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第11話
「だから知らない人だって言ってるのに!」
ミッチの叫びは、些か狭い部屋に空しく響く。
カタカタとノートパソコンを叩いていたマイルズは、いつものように片眉を上げて息を吐くだけだった。
「そんな事俺に言われてもしらねーよ相棒。うじゃうじゃとお前の周りを追いかけるゴシップ好きのライター達に言いやがれ」
「言ってるよ! 言っても全然話通じないし意味ないから困ってるんだってば! なんなの本当にみんな、僕の事を母さんのクローンか何かだと思ってない!? あのヴァネッサの息子がお騒がせ歌手と密会、なんて確かにゴシップ中のゴシップって感じの見出しだけど、今までの僕の誠実すぎる二十九年の人生を考慮してほしいよ本当に!」
思いつくままに言葉を荒げるミッチにマイルズはやはり苦笑するだけだ。三日も同じような文句が続けば、流石に返す言葉も枯渇するのかもしれない。
心当たりなど全くないスキャンダルが発覚してから、ミッチはマイルズの家で寝泊まりしていた。
家をマスコミに囲まれている訳ではないが、それでも時折明らかにカメラを抱えた人間に遭遇する。やましい事がなくても、勝手に写真を撮られればいい気はしない。
どうせどこにいても不快な思いをするのならば、気安い相棒と一緒に居た方がいくらか気分も楽だ。
幸いマイルズの家はそれなりに広い。彼の恋人であるウェレリアも、ミッチの滞在を歓迎してくれた。
「落ち着けミッチ。お前がそんなに毎日プリプリしてるのは、あー……あれだな。ちょっと前に盗作疑惑かけられた時以来だなぁ」
「四年前だよソレ。あんなの怒っていいでしょ既存の作品ならともかく、僕より後に作られたアマチュア作品引っ張り出してきてあなたの音楽はパクリだ、なんて言われたらたまったもんじゃない」
「まあな。あれは正当にブチ切れていい奴だったよな。でもお前、前にどっかの誰かとふんわりスクープされた時、そんなに怒ってたか?」
「……それは三年前」
苦い思い出を掘り返され、またため息が零れた。
確かに三年前、駆け出しの女優と食事をしていた際に写真を撮られ、やはり今回のようにヴァネッサの名前付きで報じられた。
その頃のミッチは堅実に仕事を重ねていたものの、まだ映画の仕事を手掛ける前だった為もあり、決して有名ではなかった。ウィキペディアのページもなく、単にヴァネッサの息子というだけで時折注目されるだけの舞台音楽家だった。
食事をしていた女優とは、特別な関係はなかった。本当にただ食事をしていただけだし、同席していた友人がレストルームに立ったタイミングでシャッターを切られただけだ。
それなのにまるで不倫報道のようにスキャンダラスに目を付けられ、多少は憤慨した記憶がある。だがそれだけの話だ。誰と恋愛をしようが放っていてほしい、とは思うが、犯罪者でもないのだから放っておけばいいと思っていた。
今回も、というか、今回こそはミッチはまったく身に覚えがない。
しかしやたらと腹が立つのは、どう考えても自分ではないのに言い訳も許されず、その上アルマにまで迷惑をかけてしまいそうだったからだ。
ミッチだと言われている長身の男の横に居た派手な女性は、クリスティーンという名前の若い歌手だ。
名前は聞いたことはあるが、実はミッチは彼女の歌を知らない。流行の曲は大概耳に入れるものの、彼女は歌よりも私生活やキャラクター性で注目され始めたらしく、SNSやブログ、動画サイトなどで有名になったらしい。
どうやら過激な発言や他人の物議をかもすような、要するに炎上法を売りにしている女性のようだ。
大して世間のニュースに興味がないミッチが、何故彼女の名前を憶えていたのかといえば、半年前程に『リトル・リトル・キッチンガール』のメイン曲を盛大に揶揄し批判するジョーク動画を上げていたのがクリスティーンだったからだ。
人間には好みというものがある。
食事もそうだが、勿論音楽にも好き嫌いはある。嗜好が違う人に無理に自分の曲を押し付けようと思わない。好きだと主張してもらうのも、気にくわないと言われるのもどちらもありえる話だ。所謂アンチという存在は、ミッチはあまり気にしていない。
元来他人の評価に無関心なミッチにとって、アンチ動画の内容がいかに酷くても本当に心からどうでもよかった。
故に、大した関心も示さずに反応することもなかった。嗜好が大きく関わる分野で生きている。好きだと言ってくれる人に対して自分は音楽を提供できればいい。
