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最終話

 * * *  関節がギシギシして、喉がヒリヒリする。風邪でもひいたんだろうか。だけど熱がある感じはしない。関節が痛いなら、熱があってもよさそうなのに。  シーツに顔を擦りつけたら、なじみのない匂いがした。安心する香りに、深く息を吸い込んだ。体がだるい。疲れが抜けきっていない時の感覚だ。 (昨日、何したっけ?)  寝起きはいい方じゃない。頭がすぐに回らないのは、糖分が足りていないからだ。なんだっけ? 昨日、特別な事があったような。 「あぁ……ぅ」  うめいたら、喉に声がひっかかった。乾燥しすぎてガサガサしている。とりあえず、何か飲みたい。冷たい水だと沁みそうだから、ぬるいやつ。常温の水を飲んだ後に、砂糖をたっぷり入れたカフェオレかミルクティー。熱くも冷たくもないやつがいいな。喉が渇きすぎている時は、体温と同じくらいか、それよりちょっと冷めたいくらいがちょうどいい。普段なら、おいしくないって思うけど。 「うぅ~」  うめきながら、体を丸める。起きたくないけど、起きなきゃ喉の渇きを癒せない。誰かが飲み物を持ってきてくれたらいいのに。 「ん~、うぅ」  ググッと背中を丸めて、甲羅の中に手足を入れたカメのポーズを取る。腕に力を入れて、えいやって顔を持ち上げたら、目の前にあるはずのポスターがなかった。 「あれ?」  時哉のポスターをはがした記憶はない。キョロキョロと壁や天井を確認する。ポスターが一枚もない。 「なんで」  誰かが盗んだんだろうか。中にはプレミアのついているポスターもある。あり得ない話じゃない。 「僕の時哉」  ふらりとベッドから下りたら、膝が崩れて尻もちをついた。 「いてっ」  脚に力が入らない。痺れているというか、感覚が希薄になっているというか、浮いているような感じ。関節の傷みに加えて、腰に鈍痛を覚えた。尻に何かが挟まっている気もする。 (いったい、何なんだ?)  尾てい骨をさすりながら、腕の力でベッドに戻った。ゴロリと寝転がって深呼吸をすると、思考回路がようやく仕事を始めた。 「ん~……あ、れ? え……あぁっ!」  徐々に記憶がよみがえって、ガバリと起き上がったら節々が痛んだ。顔をゆがめて、あらためて部屋を確認する。見覚えのない本棚と机と椅子と、ベッド。いつもとは違うシーツの匂い。  間違いない。ここは、僕の部屋じゃない。勝負をした後、時哉の部屋に招かれたんだっけ。 「時哉……?」  部屋の主の姿が見えない。探しに行きたいけど、動くのがおっくうなほど体がだるい。ふと見れば、ベッドヘッドの棚に、大きいパックのコーヒー牛乳が置いてあった。その横には、僕の大好きなメロンパン。汚い字で、昴の朝メシと書かれたメモが貼ってある。  手を伸ばして、コーヒー牛乳を飲んだ。すっかりぬるくなっている甘ったるい液体は、今の僕にピッタリ合っていた。半分ほどを一気に飲んで、メロンパンにかじりつく。ベッドの上だから、クッキー生地をこぼさないよう注意した。 「ごちそうさま」  食べ終えて、ベッド脇にあったゴミ箱に、空になったパックと袋を捨てた。  時哉はどこに行ったんだろう。  糖分が体をめぐる。思考の回転速度が上がって、意識が完全に覚醒した。明確に昨日の出来事を思い出すと、足元からジワジワと羞恥が這い上がってきた。 「う、ぁ」  顔を覆ってうずくまる。何て事だ。僕は、時哉とエッチをしてしまった。なんで、あんな流れになってしまったんだろう。時哉との試合に興奮して、満足して、浮かれていたら部屋に連れてこられて、抱きしめられてキスをされて、突っ込まれて中に出されて。  途中から、記憶がない。  めちゃくちゃ気持ちよかった事だけは、覚えている。そうっと体を見れば、小さな痣がいっぱいあった。これはきっと、キスマークとかいうヤツだ。時哉がつけた、マーキング。 (僕……時哉のものに、なったんだ)  ボウッと頭に熱がのぼって、シーツに顔を擦りつけた。これは、時哉の香り。時哉のベッドだから、時哉の匂いがして当然だ。僕は時哉に内側まで暴かれて、満たされた。心も体も、時哉でいっぱいにされてしまった。 「う、わ」  めちゃくちゃうれしくて、恥ずかしくて、大声で叫びながら走り回りたくなった。シーツを掴んでゴロゴロ転がる。 (時哉は、僕を欲しがってくれた)  僕だけを見て、僕だけを感じて、僕だけを欲しがってくれた。そして、僕と時哉だけの世界を堪能したんだ。 「うわぁ、うわぁ」  ドキドキして、落ち着かない。そうだ! と思い出して、そろそろと用心しながらベッドから下りた。昨日、見せられた僕の試合の記録ファイルに手を伸ばす。  