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第二章 秘密

峠を越えた麓の街で、ザキは土地の聖教会に助力を求め、負傷兵たちを収容した。捕らえた山賊を地元の保安部隊に引き渡した後は、逗留先の手配をし、物資の調達を指示し、打ち合わせを行う。明日も早いというのに、ザキは深夜まで忙しく働いた。  ようやく一通りの仕事を終えると、ザキは机の前に座った。修道士さま方はもちろん非番の兵たちも、床についている時間だ。ザキは疲れを吐き出すようにため息をつき、ペンを手に取る。そして手紙を書き始めた。内容は、今日の一件についてだ。  ペンを走らせながらも、ザキは胸の内で自問自答する。采配ミスはなかったか。被害をもっと少なく抑えられたのではないか……。  遠慮がちなノックの音が響く。ザキは顔も上げずに、「入れ」とだけ答えた。 扉が静かに開き、紅茶とジャムの香りが部屋に入ってきた。ザキが振り向くと、盆を抱えたサーシャが立っている。 「どうした、サーシャ。まだ起きてたのか」 「ザキこそ、早く寝なければ体に障るぞ」  サーシャは微笑んで、机にカップを置いた。 「ああ、ありがとう」  ジャムをたっぷりおとした紅茶で、ザキはほっと一息ついた。ふと見ると、サーシャが何か言いたげな様子で立っている。躊躇いがちに唇が開きかけたと思うと、顔のヴェールを持ち上げる。出発以来、昼間はいつも着けているので、ザキは久しぶりに従兄弟の顔を見た気がした。髪と同じ金色の睫毛に縁取られた瞳が、柔らかな弧を描く眉の下でザキを見つめた。 「ザキ。その……、今日雇った、あの男の事だが……」  サーシャは言いづらそうに話を切り出した。 「『あの事』を、伝えておいた方が」 「必要ない」  ザキはみなまで聞かず、サーシャの言葉をはねつけた。 「だが、隠し事というのは、人の信頼を裏切る行為ではないだろうか?」 「サーシャ、」  ザキは椅子から立ち上がり、言い聞かせるようにサーシャの肩を叩いた。 「これは作戦行動だ。機密は守らなければ」  サーシャは目を伏せた。 「第一、あの男は単なる雇われ人だ。給金さえきちんと出れば、文句はないだろう」 「…………」 「たかが数日のつきあいだ。あの男は最後まで、真実を知る事はない」 「……分かった。お前がそこまで言うなら」  サーシャは浮かない顔ながらも、頷いた。  数日間は何事もなく過ぎた。聖霊の神子の一行はいくつかの村や街を通り過ぎ、とある地方の賑やかな都市に差しかかっていた。  神子の一行は馬車が全部で五台。それに総勢四十名の騎馬兵が付き従う。五台の馬車のうち三台には、神子と一緒に聖都の聖霊神殿に入る修道士たちが、それぞれ四人ずつ乗っている。一番大きな四台目に神子と高位の神官が一人、それから神子の世話係と護衛の兵が乗っていた。残り一台はザキが乗る指揮官用だが、ザキはいつも馬で行列の間を前後しているので、この馬車にはサーシャが一人で乗っている事が多い。 「今夜は満月だな」  行列の最後尾近くで馬を駆るグレアムに、ミニ竜が呟いた。 「ああ」  グレアムは天を仰いだ。まだ陽は高い。しかし日没がくれば今夜は満月。契約は終わる。  馬上でグレアムの前にちょこんと座った竜は、気楽な調子で尻尾を振った。 「ちょろい仕事だったなぁ! 馬で移動できて楽だったし、金払いもいいし! こういう仕事がしょっちゅうあるといいよなぁ」 「馬鹿言うな。警護ってのは気を張るんだぞ。敵と剣を交えている方が、まだ気楽なくらいだ」 「ふーん。そういうもんか」  確かに、グレアムの瞳はいつもより数段鋭く光り、少し疲弊しているようだ。 「まあ、それも今日で終わりだな。明日はのんびりして、旨いもんでも食おうぜ!」  竜は猫のように、手綱を握るグレアムの腕に頬をすり寄せた。 「そうだな」  グレアムの緊張した表情が、少しほころぶ。  その時行列の歩みが止まった。先頭が街の入口に着いたようだ。グレアムも手綱を引く。 「おお、到着か?」  