様々なコンテンツに向かって暴言を吐きつっかかり、そして時にはネット上で論争を繰り広げるクリスティーンにとって、無言を貫く相手は良いカモではないだろう。
結局、以来一度も彼女のSNSで話題にされた事は無いようだ。何かがあれば、比較的心配性なマイルズが逐一報告してくれる。
そういえばそんな人いたなぁと思い出しはしたものの、なぜ自分の偽物が彼女と腕を組んで歩いているのか全く思い当たる節がない。
「もーほんと……何なの一体……」
「お前もクリスティーンに対抗して釈明動画でも上げたらどうだ?」
「アレは僕のそっくりさんであって僕はその時男の恋人と一緒にモニュメントバレーでイチャイチャしてましたって?」
「アリバイ証明は大事だろ。まあ、アレがお前でもお前じゃなくても、向こうさんの言い分的にはどうでもいいんだろうけどな。なぁ、そろそろ腹へらねーか? お前朝飯も食ってないだろ。なんか食わないと余計苛々すんぞ」
「そんなアナタにーケイティ便ー」
急に降って来た声は少女のものだ。
ノックもなしに部屋に乱入してきたケイティは、挨拶もそこそこにテーブルの上にドーナツの袋を置くと、慣れた様子でソファーに座った。
彼女のお腹のあたりでは、見慣れたカエルのキャラクターが笑っている。
雨の日にケイティに貸したティーシャツは、彼女が気に入ってしまったのでミッチからプレゼントした。サイズの合わないティーシャツを着こなした少女は随分と活発に見える。
「よぉ、自転車娘。なんだよ今日もドーナツかよ。たまにはホットドック抱えて登場しやがれ」
「玉ねぎ嫌いだから嫌ーだよー。ケイティちゃんはドーナツが好きなのです。ミッチには珈琲も買ってきたよ」
ケイティはこの三日間、あしげくマイルズの家に通っている。
ダウンタウンにほど近いマイルズの家は、ビーチシティからは離れているものの、パサデナよりはかなり近い。いつも通りのケイティのテンションに触れているとほっとする。
夕方になる前に帰ること、必ずエマに連絡することを条件に、今だけは長い自転車の旅を許していた。
「あとさっきまたクリスティーンが新しい動画上げてたけど、見た?」
「おい昨日も三本上げてたじゃねーか。なんなんだよ暇人かよ歌うたえよ歌手」
「歌より儲かるんじゃないの? わかんないけど。アクセス数結構あるみたいだからなー動画チャンネル。昨日はライバル事務所が自分をハメようとしているって内容で切れてたけど、今日のはえーとねー、映画会社の陰謀? とか言ってたよ?」
「支離滅裂だな。馬鹿がまた馬鹿言ってんぞって笑ってつつく奴がいるから、馬鹿はどんどん馬鹿しやがるんだろうな。とんでもねえ馬鹿じゃねーか。結局きっかけはどうでもよくて喚いて目立ちたいだけじゃねーか。ケイティ、お前昨日もそれ食ってなかったか?」
「ケイティちゃんはクリスピー・クリームのキャラメルクリーム・クランチがお好き」
「甘いと甘いのコラボレーションパラダイスみたいなブツだな。しんじらんねーな。俺ァ、ウェレリアになんか頼むわ。ミッチは?」
「僕はドーナツ食べるよ。ありがとうケイティ」
「んふふ。ミッチすぐにありがとうって言うから好きー」
甘いものは嫌いではない。
袋の中にはプレーンのドーナツと、ケイティが好きだと宣言したチョコソースが乗ったクリームドーナツが入っていた。
アルマと最初にドライブした時も、クリスピー・クリームをお土産に持っていった。
今は隣に居ない人の事を思い出し、ミッチはまた息を吐いた。
「……アルマ元気かな。ケイティのところ、ちゃんと連絡来てる?」
「来たよーついた時に一回だけだけど。でも携帯なんか絶対いらない電話なんかうざいだけ、って言ってたアルマが日本から電話してくるんだもんすごいよー。愛の力すごい」
「愛かなぁ。愛だといいけど」
アルマは昨日から急きょ日本に帰っていた。
たまたま姉から電話があり、一回帰る旨を話したところあれよあれよと予定が決まってしまったらしい。日本はこれから盆という季節になるという話だ。どうやらそれは記念日のようなもので、血縁が一挙に集まる期間らしい。
アジアと違い、家というものをあまり尊重しないアメリカで育ったミッチには、親類が集まり先祖を偲ぶという習慣が、あまりしっくりこない。
そうかそういうものがあるから、そのついでに帰るのかと納得しかけたが、苦笑いしたアルマは『逆だ』と言った。
