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Lesson1_04

目が覚めると…目の前に、天使が居た。 窓から入る朝日を浴びて、明るく影を落とす彼の顔を見つめる。 柔らかい頬に可愛い唇。瞑った目の先に繊細にまつ毛が生えて、眼球が瞼を膨らませて美しい曲面を描く… うつ伏せて眠った俺の体に寄り添って、腕にしがみ付く北斗。 柔らかな髪が白いシーツに垂れて落ちて、髪の流曲線が美しくて、指でそっとすくって、ベッドに落とす。 サラサラと音が聴こえるようだ… あ…! カピカピになって肌にへばりつくパンツに、昨日の夜の出来事を思い出して、血の気が引く。 こっそりと北斗の眠るベッドから離れて、1人シャワーを浴びる。 「なんてことを…」 後悔先に立たずなんだ…。 頭を項垂れさせて浴室の壁に両手を着いて、首に冷たいシャワーを浴びる。 「…なんてことをしてしまったんだ…」 そう呟いて項垂れる… どうしよう… どうしたら良いんだ… シャワーから上がると、北斗はまだスヤスヤと眠っていた。 どうか…忘れてくれないか…昨日の事は。 無かった事にしてくれないか…北斗。 お前を襲った事… いやらしい感情をむき出しにして、抑えて隠した気持ちを吐露した自分を、どうか見なかった事にしてくれないか… 洋服を着替えて、ベッドに眠る美しい君の寝顔を眺める。 なんて綺麗なんだ… まつ毛の一本一本までも愛してしまいそうだ。 君の全てが…欲しい。 携帯のアラームが鳴って、起きる時間を知らせる。 それでも、ベッドの上の可愛い北斗は目を覚ます気配がない。 そっと肩に手を置いて、揺する。 起こしたくはない。 でも、起こさないといけない… 昨日の自分の蛮行と向き合わないと…彼を起こさないと… この子の晴れ舞台に間に合わなくなってしまうから… 体を揺すって起こす。 「北斗…おはよう。朝だよ。」 彼にそう声を掛けながら、目から涙が落ちる。 俺の事を嫌いになっていたらどうしよう… それが堪らなく怖かった。 うっすらと目を開いて、北斗が目を覚ます。 眼球を動かして、俺を見上げると、両手を広げて俺に伸ばす。 「理久…だっこ…」 その言葉に、その声に、嗚咽が漏れそうになる。 ごめんね…北斗、ごめんなさい…! 彼を優しく大事に抱き抱えて、窓辺に行く。 「見てごらん…もう朝だよ。鳩が飛んでる…」 俺がそう言うと、俺の肩に顔を預ける彼の首が少し動く。 温かい体温を感じて、癒されながら、懺悔する。 ごめんね…北斗。 俺の髪の毛を撫でながら、窓の外を眺めて微睡む、麗しの君。 あぁ…どうか、俺を嫌いにならないでくれ… このまま何事もなかった様に… もしも、昨日の事をまだ思い出していないだけなら、そのまま忘れてくれ… もしも、昨日の事を許してくれるなら、どうか…もう何も言わないで… こんな小さな子供に、そんな寛大な事を期待して…愚かな変態だと自分でも思う。 中途半端な変態だ… 変態にすらなれていない…中途半端な変態だ… 「理久?…昨日…」 肩に顔を置いたまま北斗が話し始める。 体中に緊張が走って、背中に冷や汗をかく… 「…うん」 覚悟を決めて彼の言葉に相槌を打つ。 「酔っぱらって…俺の事…エッチしたよ…?」 エッチなんて…知ってるの? そのことに驚きつつも、酔っぱらって…という彼の優しさに縋る。 …酔っぱらってはいないんだ。酔わずにしてしたんだ… それでも、お前の言葉に、甘えさせてくれ…すまない…。 「…ごめんなさい。北斗…」 彼の肩に頬を付けて、顔を逸らして自分の罪に向き合う。 胸が痛くて、心が張り裂けそうになる… 「…良いよ。気にしてない…」 北斗はそう言って俺の肩に顔を埋めて言う。 「酔っ払いは嫌い…理久の事は好き…だから、もうお酒は飲まないで…?」 「…分かった。ごめんね…ごめんなさい…」 そう言って彼の肩に顔を埋めてむせび泣く。 なんて情けない男だろう… こんな…まだ子供の北斗に…寛大な、恩赦を受けた。 この子が赦してくれるなら、俺だけは自分を許さない様にして、一生酒は飲まないことを決める。 酒のせいではないけど…一生飲まない。 彼がそう言ったから、もう飲まない。 絶対、一生飲まない…! 「泣かないで…可哀そうな理久…そんなに悲しいの?俺とエッチしたのが悲しいの?」 「エッチしてない…してない…」 彼の肩に顔を埋めて、顔を上げられないくらいに泣く。 この子が赦せば赦す程に…自分の汚さを思い知る。 薄汚くて…ズルくて…お前の優しさに甘えて…体を触る変態だ。 「大丈夫…理久の好きな人に言ったりしないよ?ドラマの女の人みたいに、しないよ?」 そう言って俺の両頬を掴むと、泣いてる俺の顔を上げて見つめて来る。 