グレアムの横で、サーシャが馬車の窓から顔を出した。 「いや……、」  グレアムは、前方に見える街の入り口に目を凝らした。かつて要塞だったというその街は、周囲を白亜の壁にぐるりと囲まれている。壁の外側はさらに堀が巡らされ、数カ所に橋が架けられていた。街に入るにはこの橋を渡り、壁に設けられた門を通らねばならない。しかし今、橋の付近には人混みができていた。 「しばらく待たされるようだ。様子を見てくるから、大人しくしてろ」  グレアムはぶっきらぼうに言うと、側の兵士に一声かけて行列の先頭へ馬を駆った。 「なー、グレアム」 「なんだ」 「お前、あのサーシャってやつ、嫌いなのか? なんか冷たいじゃん」 「別に。あまり顔を合わせたくないだけだ」 「なんで?」 「……似ている気がしてな」  ヴェールの下からのぞく、柔らかに結ばれた唇。その口元はグレアムに、懐かしい、忘れ得ぬ人を思い起こさせるのだった。そこにあるのは別人の顔と分かっていても、なまじ口元しか見えないので、つい目がいってしまう。そのたびに胸がざわついた。 「ふうん。そっか」  竜はそれだけ言った。   行列の先頭まで行くと、混雑の原因が分かった。橋の中程で商隊の荷馬車がひっくり返り、道を塞いでいるのだった。積み荷が多すぎてバランスを崩したらしい。商人たちが散らばった積み荷を集め、その傍らで、隊の兵士たちが馬車を起こすのに手を貸している。  一方で別の兵士たちが人々に声をかけ、行列の周りに場所を空けさせていた。先頭近くにいる神子の馬車を転回させ、別の橋に回るつもりらしい。しかし橋の周囲は順番待ちの人々でごった返し、大きな馬車を転回させるのは容易でなかった。  その時だ。 「うわァッ!」  背後でどよめきが起こった。見れば、馬で駆けてくる一団がいる。人々を蹴散らすようにして、まっすぐこちらに突っ込んでくる。 「敵襲! 敵襲!」  兵士たちは口々に叫んだ。 「馬車を守れ!」  ザキの命令が響き渡る。先頭付近にいる兵たちは、神子の馬車を背にして囲み、暴漢に応戦する構えを取った。他の兵たちは騎乗して敵の足止めに向かってゆく。  積み荷を集めていた商人たちは、逃げ場のない橋の上で慌てふためいた。荷馬車を起こしていた兵たちが、おろおろするばかりの彼らを誘導し、橋のこちら側へ連れてくる。 「ああっ!」  商人の一人が転んだ。 「ひえええ……」  商人はすっかり動転しているらしい。頭を抱えてその場にうずくまってしまった。 「落ち着け! 馬車の影で伏せていろ!」  兵士が手首を掴んで引き起こし、神子の馬車を指差した。背中を叩かれ勇気づけられた商人は、言われた通り、半ば這うように馬車へと向かう。馬車を囲む兵士の一人が、自分の背後にその男を入れてやった。  剣の交わる金属音があちこちで響く。グレアムも、数人に囲まれ苦戦していた。一人で応戦するには無理のある人数だ。しかし、 「……ぐぅっ!」  見事、一人の肩を貫くと、他の男たちが一瞬怯む。その隙に包囲を突破しようと辺りを見回したグレアムは、息を呑んだ。 ――!?  兵士の背後に入れてもらった商人が、馬車の扉に手をかけている。背を向けて、襲いくる暴漢に応戦している兵士は気づかない。 「そいつだ!」  グレアムは敵の一撃を受け止めて怒鳴った。が、声は届かない。グレアムは次の一撃を渾身の力で弾き返すと、背後から襲われるのを承知で身を翻し、神子の馬車へ向かった。敵の剣先が肩と背をかすめた感触。しかし軽い痛みには構わず、グレアムは駆けた。  だが、一足遅かった。商人が馬車に飛び込むやいなや、馬車の硝子窓が、内側から血しぶきで真っ赤に染まった。 「――――!!」  グレアムは馬車に飛びつき、引きちぎらんばかりにして扉を開けた。次の瞬間目に映ったのは、顔色一つ変えずに平然と、商人に化けた暗殺者の返り血を浴びている、「神子さま」の姿だった。  暗殺者は胸に深々と短剣を突き刺され、絶命していた。狭い馬車の中、神子さまは片手で男の腕をねじ上げ、もう片方の手で短剣を握っている。ローブの袖からのぞく神子さまの腕は、鍛え上げられた筋肉に覆われていた。  甲高い口笛がどこからか響く。その途端、暴れ回っていた暴漢たちは一斉に逃げ出した。 「待てっ!」  兵士たちはそれぞれに暴漢を追っていった。しかしグレアムは、驚きのあまり動く事ができなかった。背後からザキが現れて、冷静な声音で「神子さま」に尋ねる。 「怪我は」 「大事ありません、隊長」  凜々しい声で答えた「神子さま」は、顔のヴェールを上げて目礼した。明るい茶色の双眸が、唖然とするグレアムをちらりと見やった。 一行が逗留先の宿に落ち着いてからも、采配を振るうザキの部屋には、ひっきりなしに兵たちが出入りした。夜も更けてようやく一段落ついた頃、サーシャがザキのために茶の用意をしていると、ノックの音が響いた。 「入れ」  戸を開けたのはグレアムだった。 「ああ、契約は今晩までだったな。給料を取りに来たのか」  ザキは机の引き出しから小箱を取り出した。 「なぜ、黙っていた?」  低く鋭いグレアムの声に、ザキはぴたりと手を止めた。 「何の話だ」 「神子、いや、神子の『影武者』の事だ!」 「ほう。よく分かったな」  ザキはにやりと笑った。 「あれは兵士だろう!?」 「そうだ。隊の中で腕の立つ者を選んだ」  グレアムは唇を噛んだ。 「なぜ、言わなかった?」 「部外者に話す必要がどこにある?」 「…………」  グレアムの口元に、皮肉な笑みが浮かんだ。 「なるほど。何も知らずに『神子』を守ろうとしていた俺は、とんだ道化ってわけか」 グレアムは包帯を巻いた肩を、服の上から強く掴んだ。 「お前は、」  サーシャが、弾かれたように一歩前へ出た。 「なぜ、そこまで……」 「一度引き受けた仕事だ、当然だろう!!」  グレアムはサーシャに怒鳴った。 「……もういい。どのみち契約は終わりだ。あんたらとも、ここまでだ」  グレアムは、そう吐き捨てた。 「その通りだ」  ザキは、給金袋をグレアムに突きつけた。 「ご苦労だったな」  グレアムはザキを睨み、袋をひったくると、足音も荒く部屋を出ていった。 「あ……」 「気にするな、サーシャ」  ザキは乱暴に椅子を引き、机の前にかけた。 「ザキ、あんな言い方はないだろう。あの男は誠心誠意、仕事をしてくれたのだぞ!」  ザキはサーシャに振り向きもせず、ペンを手に取った。 「もういいだろう。さあ、俺は忙しいんだ。報告書を書いて、追加の人員を要請しないと。戦力外になった兵が大勢いるからな」 「そうか。それで機嫌が悪かったのだな」 「!!」  ザキは思わず振り返った。 「ザキ。お前はよくやっていると思うぞ」  サーシャは微笑んで、ザキの頭を撫でた。 「サーシャ! 俺はもう、子供じゃないんだぞ!」  ザキは慌てたが、その手を払いのけようとはしなかった。撫でられているうちに、ザキの苛立つ心は、凪のように静まってゆく。 「サーシャ……。俺は必ず、神子を聖都まで無事に送り届けてみせるからな」 「うん。頼もしいな」 「とは言っても、」  ザキは大きなため息をついた。 「予定には遅れが出るだろうな。人員が補充されるまで、この街に足止めだ」 「少ない手勢で旅を続けるのは危険、という事か。どうだろう、また護衛を雇っては?」 「そうだな。厳重に身元確認をすれば……。でも、やはり危険が……」  警備上の懸念が増える。ザキは渋い顔だ 「では、グレアムに契約の延長を頼もう」  サーシャはにっこりと笑って言った。 「ええ!?」 「あの男は信用できる。さっきの態度を見ただろう? 任務を真剣にとらえていたからこそ、あの男はあれほど腹を立てたのだ」 「それは、まあ……。確かにそうだが」  ザキは眉を寄せる。 「だけど、かなり怒っていただろう。契約延長には応じないんじゃないか」 「我が説得しよう」  ザキは半ば呆れ顔で、幼なじみの従兄弟をしげしげと見つめた。  躾のため幼少期に一時期預けられていた修道院で、二人は共に日々を過ごした。その頃から、サーシャは一度言い出したら聞かない。そしてザキが結局サーシャに弱いのも、やはりその頃からだ。