動きだった。 ――こいつ、何者だ? まるで正式な訓練を受けた剣士のような……。  兵士は小柄な身体の利をうまく活かし、次々と襲いくる剣の鞘を避けた。 「身が軽いな。若いが腕はまあまあだ」  男は動き回りながらも、余裕の笑みを浮かべている。 「この……っ」  その時だった。  「敵襲! 敵襲だぁ!」  幾人もの大声が響いた。兵士はハッとして、声のした方を見やる。 黒塗りの馬車が数台と、三、四十名の騎馬兵からなる行列が、二人のいる山頂に差しかかっていた。ところがその行列は今、一目でならず者と分かる風体の男たちに取り囲まれている。剣や鉈など物騒な得物を手にした男たちは、総勢五十名もいるだろうか。誰かの合図で全員が一斉に、行列に襲いかかった! 「しまった!」  兵士は踵を返して騎乗した。 「おいおい。ケンカの途中だぜ?」  しかし兵士はあっという間に行ってしまった。グレアムは肩をすくめ、その後ろ姿を見送る。 「なんだありゃ、山賊か」 「ラッキー。今のうちに行っちまおうぜ!」  竜が尻尾でグレアムの腕を叩いた。 「そうだな」  刹那、背後に殺気! グレアムは膝を落とし、振り向きざまに剣の鞘を翻す! 「ぐぅあっ!」  悲鳴と同時に鈍い音が響いた。背後からグレアムに襲いかかったならず者は、向こうずねに一撃を食らって倒れていた。 「俺は関係ねえっての」 「てめえ! よくも!」  側にいた別の一人が、上段から鉈を振り下ろす。しかし一瞬の後、男はもんどり打って倒れた。腕がおかしな方向に曲がっている。 「うわああぁぁ! 痛ぇ!」  男は大きな図体に似合わず情けない声を出し、仲間たちに訴えた。数人の男たちが、怒りに燃える眼差しをグレアムに向けた。 「……仕方ねえな」  グレアムの眼光が鋭く光る。  空気を切り裂く音がして、グレアムの剣が鞘から抜き放たれた。    行列を護衛する近衛師団兵たちの剣が、微かな音を立てて次々と鞘に収まった。山賊たちは金目の物はなさそうと踏んだのか、分が悪いとなるとすぐ逃げてしまった。逃げ遅れた下っ端の一人だけが、兵士に拘束されている。グレアムも数人を撃退して剣を収めた。 「やれやれ。売られたケンカを買ったばっかりに、余計な事に巻き込まれちまった」  グレアムは肩をすくめて辺りを見回した。  幸い死者はないようだが、大勢の兵士が傷を負っている。何人かの兵が行列の間を忙しく動き回り、被害状況の把握に努めていた。  黒塗りの馬車からは、白い装束に身を包む者たちが降りてきた。純白の地に金糸の縫い取りと、鮮やかな翠(みどり)色の装飾。その衣装は聖職者の証しだ。聖職者たちは皆一様に怯えた顔で、互いの無事を確認し合っている。  一台の馬車に設けられた小窓から、金髪の後ろ姿が見えた。 ――あれが王族か。  グレアムがその姿を眺めていると、物陰に隠れていたミニ竜が飛んできた。 「グレアム! お前がさっさと逃げねえからだぞ! あーあ、昼飯が……」  竜は悲しげに呟いた。見れば岩の上に置いてあったサンドイッチは踏み荒らされて、無残な姿になっている。老婦人の顔が胸に浮かび、グレアムはため息をついた。 「おい!」 「…………」 「おい、貴様!」 「……なんだよ」  グレアムが不機嫌な顔を向けると、先ほどの若い兵士がグレアムを睨みつけていた。 「どさくさに紛れて逃げようとするなよ!」 「あのな。俺はあんたらに加勢したんだぞ」 「貴様が怪しい事には変わりない」 「てめえ、いい加減――」 「ザキ、何をしているのだ?」  突然、柔らかな声が響いた。とげとげしい場の雰囲気にそぐわない、おっとりしたその口調に、グレアムは声の主へと視線を向けた。  聖職者の一人がこちらへ歩いてくる。声からすると、まだ少年と言ってもいい年頃のようだ。その歳であれば見習い修道士か何かだろうと、グレアムは見当をつけた。  少年は顔の上半分を薄絹のヴェールで覆い隠し、その下から透き通った薄桃色の頬を僅かにのぞかせていた。野バラの蕾のような唇には、柔らかい微笑を湛えている。