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*** 「アンタ、いい加減城に帰ったら?」 数日後、直ったばかりの酒場にて、鎧を脱ぎ捨てたアザミは、優雅に足を組んで座り、ティータイムを楽しんでいた。 着替えは持っていないようなので、ダンの服を借りて着ているのだが、高価でも何でもないダンの服も、アザミが着ると特別なもののように見えてしまうのが不思議で、更に視線を下に向ければ長い足が嫌でも目に入り、レイはますます面白くなさそうだ。 アザミは背が高くがたいも良い上、端正な顔立ちをして、王子らしく品もある、凛としていて男性らしい美しさを纏った人物だ。それに反し、レイはいくら食べて飲んで寝て動いても、筋肉がつきにくいようで、女性の服を身につけていれば、まず男だと気づかれる事はなかった。 変装をする分には好都合だが、男としてはどうなのだろう、そもそも王子様と比較しても仕方ないのだが、つい劣等感を抱いてしまうようだ。 変装と言えば、先日、アザミが兵士の格好をしていたのも、その身を隠す為だったという。国境の見張りをしている兵士の交代時間に合わせ、城を出る兵士達の荷車に忍び込んだという。変わった王子だ。 だが、それを聞いたレイは、噂通りだなと思った。彼はよく護衛も付けず民に混ざり、畑仕事でも力仕事でも、出会った人々の仕事を手伝ったり、子供に混じってはよく遊んでいるという。その姿に好感を抱く国民も多いというが、レイはその反対派、王子として国を任せられるのかと、信用出来ないでいた。 アザミはカップをソーサーに戻すと、にっこりと微笑んだ。 「だから言っただろう、君が共に来るならすぐにでも帰るよ」 「またそれか。そもそも俺は男だぞ」 「勿論、分かっている」 レイは不可解に眉を顰めた。どうやらレイの事は男だと分かってはいるようだが、伴侶の言葉の意味を理解しているのか疑いたくなるほど、アザミの返答はいつだってあっさりしている。 「あんた、次期国王だろ。国民にどう説明するんだ?問題だらけだぞ?跡継ぎとかさ、その前に男をどう伴侶に迎えるんだよ」 レイがアザミとは結婚出来ない理由を挙げていっても、アザミはにこにこと楽しそうにレイを見つめるばかりで、レイは苛立ちに溜め息を吐いた。 「なぁ、俺の話聞いてる?」 「勿論だ。前向きに考えてくれてるみたいで嬉しいよ」 「は!?んな訳ねぇだろ!なんでそうなるんだよ!」 否定的な事を言っているのに、どうしてそうなるのだろうか。 「そうか、では早く君を口説き落とさなければね」 レイがいくら憤慨しようとも、アザミの様子は変わらない。余裕があるからなのか、いちいち反応するレイを見て楽しんでいるからなのかは分からないが、レイの言い分なんて全く問題ないと言わんばかりのアザミを見ていたら、抵抗する気力も失せてくる。 レイは苛立ちを通り越し、力なく溜め息を吐いた。 「…早く帰んないと、星結いの儀に間に合わないぞ。俺なんかじゃなくて、せめて隣国の王女と結婚でもしてくれないと、俺はこの国の行く末が心配だ」 「…私の心は関係ないと、君がそれを言うのか」 まっすぐと問いかける瞳が、初めて揺れたような気がして、レイは何故かそれが居心地悪く、避けるように視線を逸らした。 「前にも言ったけど、俺に十五年前の記憶はない。七歳でこの村に来て、ダンとリオに助けて貰って生きてきた。知らない王子との約束を守るより、二人に恩返しする方が俺には重要だ」 「レイ、」 「じゃあ、仕事あるから」 レイはそう言い残すと、足早に酒場から出て行った。 残されたアザミは、レイが出て行った扉を暫し見つめ、そっと溜め息を吐いた。これ以上、話す事はない、アザミがそう言った気がして、追いかける事は出来なかった。 「…手紙にあった通りだな」 十五年という会えない中でも、アザミはダン達から手紙で報告を受けていた。レイに記憶がない事は分かっていたが、いざ目の当たりにすると堪えるものだ。 だが、本当に辛かったのは、記憶を失ったレイの方だ。レイが自分を受け入れられないのも仕方ない、レイに記憶がないだけでなく、今まで自分はレイに会いに来る事すらしなかったのだから。 「ちょっとレイ、」 アザミが自身に対して溜め息を吐いていると、店の外からリオの声が聞こえてきた。「まったくもう…」と、溜め息を吐きながらやって来たリオに、アザミはそっと眉を下げ、組んでいた足をほどいた。 「苦労をかけたな」 その声に、リオはアザミが店に居る事に気づき、はっとした様子で身を正したが、アザミは表情を緩めそれを制した。 