「…こんなに泣いて…怖くなる位ならしなきゃ良かったのに…理久は馬鹿だね。」 「うん…うん…」 俺はそう言って涙を落としてあの子に頷く。 俺は馬鹿なんだ…北斗。 馬鹿でさもしくて…汚い変態オオカミだ… こんなに優しくて、純粋な子に欲情して、腰を振ったんだからね… 最低だと罵られるべき人間なんだよ。 それなのに…お前は俺を優しく包んで、許してくれるんだ… こんな情けなくて、惨めなことは無い。 「支度をしようか…?」 俺がそう言って彼を床に下ろすと、北斗は走ってトイレに行く。 「ウンチ出る~!」 そうか…それは聞きたくなかったよ… 「沢山エビが出たんだよ?プリプリって出たの…」 支度を済ませて、朝食を摂りに食堂に来ても、北斗の下の話が終わることは無かった… 「北斗…ご飯中の人もいるから…止めなさい。」 俺はそう言って、北斗を注意する。 「だって、あんなにエビが沢山ウンチになって出たんだよ?凄いだろ?」 何が凄いんだよ… 全く… 「俺は毎朝いっぱいウンチが出るんだ~。だから太らないんじゃないかって、星ちゃんが言ってた。ウンチが沢山出るから、たくさん食べても太らないんだって。理久もウンチが沢山出るでしょ~?昨日だって、いつまで経ってもトイレから出てこなかったじゃ~ん。」 同じようにコンクールで1位を取った他の年齢の子供が…親子が…俺と北斗の席をまじまじと見ながらクスクスと笑う。 「北斗…もうやめて、ご飯が食べたいから…」 俺はそう言いながら、彼のトーストにバターを塗る。 「でも~」 でもじゃないんだよ… 「朝から元気だね。おはよう藤森北斗君。」 バイオリンを片手に、既に朝食を済ませたのか、外で食べるのか…輪廻典正先生が北斗に声を掛ける。 北斗は彼を見上げて言った。 「ボンジュール…」 そう言って俺を見つめるとパクリとパンをかじる。 媚びは売らないけど、挨拶をしないと俺が注意するから、フランス語で挨拶したの? ふふ…おっかしい子。 「ふふふ、君は面白い子だね。今日、これから少し練習をして会場に向かおうと思うんだけど、北斗君も一緒に来るかい?先生が見てあげるよ?どうする?」 輪廻先生の話に、北斗は首を振って言う。 「俺にはチーボーがいるし、理久が居るから、あなたは要らない。」 痺れるね…北斗。 お前のその毅然とした態度…最高にクールだよ。 「…そう。残念だよ。まぁ、豪君の実力の方が断然上だから、君の良いお手本になると思ったんだけどね…。仕方がないね。良い機会だと思ったんだけど、これ以上伸びるつもりがないらしい。それでは失礼するよ。」 そんな負け惜しみを言って、輪廻典正が立ち去っていく。 ざまあみろ!ば~か! 「ねぇ?理久~?俺、あの人、いや~。だって、意地悪なんだも~ん。」 北斗はそう言って、パンのおかわりを取りに行く。 全然こたえちゃいないんだ。 強い子だ。 強くて優しい…そしてモンシェリ…君は俺の命だ… 朝食を済ませて、会場へ向かう。 それは中規模のコンサートホール。 何度か利用した事のあるホールだった。 「北斗、トイレを済ませておこうか?」 「俺、ウンチいっぱいしたも~ん!理久は行った方が良いよ?おちんちんがグインってなっちゃうからね?」 ここがフランスで良かったよ…。 周りの人はこの子が何を言ってるかなんて分からないから、そのまま素通りしていく。 これが日本だったら、ジロジロ見られた挙句に通報されるんだ… 北斗の手を握って、片手に彼のバイオリンを持つ。 二人で特別講演が開催されるホールへ入って行く。 まだ開場前の客席に座るのは、参加者の家族や関係者達だ… ワクワクしながら、自分の子供の出番をプログラムで確認している大人。 あれが…普通の親なんだろうな…。 隣の座席で周りの様子を見ている北斗は、そんな大人を羨ましそうに目で追っている。 お前の傍に居るのは…変態オオカミだもんな… 嫌になるだろうね…ごめんよ。 俺は今日のプログラムをパラパラと開いて目を通す。 幼稚園生、年少、年中、年長クラスの1位の子の演奏の後、北斗が入賞した小学生、低学年、中学年、高学年の1位の子の演奏。その後、中学生、高校生と演奏をするようだ。 他の国からも、同じ企画のコンクールの入賞者が参加している。 俺が気になるのは…イギリスのこの子…こんな難しい曲を弾けるなんて…ただ者じゃない気配がビシビシ伝わってくるね… 後は…輪廻先生の教える、豪君って子供かな…彼はツィゴイネルワイゼンをコンクールで弾いたようだ… 俺達はコンクール当日、北斗の出番が終わった後、小ホールで行われていたバレエの観賞をしていたから、後に誰が何を演奏していたなんて知らないんだ…。 だとしても…きっと北斗の方が上手に弾けるに決まっている。 「北斗?