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第三章 悲しみ

「お前最低だぞ! あんなガキに!!」  街路に出ると、それまで黙っていた竜は、グレアムの肩から勢いよく飛び上がった。 「成人してるって言ってたぜ……」 「中身は赤ん坊みたいなもんじゃねえか! このエロ!」  竜はせわしなくパタパタと飛び回る。 「……うるせぇ」 「一緒に行けねえって分かってるくせに! 嘘つき!」 「…………」 「嘘つき! 最低! 最低!」 「ああ、そうだよ」  月明かりで昼のように明るい夜道を、グレアムは足取りも重く歩いていた。竜は悲しげな顔でグレアムの肩に戻る。 「分かってるよ。人肌恋しいんだろ。……寂しいんだろ」  竜はグレアムの顎に頬をすり寄せた。 「あいにく人肌じゃなくて、鱗だけどな」  グレアムは力なく笑い、竜の背を撫でた。竜の鱗は、見かけよりずっと暖かく柔らかい。 「お前がいてくれて良かった。お前が最低だと言ってくれるおかげで……、俺は……、」  グレアムは足を止めて夜空を見上げた。憎んでやまないその満月を、怒りに燃える眼差しで睨む。満月が空にかかる晩はいつでも、忘れ得ぬあの日が、まざまざと胸に甦る。    「連隊長! エルデン中佐!」  背後で呼ぶ声を無視し、近衛師団第一連隊隊長、グレアム・エルデン中佐は、一人騎乗して敵に向かっていった。 「お逃げ下さい、殿下! 私が食い止めている間に――!」  肩越しに振り返って叫ぶ。  それは最初、ほんの演習がてらの任務に過ぎなかった。聖都から遠く離れた辺境の地に魔物が出没して悪さを働き、治安が悪化している。近隣住民からの訴えを受け、聖都の陸軍本部では、小規模の討伐隊が編成された。 魔族の世界にも人の世と同じように、魔族なりの統制や規律というものがある。たいていの魔族はその秩序を守り、人間とも良好な関係を築いて暮らしている。だが人の世にはぐれ者がいるように、魔族にしても然りだ。  今回辺境の地に現れたのは、そういう秩序を守らない魔族――良心的な魔族と区別をつけ、「魔物」と一般的に呼ばれている――たちが、徒党を組んだものと思われた。討伐といっても軍が現れれば魔物たちは逃げてしまうだろうし、実際には牽制するのが目的だ。大した任務ではない。そこで普段は聖都から離れる機会の少ない近衛師団に、演習を兼ねてその任が命じられた。指揮官には、陸軍元帥でもある国王が、自らの皇太子を任命した。  こうして、皇太子殿下を指揮官とする近衛師団第一連隊第四騎馬中隊総勢六十名は、第一連隊の連隊長であるグレアム・エルデン中佐の補佐の元、辺境の地へと赴いたのだった。  ところが――。 「威勢がいいな、小僧」  その魔物は、巨躯を見せつけて威圧する如く、グレアムの前に立ちはだかった。 ――ここで食い止める。何としてでも!  グレアムは馬上で剣を構えた。一足遅れた部下たちが、蹄の音を響かせ駆けてくると、命令されるまでもなく魔物を取り囲む。精鋭の部下三人が、グレアムの側についた。 「殿下は!?」 「撤退中であります! 生存者五名が、お側をお守りしています!」  五名。その言葉にグレアムは唇を噛んだ。この場に残った者と合わせても、第四騎馬中隊は既に三分の二が犠牲となっていた。  騒動の黒幕は人間、ある不心得者の魔術師だった。召喚魔術を用いて魔物を使役し、略奪を行っていたのだ。討伐隊が来ると魔術師は逃げてしまったが、姿を消す前に、より上級の魔物を召喚して後に残していった。  凶暴で人間への敵意に満ちたその魔物は、近隣住民を手当たり次第に虐殺し始めた。援軍もすぐに駆けつけられない辺境の地で、残された近衛師団に多くの人命が託されていた。 「いいか。必ずここで食い止めるぞ!」 「ハッ!」 「仰せのままに!」 「元より、そのつもりです!」  これまでグレアムと苦楽を共にしてきた腹心の部下三人が、覚悟のほどを口にした。そして、親指と人差し指、中指の三本を、掌を内側に向けて胸の前で立てる。それは聖神に捧げるジェスチャーで、三本の指はそれぞれ、聖神、聖霊、そして人を表している。 「天にありて地におわす我らの聖霊よ……」  グレアムは、小声で祈りの句を暗唱した。 