見間違いじゃない。僕がずっと時哉を追いかけていたように、時哉もまた、僕を追い求めてくれていた。僕が覚えていないような試合もすべてチェックして、僕を想い続けてくれていたんだ。 「死にそう」  ニマニマしながら床に転がった。ベッドに戻る余裕はない。幸せ過ぎて、死んでしまいそうだ。 (時哉は、僕を認めてくれていた)  僕の望みは、知らない所で叶えられていた。信じられない! でも、体に残った証拠が、本当の事だと言っている。 「ふふふ」  幸福に浸っていると、時哉が戻ってきた。 「何やってんだ?」  呆れられても、ニヤニヤと崩れた頬を引き締められない。 「時哉」 「ん?」  転がっている僕の横に、時哉がしゃがむ。 「勝負は、僕の負けだった」 「危なかったけどな。ギリギリ、俺の勝利だ」 「でも、僕の望みは叶ってしまった」  うん、とうなずいた時哉の唇が、僕の額に落ちた。 「熱烈な告白、ありがとな」 「告白?」  そんなもの、した覚えがない。じっと見上げていると、鼻をつままれた。 「気づいていないのか」 「何の事?」 「ずっと俺を見ていただとか、自分の人生は俺だとか。あとは、ええと……俺に認められるためだけに生きてきた的な事も、言っていたっけな」  覚えている。 「なんで、それが告白になるんだよ」 「告白だろ? ずっと俺に片思いをしていたんだって。俺に認められたら、後はどうでもいいなんて、すごい殺し文句だよな」  ニヤッとされて、顔をしかめる。 「情熱的で、クラクラした。告白の返事が告白だなんて最高だ」 「告白された記憶は無いよ」 「しただろ? 俺のパートナーになってくれって。昴に負けないくらい、熱烈なラブコール。おまえ、プロポーズみたいだって言ったじゃないか」  体を起こせば、頬に手を添えられた。 「昴を俺のものにしたいし、俺を昴のものにしたい。昴の人生を、俺にくれってな」  熱っぽくて艶やかな視線に、心を射抜かれた。唇が疼いて、薄く開くとキスをされた。 「んっ、ふ……ぅ」 「キスも、それ以上もしたいって言ったの、覚えてるか?」  言われた気がする。 「だから、遠慮なくさせてもらった。気絶するまで、する気はなかったんだけどさ。なんか、歯止めが利かなくて」  照れくさそうに頬をかく時哉に、胸がキュンと苦しくなった。ドッドッと耳鳴りみたいに心音が響いて、のぼせそうになる。 「と、時哉」 「ん?」 「僕は、その……時哉に、抱かれた……ん、だよね?」 「ああ。しっかり、抱かれた。何度もな」  クラリと目の前が暗くなって、倒れかけたら時哉の腕に支えられた。 「大丈夫か? 初めてなのに、めちゃくちゃヤッて、悪かったな」 「違う……そうじゃなくって。僕は、その……時哉のものになってしまったって事だよね」 「おう。そんで、俺は昴のものだ」  衝撃が強すぎる言葉にのけぞる。 (時哉が、僕のもの)  頭の中で繰り返す。望んでいたもの以上の出来事が、起こってしまった。時哉を目指して、僕を知ってほしくて、認めてほしくて、ひたすら戦い続けた。いつしか想いは大きくなって、独占したいと望むようになった。僕だけと戦ってほしい。他の誰も意識されたくない。僕だけを見てほしい。僕と時哉だけの世界に浸りたい。  髪を撫でられて、時哉の顔をじっと見る。満たされた、とろけたほほえみ。時哉の目には、僕だけが映っている。  ブワッと押し寄せた甘美な喜びのままに抱きつくと、強い力で抱き返された。 「時哉」 「うん」  夢じゃない。僕は時哉に触れている。抱きしめられている。 「僕は、時哉が欲しかった。ずっと、時哉を追い求めて、時哉の唯一になりたかった。だから、プレイヤーになった。ライバルとして、認識されたかった。だけど、サポーターに邪魔されたくなかったんだ。僕以外のものを、時哉との間に入れたくなかったから」 「うん」 「昨日は、すごく充実した試合だった。僕のために、またプレイシートに座ってくれて、ありがとう」  全身で時哉を感じた。全力で時哉と戦った。僕のすべてをむき出しにして、時哉に受け止めてもらった。 「最高だった。永遠に、終わらないかと思った。終わってほしくなかったな」 「終わらない」 「え?」 「違う形で、続いてる。なぁ、昴。試合の勝敗じゃなくってさ、覚悟を決めて返事をしてもらいたいんだ」  咳払いをした時哉が、背筋を正す。 「俺のパートナーになってくれ。極上の場所に連れて行ってやる」  力強い言葉が心にガツンとぶつかって、頭に響いた。 「俺は、おまえだけを見る。あますところなく、昴を知りたい。俺の人生全部をかけて、昴のパートナーとして生きていく。だから、昴の人生を俺にくれ」  衝撃が強すぎて、言葉が出てこない。  