あの輪廻典正先生の所の子、豪君って言っていたね…あの子は小学生、高学年の部門で1位になった子みたいだ。ツィゴイネルワイゼンを弾いて入賞した様だよ。今日はその他に一体何を弾いてくれるんだろうね…?楽しみじゃないか?」 俺がそう言って隣の北斗を見ると、彼はあたりを見回しながら口を開いていた。 そして、指を上に上げると俺に尋ねる。 「理久~?どうして壁がボコボコしてるの~?」 彼はホールの音響設計が気になるようだ… 「これは音響設計って言ってね、音の跳ね返りだとか増幅を設計して作られているんだよ…だから不思議な形をしているけど、実際に演奏してみるとよく分かる。音が客席に落ちるんだ。」 俺がそう言うと、北斗は目を輝かせて感嘆の声をあげる。 「そうなんだ…!凄いね~?」 俺はそんな彼の笑顔を見つめて、にっこりと微笑む。 可愛いんだ… 可愛くて堪らないんだ…。 ほっぺたが落ちそうなくらいに、デレている。 そうこうしている間に会場の時間を迎えて、一般のお客さんがぞろぞろと会場入りを始める。 一気にフランス語で溢れる会場に、北斗がキョロキョロと見渡して言う。 「理久~?トレビアン!満員御礼だよ~?」 そう言って俺の顔を覗き込んで嬉しそうにキャッキャと笑う。 お前に緊張という文字は無いの? 座席に深く腰掛けて足をブラブラさせながら、北斗は満足そうに笑って言い放つ。 「俺が目立つじゃ~ん!」 そんな当然の事を言って嬉しそうに、んふんふ…と笑う。 当たり前だ。 俺はその為にここに連れて来たんだからね。 お前を目立たせて、注目を浴びて、知名度を上げる。 ニッチな社会で一度ついた名誉はなかなか落ちない。 この経験がいつしかお前の糧になる様に… すべて、いつか自由になるときの為に… 俺はお前に出来る限りのことをしてあげたいんだよ。 特別講演が始まって、他の国の子供たちがバイオリンを弾く。 北斗は熱心に耳を澄まして聴き入ってる。 自分より小さい子供の演奏も、自分より大きな子供の演奏も、どれも聴き洩らさない様に、俺の手を握りながら、指先で調子を取る。 暗くなったホールの中、ステージの上が輝いて見える。 それを熱心に見入る彼の横顔を見つめる。 昨日の事を…そっと心の中で思い出す。 あんな事して…ごめんよ。 それでも、思い出すと興奮してくる自分がいるんだ…馬鹿だろ。 あんなに後悔したのに、まだお前に欲情するんだ… 「理久…聴いて?このハーモニー…なんだろう…?」 そう言って耳を澄ませるのは幼稚園の女の子のバイオリン。 彼が注目するのは紡がれたハーモニー… その理由はどこから来るのか…彼女の音をじっくりと聴き入る。 技巧としては…幼稚園生のお上手なレベルの演奏だ… なのに熱心に耳を澄ませる北斗…。 「ねぇ…理久?ピアノとバイオリン、どちらの音が強いのかな?」 音の強さ?さぁ…弾き方にもよるだろう。 「そうだな…弾き方にもよるし、曲にもよる。彼女が弾いた曲は丁度ピアノもバイオリンもどっこい…と言ったところか…。」 「そう…」 小さくそう呟いて、唇に指をあてて音を聴いている。 音楽の子供。 何を悩む事があるの? お前は完璧じゃないか… そのバイオリンを聴いたら、たちまち皆が驚くぞ? 拘束されるような生活の中で、音楽だけは自由で、まるで空を羽ばたく鳥のように、気持ちよさそうに飛び回れるんだ…羨ましいね。 固定概念の付いた頭では越えられない壁を、軽々と超えて行くんだ… 初めて演奏を聴いた時…調子のいい鍛冶屋をチェロで弾いた彼に、自由を感じた。 ピアノの演奏で良く耳にするこの曲を、俺は…チェロで弾きたいんだって…そんな思いと、自由を感じた。 そう言う事なんだよね… きっとそう言う事なんだ… ピアノの曲は…ピアノで弾いて…バイオリンの曲はバイオリンで弾く…チェロの曲はチェロで弾く… そんな下らない固定概念が、無いんだ。 俺が弾きたい曲だから、弾く。 それだけの事なのに…酷く、感銘を受けたんだ… それはすなわち…俺も知らずのうちに、そういう固定観念を持ってしまっていたという事なんだよね…。 同じ音楽なんだから、どの楽器で演奏しても構わないんだ。 自由なんだ。 「理久…俺、カンパネラやめる…」 ステージを見つめながら、突然北斗がそう言ってぼんやりする。 「そう…?じゃあ、どうする?」 そう言って彼の顔を覗き込むと、北斗は言った。 「調子のいい鍛冶屋を弾きたい!」 まるで左の耳で音を聴き続けているかのように、顔を俺に向けながらも視線が合わないで、頭の中で音をずっと追い続けている。 「ふふ…良いよ。好きにしなさい。」 俺はそう言って北斗の髪を撫でると、椅子に深く腰掛ける。 北斗はずっとステージから視線を外さないで聴き入ってる。 