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第1話

睿(ルイ)は、窮地に絶たされていた。 こういう、二進も三進もいかないのを、四面楚歌とか言うんだろうな。 胸の鼓動は激しく、今にも体から漏れ聞こえそうな程、脈打っているというのに。 頭の中は、氷室にでもいるかのように妙にひんやりとしていて。 喉元にギラリと光る槍の先端が光を宿して、今にも己の身を引き裂かんとしているにも関わらず、だ。 睿の華奢な体は、最も簡単に両腕を二人の男に捻り上げられ、強く膝を地面に押し付けられる。 今日は、至っていつも通りの日だった筈だ……。 いつ歯車が狂って、何故にこんな状況なってしまったのだろうか? 睿は,ゆっくりと目を閉じた。 朝いつものように日の出と共に目を覚まし、鶏小屋から卵を拝借すると、朝食の支度をする。 朝食の支度が整うと、病に体を蝕まれ床に伏せている父親を起こし、共にゆっくりと食事をとる。 一通り片付けと掃除を終えると、庭に咲く赤い杜鹃花(アザレア)を摘み取りいくつかの束にした後、籠に入れ市場に向かったのだが……。 気がついたら、絶体絶命の状況に陥っている。 え……と、市場に着いて。 花をいくつか売って、父親に饅頭を買って帰ろうと睿が小銭を手にしていた時だった。 ガシャーン、と。 震え上がるほどの大きな音が、睿の背後で響き渡る。 市場の往来の騒めきが一瞬で掻き消され、音のした場所に一気に視線が注がれる。 小さな稚児が砂埃の中、泣きながら地面に倒れていた。 その周りに陽光を浴びた硝子の破片が、無数に散らばっている。 破片の周りの地面は茶色く変色し、その上に錦の煌びやかな小さな金魚が数匹。 その体を苦しそうに跳び上がらせていた。 金魚鉢でも割れたのだろうか。 盛大に飛び散った硝子と金魚の逼迫感が、容易に状況を知らせてくれる、のだが……。 「餓鬼がっ!! そこを早く退かぬか!!」 どこにでも転がっていそうな状況であるはずなのに、男の怒号がその状況を最悪なものへと変えていく。 低く響く男の声は、自分に向けられたものではないと分かっていても。 その威勢に気圧された人々が、各々、慌てて道の端に避け始める。 もちろん、睿もその一人で。 往来のど真ん中に倒れた稚児が気になりながらも、手にした小銭を握りしめて、二、三歩後退りをした。 役人風情の男が、槍を手に稚児に近づいて行くのが見えているにも関わらず。 その場にいた者は、誰一人動き出す者はいなかった。 役人風情の男の帯の家紋。 皆、あの家紋に怖気付いて手が出せないのだ。 睿の暮らす小さな村、その村の領主である趙家。 ありとあらゆる実権を掌握し、この村では趙家に逆らう者など一人もいない。 逆らえば……そうでなくとも。 趙家の息のかかった者に目をつけられれば。 翌朝には一族郎党、村の外れの山中に木の枝に首を括った状態で発見されるのだ。 だから、趙家の蛇か竜かを象った独特な家紋は、村の人の恐怖の象徴。 明日は、自分が山中の木の枝にぶら下がってしまうのではという意識から。 人々は稚児を助けたくても、助けられないのだ。 ……動かないな、あの子。大丈夫かな。 そんな中、睿は稚児が気になって仕方がなかった。 状況が状況ではなかったら、すぐにでも手を差し出していたに違いない。 そう、睿は自分の弟と姿を重ねていた。 皓然(ハオラン)も、生きていればあれくらいになったのかも。 今、この手にした小銭で皓然と、帰りに饅頭を頬張っていたかもしれない。 そんな小さな幸せな時を過ごしていたのかも……。 そう思うと。 睿は、いてもたってもいられなくなってしまった。 「うわぁぁ……ああぁ……」 「早く退かぬかッ!!」 か弱い泣き声と男の罵声が、その場の雰囲気を極限にまで最悪にして。 居合わせた人々は、一様にその稚児の近い未来を容易に思い巡らせていた。 鋭い切先を宿した槍が、大きく空を切って弧を描き。 一気に稚児に振り下ろされる! ガツンーー!! 金属が硬い何かにぶつかる音がして。 顔を逸らした人々は、その音に驚いて騒めき立った。 「!?」 深く地面に突き刺さった槍。 地面と槍の間には、稚児の姿はない。 趙家の男は、忌々しそうな顔をすると、無理矢理に槍を地面から引き抜いて辺りを見渡した。 「くそっ!! 小僧!」 男から数歩離れた場所には、砂埃を舞い上げて蹲る人影があり。 砂埃が落ち着くと。 睿が稚児を抱えて、趙家の男を睨んでいる姿がはっきりとその輪郭を顕にする。 「邪魔立てするな、小僧!!」 震えて泣きじゃくる稚児をグッと抱えて、睿は声を張り上げて言い放った。 「し、失礼いたしました!! されどまだ人の道理も分からぬ稚児に刃の先を向けることは! 僕のような身分の者でも、非道なるものと存じます!」 「なんだとォ!!」 睿の言葉に激昂した男は、槍を構えて大きく振りかぶった。 「逃げて!! 早く!!」 睿は稚児に一喝すると、稚児を放り投げた。 放り出された稚児は、地面を転がると。 這いつくばるようにして、市場の奥へと姿を消していった。 ……よかった。 もう、守れなかったって……思わなくていい。 そう安堵した睿に二人の男が襲いかかって、両腕を捻り上げた。 膝が割れんばかりに、無理やり地面に押さえつけられる。 睿の喉元に、槍の切先が押し付けられた。 爸爸、ごめんね……。 饅頭、買って帰れなかった……ごめん、ごめんね。 喉元の槍が、ゆっくりと。 頭上に持ち上げられて、陽光を反射して光る槍の切先が襲いかかる。 手を、目を。 力を込めて、睿はギュッと閉じた。 「待て!」 その時、槍を持った趙家の男の後ろから、よく通る若い男の声がした。 「俊杰(ジュンジェ)様……!」 上質な絹が風にはためく音がして、砂埃すら避けるようにその声の主を浮かび上がらせる。 ……趙家の御曹司、俊杰!? 驚きのあまり、睿は目を見開かんばかりに開いた。 こんなところに?!  さっきの稚児は、趙家の御曹司の馬車の前に飛び出したのか?! 俊杰と呼ばれた男は、穏やかな笑顔を顔に貼り付けて睿に近づく。 思っていたより、精悍だ……。 領主の坊々だ。 どうせ巨大な腹をした甘ったれか、なまっ白い我儘野郎だと考えていた睿は。 俊杰の均整のとれた体躯と、眉目秀麗な顔に度肝を抜かれていた。 しっかりした人柄っぽいのに、百聞は一見にしかずだな。 逆を言えば、こんなにしっかりしているのに。 村の人に好かれないのは、よっぽど理由があるに違いない。 趙家の男が手にした槍が、いつ振り下ろされるか分からない状況下。 キンーーと冷えた頭が、村人を恐れ慄かせる趙家の御曹司を分析することができるまで。 睿を妙に落ち着かせていたのは、疑いようもない事実であり。 その瞬間、睿と俊杰の視線が重なった。 「大事な金魚を餓鬼に台無しにされた挙句、往来の真ん中で痴れ者の血を見るのは御免被る。その者、縛り上げて屋敷に連れてこい」 「えっ!?」 あまりの展開に、睿は思わず声を上げた。 いや……屋敷って……!  本格的に、拙いかもしれない! 秘密裏に殺されて、亡骸さえも無かったことにされてしまう! 睿という人物は、始めからこの世に存在していなかったと、そう最後通告を受けたような気がして。 睿は初めて、身も心も震え上がった。 「お……お許しを! それだけは!! せめて僕の亡骸だけは父の元に!!」 「うるさい!! 黙れッ!!」 華奢な体を全力で動かして抵抗する睿の横っ面に。 趙家の男の棍棒がうねりを上げて振り下ろされる。 「うぁっ!!」 短く上がる、睿の悲鳴が市場の往来に響き。 頭から流れ出た赤い血が、みるみるうちに睿の小さな顔を染め上げ始めると。 ガクッーーと、睿の体から力が抜けていった。 爸爸、ごめん。 先に妈妈と皓然の所にいくね。 ごめん……ごめん……。 優しく笑顔を浮かべる父親を前に、睿は額を床に擦り付けんばかりに謝った。 謝っても、父親より先に死ぬことなど、許されることではないのだが。 これだけは、分かって欲しいと睿は切実に思っていた。 良い事を……良い事をしたのだと! だから、僕の死は決して無駄な死ではなかったのだと! それだけは、分かって欲しい……。 爸爸……爸爸……ごめんなさい。 「ん……」 「気がついたか?」 「?!」 睿はその聞き覚えのある声に、はっとして飛び起きた。 