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遅刻の言い訳 1
「じゃあ、そろそろ行くな、なるべく早くに帰るからな、寛也 」
「うん、おいしいご飯作って待ってるね、いってらっしゃい、優輔 」
腕時計で時間を確認して優輔が立ち上がる。寛也も見送る為一緒に玄関に向かった。
濃紺のスーツ、薄いブルーのワイシャツにきっちりネクタイを締めた優輔はどこからどう見てもサラリーマンだ。
学生時代ラグビーをしていただけありがっちりとした肩幅としなやかで逞しい肉体をしている。身長は185センチ、寛也とは10センチ差があり体重差はその倍だ。
体格だけでなく二人は対照な顔立ちをしていた。優輔はその体格に相応しく、男臭い精悍な顔付きをしているが、寛也は女性を振り向かせる甘いマスクだ。肩に掛かる金に近い茶髪にやや垂れた眦は母性本能を擽るのか、年上の女性からの指名を取りやすい。
そう、寛也は見た目のままの職業をしている。ホストだ。
今日は朝までホスト仲間と客達に付き合いカラオケをしてきて、今し方帰宅したばかりだ。
徹夜なので寝ていいと言ったにも関わらず、優輔が出勤してからでも十分に眠れると、寛也は眠い素振りなど見せずに優輔に笑顔を向けた。
「ねぇ、夕飯何食べたい?」
玄関にしゃがみ込んで革靴を履いていると、後から寛也が尋ねてきた。優輔は振り返り、ちょこんと正座をしている寛也を見下ろす。
寛也は小首を傾げはにかむ様に微笑んでいる。
可愛い。
朝から眼福だと盛大に頬を緩ませながら優輔は答える。
「そうだなぁ……寛也の料理は何でも美味いからな……うーん、和食な気分かな……」
「和食ね、うーん、お魚料理でいいかな?」
高校を出て料理の専門学校を経て、レストランの厨房勤務をしていた寛也。そのレストラン経営者が何故かホストクラブを始めたおかげで、ホストに転職。今でも店で厨房に立つ事は多いと言う。
高校時代からの付き合いもあって、優輔の好みは把握されている。そんな寛也の手料理はいつも優輔の腹と心を満たしてくれた。
「あぁ、それで頼む」
「うん、じゃあ、美味しいの作るね」
「楽しみにしてる、じゃあ、いってきます」
靴を履き終わり立ち上がると、背後で寛也も立ち上がったのが気配で分かった。
上がり框に立つ寛也とは身長差がほぼなくなる。もう一度じゃあと言ってから皮製の通勤用の黒い鞄を持ち、玄関の扉を開けようと手を伸ばした優輔を寛也が制する。
「待って」
「何?」
背後から腕を引いて優輔を振り返らせると、寛也はその逞しい体を思いっきり抱きしめた。
寛也は優輔と比べれば一回りは細いし小柄だ。しかしその寛也のどこにこんな力が、と思うほどに腕の拘束は強い。
「寛也?」
戸惑った声が優輔から漏れる。
「忘れ物だよ」
「え?忘れ物?」
「うん、いってきますのキス、してないでしょ?」
「あ、そうだった、ごめんな、寛也」
オレとしたことがうっかりしていた。そう思いながら、優輔はいつもとは目線の違う恋人の顔を見つめた。
薄く笑顔を湛え、閉じられた瞳、キスを待つ赤い唇は優輔を誘う。
しっとりと濡れた唇にキスを落とせば、花が咲くように瞼が上がり焦げ茶色の瞳が顔を出した。
「じゃあ、いってきます」
「うん、いってらっしゃい、でもまだだよ」
「まだ?」
「うん、今度はいってらっしゃいのキスね」
「あ、あぁ……分かった……」
寛也の瞳の奥の方で妖しげな光が瞬くのを見てしまい、優輔はぎこちなく頷く。キスは嬉しいのだが、今は出勤前、出来れば手短に頼みたい。それに今見てしまった雄の顔に、心の中で警鐘が鳴る。
優輔の心中など知らないといった顔で、今度は寛也から顔を近付けてきた。
「優輔ぇ……」
愛らしい声で、甘えたように名前を呼ばれるのは好きだ。好きだが今は出勤前でここは玄関で。
唇が触れると、優輔の背中に添えられていた両手が妖しく動き出す。肩甲骨の辺りを往復すると、すっと下げられ腰から引き締まった尻を一撫してから徐に揉みだす。
絡められた舌先は優しいのに、手の平の動きはいやらしい。明らかに尻の中心に触れてこようとしている。
優輔はその手から逃げるようにもぞもぞと腰を動かしてみるが、正面から腕を回されているので逃げられる訳がない。
「ひろ……」
せめて帰ってからにしてくれ、そう言いたいのだが深まるキスがそれを許してくれない。
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