白くほっそりした首筋に、装束の上からでも分かる、滑らかな肩の線が続く。絹糸のようにまっすぐな黄金色の髪が、その肩に流れるまま、歩くたびにさらさらと揺れた。 「ザキ、そちらのお方は?」  修道士らしき少年は側まで来ると、グレアムを睨む兵士に尋ねた。 「怪しい奴がいたので、尋問していたところだ」 「しかしこのお方は、先ほど我々に加勢してくれたのでは? 我は見ていたぞ」 「だが、どうも胡散臭い男だ。魔物など連れて……」  ザキと呼ばれた兵士は、グレアムの首筋にしがみつくミニ竜を見て眉を寄せた。竜はイーッと歯をむいてみせる。 「魔族と言ってもいろんな奴がいる。こいつは悪さなんかしねえよ」  グレアムは竜の背を撫でた。 「ほう。我は本物の竜を見るのは初めてだ」  ヴェールの少年はグレアムに歩み寄り、興味津々といった風で、肩越しに竜をのぞき込んだ。頭一つぶん背の高いグレアムの鼻先で金髪がふわりと揺れ、良い香りが仄かに漂う。竜は慌てて、グレアムの首の後ろに隠れた。 「サーシャ!! 迂闊に近寄るな!!」  ザキは慌てて、少年の腕を引いた。 「良いではないか。近くで見てみたい――」 「だめだってば!」  咄嗟に口をついて出たザキの口調は、幼い兄弟のケンカのようで、グレアムは思わず吹き出してしまった。途端にザキは頬を染める。 「……俺は別に怪しい者じゃねえ。弁当を食おうとして、騒ぎに巻き込まれただけだ」  グレアムも、いくらか態度を和らげた。  サーシャと呼ばれた少年は辺りを見回し、サンドイッチの残骸に目を留めたらしい。 「どうやら、昼食を台無しにしてしまったようだな。お詫び申し上げる」  美しい所作でローブの裾をつまみ、深々と一礼する。正式な、聖職者の礼だ。思いがけず丁寧なその態度に、グレアムは面食らった。 「い、いや……」 「申し遅れたが、我はサーシャ――、ご覧のように俗世を離れ修行中の身なので、名字はない。そしてこちらがこの一行の責任者、近衛師団第二連隊第八騎馬中隊の指揮をとっておられる、ザキ=グラングール大尉殿だ」 「第六だ、サーシャ」 「おお、これは失敬。ところでどうだろう、旅の方。麓まで馬車に同乗しないか。軽食の用意があるので、お詫びにご馳走したい」 「サーシャ!」  ザキは非難がましい声を上げた。 「せっかくだが、遠慮させてもらおう。あまり他人と関わりたくないんでね」 「ふむ。厭人癖というやつか?」  グレアムは答えずに、荷物の入った革袋を肩にかけた。 「……じゃあな」 「やだ! やだ! 昼飯抜きなんてやだ!」  突然、竜がグレアムの背を尻尾で叩いた。 「麓まで遠いだろ! 俺、腹減った!」 「さっき少し食っただろう!?」  ヴェールの裾からのぞくサーシャの口元が、楽しげに微笑んだ。 「竜どのにも何かご用意するので、ぜひ。――特別な物を食するのであろうか?」 「普通でいいぜ!」  竜はグレアムの背後から顔を出して答えた。 「それは良かった」 「……しょうがねえな」  グレアムは肩をすくめた。  馬車の中でグレアムの向かいにかけたサーシャは、ヴェールの下の口元に紅茶を運んでいる。隣ではお目付役らしいザキが、グレアムに睨みをきかせていた。 「あんたたち二人は――、」  グレアムはエールを一息に飲み干すと、並んでいる二人を見比べた。 「親しいようだが、兄弟か?」 「従兄弟だ」  ザキが、相変わらずの仏頂面で答えた。反対にサーシャは、人懐こい調子で喋り始める。 「とは言っても、兄弟同然の間柄で……、」 「サーシャ! 知らない相手に何でもぺらぺら喋るんじゃない!」 「性格は、だいぶ違うみたいだな」  グレアムはオリーブを口に入れて苦笑した。  目の前の簡易テーブルに並べられた昼食は、素朴だがどれも食欲をそそった。豆のペーストは香ばしく、チーズもなかなかの一品だ。酢漬けのアーティチョークには、ハーブがふんだんに使われている。スパイスのきいた野菜のマリネにオリーブ、林檎のチャツネと塩漬け肉。グレアムはパンに木苺のジャムをたっぷり塗りつけて、竜に渡してやった。 