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第4話

「アンタ絶対モテるだろ……」 うんざりするほど見飽きた海から視線は離さずに、有磨は不本意ながらも口を開いた。 対する運転席の男は、最近すっかり見慣れてしまったとぼけた顔のままふわりと苦笑した、気配がした。この男は、些細な表情から感情を零す事がとてもうまい。 「え。えー、いや、そんなこともない、と思うけど。……なんで?」 「気が利きすぎる。おもてなしの見本かよってくらい無駄に気が利きすぎて気持ち悪い」 「ん。褒められるのかな~と思ってちょっとうきうきしちゃったのに、なんか酷いこと言われたなぁ」 「充分褒めてんだろ。なんで運転手が助手席の俺に差し入れ抱えて登場してんだよ彼氏かよ……」 「そりゃだって、彼氏になりたいからね。ドーナツと珈琲でちょっとでも僕の株が上がるなら、最近予想外に増えた貯金を喜んでつぎ込むよ」 サンディエゴまでの配達の日、ミッチは時間丁度にクリスピー・クリームドーナツの袋と冷たい珈琲を持参して現れた。 打算的な賄賂だと言いつつも、ドーナツの袋はケイティとエマの分もきちんと用意されていた事を知っている。 二日続けてクリスピー・クリームのドーナツを手に入れたケイティはいたくご満悦で、有磨の遠出を羨ましがって少々ごねていた事など一瞬で忘れたようだ。 往復六時間も助手席に押し込まれて見飽きた海を眺めながらドライブだなんて憂鬱すぎる。 そう思っていた筈の有磨だったが、結局大して退屈することもなくサインディエゴに着き、早くもあと一時間程で自宅であるエマのダイナーに到着してしまう。 なんだかんだと邪険にしていた男とのドライブとあって、正直不安な気持ちはあった。しかしミッチは言葉遊びのように時折好意を示してくるものの、基本的には真面目に運転に集中し、常に明るく話題を提供した。 気が付けば、既知の友人のように会話を楽しんでしまっている自分に気が付き、不自然に黙るという事を繰り返していた。 ミッチは気が利く上に柔らかな言葉のレシーブを返す。 その割に表情のリアクションが派手な為、過去のとんでもエピソードを語るには最高の聞き手だった。 非常にどうでもいい話に時間を費やしてしまい、結局今日一日のドライブは非常に楽しいものとなってしまっていた。 これではまずい、と有磨は思う。 実のところ有磨は、ミッチの事が嫌いではない。迷惑だとは感じるものの、いつも柔らかく明るい言葉を選ぶ同い年の男には尊敬できる部分があることを数日間の内に感じ取っていた。 ミッチは嫌味な男ではない。好青年を絵に描いたような人間で、好みで言えば、正直ナシではない。 すらりと高い身長は多少羨ましく腹立たしいものの、手足のバランスが最高で素直に格好良い。顔は、人種が違うのでイマイチ判断しがたいが、嫌いではないと思う。甘い声は心地よく何時間でも聞いていられると思う。時折ラジオの曲に合わせて歌う声も甘く、流石のうまさだった。 悪い男ではないことは百も承知だ。 人を見る目があるかどうかはさておき、こう何日も一緒に居れば嫌なところも良いところもかなり明確に見えてくる。 どう考えても洒落やノリで告白するような男ではないという確信を持った為に、有磨は本気で憂鬱なため息を吐いた。 「……ちょっと休む? ずっと走りっぱなしで流石にしんどいだろ」 住み慣れた町がもうすこしで見えてくるタイミングだった。 個人的に意を決した有磨は、相変わらず軽快に車を走らせるミッチに休憩を持ちかけた。海辺沿いのダイナーの駐車場には、アイスクリームとジュースを売る屋台が並ぶ。 一緒に居る時間がたくさんあるという事は口説く時間が多くなる事、などと息巻いていたミッチだったが、結局きわどい話など何もなく真面目に今日の仕事をこなしてくれた。 ナッツが乗ったチョコレートアイスを買い、車の横で腕を伸ばしているミッチに投げるように渡す。見事キャッチした彼は、運動神経も悪くないらしい。やはりモテるのだろうな、と思う。車の横に立つ長身の白人青年は、絵になりすぎていて気持ち悪い程だ。 「アルマはさ、カメラ好きなの?」 うっかり見惚れてしまいそうになり、誤魔化すように首から下げたカメラを弄っていたせいか。