性格が正反対にも関わらず、ザキはこの従兄弟が好きなのだった。サーシャが遠方の修道院に移ってからも、頻繁に手紙をやりとりし、たまの休暇には必ず会いに行ったものだ。  長年の経験から、ザキは潔く降参した。 「分かった。お前に任せる。もしあの男を、説得する事ができたなら」  サーシャが戸を叩くと、 「開いてるぞ」  と、不機嫌な声音で返事が返ってきた。部屋に入ってもグレアムはこちらに背を向けたまま、荷物をまとめている。 「グレアム」  グレアムは驚いたような顔で振り返った。 「なんだ、あんたか。まだ何か用か?」  眉間に皺を寄せたグレアムに向かって、サーシャは深々と頭を下げた。 「まずは、詫びを言いたい。すまなかった」 「…………」  グレアムはぷいと顔を背け、革袋にいくつかの品物を押しこんだ。 「別にあんたらの判断は間違ってない。部外者に、機密を教える必要はなかったろうさ」 「それはお前にとっても同じだろう。我々も、お前からすればただの行きずりの者たちだ。それでもお前は、神子を無事に聖都まで届けたいという我らの想いをくみ取り、力を尽くしてくれたのだ。その想いを我らは裏切った。お前が腹を立てるのは当然だと、我は思う」 「…………!」  グレアムは思わず顔を上げたが、ヴェールの下のまっすぐな瞳と目が合った気がして、慌てて視線を逸らした。 「そ、そんな大げさな話じゃねえ。俺はただ、給金を貰う以上、それだけの働きをと……」 「おいそれと秘密を話すわけにはいかなかった。しかし、お前にはすまぬ事をした」 「…………」  グレアムは、大きく息を吐き出した。 「……分かったよ」  こうもまっすぐこられては、頑なな自分が滑稽に思えてしまう。あんなに苛立っていたのに、なぜか肩の力が抜けてしまった。どうもこのサーシャには、そういう力があるようだ。  グレアムはかつて、そんな人を知っていた。 「……もういいから、気にするな。さあ、俺は支度をするから」  グレアムは荷造りに戻る。 「許してくれるのか?」 「え? ああ、もういいって言ってるだろ。だから……」 「では、契約を延長してもらえないだろうか」 「はぁ!?」  グレアムは呆気に取られ、無邪気に微笑むサーシャの唇を見た。 「今日の件で負傷者が多くてな、急遽、人を集めねばならないのだ」 「断る」  グレアムはすげなく言った。 「やはり、まだ怒っているのか?」 「そうじゃねえが……」 「どうか、頼む」  木苺のような唇が、真剣な口調で言った。 「別に、俺でなくてもいいだろう。街で人を募ればいくらでも――」 「我はお前が良いのだ」  かの人に似た唇がそう言った時、グレアムの呼吸がほんの一瞬、止まった。  行き場をなくし、胸の奥深くしまい込んだ想いの欠片たちが、言葉になって喉元まで出かかった。グレアムは、腹の底で淀んだそれらを吐き出してしまいたい衝動に駆られた。この唇に向かって語りかけ、そして……。  貪りたい。  そう思った時にはもう、グレアムは数歩を踏み出し、指先で瑞々しい木苺に触れていた。 「?」  サーシャは小首を傾げてグレアムを見る。警戒心の欠片もない仕草に、グレアムは震えた。 「……いいぜ」 「本当か!?」 「だが、俺があんたの願いを聞くなら、あんたにも俺の望みを聞いてもらわないとな」 「いいとも。何をすれば良い?」 「……こっちに来いよ」  グレアムはサーシャの手を引き、寝台に座らせた。 グレアムはサーシャの隣に座り、薄絹のヴェールに手をかけた。しかしふと思い直し、寝台脇のランプを消す。窓から僅かに差し込む月明かりだけが室内を照らし、サーシャには、グレアムがどんな表情をしているのか分からなくなった。 「明かりを消してどうするのだ?」  なんとなく不安になったサーシャはグレアムに尋ねたが、グレアムは何も答えない。 「……?」  突然、ヴェールが取り払われた。グレアムは暗い中で目を凝らし、現れた顔を見つめているようだ。 「我の顔を見たいのか? ならば明かりをつけたらどうだ?」  グレアムは唇を噛んだ。