「なに、ザキはこう見えて可愛いところもあるのだが、今回は初めての大役を任されて張り切っているものでな。どうぞご容赦願いたい」 「サーシャ!」  ザキは黒いくせ毛の先を揺らし、サーシャに抗議した。頬が上気している。確かに、可愛いところもあるようだ。 「大役ってのは、この行列の護衛の事か。しかし、まさか指揮官だったとはな」 「ザキはこう見えて中隊長だぞ。偉いのだ」  サーシャはまるで我が事のように、誇らしげに胸を張った。  グレアムはザキの軍服の階級章と、なかなかに精悍な顔つきをちらと見た。どう見ても二十歳そこそこだ。その年齢で大尉の階級なら大したものだし、一個中隊の指揮を任されるとなれば、確かに優秀な軍人なのだろう。 「なるほどな。ところで、この一行は、一体誰の……?」  グレアムは、先ほどから訝しく思っていた事を口にした。  王族の行幸ともなれば、煌びやかな馬車にお付きのご婦人方、飾り立てられた馬と共に大きな街道を行くものと相場が決まっている。しかしこの一行は、山中の不便な道を質素な馬車で、しかもお供は兵士と聖職者だけ。グレアムには奇異に思えたのだった。 「そんな情報を、貴様のような無頼の輩に、」 「神子の上洛なのだ」  ザキの懸念を完全に無視し、サーシャはあっさりと答えた。 「神子? 神子ってもしかして、あれか。『聖霊の神子』……?」 「その通りだ」 「なんだよ、『聖霊の神子』って?」  竜が、口の周りのジャムをペロリと舐めた。 「なんだ、お前。人間の事なんか興味ない、っていつも言ってるくせに」 「ちょ、ちょっと気になっただけだし!」  グレアムがチーズを一切れ渡してやると、竜は小さな手でそれを掴んだ。 「聖霊の神子とは、我が国の国教である聖教において、重要な役割を担う存在なのだ」  塩漬け肉を頬張るグレアムに代わり、サーシャが竜に教えてくれた。  この国の人々が信仰する「聖教」の教えでは、森羅万象の頂点に君臨する「聖神」という神がいる。そしてその下に、聖神に仕える「聖霊」たちがいる。聖霊たちはあまねくこの世のあちこちにおわし、人々を見守っている。と、聖典であるところの「聖伝」には記されている。  そして聖神は時折、人と聖霊の間にある存在として、「聖霊の神子」を人々に授ける。 「つまり、人間と聖霊の連絡係ってわけ?」  竜が無邪気に尋ねると、 「そのようなものだ」  と、サーシャの口元が笑った。  神子は人の子としてこの世に生を受けるが、産まれた時にそれと分かる御印(みしるし)を持っている。神子である赤子は貴族の子として誕生する事もあれば、貧民の家に生まれる事もある。いずれにしても御印のある赤子が生まれたら、すぐに近くの聖教会へ届け出る決まりになっていた。  しかし、前任の神子が老齢で逝去してから長らくの間、人々は新たな神子を授けられなかった。それが今から十八年前、ようやく御印のある赤子が産まれたのだ。しかもその赤子はなんと、国王陛下の世継ぎの皇子として誕生した。かつてない晴れがましい神子の登場に、人々は歓喜に湧いた。ところが――。 「確か、今代の神子は……」  グレアムは肉に林檎のチャツネを塗る手をふと止めて、顔を上げた。 「『半分の神子』、だろう?」  サーシャが呟いた。 「『半分の神子』? なんだ、それ」  竜がチーズを囓りながら尋ねる。 「産まれた時に、神子の御印が『半分』しかなかったんだと。それで、本当に神子なのかどうかで散々揉めた。そうだったな、確か」 「ああ」  ザキが苦々しげに答えた。 「結局は国王陛下が、『この赤子は神子である』との声明を出して、騒動を収められた」 「で、その神子はどこに向かってるんだ?」 「神子さまは先日十八歳になり、山奥の聖域での修行期間を終えられた。今は王宮のある聖都へ帰還される道中だ。聖都にある聖霊神殿へ入り、正式に神子の座に着く」 「そうか。その護衛なら、確かに大役だな」  グレアムは、唇を結ぶザキの顔を一瞥した。  その時、走る馬車に併走し、騎乗した兵が近寄ってきた。 「中隊長、」  窓越しに、ザキに何やら耳打ちする。 