そんなことを訊かれた。 有磨はいつものぶっきらぼうな表情で、海の方にカメラを構えてファインダーをのぞく。 「まー嫌いじゃねーわな。仕事で観光客撮るとチップくれたりするし、ケイティがよく風景写真ねだってくるし。あいつ車だけじゃなくて乗り物全般マジで全くダメだから、俺が遠出するときは絶対に写真撮ってこいってうるせーの」 「なるほどなぁ。アルマのカメラははケイティの目なんだね」 「趣味って程うまくもないし詳しくもないけどな。シャッター押してるだけだし。俺、絵とか描けねーから、どっか行って記録残すなら写真しかないじゃん?」 「結構遠くに旅行に行ったりするの?」 「あー……旅行っていうか、冒険っていうか、そんなたいそうなもんじゃないんだけど、アメリカの自然は好きでさ、結構回ってる。今はその為に金貯めてるって感じかもしんない。最初こっちに来たのも、死ぬまでに一回イエローストーン国立公園いっとこ、みたいなノリだったし」 特別その場所に思い入れがあったわけではない。 ただ、何をしていいかわからなくなった時、ふと本屋かネットで見かけた青と黄色の湖面を思い出しただけだ。それが九塞溝だったならばきっと中国に行ったし、青の洞窟だったならばイタリアに行っただろう。 ちょっと昔話していい? と有磨は前置き、寛容で人の良いミッチは勿論と頷いた。 「俺さー、こんな、ぼんやりアメリカのビーチで売れるんだか売れないんだかわっかんないアイスキャンディ売ってるけどさー。こっち来る前は、日本で売れない感じのバンドやってたんだよ」 高校時代に始めたコピーバンドは友人同士の同好会のような内輪ノリだった。それが何がどうしてか妙な人気が出てしまい、結局有磨は就職せずにミュージシャンの道を選んだ。 小さなライブハウスはどうにか埋まるものの、CDが売れず固定のファンもつかない。諦める程売れていない訳ではない。生活できるほど売れる訳ではない。そんな微妙な人気を三年ほど引っ張った後に、バンドはあっさり解散した。 結局有磨はそのまま芸能界に残った。といっても、コネとツテでどうにか売れないアイドル俳優もどきに転身しただけだ。 やりたい仕事ではなかったが、やれない仕事でもなかった。ただそれだけで続けていたものの、もとより演技の才能などなくほんの少し器量が良い程度の有磨はやはり、ゆっくりと人気と仕事を失っていった。 嫌な昔話をしている途中、ミッチは口を挟まずにただ静かにアイスを口に運んでいた。 有磨が言葉を探して沈黙したタイミングで、柔らかな声が耳に届く。 「アルマの家族は、お酒を造ってるんだよね。そっちの仕事って、会社みたいになってるの? それとも、家族で営業する感じなのかな」 家業があるのかないのか、という質問だろうと解釈し、有磨はふっと苦笑を洩らす。 「従業員は雇ってるけど、代々家族で継いでる。まあ、順当にいけば俺が長男だから継ぐって話になるんだけどさ、うちの親父がほんと、絵に描いたような頑固くそ親父で、ちゃらちゃらした音楽やって髪なんか染める奴が酒蔵出入りしたら殺すみたいな、なんつーかこう……俺が高校くらいのときから、お前には家督なんざつがせねー感すんげーあったから、そういうもんなんだろって思ってた」 それに加え、有磨はゲイだという事を家族には明かしていた。 その時の父親の荒れようは、思い出したくもない。これが本当に自分の親かと言うほどの醜い暴言をまき散らす大人は、とても寛容できない程醜悪だった。 頭の固い人だった。今も、固いままなのだろう。 「今も、お父さんが社長さん?」 「あー……一応うちのねーちゃんの旦那が、跡取りってか次の代の社長みたいな感じで修行してるはずなんだけど。……それがさ、先月ねーちゃんから電話あって、旦那さんがスキルス胃がんで緊急入院したっつーんだよ」 「え。……え、それは、あの……大丈夫、なの?」 「俺も電話でしか聞いてないからアレだけど、今のところ死んではないし、どうにかなってるみたいだけど。完治したとか退院したとかいう話もきかねーし、もしかしたらやばいのかも」 病の知識がなかった有磨は、ガンといえば死ぬ病気というイメージしかなかった。 一応ケイティに調べてもらったところ、早期発見ならば治療法により生存率はあがり完治も可能らしい。