「――突撃!」  隊長のグレアムを中心に、兵士たちは剣を振りかざして魔物に突進した。 「ヴオオオォォォオォオ!」  不気味な雄叫びに怯まず斬りかかる。グレアムの一撃が魔物の脇腹に入った。しかしその皮膚は硬い鱗に守られ、傷は浅い。剣は跳ね返され、グレアムの腕にその重みを伝えた。 「うわあああああぁ!」  部下のうちで一番年若いデレクが、魔物になぎ払われて落馬した。その身体に丸太のような腕が振り下ろされる! 呻き声すら上げず、デレクは押し潰されて絶命した。見開かれたままの瞳が、虚空を見つめている。 「この野郎っ!!」  デレクと一番親しかった隊員のレンが、槍を構えて突進する。渾身の力を込めた一突きが、魔物の胸の中心からやや左を貫いた! 「やった!」  レンは一瞬笑顔を見せた。しかし次の瞬間、魔物はレンの頭をがしりと掴み、まるで子供が玩具を放り出すように投げた。凄まじい勢いで近くの壁に激突したレンの身体は、荷物のように地面に落ちてそれきり動かない。 「ヒッ……ヒッ……」  魔物は気味の悪い声で笑った。 「心臓を貫かれても平気なのか!?」  グレアムの隣で、古参の隊員、ニケヤがかすれた声を上げる。 「心臓の位置が、人間とは違うのかもしれない……」  グレアムは歯噛みした。どこが急所か分からない。ならば――、 「首を――、首を落とすしかない! 首と胴が離れれば、いくら魔物でも絶命するはずだ!」 「ハッ!」  ニケヤはしかと剣を握り直した。 「左右から、同時にいくぞ!」 「はいっ!」  他の部下たちが、迫りくる魔物の腕をかわしながら応戦していた。魔物はそちらに気を取られている様子だ。 「今だ!」  グレアムとニケヤは同時に駆け出した。 「――ハッ!」 「はあっ!」  二振りの剣が魔物の首筋に食い込む! だがやはり硬い鱗に阻まれ、一刀両断とはいかない。二人は素早く引いて様子をうかがった。 「グウウゥゥゥァァァ!」  魔物は怒った。掌をニケヤに向けてかざしたかと思うと、黒い光を放つ! 「――!!」  禍々しい光は槍のように、ニケヤの身体を鋭く貫いた。 「ニケヤ!」  馬上から地に落ちたニケヤの亡骸に目をやる暇もなく、魔物は大きなかぎ爪を振りかざして残りの兵たちに襲いかかった。巨体に反して動きの速い魔物に、グレアムも部下たちも必死で応戦する。剣を振りかざしてかぎ爪をなぎ払い、かわし、いなし、また斬りかかる。しかし攻防も虚しく、兵たちは次々と倒れていった。そしてついにはグレアムただ一人が、どうにか致命傷を免れて立っていた。 「…………」  これまでか。グレアムは満月を背景に立つ魔物の巨躯を前に、自らの非力にほぞを噛む。  だがここで取り逃がせば、魔物はさらに殺戮を続ける。撤退中の皇太子殿下を狙うかもしれない。援軍が駆けつける頃には、全てが終わっているだろう。 ――ならば、取るべき道はただ一つ! 「でえやああぁッ!」  勇ましいかけ声と共に、グレアムは魔物の懐深く飛び込んだ。 ――聖霊よ。我の祈りを届け給え!  剣が稲妻の如く閃き、魔物の胸に突き刺さる! しかし魔物はにやりと笑った。 「ハハッ! 何度やっても――」  その刹那。グレアムは剣をうち捨て、代わりに抜いた短刀で魔物の喉元を貫いた! 「グウウゥウウウオオオオッ!!」 ――やったか!?  魔物は手で喉元を押さえている。かぎ爪に飾られた指の間から、どす黒い血が溢れ出す。 ――首を落とす事は無理でも、これなら……。 「――貴様ァッ!」  魔物はグレアムの身体を鷲掴みにした。だがグレアムは、防御を顧みず剣をうち捨てて飛び込んだのだ。覚悟の上だった。 ――お別れです、殿下……。  グレアムは固唾をのみ、鋭いかぎ爪が自分を引き裂く一瞬を待った。しかし。 「フフフ……フフフッ」  魔物は、さも嬉しげに笑った。 「お前はなかなか、旨そうだ……」 「人を……、喰うのか!?」  このまま喰らわれるかと、さしものグレアムも身体に緊張が走る。しかし魔物は言った。 「喰う。しかし肉ではない。もっともっと美味なものを喰うのだ。我ら魔族にはない、人しか持ち得ぬもの。それを喰らってやろう」 「人しか、持ち得ぬもの……?」 「お前自身すら気づかぬうちに、我はそれを喰らうのだ。今より長い年月をかけて」 「……?」 「僥倖にして今宵は満月。魔力の源、闇に住まう月が、我の術に力を貸すであろう……」  魔物は呪文を唱え始めた。不気味な旋律が黒い霧となり、捕らわれのグレアムを包む。 「――な!? 何をする! 止めろっ!」  黒い霧に包まれ、グレアムの視界は真っ暗になった。やがて身体が地面に投げ出される。 「ぐぅッ!」  地に伏したグレアムを、魔物は嘲り笑った。 「貴様はもう、我の術から逃れられん」 「術――、だと?」 「そうだ。一月に一度、満月の夜が来るたびに、貴様は周りの人間から忘れ去られる」 「な……っ!?」 「月が一巡するたびに、貴様の存在は人の記憶から消えてなくなるのだ。時の流れと人の営みに取り残されて、一人彷徨うが良い」  徐々に明るさを取り戻しつつあるグレアムの視界で、魔物が残酷に微笑む。しかしその表情が、一瞬の後に歪んだ。 「……なかなかやるな」  魔物は片手で喉元を押さえた。黒い血はまだ流れ続けている。深手とはいえないものの、ある程度の傷を負わせたらしい。  魔物は漆黒の翼を大きく広げた。 「待て! 逃がすか!」 「良い獲物を手に入れた事だし、逃げおおせた者たちは見逃してやろう。――ではな」 「ま、待てっ……」  倒れ伏したままのグレアムは、渾身の力を振り絞った。しかし身体は鉛のように重く、立ち上がる事すらできない。魔物は禍々しき翼を羽ばたかせ、勢いよく宙に舞い上がった。そして、そのまま飛び去った。 「くっ……」  遠のきかけた意識の中、グレアムの瞳に辺りの惨状が突きつけられた。デレク、レン、ニケヤ。その他にも可愛がってきた部下たちの亡骸が、血と泥にまみれて転がっている。魔術師に利用された哀れな魔族の屍も、無数に散らばっていた。  すぐ側で何かが動いた。見ればまだ子供のミニ竜だ。ひどい怪我をしている。眩い太陽の色をしたその身体に、グレアムは救いを求めるように手を伸ばした。 「殿、下……」  それから二十年の歳月が流れた。魔物の術の影響なのか、グレアムの見かけは二十年前とあまり変わらなかった。どうやら、ひどくゆっくりと齢を重ねているらしい。  国王が逝去し、グレアムの仕えた皇太子が王となった。世継ぎの王子が産まれたが、半分だけ神子の御印を持って生まれたとかで、王宮では大変な騒ぎだと風の噂で聞いた。グレアムは街から街を渡り歩いてあてのない旅を続け、時々は金持ちの用心棒や護衛のような仕事を引き受けては、暮らしを立てていた。   「チッ」  グレアムは小さく舌打ちした。  神子の一行と別れて数日。その日グレアムは、街道筋の小さな街に差しかかっていた。陽は既に傾きかけている。街の中心にある広場に出たグレアムは、今夜はこの街で宿を取ろうと決め、辺りを見回した。  その時、見覚えのある青い軍服が、視界の端をかすめていったのだ。  軍服の兵士は広場を横切り、早足で歩いていく。さり気なく跡をつけると、広場の先にこの街の聖教会があり、目立たない黒塗りの馬車が数台止まっていた。 「まあ道行きが同じなんだから、会うわな」  肩の上で竜が呟く。グレアムは踵を返した。 「次の村まで行く気か? 夜道は危ねえぞ」 「用心するさ。……っと」  そこに立っていた老婦人に、グレアムは勢いよくぶつかってしまった。小柄な老女はグレアムの胸までしか背丈がなく、視界に入っていなかったのだ。体格のいいグレアムに押され、老婦人はよろけた。 「すまない! 大丈夫か」 「あら、これはご丁寧に。大丈夫ですよ」  慌てて身体を支えたグレアムに、老婦人はおっとりと答えた。 「目が悪いものでねえ、すみませんねえ」  老婦人は人の良い笑顔を見せた。確かに、視点がグレアムの顔から微妙にずれている。 「お先にどうぞ。もう礼拝が始まりますよ」  老婦人は言った。 「礼拝?」 「ええ。貴方も礼拝に来たんでしょう?」 「いえ、俺はその……、別に」 「あら、そうなの」  老婦人は、少しがっかりしたように言った。 「なんでも偉い神官さまが、旅の途中でお寄りになって、特別に礼拝をして下さるそうで。滅多にない機会なものでねえ、ありがたくって」  老婦人は目尻に皺を寄せた。 「あら、大変。急がなくちゃ。それじゃ」  グレアムは老婦人の背中を見送った。しかし、急ぐ足元がどうもおぼつかない。 「…………」  グレアムは老婦人を追いかけて声をかけた。 「送っていこう」  グレアムは老婦人の手を取って教会へ向かった。通りすがりに警備の兵たちに目をやると、知らない顔が多い。あれから追加された人員なのだろう。制服を着ていない者は、街で雇った用心棒に違いない。  開け放された両開きの扉から礼拝堂に入ると、祭壇の前に見覚えのある者がいた。神子の馬車に同乗していた、高位の神官だ。この教会の司祭と一緒に、礼拝の準備をしている。  グレアムは老婦人が声を聞き取りやすいよう、前方の空席を探してかけさせた。そのまま立ち去ろうとして、ふと辺りに目線を配る。  礼拝堂の隅にサーシャの姿があった。他の修道士たちと何か話している。ヴェールで顔が見えなくても、動くたびにさらさらと揺れる黄金の髪は、見間違いようもない。グレアムは、目を細めてそれを見つめた。  気になる少女を遠くから眺める少年のような自分に気づき、グレアムは思わず失笑した。 「おかけなさいな。そろそろ始まるわ」  老婦人の声で我に返れば、立ち去るタイミングを逃してしまったと気づく。神官が祭壇に立ち、礼拝を始めるところだった。今出ていけば目立ってしまう。グレアムは仕方なく、老婦人の隣に腰を下ろした。  礼拝が始まった。司祭が、旅の途中で立ち寄った聖職者たち一行を紹介する。神子の事は伏せてあるらしい。神官が前に出て祈りを唱え、聖伝の一頁を開いた。ある聖霊の逸話が記された一節を選び、落ち着いた声で人々に読み聞かせる。 「…………」  礼拝に参加するのは、グレアムにとって久しぶりの事だった。もうずいぶん前に、グレアムは祈るのを止めた。  聖伝を読み終えると、神官は独特の語り口で人々に話しかけた。時に問いを発して思考を促し、時に冗談で笑わせる。懐かしい礼拝の雰囲気は、グレアムにとって信仰というよりも、かつての日常の一部だった。グレアムはそっと瞳を閉じた。過去から吹く風を、心地良くその身に受けるように。  どのくらい、そうしていたのか。グレアムはふと瞼を開いた。それは、時に危険な仕事で身を立てる者特有の勘だった。何か異質なもの――、この場に相応しくないものの気配を、グレアムは感じ取ったのだ。  礼拝堂の隅で一団になっている、修道士たちとサーシャ。その近くに、警備の男が一人立っていた。近衛師団兵ではなく、街で雇った男らしい。熱心に仕事をしていると見えるが、グレアムは男の目つきが気になった。 「…………?」  グレアムは目立たないよう注意して、男を観察した。男は時折、修道士たちに目線をくれる。やがて彼らの方へゆっくり歩き出した。ただその場を巡回するような足取りで。 「――!!」  男が懐に手を入れたのを、グレアムは見逃さなかった。男は修道士の一人に背後から忍び寄る。男が短剣を取り出したのと、グレアムが椅子を蹴って飛び出したのは同時だった。 「逃げろ!」  グレアムの大声で、男に背を向けていたサーシャは驚いて振り返った。その瞬間、男はサーシャに飛びかかる! 「きゃああっ!!」 「うわあ!」  人々は波が引くように後ずさった。間一髪、グレアムの剣先が男の腕を突いて血しぶきが飛んだ。男は腕を押さえてうずくまる。 「無事か!?」  問いかけたグレアムに、サーシャは慌てたように何度も首を縦に振った。驚いて声も出ないのだろう。だが怪我はないようだ。グレアムは大きく息を吐いた。  男が身を翻し、窓を破って逃げ出した。駆けつけた兵たちが、声を上げながら後を追う。 「サーシャ!」  礼拝堂にザキが駆け込んできた。 「あ、あ……、ザキ。大事ない。この方が、危ないところを助けて下さったのだ」  サーシャは前に進み出た。返り血で汚れた白装束の裾を持ち上げ、優雅な礼をする。 「どこのどなたかは存ぜぬが、礼を言う。――名を聞かせてはくれまいか?」  ヴェールの裾からのぞく唇をちらりと見、グレアムは投げやりに答えた。 「グレアム。――グレアム・エルデンだ」

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