たまに首が揺れる程度で、微動だにしないで上から降ってくる音を浴びている。 とても楽しそうに音を味わっている様子に、こちらまで嬉しくなってくる。 しかし、どうしたのか…気が変わったようだ。 ここへ来て、曲の変更だ。 飛行機の中で見た夢を思い出す。 丁度あの時、調子のいい鍛冶屋が頭の中に流れていた… まるでこの出来事を予見していたみたいだ。 ふふふ…おかしいな。 「ふふふ…」 声を出して笑う俺を、北斗が振り返って怪訝な顔をして見つめる。 「理久って、やっぱり変な人だ…」 そう呟いて、ステージに視線を戻した。 変な人?いや、俺は変態だよ… 変態オオカミだ。 その後も北斗は飽きることなく演奏を聴き続けた。 「そろそろ出番だから…」 俺はそう言って、彼を連れて楽屋口へ向かう。 「おや」 そんな声が聞こえて振り返ると、輪廻先生と豪君が楽屋前に居た。 「どうも…」 俺は適当に会釈して、笑顔で彼らの前を通り過ぎる。 「お兄ちゃんは何を弾くの?」 俺の後ろで、北斗がそう言って豪君に話しかけている。 「北斗…」 俺は振り返って北斗の手を繋ぐと、軽く会釈する。 「僕は、ラ・カンパネラと…君と同じ、アダージェットを弾くよ?」 そう言って豪君が北斗に不敵に微笑む。 その笑顔は決してやさしい笑顔などではなく、どちらかというとアグレッシブなものだ。 北斗がコンクールで弾いたアダージェットを弾く… まるで…自分の方が上手いと言わんばかりの選曲だ。 「へぇ~、そうなんだ…。俺は、カンパネラ弾こうと思っていたけど…お兄ちゃんと被るから止めたんだ~。だって、俺の方が上手かったら…悲しくなっちゃうだろ~?」 北斗~~~っ!! 豪君にニコニコと笑いかけながら鋭いジャブを放つ、負けず嫌いな彼の手を引っ張って、楽屋口へ急いで逃げる。 「ダメだよ…北斗!あんな事を言ったらダメだ!」 小さい声でそう注意しながら、北斗を見下ろすと、彼は俺を見上げて言った。 「やられたら…やり返すんだ!」 どうして…そんな所で男気を見せるんだよ… 「曲を変えたのは偶然だよ?俺は良い事を思いついたんだ!…うしし。」 何を企んでいるのか知らないけれど…危ない事だけはしないでくれよ? 全く… 血の気が多いのか…舐められたくないのか… アグレッシブなんだ。 楽屋に来ると、出番を控えた子供たちが緊張感を持って、静かに待機していた。 さすが1位になるような子供たちだ…落ち着きと集中力が半端ない。 静かな楽屋、1人だけドタドタと北斗が走って俺に近づいて来る。 「理久~!外のジュース買って~?」 そう言って俺の腕を引っ張って廊下へ連れて行く。 「俺ね、俺ね、ぶどうジュースにする~!」 緊張感が無いのか… 「北斗…集中力を保つために、みんな静かにしているから、騒いじゃダメだよ?」 俺はそう言って、北斗にぶどうジュースを買い与えると、一緒に楽屋に戻る。 豪君と輪廻先生は別室の様で、こちらの楽屋は使っていない様子だ。 凄いな… 彼は特別扱いなのか… 「理久~?おちんちんがグインってなる時ってどんな時~?」 静まる室内で…北斗の声が良く響く… ソファに座る俺の膝に寝転がって、ずっと下の話ばかりする… 「理久~?ねぇ、理久?どうしておちんちんがさ~、グインってなるの?」 しつこいな… 「ならないよ…北斗、声が大きいから静かにしなさい。」 俺はそう言って、北斗の口を手のひらで塞いで下ネタを止める。 それを鬱陶しそうに外すと、もっと大きな声で言った。 「え~、なったよ~?昨日、俺と一緒にお風呂に入った時、理久のおちんちんがグインってなったじゃないか~!」 「北斗~~!」 沢山の子供たちが待機する楽屋に、俺の叫び声が轟く! はっ!いけない! 俺は彼の口を押えて抱きかかえると、楽屋を急いで出る。 「ダメなの~ダメ、ダメ、おっきい声で言ったらダメなの~!」 ひそひそ声でそう言って廊下で彼に厳重注意する。 北斗を階段に座らせて、向かい合う様にしゃがんで言い聞かせる。 「おちんちんの話は、もうこれ以上言ったらダメなの。分かる?それが男だよ?」 俺がそう言うと、北斗はシュンと俯く。 「だってぇ…理由が知りたかったんだもん~。」 そう言って俺のベストの生地を指でグリグリと撫でる。 理由? もしかして…その理由が分かるまで…ずっとグインの話を聞いて来るつもりなの? それは……まずいだろ? 「北斗…俺のおちんちんがグインってなったのは、お前の裸を見て、お前のおちんちんを見たからだよ?分かった?」 抑揚を付けずに早口でそう言って、無表情のまま続けて彼に言う。 「これでどうしてか分かっただろ?もう聞かないで?良いね!」 俺は自尊心を捨てて彼の欲求が解消する方を選んだ。 