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第10話

パサデナのアパートの住人は、ノック三つですぐに扉を開けてくれた 「は……やかったねぇ。電話してからまだえーと、三十分? も経ってないんじゃない?」 「タクシーