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第1話

 ばりりとビニール包装を破って、メロンパンにかじりつく。中にカスタードクリームが入っているコレが、僕のお気に入りだ。  さわやかな風が草木を揺らして、チラチラと濃淡の違う緑をきらめかせている。誰にも邪魔をされない場所で、のんびりと好きなものを味わう至福の時。 「はぁ、うまい」  脳みそをたっぷりと使った後の甘い物は、最高だ。ミルクティーのペットボトルを口に運んで、メロンパンとは違った甘味も楽しんだ。  青い空に、生き生きと輝いている木の葉の緑。それに囲まれている間は、頭の中を空っぽにできる。  ぼんやりと木の葉を透かして青空を眺めていたら、衝撃に襲われた。木の幹に腕を絡めて見下ろせば、ニヤッと白い歯を光らせた荻野時哉が立っていた。顔をしかめて視線を空に戻せば、また揺れた。幹を蹴って、僕を木の枝から落とすつもりだろうか。毛虫みたいに。 「おおい、昴。片平昴!」  呼びかけられても無視をする。正直言えば、うれしくないわけじゃない。薄い茶色の柔らかな髪と、タレ目でありながら鋭さを感じさせる瞳。無言だと人を寄せ付けない鋭さを持っていながら、ひとたび笑えば人懐こい犬を思わせる。実際、時哉は人懐こい。というか、人気者だ。僕とは違って。 「俺を無視すんのは、お前くらいのもんだぞ」  登ってきた時哉が、相手の警戒心を溶かしてしまう無垢な笑顔をひらめかせる。少し長めに伸ばして目元を隠している僕の黒髪に、時哉の指が触れた。 「まったく。ほんと人付き合いの悪いヤツだなぁ」  前髪をかき上げられて、ギョッとした。額が重なるほどに顔が近くて、ドギマギしてしまう。頬が熱くなって、慌てて顔をそむけた。 「なぁ。次こそは、俺と組もうぜ」 「……」 「昴と俺なら、無敵だと思うんだけどな」 「僕は誰とも組む気はないよ」  eスポーツに特化したこの大学の、入学試験。ペアでおこなうロボット対戦ゲームで、サポーター技巧のパーフェクトを叩きだした時哉と、プレイヤー実技でトップの成績を取った僕。  最高のサポーターと極上のプレイヤー。  だから時哉は僕と組みたがっている。 「ひとりで充分ってわけか。だけど、それじゃあ試合には出られない」  僕と時哉が得意な、世界的にも競技人口が多くて賞金額も高いロボット対戦ゲームは、サポーターとプレイヤー、ふたりひと組で戦う事が、公式戦のルールになっている。だけど僕は、今までずっと、サポーター無しで戦ってきた。非公式戦なら、それができる。 「公式戦とか、世界ランキングとか、興味ないから」 「賞金を稼げれば、それでいいって事か? 公式の記録なんて、どうでもいい?」  チラリと横目で時哉を見て、心の中で返事する。 (違う)  もちろん、生活のために賞金は必要だ。でも、僕の一番の目的は時哉だ。かつてプレイヤーとして活躍していた時哉と戦いたい。そのために技術を磨き続けて、この大学に入学した。  eスポーツという呼称がついて、ゲームがスポーツとして認識されるようになってから、競技使用を目的とした様々なゲームが開発された。世界中で賞金の出る大会が開催されるようになって、五十年以上が経過している。開発技術は様々な産業に応用され、高い身体能力や判断力などを求められる選手もまた、一流のアスリートとして認識された。そして僕が中学生の時に、多くの企業が共同出資した専門の大学が設立されて、僕は進路をここに決め、特待生として寮に入った。  自然の多い、人口の少なかった県の土地を利用して作られたこの大学は、ひとつの国みたいだ。日本という国の中にある、独立国家。生徒は全員が寮生活。特別な理由がなければ、卒業するまで大学の外には出られない。選手育成と人材流出を防ぐためだと世間的には言われている。  まあ、だからといって不満はないけれど。身寄りのない僕には、最高の環境だから。 「なぁ。なんで昴は、誰とも組まないんだ?」 「知らないフリはやめてくれないかな? 僕のウワサは、知っているだろう」 「ああ。ワンマン・パイロット。どんなに優秀なサポーターでも、振り切られるほどの判断力と探知力を備えたプレイヤー。実はアンドロイドなんじゃないかってウワサもある。精巧にできた人工皮膚の下は、甲鉄だって」  フンッと鼻を鳴らして背を向ける。 「だけど、俺のサポートだったら、どうだ?」 「必要ない」  そっけなく言って、枝から飛び降りる。立ち去ろうとしたら、続いて枝から飛び降りた時哉に腕を掴まれた。 「待てよ。俺のレベルは知っているだろう? 昴のパートナーとして、不足はないぜ」 「自信家だね」 「でなきゃ、ここに入学するかよ」  不敵に笑う時哉がまぶしくて、直視できない。彼は最高のプレイヤーだった。僕の憧れで、目標でもあった彼が、どうして今はプレイヤーではなく、サポーターをしているのだろう。 「君だって、ひとりでもトップを狙える」 「おっ? 俺を評価してくれているんだな」  うれしいねえ、とニヤニヤする彼の腕を振り払おうとしたら、強い力で抑え込まれた。 「だったら、ますます俺のパートナーになってもらわないとな」 「どうして、そうなるんだ」 「お前が認めるくらい、俺が優秀だからだよ」  グッと顔を近づけられて、顔を背ける。どうしてこんなに無防備に、他人に近づくんだ。 「損はさせない。極上の快感を味わわせてやる」  ゾクッと背筋が甘く震えて、喉が鳴った。きっと時哉は、言った通りのものを与えてくれる。それだけの実力を持っているから。だけど、僕が目指してきたものは、時哉と共に戦う事じゃない。 「欲しかったら、自分で手に入れるよ」  動揺を隠そうとすれば、吐き捨てるような声になってしまった。力いっぱい突き放して、ダッシュで離れる。全力疾走で寮に戻って、部屋に入ると鍵をかけた。 「は、ぁ」  へたり込み、呼吸を整えて顔を上げる。そこには無数の時哉の笑顔。時哉のポスターや雑誌の切り抜きが、所狭しと飾られていた。 「もう、心臓に悪すぎるって」  手のひらを合わせて、ポスターを拝む。憧れのロボット格闘ゲーム界の覇者、閃光の時哉に声をかけられるどころかパートナーに誘われるようになるなんて、夢にも思わなかった。

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