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三つ指ついて?【1】

「冬馬、あけましておめでとうございまする。ぜひぜひ家に上げていただきたく候」 「アンタ、元旦早々、何やってんの……」  寝起きで不機嫌なまま眺めたインターホンの画面に映るのは、マンションのエントランスに土下座した我がバンドのリーダーであるシズこと、志那瑞希(しな みずき)だった。  黒くぼっさぼさの髪の毛にラフな格好。きっと土下座してて見えないが、いつもつけているノンフレームの眼鏡もしているのだろう。  別に変装をしている訳ではなく、それが瑞希の普段の姿だ。  ステージに立てば、バンドメンバーの中で一番の美人だと噂される瑞希だが、それは素晴らしい化粧技術によって作り出されている。あれはいつ見ても凄い。瑞希の元の姿ももちろん悪くはないが、どこにでもいるお兄ちゃんといった風貌で、笑顔は可愛らしいが特に目立ったところはない。しかし、化粧映えする顔で、ささっと手慣れた様子で化粧していくとあっという間に化ける。  二重の瞳は少しタレ気味で、目元には色っぽさが滲む。すっとした鼻筋は強調され、ほんの少し上がった唇が優しげな印象をもたらしていた。普段はぼっさぼさの髪の毛もアイロンで伸ばされ、さらさらと色白な頬を滑り落ちる。  少し手を加えただけで、誰もが目を奪われるカリスマ的美人へと変貌するのだ。  しかし、そんなリーダーも今はただの不審者だ。  誰もこのダサ男が、あの美しいシズだとは気付かないだろう。  エントランスで土下座する瑞希の後ろを、不審な表情で眺めながら入っていく住人の姿が映る。きっと初詣帰りに違いない。  現在の時刻は昼の十二時。  俺は寝起きだったが、それも先ほどまで仕事をしていたからだ。  カウントダウンライブを終え、打ち上げの後、メンバー全員とマネージャーとで恒例の初詣に出掛け別れた。  そして、ようやく心地良い疲れに身を任せ眠りについたのに、インターホンの連打で起こされたわけだ。  よく見てみれば、瑞希の格好は別れた時のままだった。  あれからすでに4時間以上は経過している。今まで何をしていたのか。瑞希の家は、俺の家より二つほど先の駅にある。ちなみに、別れた場所からは瑞希の家の方が近い。  まったく、と俺は呆れた溜息を吐きながら肩を落とす。正月早々エントランスで土下座をしていれば人目を引く。そろそろ通報されてもおかしくない状況になってきたため、俺はエントランスを開けてやった。 「さっさと上がってきたら?」 「あ、ありがと!」  勢い良く顔を上げた時に浮かべていた瑞希の笑顔に、眉間の皺と頬が自然と緩んだのは内緒だ。  瑞希がやってくる間に、珈琲をいれるべくサイフォンを用意する。コーヒーメーカーなる文明の利器があるが、喫茶店を営んでいた祖母の影響でサイフォンで入れるのが常となっていた。  コポコポとアルコールランプで暖められたお湯が上へと上がっていくのを眺めながら瑞希のことを思う。  俺は瑞希に声をかけられ、ヴィジュアル系バンドCaja vaciaのボーカルとして活動することになった。ちょうどボーカルを探している時に俺を見つけたらしい。あれからもう一年半経った。まぁ、その話は追々するとして。  俺は本名である桂島冬馬(かつらしま とうま)という名前から、フユと名乗ることにした。  あっという間にインディーズで名を馳せた俺達は、CDもかなり売れ、自分たちだけでカウントダウンライブをこなせるまでになった。  暮らしも贅沢こそできないものの、その収入だけでなんとか暮らすことができる。  まぁ、俺の場合はちょっとした副業があるから、そこそこ良いマンションには住んでいるけれど。  でも瑞希だって悪くないところに住んでいる。ただ、生活能力が皆無の瑞希は、よく電気やガスを止められていた。酷い時には最後の砦ともいえる水道を止められる所までいく。なんで同じ金額もらってて、そうなるんだか。あれか、外食ばかりなのと金銭感覚おかしいのが原因か。  どうも今回、正月早々押しかけてきたのもそれのような気がしてならない。  確か年末に電気とガスが止められたという話をめそめそとしていたから、ひとまず家に来たらいい、と伝えた。毎度どうしようもなくなって最終的には転がり込んでくるのだから、それが早いか遅いかの違いだけだ。けれど、その段階では瑞希は首を縦には振らなかった。  俺は瑞希に好意を持っているため、頼られるのは嫌じゃない。どちらかといえば大歓迎だ。どうでも良い奴にたかられるのは冗談じゃないが、瑞希は一緒にいても苦じゃないし、できることなら四六時中一緒に居たい。恋愛感情として瑞希のことが好きだった。  ライフラインが止められて転がり込んでくるのを繰り返す瑞希。もうほとんどうちで暮らしてるようなものだし、このままここに住んでしまえば良いのに。  そう何度も口にしようとしたが、必死に胸に押し込めてきた。瑞希と付き合っている訳ではなかったし、何度も鍵を渡そうとしたけど拒否されてきた。だから、瑞希にそんな気はないんだと思っている。口に出せば今までの関係もすべて壊れてしまいそうな気がして、変なところで臆病な俺は、肝心な言葉を言えずに口籠もる。  軽い失望の溜息を吐いた時、玄関で音がした。  俺はアルコールランプを消し、珈琲がフラスコに落ちていくのを確認すると玄関へ向かう。扉を開ければ、申し訳なさそうな顔をした瑞希が居た。

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