暗くてよく分からないが、サーシャは整った顔立ちをしているようだ。グレアムはそこに、懐かしい面影を探す。よく見えないもどかしさについ、ランプに手が伸びた。しかしここにいるのは別人なのだと思い出し、手を止めた。 「ここに座れ」  グレアムはサーシャを引き寄せ、自分の膝の上で横座りに座らせた。 「んん? 我は子供ではないのだぞ?」 サーシャは唇を尖らせた。グレアムは、 「分かってるさ」  と言うなり、細い首筋に口づけた。 「んふっ!」  サーシャは驚いて首をすくめる。 「く、くすぐったいぞ!」 「黙ってろ。何も無体な事はしねえよ……」 「そうすれば、この先も同行してくれるのか?」 「……ああ」 「分かった。では、大人しくしていよう」  間近にいるので、サーシャが微笑んだのが分かった。グレアムの胸に痛みが走る。その痛みをごまかすように、グレアムはサーシャをきつく抱きしめた。 「ん……っ、く、苦しいぞ、グレアム?」  グレアムは腕を緩め、サーシャの頬に唇を寄せた。耳の下に、顎に、幾度も口づけを繰り返す。それがサーシャには、グレアムが言葉なくして何かを訴えているように思えた。何か、とても――、強い想い。それがグレアムの唇から、自分の肌に染みてゆく。  グレアムがサーシャの襟元に手をかけて服をはだけさせると、露わになった肌は驚くほど白く、月明かりの下で輝いた。グレアムは息を呑む。むき出しの肩に恐るおそる口づけて味わうと、それはクリームのように甘く柔らかく、舌の上でとろけてしまいそうだった。 「んふ」  サーシャはくすぐったそうに身を捩る。しかし言われた通り大人しく、されるがままになっている。脇腹を包み込むように大きな掌で撫で上げると、その感触は陶器のように滑らかだ。白い胸の薔薇色の蕾を軽くつまむと、サーシャの身体が大きく跳ねた。 「……ふ、あッ!」  ごく軽く、触れるか触れないか程度の強さで優しく擦ってやると、それはすぐ芽吹いて色づいた。まるで雪解けの季節に、名残雪の下から顔を出した新芽のようだ。 「あ……ふ、ぁっ……」  白く繊細な手がグレアムの逞しい腕に縋り、力の入らない指先が肌をかすめた。その感触に、グレアムは熱い吐息を吐く。 「大人しくしてろよ、な。……俺が、必要なんだろう?」 「ん、、う、ンッ」  サーシャは真っ赤な顔で必死に頷いた。蕾を唇で挟みそっと舐めてやると、切ない声を上げて身体を震わせる。おののくサーシャをなだめるように、グレアムは髪を撫でてやった。猫の毛のような感触に、いつまでも触れていたいと思ってしまう。髪の一房を手に取って唇を寄せれば、陽だまりの匂いがする。  温かい匂いだ、とグレアムは思った。 「グ、グレアム……?」  サーシャが不安げに喘ぐ。どうも、あまり知識を持ち合わせていない様子だ。  聖教の教えにおいて、性は禁忌ではない。しかし多くの聖職者が、「修行の妨げになるもの」として、性を避けていた。 「……大丈夫。気持ちいい事をするだけだ」 「気持ちいい、事……?」  大きな掌が、サーシャの柔らかな下腹部を這い下りた。そして腰にまとわりつくローブの上から、ある一点に触れる。 「あぁっ!?」  サーシャは驚いたように声を上げた。思わず身体が逃げる。しかしグレアムはサーシャを抱きかかえ、指の背でそこを何度も撫でた。 「あ、あっ……、ん、ぁ……」  サーシャの身体がふるふると震えている。 ――何をしてるんだろうな、俺は。  グレアムは、胸の内で己を笑った。  今ここにあるのは、愛情でも何でもない。  だが……。 「あ、あ! グレアム……っ」  サーシャが急に強くしがみついてきた。夢中なのだろう、爪が軽く肌をかく。 「こら。痛いって」  グレアムはその手をそっと押さえた。 「んッ、ん……ぁ」  大きな掌の中の、白く小さな手。その手が、グレアムを幸福な夢にいざなった。 ――悪い夢を見ていただけなんだ。  グレアムはそんな妄想してみる。 ――何もなくしてなど、いなかった。その証拠に、あの清らかな手が、今ここにある……。  