「ここでは畏まらなくていい、昔のように頼む」 その柔らかな雰囲気に、リオも少し肩の力を抜いて、それから何か察したのか、申し訳なさそうに表情を緩めた。 「申し訳ありません、レイには話をしたんですが…」 「なぜ謝る。二人には感謝しているんだ、苦労も多かっただろう。それなのに、変わらないレイの姿にほっとしたよ」 そう微笑むアザミだが、その瞳は力なく揺れていた。 *** レイは、ウィネスタ王国、その城で生まれ育った。レイは王族ではなかったが、レイの両親が城の使用人として働いており、その家族も同じ城の中で部屋を宛がわれていたからだ。 ウィネスタの国王は、以前は身分に拘らない性分で寛容だった。使用人の子供達にも我が子のように接していたし、王族の子供と使用人の子供が一緒に遊ぶ事は日常で、その中でアザミと特に仲が良かったのがレイだった。 レイの隠された左目は、噂通り、まるで宝石のアメジストのように美しい。 当時は、その左目も、ただ珍しい色というだけで、輝くアメジストのような瞳を見ても、物騒な事を考える者はいなかった。 だが、育った国が違えば、価値観の違いは出てくる。隣国が信仰していた宗教に、レイのような瞳を持つ女神がいるらしく、レイはその宗教団体に浚われてしまった。レイを浚った者は、ウィネスタの兵士の追撃により山道で足を踏み外し、レイと共に川に転落。レイはすぐに保護され、命も助かったのだが、その時のショックからか、記憶を失ってしまった。 レイを浚うよう指示したのは、隣国の宗教団体とされているが、実際は隣国の王の指示ではないかと、未だにその疑いが囁かれている。 少なからず溝のあった両国は、これにより更に溝を深め、現在もその溝を深めたままだ。 これにより、城に居てはまたレイに危険が及ぶかもしれないと、兵士の中でも腕の立つダンとリオを護衛につけ、レイは辺境の村、タタスへと身を隠す事となった。 そして時は流れ、隠されたアメジストの瞳は国の外へと話が漏れ、その際、何がどう伝わったのか、「どこかの国の王族が隠した、アメジストの瞳という宝石がある」という者もいれば、「瞳から宝石が涙のように零れる女が居て、その女には高値がつく」と言う者もいる。噂が一人歩きして広まった結果、レイの瞳は勝手に様々な価値を付けられて、現在の噂に落ち着いたが、それでも賊から狙われる日々は変わらない。 その賊の中に、もしかしたら隣国との間に起きた事件を知る者が居るかもしれない。もしそんな輩の手に落ちたら、それこそレイは、何に利用されるか分かったものではない。 *** 「よく、レイを守ってくれた。いくら君達の腕が立つとはいえ、危険な役目を押しつけてすまなかった」 アザミが申し訳なくリオに伝えれば、リオは「勿体ないお言葉です」と、焦った様子でアザミの前に跪いた。 「ここでは、私はただの遊び人だ。そんな事をされては、私が王子だとバレてしまうよ」 「…アザミ様は、相変わらず無茶をおっしゃいます。ですが、レイを守る任務を押しつけられたとは、私もダンも思った事はありません」 リオは顔を上げ、柔らかに微笑んだ。その表情からは言葉を繕った様子は見えず、アザミは少し複雑な思いが胸を掠めていくのを感じた。 その気持ちを胸にとどめておきたくなくて、誤魔化すようにカップを覗けば、紅茶の中には揺れる自分の顔がある。アザミは眉を僅かに顰め、ぐっとそれを煽った。 「…心強いよ。仕事の途中だったろ?引き止めてすまなかった…私は少し村を見てくるよ」 「でしたら、ご一緒に」 「大丈夫だよ。リオ達はいつも通りに過ごしてくれ」 そうアザミが微笑んで立ち上がると、リオは何か声を掛けようとしたようだったが、アザミはそれを制するように、そっと柔らかな表情をリオに向け、そのまま店を出た。 今のレイの人生に、アザミはいない。レイが浚われた当時、アザミは子供で、ダンやリオのようにレイを守れる力も権力もなく、レイを守る為には、こうしてリオ達に頼り、離れるしか方法がなかった。 だけど、もう子供の頃の自分とは違う。 何も出来なかった、少年ではない。 「…今度は私が、守ってみせるさ」 アザミはそう決意するように呟くと、爽やかに吹く風に誘われるように顔を上げた。ふと視線を巡らせると、のどかな村の向こうに見える丘が目に止まり、アザミはそちらへ導かれるように足を向けた。

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