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第94話 イブ前日
そこに立ち尽くす先輩を見ると、
僕は直ぐにその目を城之内先生に向けた。
「先生、行こう……」
僕は先生の腕をつかんで歩き出そうとした。
でもそこを動かなかったのは先生だ。
「陽一君…… 彼……」
僕は状況が呑み込めなかった。
“なぜ彼がここにいるの?
どうやって僕がここに居る事を知ったの?”
僕は彼がここにいることが信じられなかった。
「あれは…… 誰?
ねえ、あれは誰なの?」
「え? だから…… あれは……」
そう言いかけた先生に縋り付いて、
「ねえ、城之内先生、あれは誰なの?」
と再度訪ねた。
「だから、あれは矢野さんだって……」
城之内先生も、僕が混乱している事がだんだんと分かってきた。
「違うでしょう?
先輩がここにいるはずがない……
彼は明日結婚するんだよ……?
式前夜に僕に会いに来るはずがない……」
ブツブツと言い始めて、
城之内先生の腕を持つ僕の手が震え始めた。
城之内先生はそんな僕をみると、
「明日は彼の結婚式かもしれないけど、
実際にここにいるのは間違い無く矢野さんだよ?」
そう言って僕の震える手を握りしめてくれた。
でも僕は先輩の顔が見れない。
「ねえ、何だか様子が変だよ?
彼、陽一君に話があるんじゃないの?」
彼の様子がおかしいのは見て分かっていた。
でも、明日結婚をする彼に、
どう接すればいいか分からなかったし、
また何故ここにいるのか知るのも怖かった。
彼がここにいるのを否定したかったし、
出来れば何も話さずに、何事もなかったように去りたかった。
「良いんだよ。
彼は明日結婚するんだから、僕は話なんてない!」
そう言い捨てると、
「でも陽一君……後悔しない?」
との先生のセリフに、
「先生、僕の決心を鈍らせないで!」
と叫んでしまった。
そう叫んでもう一度先生の腕をつかむと、
僕は先輩がいる方とは反対の方に向かって歩き出した。
するともう一度、
「陽一君!」
と先輩が僕の名を呼んだ。
“しつこい!
お願いだから、僕の事はそっとしておいて!”
そう思いながら、僕はそれを無視して歩き続けた。
すると先輩は
「陽一!」
と叫んだ。
その言葉は強烈だった。
僕を留まらせるのに強力な一言だった。
先輩は今まで僕の名前を呼び捨てにしたことがない。
この時彼は、初めて僕の名前を呼び捨てにした。
“ただ事ではない……”
僕の直感がそう言った。
「陽一君、やっぱり彼、陽一君に話があるんだよ。
聞いてあげた方がよくない?」
城之内先生のその言葉に僕は立ち止まったけど、
怖くて先輩の居る後ろを振り返ることが出来なかった。
「でも……」
立ち止まったまま、僕は静止して過ぎ行く人達を見た。
全てが静粛でスローモーションのように感じ、
僕の心臓の音だけが世界に響き渡っているように感じた。
「陽一君…… お願い……
こっちを向いて……
お願いだから……」
僕は首をしきりに振ると、
もう一度先生に
「僕は何も話は無い……
先生、お願いだから……
僕の事、早くここから連れ出して!
じゃないと、僕は…… 僕は……」
そう言いかけると、
「陽一君…… お願い……
行かないで……
僕を置いて行かないで!」
と先輩は泣き崩れた。
僕は先輩の口から発せられる言葉に耳を疑った。
“行かないで?
置いて行かないで?
彼は何を言っているの?
僕を置いて行こうとしてるのは彼じゃないの?”
「陽……一……君……
おね……が……い……」
彼の声がドンドン小さくなって、すがるような口調になってきた。
“何なの?
一体彼は何がしたいの?
式に参加しない僕への仕返し?
僕がそっけなくしたから嫌だった?
先輩ってそんな八方美人だったの?
詩織さんも欲しいけど僕も無くしたくない?
それってどれだけ我儘?
僕の気持ちって考えたことある?!
明日結婚するのに、一体これ以上僕に何を望んでいるの?!
それよりも詩織さんは何処なの?
何故今、先輩と一緒にいないの?!”
そう思うと、ますます先輩の方が見れない。
「陽一君…… 彼を見てごらん……
きっと……彼……」
僕は先生の顔を見上げた。
城之内先生は、今まで見たこともないような真剣な顔をして、
「陽一君、今振り返らないと、
一生後悔することになると思うよ……」
と僕に囁いた。
城之内先生の言葉に、
僕は初めて先輩の方を振り向いた。
「先……輩……」
彼はグチャグチャな顔をして、
地にひざまずいていた。
“あれは誰? あれは誰?”
今まで見たこともないような彼の姿を見た途端、
今まで抱えていたものが、急に激情のように流れ出した。
「先輩は一体僕に何がしたいの?
先輩の行動は意味が分かんない!
一体僕に何をして欲しいの?!
僕には、先輩の考えていることがちっとも分からない!
近づいたかと思えば引き離して、
離れたかと思えばまた近づいて……
僕があんなに捧げた先輩への愛情でも、
先輩は受け取らずに詩織さんと婚約した……
僕の気持ちは先輩にも分かっていたはずでしょう?!
あんなに、あんなに運命の番をあきらめるな!って言ったのに、
何で、何で詩織さんなんかと……
彼女は先輩の運命の番じゃ無いでしょ!
ずっと…… ずっと…… 気付いてくれるのを待ってたのに!
それなのに……
僕の、僕のこの気持ちは一体どこへ行ってしまえばいいの!」
そう叫んで僕は城之内先生に抱き着いて泣き出した。
「もう僕にかまわないで!
やっと、やっと先輩の事をあきらめる決心が出来たんだから、
もうこれ以上僕にかかわってこないで!
僕の事を本当に大切に思うんだったら、もう僕の事はほっといてよ!」
僕は先輩に対して抱え込んでいた思いを抑えることが出来なかった。
それなのに先輩は駄々をこねだした。
「いやだ……
嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!
陽一君を失いたくない……
失いたくないんだ!」
「何……を……言ってるの?」
「僕が陽一君を一生守りたい……
僕が陽一君の帰る場所になりたい……
君を誰にも取られたくないんだ!」
そう言って泣き崩れた先輩は見事に無様な格好だった。
周りには人だかりも出来て、
一体何事だろうと野次馬でさえできる始末だ。
“違う、違う、違う!
先輩はそう言う人じゃないでしょう?
どうしてここまで無様な姿をさらけ出せるの?
こんなのは先輩じゃない!
いつもさわやかで颯爽とした先輩は何処に行ったの?!”
僕は周りを見回して先輩を見下ろした。
「どうして……
どうしてこんなことするの?
僕の事困らせたいの?
先輩は明日結婚するんだよ?
ちゃんと自分のしてる事分かってる?
それを僕の事無くしたくないだとか、
失いたくないだとか、
ちょっと都合よすぎない?
僕は一体先輩の何なの?
先輩の都合のいいおもちゃ?」
先輩は泣き崩れながら、
「そんなわけないでしょう?!」
と叫んだ。
「じゃあ、一体僕はなんなの?!
何故先輩は僕にこんな仕打ちをするの?!
こんな公衆面前で、先輩は恥ずかしくないの?!」
先輩は涙でグショグショになった顔で僕を見上げると、
「そんなの決まってるでしょう!
陽一君の事、愛してるからでしょう!」
と、そう先輩が叫んだ瞬間にドクンと僕の中で何かが弾いた。
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