だって、彼がしつこいのを良く知っているから… 今、ここで解消することが賢明だと判断したんだ。 しかし、俺が身を削ってそう話しても、北斗はまだ納得しないで食って掛かる様に聞いて来る。 「分かんない!どうして俺の裸を見るとおちんちんがグインってなるの?!そんなの、全然分かんないよ!」 全く…!! 納得いかないとずっと聞き続けるんだから… これじゃあ…キリがないよ! 「では、ハッキリ言おう!俺がお前の事を愛してるからだよ!」 俺はそう言って、8歳の北斗を見つめる。 北斗は驚いた顔をしながら固まって、俺の目の奥を見つめる。 あ、今…俺、告っちゃった… 「…ぷっ!」 突然吹き出すと、大笑いし始める。 全く! 「だははは!理久~!理久は本当、面白いね~?俺も理久の事が大好きだよ?んふふ。んふふふ。んふふ…!」 絶対冗談だと思っている彼を無視して、楽屋に戻る。 全く…! 俺の羞恥心も俺の自尊心もボロボロにして…結果、大笑いで済ませるなんて…! デリカシーのかけらも無いんだ! 「あははは…んふふふ…お腹痛い…お腹痛いよ…理久~。」 そう言って、ムスくれてソファに座る俺の膝にまたゴロンと寝転がるんだ… 俺の気持ちを弄ぶみたいに…甘えるんだ! 「全く!」 そう言って、彼の頭を優しく撫でる。 愛してるよ…それは冗談じゃなく、本心だ。 でも、お前が…それを冗談だと思うなら、今はそれでいい。 人は見たいものしか見ないし…聞きたい事しか聞かないんだ… 今のお前には冗談に聞こえるこの言葉も… いつか、本気に聞こえる時が来るかもしれない… 冗談じゃなくて、本気で受け取ってくれる時が来たら お前の事をずっと愛してるって…伝えよう。 北斗…それまでずっと一緒に居ようね… 離れないでいようね? そうすれば、きっといつか、そんな時が訪れるかもしれないから。 北斗の出番が近づいて来て、俺達はステージ袖に移動する。 今日はごねないで袖まで自分の足で歩いて来れたぞ! 「理久…お客さんの席にいて…?」 突然だな… しっかりしてる子たちに囲まれて、恥ずかしいという羞恥心が今更芽生えたのか? グズグズに甘えて、ベタベタに甘える自分が、年齢の割に赤ちゃんだと気付いたのか?フフフ… 「分かったよ。」 俺はそう言って彼から離れると、袖から降りて、非常口から客席に移動する。 彼が良く見える前方の席に座って、彼の登場を待つ。 目の前の知らない子の演奏が終わって、拍手が起こる。 藤森北斗の名前が呼ばれて、彼が美しくステージへ上がる。 「北斗…綺麗だ…」 口を開けて、彼を仰ぎ見る。 北斗は俺をすぐに見つけて微笑みかける。 「素敵だよ…」 小さくそう呟いて、彼に伝える。 「愛してるよ…」 バイオリンを首に挟んで、美しく弓を構えるモンシェリ… アダージェットのピアノ伴奏が始まって、あの子が奏でる美しくも儚いアダージェットが始まる。 俺を見下ろして、俺を見つめて…まるで、俺の為に弾いている様だ… 美しい旋律を奏でて、哀しさと、愛情が行ったり来たりする… そんな音色に魅了されて、彼を見つめたまま固まる。 愛しい彼を抱きしめて、自分の物にしたいのに… それが出来ない自分を、彼の奏でる曲の中に感じて、呆然とする。 「はぁはぁ…北斗…」 それはまさに変態の狂気だ… まるで見透かされている様な錯覚を起こして、恍惚とする。 彼の伏し目がちな目が俺を見つめて、愛おしそうに口元を緩ませる。 北斗…お前…もしかしたら、俺の事を…! そんな勘違いを起こしそうなくらいに、目の前のステージでバイオリンを弾く彼は、儚く、素敵に…俺を見つめた。 心が揺れて、鼓膜が揺れる… 激情を思わせるような勢いの付いた旋律を奏でて、北斗がアダージェットを弾き終える。 最高だ… いつもよりも…感情のこもったアダージェットに… 痺れた… 北斗はバイオリンを首から外して、丁寧にお辞儀をする。 会場は拍手喝采。 そらそうだ!彼はいつも以上に素晴らしい演奏をしたんだ! 俺は涙を落としながら笑うと、彼に沢山の拍手を送る。 なんて…素晴らしい人なんだ… まんまと勃起したよ… 拍手が止んで、北斗が再びバイオリンを首に挟む。 美しく弓を構えて、彼が弾き始める…調子のいい鍛冶屋。 指を忙しなく動かしながら、弓を上手に操って細かい旋律を弾く。 まるで運指の練習をする様に、1音1音確実に踏んでいく。 初めは彼のソロ演奏だった調子のいい鍛冶屋は、曲が進むにつれて、複雑に伴奏の旋律と絡まり始める。 それは美しいハーモニーを生んで、まるでオーケストラのような壮大な音の厚みを持ち始める… 「北斗…お前…」 彼のバイオリンは自由に曲の中を泳いで、ピアノの音色と手を繋いで飛んでいく。 これは…バイオリンの発表じゃない…これはピアノとの合奏だ…!! 