しかしスキルス胃がんは進行が早く、自覚症状がほとんどない為に発見が遅れる恐ろしい病だということまで知ってしまい、電話口の姉の悲壮感を隠した声を思い出しては憂鬱になった。 姉の結婚式には出ていない。 有磨がアメリカに来てから、姉は結婚し、その夫は次期杜氏となった。 今思えば、渡米したのは万が一にでも杜氏を任されるのは嫌だというそれだけの理由だったのかもしれない。仕事もほとんどなくなり、特別な目標もない人生だった。家を継ぐのは嫌で、けれどやりたいことなどない。 そんな時に、縁があったわけでもないのに訪れた国立公園で、アメリカの美しい自然に魅せられた。 結局なし崩しのようにずるずるとアメリカ在住を決め込み、そして有磨は西海岸のダイナーの二階に住居を借り、たして好きでもないアイスキャンディを売り、時折溜めた金で世界遺産や国立公園を回る生活を始めた、 整理して言葉にすると、とんでもない屑だな、と思う。 今現在成功している音楽家に語る話としては最低だった。 「ねーちゃんの旦那が倒れて、親父も年取ってて、ねーちゃんから死にそうな声で電話あって、あんた三十歳になって結婚相手見つかんなかったら帰って来なさいよなんて言われちゃって、なんかもう、そりゃそうかーって納得しちゃって」 「……三十歳までのモラトリアム?」 「なげーよなって思うよ自分でも。まだ学生気分で、子供でさー、ふらふら自分の好きな分だけ稼いで自分だけで使って、生活してる気になって満足してんの。そういうの、終わりにするんだったらいい区切りだとは思う」 「…………アルマ今二十九歳、だよね?」 「誕生日は十二月三十一日」 一年の最後の日は、大概の人が休みで、かつ忙しない。みな新年を祝う事に夢中で誰も誕生日など祝ってくれないことが不満だったが、今になって誕生日がキリのいい日付で良かったなぁと初めて思っていた。 「うわぁ……すごく覚えやすい日だしすごく、こう、区切りだね……ええと、つまり、キミは――年末には日本に帰っちゃう運命ってことか」 「そう。ってわけで、アンタとはお付き合いできません、ってこと」 「うっわぁ……うっわぁ理路整然と正式にふられた……えー。えー……いや、ちょっと待って、ちょっと待ってアルマ、今情報過多でぐるぐるしてるから、落ち着いて反論考えるから待って」 話している途中にアイスを食べ終えたらしいミッチは、紙のカップをきれいに畳みながらトントンと車のボンネットを指で叩く。考え事をする時の癖なのかもしれない。 トントン叩いた後にあーあーと唸り、刈り上げた後頭部を掻きむしったミッチは、息を吸って『よし』と呟く。 「おっけー。気分ちょっと立て直した。えーと、つまり、アルマはあと半年間の間に結婚相手っていうかアメリカでパートナーを見つけるとか正規の雇用が決まるとか、そういう『アメリカを離れられないどうしようもない理由』が見つからない限り、日本に帰っちゃう、ってことだ」 「まーそうだなー。充分遊んだしなー。俺が帰って何が変わんの余計面倒なだけなんじゃねーのと思うけど、遊んでないで帰ってきなってのは、たしかにそうねとしか言えねーしなー」 「ほぼ決定事項?」 「ほぼ。帰ると思う」 「うーん……じゃあ僕は、年末までにキミと婚約するか、キミが遠距離恋愛でもかまわない日本とアメリカの時差も距離も気にしないミッチが好きだ! ってなるくらい、アルマを夢中にさせたらいいってことか」 「………………いや諦めろよ……すっげー真剣に断った俺の誠意汲めよ馬鹿かよ……」 「すごい真剣に説明してくれたからだよ。そうか僕は人として嫌いだとか無理だとかそういう理由じゃなくて、本当にどうしようもない人生の分岐点的な理由でお断りされるんだなぁってわかったから、結果嫌われてないじゃんって気が付いちゃったの」 「いや……まあ……嫌いじゃねーけどさ……」 一日楽しくドライブしておいて、今さら寄るな触るなと口うるさく邪険にするつもりもない。 何より有磨の家庭と人生の事情を全て話してしまった為に、やっぱりお前の事なんか嫌いだなどとは言えなくなった。誰にでも不幸話をするような人間だと思われたくない。ミッチが善良で真面目な男だと判断したから、有磨は丁寧にすべてを口にしたのだ。 