どうやら、親類達が集まる日を避け、その前に一時帰国したいらしい。
成程、ミッチと同じくアルマも親族の事が苦手なのだ。
ケイティは最期までアルマの帰国に難色を示し、どうにかお目付け役にミッチを同行させたがった。
何事もなければ暇な身分だ。彼の実家に押しかけずとも、日本のホテルでぼんやりとする旅も悪くないと思う。もちろんそれは何事もなければの話で、降って湧いた身に覚えのない炎上案件に巻き込まれている身では、目立つような行動は控えるべきだと判断した。
日本との時差は十六時間だとケイティは言った。
今頃やっと太陽が昇った頃かもしれない。
暇があったらでいいから、エマとケイティに連絡してねと言い含めたのはミッチだ。
特にケイティは、きっと飛行機に乗れる体質だったならば荷物に紛れ込んででも付いていきそうな雰囲気だった。
「日本あっついってさー。こっちの方がまだマシってだらだら文句言ってたよー」
「ご家族とはちゃんと話せてそう?」
「んんーどうかな。ケイティちゃんにはあんまりそういう話しないからーアルマ。でも暑いってうるさかったから、とりあえず悲しくて辛いって感じじゃないんじゃないかなぁ。アルマ、怒ってる時は元気な時だよ。へこむとなにも言わなくなるんだー。かっこつけだから、弱った姿見せたくないみたい」
そんなことまで十六歳の少女に把握されている事が若干不憫であったが、確かに彼は格好つけだと思って笑ってしまう。
「ミッチと逆だよねー。ミッチはさ、あんまり見た目とか、他人の評価とか、気にしたいでしょ?」
ドーナツをもぐもぐと頬に詰めながら、ケイティは首を傾げる。
同じく甘いドーナツを掴み、ミッチも首を傾げた。
「うーん……格好良い人っていうか、正しい人でありたいなぁとは思うけど。でも、アルマの事は格好良い人だって思ってる。本人は自分なんてって言うけどね」
「ミッチも僕なんてっていうよねぇ。あれ、やっぱり似てるのかな? 似た者同士?」
「属性で恋するわけじゃないからなー。僕はたぶん、アルマがアルマだから好きだなって思ったんだよ」
「うう……なんかスペシャルピュアな笑顔を食らった……ケイティちゃん今ちょっとライフ削られた……マイルズーマイルズーミッチののろけクリティカルヒットで瀕死のケイティちゃんにジンジャーエールちょうだーい」
「おっまえ勝手に冷蔵庫開けろよ……」
へーへーと言いながら、マイルズは腰を上げる。
彼がカタカタと休むことなく打ち続けているのは、次の仕事の計画書だ。何が原因でもやましい事がないなら勝手に喉元過ぎてくさ、と肩を竦めたマイルズは、すっかりスキャンダル写真騒動など無かったかのように仕事を進めている。
彼の言う通りだと思う。
くよくよしても、腹立たしく怒っても、ミッチに出来る事はほとんどない。
一応自分のSNSでは事実無根であることをさらっと報告はしてある。あんなお洒落な服は持ってないからね、と締めたミッチのコメントには思っていた程の反響はなく、結局世間は『またクリスティーンが騒いでいる』という感覚で注目をしているようだ。
関係ない事に、関係ない人間を巻き込まないでほしい。
本当ならば空港までアルマを送りに行きたかったのに、結局お別れの挨拶はできなかった。これが最後だとは思っていないとはいえ、いってらっしゃいと笑ってキスくらいはしたかったのに。
何もかもうまくいかない。それがすべてクリスティーンのせいに思えて、ミッチは珈琲を飲み下して頭を振った。
「時差は十六時間だよーミッチ」
マイルズがソーダを取りに部屋を出たタイミングで、ケイティはぽつりとつぶやいた。
「……えーと。今は、朝の七時?」
「アルマ、家じゃなくてホテルに泊まってるってさ。たぶん八時くらいになったら起きてるんじゃないの。電話してみても怒らないと思うよ」
「えー。怒らないかなー。ほんと? 僕いまあんまり心が元気じゃないから、ちょっと冷たくされたらうざい感じに泣いちゃいそうで怖いよ」
「そしたらあたしとマイルズが慰めてあげようー。ケイティちゃんビアガーデン行きたいー!」
「ケイティは暗くなる前に帰ってね。ビアガーデンはアルマが帰ってきてからみんなで行こう」
「え、いいの? やった! うぇーい! 約束だよミッチ!」
上機嫌のケイティはくるくると回り、ミッチは時計を見上げて簡単な計算をした。
あとは少々の勇気を出すだけだった。
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