飛び起きたはいいものの、頭を貫く鈍い痛みが視覚をぐらぐらと不安定にして。 睿は頭を押さえて、体を再び床に逆戻りさせた。 ……寝台? なんで、こんなところにいるんだ? 鈍い痛みを堪えつつ目を開けたると、睿は信じられない光景に息が止まるくらい動揺した。 清潔な綿布が敷かれた寝台に、一糸纏わぬ姿で横たわる己と。 そして、その横に……! 趙家の御曹司・俊杰が、穏やかな笑顔で添い寝をしているではないか! あまりのことに、睿の頭と視界のグラつきは余計酷くなっていく感覚がした。 「な……な……んで……」 「杜鹃花(アザレア)売りの小睿」 「名……前……どうして……?」 「気になっていたからね、ずっと」 「……え?」 「こんなに上手くいくとは思わなかったな。あの餓鬼に礼を弾まなくては」 「?!」 どう……いう事……なんだ? 全ての事柄に、全ての齟齬が生じて。 睿は己の体から、サーッと血の気が引くのを感じた。 小刻み震えがおこる体は驚くほど重たくなり、動けなくなった睿の小さな頬を。 俊杰が、愛おしそうな手付きで撫でた。 「怖がらなくていい。すぐ気持ち良くなるよ、小睿」 「どう……どうし……て」 「星を宿した大きな瞳に、雪のように滑らかな肌。私はどんな高貴な姫君より、男である君が欲しくて欲しくて、たまらなかったんだよ小睿」 そう言った俊杰は、体を起こすと。 寝台の横に置いてあった猪口の中身を口に含んだ。 「んっ!? んんっ!!」 不意に。 抵抗する余裕すら与えられず、その中身を口移しで飲まされた睿は。 瞬時に自分の体に起こった異変に気づいた。 ……なんだ? これ。 体が……体が……。 中が、お腹の下が、熱い……熱いッ!! 「や……な……なに……」 「心配しなくていいよ、小睿。ちょっとした煎薬だよ。睦み合うのに絶好のね」 「ッ?!」 俊杰がその柔らかな唇を、睿のそれに重ねる。 熱い吐息と共に、俊杰が激しく睿の舌を絡ませあい。 小さく抵抗した睿の細い両手を、しなやかな筋肉のついた俊杰の左手が、寝台に押さえつけた。 俊杰の唇は、睿の体を辿りなぞるように滑り。 首筋に舌が這う度に、小さな胸の突起に歯が立てられる度に。 睿は恐怖に震える体を、大きくビクつかせる。 「やめ……やめ……て! やめて……くださ……!! あぁっ!!」 「やめて? 小睿の……睿の口は嘘つきだな」 口元に笑みをたたえ。 睿の秘部に右手の中指を入れた俊杰は、その中を掻き乱しながら言った。 「んぁ!!」 「煎薬の影響か? 香油がいらぬほど濡れている」 何が起こっているのか、理解が追いつかないまま。 中を弄られる睿は、体を弓形に逸らして俊杰の指から逃れようと体をくねらせる。 「先走りも果てるくらい垂れ流し、中はこんなにも柔らかく吸い付いてくるのに? 睿は嘘つきだな」 「ぃや……やめ…………やぁ……!」 「……嘘つきには、お仕置きが必要だ」 「いやぁ……いやぁぁ!!」 睿の秘部から指が抜かれ、間髪入れずに俊杰がその熱い物を勢いに任せて差し込み。 細い睿の体を貫かんばかりに突き上げた。 「あぁっ!! あ……あぁぁ!」 「……いいぞ、睿! おまえは内側まで素晴らしい!!」 女のように嬌声をあげ、俊杰に犯される。 睿は、睿自身の身に起こった事実に、混乱し絶望していた。 どうして……? どうして……? 今朝までは貧しいながらも、それなりに小さな幸せがあって、穏やかだったのに。 どうして……? 女みたいに、僕は抱かれているのか……? これは、ずっと続くのか……? それは……殺されることより、キツいことではないのか……? 自らの狂った運命の歯車に絶望しているにも関わらず。 睿は泣くことすらできなかった。 俊杰に激しく犯される今の自分自身は、夢の中のことと思い込もうとしても。 睿の体の深いところを犯す俊杰の熱さや痛さで、現実に引き戻され……。 頭と体が、乖離する。 「んんっ!!」 下唇をギュッと噛んで、僅かな血の味を感じながら、睿は自分が壊れて無くなることを。 切実に願っていた。

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