うなずけば、時哉と対戦はできなくなる。僕が長年追い求めていたものは、二度と手に入らなくなってしまう。だけど時哉との対戦を果たした今は、気持ちが少し変わっていた。  受け入れれば、望んでいた形とは違っているけど、誰も介入しない、時哉と僕だけの絆ができる。僕だけの時哉を手に入れられる。 「時哉が、ずっと僕だけを見続けてくれるなら」  だから、念押しをして承諾した。 「もちろんだ」  チュッと軽いキスの後、抱き上げられてベッドに座らされた。額を重ねて笑い合う。 「これから、よろしくな」 「うん」  照れくささを交えたキスをして、はにかんでいると「あ、そうだ」と、時哉が手提げ袋を持ち上げた。 「勝手に鍵を借りて、着替えを取って来たからさ。後でシャワー浴びて、着替えろよ。俺の服のまま、メシを食いに出るのはマズイだろ? パンツも穿いてないし」  言われて気づく。来ているTシャツも短パンも僕のものじゃないし、股間がスース―している。 「うぇ、あ、え……っと」 「とりあえず、終わった後で体は拭いたけどさ。着替え、無いと困ると思って。つうか、おまえの部屋、すごいな。マジで俺が大好きなんだなぁって、ニヤニヤした」  ニッと歯を見せられて、頬が引きつった。 (見られた)  時哉のポスターだらけの部屋を、見られてしまった。ポスターだけじゃない。雑誌の切り抜きや景品や、他にも色々なグッズまみれの部屋を、見られてしまった。 「あ、あぅ」 「うれしいっつうか、なんつうか。ずっと片思いをしていた相手が、俺の写真を見つめていたなんて、軽い嫉妬みたいなもんも感じたよ。昨日、おまえが言ってたやつって、こういう気持ちなんだなぁって、ちょっとわかった」 「こういうって?」  顔をこわばらせたまま問えば、ニヤついた口元をさすりながら言われた。 「昔の自分を見るなって、すごい顔で言ったやつだよ。現実の俺にはつれなくしといて、昔の俺に囲まれていたなんて。悔しいつうか、なんつうか……なぁ、あれ全部、外してさ、生身の俺だけ見ていろよ」 「あれを、外す? 冗談じゃない!」  思い切り突き飛ばしたら、ベッドから転げ落ちた。 「うわっ、なんだよ」 「あれは、僕の宝物なんだ。外せなんて、簡単に言うな!」 「本物が手に入ったんだから、いいだろう?」 「過去の時哉は、僕のものにならないじゃないかっ!」  にらみつければ、ふにゃふにゃした笑顔になられた。 「そんなに俺が好きか……そっかそっか。そんなら」 「うわっ」  飛び掛かられて、ベッドに沈む。 「たっぷりと俺にまみれさせてやる。用意しといた朝メシは食ったんだから、いいよな?」 「何が……いいって?」 「しばらくは、腹が持つって事だよ」  服の中に手を入れられて、肌をまさぐられる。 「えっ、ちょ……時哉?」 「想い続けていた相手と、両片想いしていたなんて、ロマンチックすぎて興奮するだろ。俺を突き飛ばせる元気があるんだから、大丈夫だよな?」 「だから、何が……ぁんっ、ちょ、時哉、ぁ、ああっ」  あっという間に裸に剥かれて、体中にキスをされて、わけがわからなくなってしまった。ヒリヒリする喉から声を絞り出しながら、最高の気分をたっぷりと味わわされる。 「んっ、ぁ、時哉、あっ、ぁあ……あっ、は、ああ」 「甲鉄に心を囲まれてる、冷徹な姫だなんて、嘘っぱちだな。俺の前じゃあ、本能むき出しのトロットロじゃないか」  ニヤニヤする時哉に突き上げられて、すすり泣きに似た細い悲鳴を上げながら背中に思い切り爪を立てた。 「んぁっ、あ、だっ……そん、なっ、ぁ、僕は、ずっと……昔から、ぁあっ」  時哉にだけ、情熱を注いできたんだから、時哉の前で熱くなるのは当然じゃないか。 (でも、ちょっと頑なだったかな)  時哉と対戦をするという凝り固まっていた意識が、愛撫の快感に溶かされていく。ライバルじゃなくて、パートナーになってしまったけど、求め続けた最終目的――僕だけを見て、僕だけを認識して、僕だけに夢中になる時哉は、手に入れられた。 「あっ、あ、時哉……ああ」 「昴、最高だ……俺の昴、もっと、極上の昴を見せてくれ」  繰り返される熱烈な囁きに、頬が緩んでしまう。いやらしく喘ぎながら笑う僕に、時哉はますます情熱をほとばしらせて、汗がにじむくらい夢中になって挑んでくれた。 「んぁ、あっ、時哉ぁ、あっ、あ」  この時間が、いつまでも続けばいい。誰にも邪魔をされない、僕と時哉だけの世界。僕だけの時哉。時哉が望むなら、僕はどんな事でもしよう。僕の人生は時哉のもので、時哉の人生は、僕のものなんだから。 了

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