何て美しい旋律を作るんだ… 「素晴らしい…」 ピアノの伴奏者が気持ち良くなっていくのが音色で分かる。 あぁ…俺が弾きたかったよ… 何てことだ… この子は自分のバイオリンの音色だけじゃなくて…このホールの増幅される音響効果を利用して、自分のバイオリンの音色と、ピアノの音色との相乗効果を狙っていたんだ… そうして完成されるハーモニーが分かっているみたいに、旋律を選んで踏んでいく…これは音楽的センスだ…それが、卓越している!! 信じられない…! 信じられないよ!! 「ブラボーーー!!」 曲が終わるころ…俺は耐えきれずにそう言って立ち上がった。 後ろの方で、同じように感銘を受けた数名が立ち上がる。 北斗は嬉しそうに笑って、踊る様にくるりと回って曲を弾き終える… 凄い子だ… 凄い子なんだ…!! この子は、バイオリニストなんかじゃ収まらない… もっと大きくなる…。 もっと大きな目で音楽を見てる… 広い視野を…俯瞰した視野を、持ってるんだ。 「感動した!」 俺はそう言って北斗を抱きしめる。 「んふふ。どんな感じに聴こえた~?」 「オーケストラだ…!まるでオーケストラのように聴こえた!」 俺はそう言って北斗の頭にチュッチュッとキスする。 この子は、自分の演奏に酔うんじゃない…奏でるハーモニーに酔うんだ… 凄い…凄いよ… 「あと、オーボエがいればもっと良いのになぁ…」 北斗はそう言って笑う。 「フルートじゃダメなの?」 面白いから、俺はそう聞いた… 彼は俺を見上げると言うんだ。 「オーボエの音色がアクセントになるんだよ?それは、この曲の雰囲気をガラリと変える、特別な音なんだ~。」 そうか…そうなのか…ふふ 俺は頬っぺたが落ちるくらいに微笑んで、彼を見つめる。 嬉しい…嬉しい… こんな俯瞰した音楽観を持って話すこの子が…この子の存在が嬉しい。 「北斗…誰が何と言おうと、お前が一番の音楽家だ!マエストロ!」 俺はそう言って彼を再び強く、抱きしめる。 邪な思いなど無くなる位の、尊敬と喜びの気持ちで、音楽の子供を抱きしめる。 何て子供の傍に居れるのだろう… 幸せだ。 この子は確実に俺の音楽観を変えて、高みに登らせてくれてる。 この子に音楽を教えてるんじゃない。 この子に音楽とは何たるかを、教えられている気がしてならないよ。 素晴らしい…音楽の先生だ。 一緒に客席に戻って、他の参加者の演奏を聴く。 お利口に座って、長い時間も飽きないで耳を澄ませる北斗。 そうか…良い演奏を聴きたいんだね。 みんな1位の子ばかりだから、曲の完成度が高くて… 個人個人の音色を奏でてくれる…。 それが楽しいんだ。 だから、ごねることなく、聴いているんだね。 「理久~?豪君だよ?」 北斗が指を差すステージに、輪廻先生の豪君が上がる。 落ち着いた様子に見えたが、手が震えているのか…音がふらつく。 「…緊張してるのかな?」 俺がそう言うと、北斗が口を尖らせて言った。 「ビビったんだ~。豪君はビビったんだ~。」 全く… ラ・カンパネラの醍醐味と言える弾むような音が乱れる… ピアノの伴奏がズレていく…。 完全に頭が真っ白になっている状態が、手に取るように分かる… どうしたんだ…一体何があったの? 緊張するような、初めての舞台でも無いだろうに… 北斗はその様子をじっと見つめて、聴くに堪えなくなったラ・カンパネラを聴く。 まるで自分の反面教師にでもするかの様に、豪君を見入る、彼の姿を見つめる。 「どうしたんだろうね…」 俺はポツリと言うと、北斗の頭を撫でる。 「きっと…俺の演奏にビビったんだ…この次のアダージェットも最悪になるよ…」 北斗がそう言って、俺を見つめる。 「みんな上手だから、俺もドキドキした…だから、理久の事だけ見てた…」 そう言って俺の体に抱きついて、鼻をスンスン鳴らす。 「あそこの上は思った以上に怖いんだ。」 そうか…そうだよね。 「北斗はよく頑張ったね…偉かったよ。」 俺はそう言って、抱きつく彼の髪を優しく撫でる。 どんなに優秀な人でも、一度乱れた心は元に戻るまで時間がかかる… そうならない為に、お前なりに考えたんだね。 「理久が変な顔してるなって…思いながら弾いたの。」 そんな憎まれ口…俺には通用しないよ。 「そうか…」 そう言って彼の髪を撫でる。 いつの間にか、お前にとって俺は揺るがない支えになっていた様だ… 光栄だ。 尚更、昨日の夜の出来事が…俺の心を締め付けるよ。 ごめんなさい…北斗。 「さぁ、帰ろうか…」 全ての演奏を聴いて、ホールを後にする。 これはコンクールじゃないから、順位なんて発表されない。 だから、楽屋には行かずに、そのままホテルへ帰る。 ホールを出ると、北斗が走って俺の手を引っ張る。 「理久~?ご飯食べてから飛行機に乗る~?」 