馬鹿馬鹿しい妄想に耽る自分をあざ笑いながら、グレアムはサーシャを力強くかき抱いた。小柄な身体を包むように抱きしめると、薄手のシャツを通して、サーシャの体温がグレアムの胸に伝わった。 ――温か、い……。  グレアムは目を閉じて、その熱を味わう。 「本当だ」  急に、サーシャが言った。 「え?」  グレアムは、サーシャの肩口に埋めていた顔を上げた。 「とても、気持ちがいい」  サーシャはうっとりと甘えるように、グレアムの胸にもたれかかった。 「人の肌というのは、こんなに温かくて気持ちが良いものなのだな」 「……!」  グレアムは黙ったまま、微かに震える指先を、サーシャのローブの裾に差し入れた。そして慎ましい自己主張を始めているサーシャ自身を、そっと包み込む。 「んあ、ぁっ!」  サーシャが身を捩る。 「や、ま、待っ……、そんなところ……っ」  駄々をこねるような身振りに、グレアムはそれを扱いてやってなだめた。 「あ、アッ、ん…ふ、」 「……気持ちいいのか?」 「ん、ンッ」 「じゃあ、これはどうだ?」 「――アッ! ……つっ、」 「ちょっと刺激が強いか」  指で根元から先端に向かって猫の喉を撫でるようにしてやると、それはひくひくと震えた。 「ん、はぁっ、あ、あ、」 「ん。これくらいがちょうどいいか……」  先端を軽く握りこんでくちゃくちゃと掌でこね回すと、限界に近いのが感触で分かる。 「や、待っ……」  サーシャが焦り始めた。 「だめだ。俺の言う事を聞くと言っただろ」 「い、言った、が……、あ、ぁ、あ、もぅ離し、……ッ、」  グレアムは、優しく耳元で囁いた。 「……大丈夫だ。堪えなくていい」  サーシャが息を呑み、かすれた喘ぎ漏れた。 「――はぁっ、あ! ひあぁ……っ」  ビクビクと身体を痙攣させながら、サーシャは温かい精をグレアムの掌に注いだ。途端にぐったりと脱力し、腕の中で崩れ落ちる。 「おっと」  逞しい胸に身体を預け、サーシャはただ、息をついている。グレアムは自己嫌悪と罪悪感を宿した双眸で、そんなサーシャを眺めていた。窓から吹き込む冷たい夜風が、虚しいばかりの熱を冷ましてゆく。 「――ウッ」  突然、嗚咽が漏れ聞こえた。グレアムの腕に熱い滴が落ちる。 「ウッ、グスッ、う、う……」 「お、おい!」  慌てて顎に手をやって顔を上げさせると、頬を伝って零れる涙が、月明かりで真珠のように光った。 「ふぁ……、」  サーシャはグレアムの顔を見上げ、子供のようにしゃくり上げている。 「お、おい……」  グレアムの指先は戸惑いつつ空を彷徨ったが、やがてサーシャの背に居場所を見つけ、そこに収まった。 「う、うぁ、ヒック、ふぁあぁ……」 「泣くなって……。俺が、悪かった」 「う……っ、ウッ」 「その、ちょっとからかうくらいのつもりで……。いや、なお悪いか」  グレアムは赤子をあやすように、サーシャの背を懸命に撫でた。 「……すまなかった。身体を拭いてやる」  グレアムは湯沸かしに残っていたぬるま湯で布を湿らせ、汗と精液にまみれた身体を拭いてやった。サーシャがようやく泣き止むと、乱れた服を整えてやり、寝台に寝かせる。 「このまま眠るといい。……すまなかった」  寝台に腰かけて、柔らかな髪を撫でる。 「さあ、こうしていてやるから、もう寝ろ。明日も早いんだろう」 「う……ん、もう少し……」  眠いのを堪えて起きていようとする子供のように、サーシャはもぞもぞと身じろぎした。 「話を……、した……い……」  言い終わる前に、サーシャは眠りに落ちていた。額にかかる髪をそっと上げると、安らかな寝顔に月光が降り注ぐ。  その白い額に口づけを落とし、グレアムはそっと寝台から下りた。外套を羽織って荷物を背負う。腕を伸ばすと竜が飛び乗った。  最後にもう一度だけ振り返り、グレアムは、サーシャの寝顔に目を細めた。 「……嬉しかったよ。俺のような男を、信頼してくれて」  そしてグレアムは、静かに部屋を出ていった。

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