「――そうか、分かった。ご苦労」  兵は馬車から離れていった。 「サーシャ。どうやらあの連中は、ただの山賊だったようだ」 「そうか。それは良かった」  その言葉に、グレアムは皿から顔を上げた。 「山賊で良かった? どういう意味だ」  ザキは少し躊躇ったようだが、口を開いた。 「『半分の神子』を、未だに認めない者もいるのだ。中には、暗殺を企てるような輩も」 「暗殺!?」 「ある狂信的な聖教徒だが、『半分しか御印のない神子など、偽物だ』と主張している。その男を中心とする一派が、この道中で神子暗殺を企てているとの情報があったのだ」 「そりゃ……、ずいぶんだな」  グレアムは呆れたように呟いた。 「だからこれほど、警戒しているわけか」  物騒な話題に、馬車の中には少し重苦しい空気が流れた。 「お客人。どうも暗い話題で申しわけない。これではせっかくの昼食が台無しだ」  サーシャが明るい声を出し、話題を変えた。 「今度は、貴殿の事を聞かせてくれ。旅の途中のようだが、どちらへ?」 「別に。特にあてはない。行く先々で用心棒のような事をして暮らしてる、流れ者だ」 「ほう。自由気ままな旅とは、羨ましい」  そう呟いたサーシャの口元を、グレアムはちらと見やった。 「さて、と」  馬車はちょうど麓の街に差しかかっていた。 「ご馳走になったな。俺はここで失礼する」 「おお、もう行ってしまうのか」  サーシャの表情は分からないが、その声には名残を惜しむ響きがあった。 「あんたらも道中気をつけてな。暗殺者でなくても、この辺りはたちの悪い山賊が多い」 「詳しいな。土地勘があるのか?」  ザキが興味を示したように顔を上げた。 「まあ、以前にも来た事があるんでな……」 「それなら、どうだろう。道案内兼用心棒として、我々に雇われてはくれまいか?」  唐突に、サーシャが言った。 「な!? サーシャ!」 「せっかくのお誘いだがな。断る」  ザキが反対するより早く、グレアムはきっぱりと言った。 「しかし、どうせ同じ方向に行くのだろう? ならば一仕事しながら行けば良いではないか。給金もはずむぞ?」 「サーシャ、だめだ。身元もはっきりしない相手なんだぞ。もしかして、暗殺者の手先かもしれない」  ザキは小声でサーシャに耳打ちする。 「これから標的が現れるという時に、弁当を広げている暗殺者がいるか?」 「そ、それはまあ、確かに……」  サーシャはくるりとグレアムに向き直った。 「貴殿は土地勘がある上に腕が立つ。同行してもらえれば心強い。どうか……」  グレアムは熱心に頼むサーシャの唇を一瞥し、そして空を見上げた。暮れかけた青紫の空に、宵の月が白々と浮かぶ。その月を見つめながら、グレアムは独り言のように呟いた。 「……じきに、満月だからな」 「え?」 「は?」  サーシャとザキは、ぽかんと口を開けた。 「満月だから、と。面白い事を言う。世間ではそういう洒落た言い回しをするのか?」  真剣な口調で首を傾げるサーシャに、グレアムはハッとして笑みを作った。 「冗談だ」 「ふむ、何か予定があるのだな。だが聖都まで付き合えとは言わないぞ。なんなら満月まであと数日、その間だけで構わない」 「いいじゃんか、一緒に行けば」  満腹の腹をさすり、上機嫌の竜が言った。 「…………」  サーシャはヴェールの下から、熱心にグレアムを見つめているようだった。 「……分かったよ」  グレアムは根負けしたという風に、肩をすくめた。 「期限は、満月の晩まで。そういう契約でいいなら、仕事を受けよう」 「そうか! 感謝する」  サーシャの口元が嬉しそうに微笑んだ。 「そうだ。まだ名前を聞いていなかったな」 「――グレアムだ」  グレアムは仏頂面で答えた。 「グレアム・エルデン、だ」 「よろしく頼む、グレアム」  サーシャが軽く頭を下げた。グレアムはそんなサーシャをよそに、 ――王族の護衛、か。  と、心中で呟いた。

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