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エピローグ
銃声が彩る深夜の路地裏。
裏組織が蔓延るこの街では、今日も今日とて抗争が起こる。
しかし、騒がしい夜の中で、これまでとは変わったこともあった――。
「ッ!!」
石畳の段差に躓き、転んだ男のすぐ背後。ナイフを掲げた敵勢力の男の腕が迫る。
もう駄目だ、と身を竦めた男はぎゅっと目を瞑ったが、想像していた痛みも衝撃も、いつまで経っても訪れない。
恐る恐る目を開けた男の前には、路地に差し込む月の光さえ飲み込むような黒。そして、その向こうで昏倒しているらしい敵勢力の男の姿があった。
「……ねえ、無事ならさっさと下に行きなよ。邪魔なんだけど」
涼やかな声が路地に落ちる。
どうにか身は起こしたものの、状況を飲み込みきれず呆けている男を前に、その声の持ち主である青年は苛立ちを隠そうともせず舌打ちする。
「ったく……。ど〜〜して第四のじーちゃんは非戦闘員を表に出すかなぁ……。まさかもう耄碌しちゃった訳?」
全身を黒で固めた青年が、濡羽色の長い髪を掻き上げながら呟いた。その右手には、月明かりを鈍く照り返す刀を携えている。
彼の容姿には覚えがあった。この街ではそこそこ有名人であり、噂もよく耳にしていた。
「……く、黒狗……」
男がその通り名を口にした途端、周囲の様子を窺っていた青年が、勢いよく顔をそちらへと向ける。剣呑な視線に晒され、男はまた竦み上がった。
「もー! その名前で呼ばないでったら! どいつもこいつもどこから聞いてくる訳!? ていうか動けるなら早くどっか行って!」
不機嫌さを露にまくし立てる青年を前に、男は情けなくも縮こまるしか出来ない。目の前に居るのは味方のはずなのに、身の危険を感じているという状況に変わりはなかった。
青年の言うとおり、男は非戦闘員であった。自身が属する第四地区のとある人物に届け物があり、やむなく銃弾と怒声、悲鳴の飛び交うこの路地へと出て来たのだ。一刻も早く自分達の領域である「下」――第四地区の人間達が造り上げた広大な地下通路だ――に帰りたいのは、彼とて同じであった。
プロチオーネ商會による、第三並びに第四地区の襲撃事件を経て、ふたつの地区は協力関係を結んだ。それ以来、余所との抗争が起これば、荒事を得意とする人間の多い第三地区が主立って動き、第四地区の人間が街のほぼ全域に巡らされた地下通路を駆使してそれをサポートする、といった方式が確立されつつあった。
「……一体何をそんなに騒いでるんだ? クロエ。敵が集まってくるぞ」
不意に自分達の背後から掛けられた声。すわ敵襲かと大仰に肩を跳ね上げた男だったが、予想に反し現れたのは、暗闇の中でも鮮やかな赤いケープを身に纏った少年だった。
「アルバ〜〜〜〜っ!!」
クロエ、と呼ばれた青年は少年を前に、今にも男を射殺さんばかりだった鋭い目つきを途端に緩め、彼の元へと駆け寄っていく。そして、お気に入りのぬいぐるみを抱くように腕の中へ少年の体を収め、満足げな表情を浮かべている。
「ねえ、なんでアルがここに居るの? 全部片付けたらちゃんと迎えに行くんだからさ、下に居てくれて良かったのに」
「オレも自分の仕事をしに来たんだよ。そのために人を――」
「あ、アルバくん……!」
「あ゛ァ!?」
男の尋ね人は少年――アルバだった。
彼の言葉を遮るように思わず名を呼んでしまい、次の瞬間には彼を抱きしめていたクロエに、それは恐ろしい形相で睨まれた。
「ヒィッ!」
「……おいクロエ。味方を威嚇するんじゃない。ステラが絡んだ時のシノノメみたいだぞ。……ともかく、オレが探してたのはその人だ」
なんで、どうして、そもそもこいつは誰だ。そんなことを言いたそうな顔をしているクロエを見上げ、アルバはため息をひとつ。
「例の物、預かってきて下さったんですよね。頂戴します」
「あ、ああ……」
背中に長身のクロエを張りつけたまま、アルバが男に歩み寄って手を差し出す。男は、ずっとジャケットの内側に忍ばせていた包みをアルバに渡した。
「それ、何?」
「銃」
たった一言のシンプルな応え。幾重にも巻かれた紙を剥がしていくと、確かにそこには一挺の銃が包まれていた。しかし、その銃はクロエが普段仕事で使用する量産型の物とは異なり、ひと目で特注品とわかる繊細な作りをしていた。
月の光をそのまま溶かし込んだようなシルバーホワイトの銃身。グリップには狼のシルエットが刻印されている。ともすれば、オブジェの一種とも言えてしまうような。
「なにこれ、すっご……」
「普通のでいいって言ったのに、やたらボスが張り切って用意したんだよ……」