「そうだね…。そうしよう。」 弾丸ツアーの様に、用が済んだら帰る。 彼と二泊は、俺の自制心が持たないから、このくらいが丁度いい…。 「理久~?チーボーに会いたい。」 そう言ってタクシーの中、北斗が俺の膝に寝転がる。 「そうか…じゃあホテルで荷造りしたら連絡してみるよ…」 俺はそう言って、彼の髪を撫でる。 まだ心の奥が震えている。 彼のアダージェットの熱さ… お前も本当は、俺の事が好きなんじゃないの… だからあんなに熱のこもった…本気のアダージェットを、俺に送ったんじゃないの? 俺の鼻の穴に指を入れて、キャッキャと笑う北斗を見つめる。 まさかね… ただ、そう勘違いしてしまう程に上手だったんだ。 心を動かされて、鷲掴みされた気持ちだ。 「北斗は…凄い!」 俺はそう言って彼の髪にキスする。 「んふふ~!」 嬉しそうにそう笑う…可愛いモンシェリ。 「チーボー!」 スーツケースを二つ持って、ホテルのエントランスへ向かうと、チボーが北斗を見送りに来ていた。 連絡をしたらすぐに来るんだ…これが外国人だ! チボーに走って向かう彼の後姿を目で追いかける。 チボーは北斗に向かって両手を広げてしゃがみこんだ。 そして、思いきり北斗に飛びつかれて、後ろに転んでる… ダメだね…まだまだだ。 俺はもう転ばなくなったぞ? ふふん… 太極拳の様に、あのエネルギーを逃がしながらくるっと回って抱き上げると、自分も転ばないし、北斗も楽しいんだ… 俺はそれを習得した! お前とは年季が違うんだ! 「マシェリ…寂しいよ。北斗に会えなくなるなんて…寂しいよ?」 チボーはそんな事を言いながら、抱きかかえた北斗と向かい合ってニヤニヤしてる。 「チーボー、オルボアール…」 北斗はそう言って、チボーの肩に顔を埋めてシクシクする… そんな奴の為に泣かなくても良いんだよ…北斗? そいつは1年で3回も彼女にフラれるようなクズ男だ。 しかもみんな違う女の子だ! 「ねぇ、チーボー、Tout Tout Pour ma cherieを歌って~?」 チボーにそう言ってリクエストする北斗… 彼はにっこり笑うと、リクエスト通り、北斗へ歌を歌い始める。 それは愛する人への歌。 全てを愛しい人へ…そんな歌。 「でも、俺は男だから、モンシェリだよ?」 北斗がそう言ってチボーを見上げる。 言葉が通じなくても意味が分かった様で、チボーは“マシェリー”を“モンシェリ”に直して歌う。 面白いやつだ… そうしてタクシーまで北斗を抱っこして、ぐるぐると回しながら歌を歌う。 「んふふ!んふふ!」 そう笑って喜ぶモンシェリ。 「ボン、ルトゥール、ホクト」 タクシーの前でそう言って北斗の頬にキスをする。 「ん、サリュ~!チーボー!」 北斗はそう言ってチボーと別れの挨拶をする。 トランクにスーツケースを乗せて、チボーとハグをする。 「すっごい可愛い!北斗が欲しい!」 俺にそう言うから、俺は彼の顔を見て言ってやった。 「ダメだよ。彼は俺の命なの…じゃ、またね~。」 タクシーに乗って、チボーの姿が見えなくなるまで手を振る北斗… 可愛いモンシェリ。 来た時と同じように、彼の為に窓を開けて、彼の歌うシャンゼリゼを聴く。 タクシーの運転手が喜んで、手拍子をする。 それに、んふふ!と嬉しそうな声を出して、もっと上手に歌を歌う。 丸い形のシャルルドゴール空港に到着して、タクシーを降りる。 北斗のシャンゼリゼを沢山褒めてもらったお礼に、チップを多めに渡す。 「羽田?成田?」 やっぱり、それが気になるの…? 空港に着くと、スーツケースを二つ並べて運ぶ俺を見上げながら、ちょこまかと纏わりついて聞いて来る。 「もちろん、羽田空港着だよ。」 俺はそう言って、彼の満面の笑顔を貰うんだ。 成田だと帰りの電車が長いから、それが嫌なんだ。 お前の嫌がる事なんてしないさ… ちゃんと家に近い空港を選んでるよ。 他の参加者たちは明日帰る予定の所、北斗と俺は今日帰る。 理由は、北斗のお友達…星ちゃんのお誕生日があるからだ。 ちょうど東京について、次の日が星ちゃんのお誕生日。 二泊したらお誕生日に間に合わないから、北斗は何としても今日中に帰りたがった。 俺だって、彼ともう一泊するなんて、ごめんだった。 一泊でも自制心を抑えることが出来なかったのに、二泊なんてありえない…! あんな素晴らしい演奏を聴いた後なら、なおさら…危険すぎる。 彼が欲しくて堪らないんだ。 「理久~?星ちゃんにお土産買いたい。お誕生日プレゼントだ。」 チェックインを済ませた後、北斗がそう言ってお土産屋さんに立ち寄る。 「理久~?オルゴールが買いたいの…」 北斗はそう言って俺のジャケットの裾を摘まんで、店内を見渡す。 彼の目線の高さには見当たらないから、探せ…という事だな…。 