しかし、思っていた結末ではない方向に話が進んでいる気がする。 有磨の告白を神妙な顔で聞いたミッチは、さっぱりと諦めるとはいかずとも、ある程度は納得して諦めてくれる、というのが脳内でのシミュレーションだった。 期限付きの恋にときめく歳でもない。ゲイではないというミッチが、怪しいアイスキャンディ売りの男に人生を捧ぐような判断をしていいわけがない。 どうしてもというのなら、お別れにキスの一つくらいはしてもいい、などと思っていた有磨の方が段々と混乱してきた。 何度口説かれても、好きだと言われても、この割合魅力的な男が自分に執着する理由がさっぱりわからないのだ。 「……あったまいたくなってきた……何なのアンタほんと意味わかんないんだけどなんでそんなに俺の事好きなの……俺、なんもしてなくない?」 「キミは僕の命を救ったじゃない――ってのはお決まりの文句だけど、僕も本心曝け出すとね、まあ、よくわかんないよね」 「なんだそれ」 「だって実際のところ一目惚れみたいなものだし。いいなって思ったんだ。アルマの声とか、喋り方とか。それで、何度も夢に見て、実際にキミを見つけてたくさん言葉を交わしたらやっぱりいいなぁって思ったからこれは恋だよ。誰にも嘘だなんて言わせないし、僕はこの気持ちが偽物だなんて思ってない。説得力が必要なら、僕がアルマのどこを愛しているかプレゼン資料作ってくるけど」 「いやいい。すげーガチなの持ってきそうだからいい」 「遠慮しなくてい――あ。そうだ、アルマ、免許ないんだよね?」 良いことを思いついた、といった風な顔にいやな予感がした。 「……日本の免許はあるけど。アメリカで使える免許はねーよ」 「でも、エマの商品の配達とかで、結構遠出するんだよね? ってケイティが言ってたんだけど」 「情報漏洩ほんとすげーな……俺アイツに内緒話すんのやめるわ……」 「してもらっていいのに。いやそうじゃなくて、遠出するときに運転手いたら便利じゃない? と思ってさ。つまり僕なんだけど」 「……暇人かよ音楽家」 「休業中のストーカーだからね」 にっこりと笑った男に、最早反論する気は失せていた。 めげることなく口説いてくるのならば、こちらも容赦なくノーを繰り返すだけだ。昔と現状を思い出した為に憂鬱になった空気は、いつの間にかため息ひとつでどうにかなる程度に軽くなっている。 ばっかじゃねーの、と苦笑すると、何故か少し気持ちが軽くなった。 「それさ、ほんとにアンタはただの運転手で、利益なさすぎじゃない?」 運転手が居ればそれは確かにありがたい。これからも恐らく邪険にするものの、ミッチの事は嫌いではないのだから、ドライブも苦痛ではない。 単純にありがたい申し出ではあったが、ギブ&テイクとは言い難い条件だ。ミッチの利益が少なすぎる。本人が良いと言っても、有磨はどうも気に入らない。 「せめてバイト代出す方向で調整しない?」 「えー。でも、お金貰ってもなぁ。僕って奴は割と無趣味で、仕事が趣味みたいなものだから、銀行口座だけはわりと潤ってるんだよね……報酬もらうならキスとかが良――………あれ? 今日は耳引っ張らないの?」 「…………………まあ、それで、いいなら、と、思いやまてまてまてはやいちかいはやいいまかよいまここでかよ今日から適応かよその報酬制度……!」 「六時間ドライブの報酬が好きな人のキスとか素敵だと思うなぁ」 「離れろ著名人、パパラッチの餌食になんないの?」 「休業中の音楽家なんて追いかけて来る物好きカメラマンいないよ」 ね? と至近距離で甘く微笑まれ、思わず引いた腰を長い腕に捉えられてしまう。恐らく死ぬ気になって抵抗すれば腕から逃れる事もできるだろう。それでも比較的おとなしく腕の中に納まって気まずい時間を過ごしたのは、有磨の中に存在する真面目すぎる義理人情的な概念のせいもある。 しかしその理由の半分は、間近に迫った男の顔に不覚にもどきどきしてしまったからだった。 唇が触れるだけの、軽いキスだった。 ふふっと恥ずかしそうな笑みを零したミッチはうっかりひどく動揺してしまった有磨の耳元でやっぱり好きだなと甘い声を落とした。

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