面映ゆそうにアルバが呟く。
彼が何のためにこんな物を必要としたのか。それをクロエが問おうとするより先に、複数の足音が向かってくる音が聞こえた。
「おい、居たぞ!」
「こっちだ!」
口々に叫ぶのは敵勢力の人間達であろう。
クロエは瞬時に緩んだ雰囲気を引っ込め、戦闘態勢を取ると自然な動作でアルバを背に庇った。そして、庇われたアルバはと言うと、自身のさらに後ろに居る男を振り向く。
「早く「下」へ。ここはオレ達が何とかする!」
「わ、わかった。気をつけて……!」
こちらを気にしつつ路地の奥へと消えていく背中を見送ると、アルバはクロエの隣へと足を踏み出した。
「下がってよ、アルバ。危ないから」
「……そうしなくても済むように、これを手に入れたんだ」
言って、自分達と対峙する男達の方へと駆け出すアルバ。驚きに一瞬だけ反応が遅れたが、クロエもすぐにその後を追った。アルバが何を考えているかはわからないが、もし目の前で彼が傷つけられるようなことがあれば、自分が何をするかわかったものではない。
相手が放つナイフや銃弾を紙一重で躱しながら、アルバは敵の懐へと飛び込んだ。右手に銃、左手は自身の纏う赤いケープのリボンに掛けられている。
夜空を貫く乾いた銃声。一発、二発。
クロエの足はいつの間にか止まっていて、踊るように軽やかに運ばれるアルバのつま先に目を奪われていた。
眼前に立ち塞がっていた男二人が、銃弾を受けて倒れ伏す。その後ろに居た残り一人に向けて、アルバは間髪を容れず脱いだケープを投げつけた。
顔に被さったそれに急に視界を遮られ、足を縺れさせて男が転倒する。藻掻く男の眉間の位置に当たりをつけ、銃口を押し当てるアルバ。そうして、命乞いを聞くより先に、引金は迷いなく引かれた。ごとりと鈍い音を立てて石畳に打ち付けられた頭部。そこを覆っているケープの赤は、じわじわと黒に染まっていった。
「……憐れな赤ずきんは、もうどこにも居ないんだよ」
嘘みたいな静寂が、路地裏を包む。世界にクロエとアルバの、ふたりきりになってしまったかのような錯覚を抱くほどの。深い夜の中で、青空色の瞳だけが眩しい。
先に動いたのはクロエだった。石畳を叩く、高いヒールの音。ゆっくりと歩み寄り、立ち尽くすアルバの小さな体を腕の中に閉じ込める。
掌を重ねて包み込んだ右手は、手袋越しでもわかるくらいに震えていた。それは銃を連射したことによる反動か、はたまた違う理由か。
「……どうして、」
クロエのその問いには、多くのものが含まれていた。何故わざわざ自らの手を汚すような真似をしたのか。力を求めた理由は何だと言うのか。
「……戦闘員になりたい、って言ったら……ステラには心配されたし、シノノメには鼻で笑われた」
問われたことには答えないまま、アルバはそう呟いた。クロエはそれを聞きながら、確かに自分でも彼には無理だと断じただろうな、と考える。初めて相対した時の様子だけなら、到底血腥い仕事に向いているとは思えなかった。
しかし、今まさに目の前で繰り広げられた戦闘の鮮やかさを前に、同じ判断を下すかと言われれば、逡巡させられるものがあった。
「でも、君は……アルバは、綺麗なまんまで居られる場所でだって、やっていけるはずでしょ?」
祈りにも似たクロエの言葉が、夜気に溶けてアルバの鼓膜をなぞる。それを噛みしめるようにゆっくり瞬きをすると、そっと首を横に振った。
「そうだとしても、オレは……アンタの近くに行きたいよ」
小さく動いた唇が紡いだその言葉に、クロエの目が丸く見開かれる。アルバは空いた左手の指先を彼の胸元に乗せ、縋るような眼差しを向ける。
「アンタと同じ色になって、そうして……終わりまで一緒に居たい」
月光を受けてきらめく金の髪が夜風に揺れる。そんな光景ひとつ取っても、自分とは全く違うと思うのに。そう望まれることに、クロエは柄にもなく胸が締めつけられてしまう。
「……離してやれないって、言ってただろ。だったら、ちゃんと責任持って捕まえててくれよ……クロエ、」
「……うん、」
今だけは、全部忘れて目の前の愛しい相手のことを考えていたかった。
苦しいけれど、充たされる。こんな感情の存在を知る日が来るなんて、少し前までなら考えもしなかったことで。
「ねえ、この仕事が終わったら抱いてもいい?」
「……それをオレに聞くのか?」
互いに思わずといった笑いを零して、月明かりが見守る下、どちらからともなく口づけを交わした。
喧騒が、今は遠い。
【fin】
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