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第1話 犬、王子と再会す(1)
「童貞なんです、俺」
後輩の斑目夏日(まだらめなつひ)が、そう告白するのを聞いた。
その日、伊緒希(いおのぞみ)は、したたかに酔っていた──。
*
うだるような夏の日差しが降りそそぐ午後。
伊緒は窓の外を見ながら、土砂降りの雨を待っていた。
「先輩、俺のこと、覚えてますか?」
「あ?」
朝礼で紹介された斑目が、隣りにきて言った。株式会社SNTの第一営業部から配属換えになり、伊緒の属する企画開発部一課に配属された斑目の教育係を、伊緒が任されたからだ。
「同じ大学の同じ学部の同じサークルにいた、同じゼミ出身の、斑目夏日です」
「あー……」
ひとつ後輩の斑目だが、いやに「同じ」を強調するところが、伊緒は心底苦手だと思う。斑目と似ているところなど、ひとつもない。天井につくのではないかと思うほどの長身も、テニスで鍛え上げた脚力を孕んだ長い脚も、外回りで身につけた颯爽とした身のこなしも、元営業らしい小麦色の肌も、こちらをまっすぐ射てくる眼差しも。
「悪い、あんまり覚えてないわ」
あの頃と何も変わっていないから、伊緒は記憶が希薄なふりをした。正直、できれば関わりたくない。互いに他人の距離でいたいと思うが、斑目はそれを許さないつもりか、一気に間を詰めてくる。
「俺、先輩の批評が好きでした」
「過去形かよ」
「今も好きです。……好き、って言っても、怒りませんか?」
周囲の視線が気になって、まともに斑目の顔が見られない。こいつは白昼堂々何を言い出すつもりだと、内心、気が気でなかった。斑目は時々、剥き身の刀身みたいになったり、少女漫画のヒロインみたいな台詞を吐く奴だった。
伊緒は斑目より頭ひとつ分低い位置にある、自分の頭部を意識した。成人男子の平均身長と比べても、それほど低くはないはずだが、斑目といると圧倒される。愛嬌のある大きな切れ長の二重。笑うとえくぼのできる頬。見た感じが耳の垂れた大型犬、ラブラドールレトリバーに似ているところなど、社会の荒波に揉まれて数年、経つのに、学生の頃と比べても全く変わっていない。
それに比べて伊緒は猫っ毛だし、いくら鍛えても筋肉の付きづらい中性的な体つきや、派手な顔立ちが災いして、チャラい奴だと思われがちだった。同じフロアに僅かにいる女子が、斑目に対し、秋波に似た視線を送ってくることにうんざりしながら、本当に同じところなど、微塵も存在しない、と心の中で反駁する。
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