空港内のお土産屋さん…免税店にはブランド品やメジャーなお土産は置いてあるけど、オルゴールなんて…無さそうだ。 「どうかな…ここは免税店だから、メジャーな物とか…ブランド物しか置いてなさそうだね…」 俺はそう言ってジャケットを摘まんでモニモニする彼の手を繋ぐ。 「…フランス土産は、オルゴール…調べは、アマリリスなのに…」 北斗がそう言って、オルゴールの見当たらない店内に意気消沈する。 困ったな… そういう物は空港じゃなくて、雑貨屋で買えば良かったな…。 俺のミスだ! 「北斗…星ちゃんは魚が好きだろ?塩とかどうだ?」 俺はそう言って、目に付いた塩を手に取って北斗に勧める。 「え…塩…?」 明らかに嫌そうな顔をして北斗が俺を見る。 「焼き魚に塩を振って食べるのが、粋な男の魚の食べ方だよ?しかも、この塩は職人が作ってるんだ!」 「職人?」 北斗が食いついて来た…! 目を少しだけ輝かせて、俺の話を聞き始める。 「そうだよ?塩職人が作った塩なんだ。だから、星ちゃんはきっと魚をいつもより美味しく食べられるよ?」 「そうする~!」 北斗はそう言って、即決すると俺から塩を奪って走ってレジに向かう。 その後ろを付いて行って、お会計を済ませる。 「フランス土産~、職人の塩~だ~よ。たりらりらりら~、魚に掛けてくれ~。」 即興で替え歌を作って、塩を掲げて北斗がご機嫌になる。 「星ちゃん、きっと喜ぶよ?理久~、ありがとう?」 俺にそう言って満面の笑顔をくれる。 お安い御用さ、モンシェリ。 ごめんよ、星ちゃん。 空港内のカフェで夜ご飯を北斗と食べる。 「理久~?見て見て?ハンバーガーに棒が刺さってる~!」 北斗がそう言ってはしゃぐ。 ハンバーガーに刺さった棒を引き抜くと、崩れて来る中身を指でつまんでパクパク食べ始める…。 お昼を抜いたからお腹が空いているのは分かるけど… この食べ方は何とかならないものかな… 昨日はエビ、今日はベーコン…これではいつも食べ物の匂いがする指先になってしまいそうだ… 「こうして、挟んで食べなさいよ…」 俺はそう言って、彼のハンバーガーをギュッと上から押して口元に運んであげる。 「ん!すごぉい!」 そんな事で北斗は喜んで、大きく口を開けてパクリと頬張って笑う。 「んふふ!美味しいねぇ?理久~」 終始ご機嫌な北斗に、いつもの様なさざ波は立たない。 きっと、星ちゃんの誕生日に間に合うのが嬉しいんだ。 「理久も食べる?お芋だよ~?」 そう言って俺の口元にフライドポテトを運んでくるから、俺は口を開けて北斗に、あ~ん。してもらう… はぁはぁ… はっ!いけない! 帰りもビジネスクラス。 もちろん、北斗は俺の上で寝始めた…。 二回目だから、俺は動揺せずに彼を抱きかかえて眠る。 あんな演奏を見た後なのに、いやに落ち着いている自分に驚く。 邪な愛情から、畏敬の念に変わったのかな… 余りに偉大な彼の音楽観に…尊敬の念を持って、畏れ多くて…そんな気持ち、抱かなくなってしまったのかな…。 だとしたら、その方が好都合だ。 欲求を我慢しないで、彼と一緒に歩んでいけるなら、その方が好都合だ。 そうだろ?北斗? 心の中でそう言って、自分の胸の上で眠る彼を見下ろす。 可愛い湿った唇に…少しだけ白い歯が見えて、奥の方に舌が見える… あぁ…北斗… 何て可愛いんだ… 今にも、その唇を吸ってしまいたいよ… はっ! いけない! 彼に欲情するオオカミがすぐに唸り声をあげて目を覚ます。 …ダメだ…浄化されてない…変態のままだ。 変態の魂に無駄に抵抗する事を止めて、北斗から目を逸らして窓の外を眺める。 今日の上空は快晴で、雲一つ見当たらない… 風も穏やかで、乱気流の心配も無さそうだ。 「ん…モンシェリ…」 北斗が寝言でそう呟いて、俺の胸をギュッと掴む… 何だ…北斗… お前も俺の事をそう思っているの? それはフランスで愛しい人を呼ぶときに使う呼び方。 ふふ…まさかな。 でも、ときめいた。 そうだったら…どれほど幸せか… 「ふふ…」 彼の髪を撫でながら、目を瞑る。 頭の中で調子のいい鍛冶屋を流しながらモンシェリと一緒に眠ろう。 来る時と違って、それはきっと、良い夢を見せてくれるに違いない。 だって、あんなに素晴らしい演奏を聴いた後なんだから。 頭の中で曲を再生させながら、細かく動く旋律を追いかける。 良くあるピアノの調子に居鍛冶屋じゃない 彼の聴かせてくれた重厚なハーモニーが頭の中で再生されて、口元が緩む。 あぁ…こんな演奏が出来るなんて… こんな美しいハーモニーを紡げるなんて… トレビアン!モンシェリ…

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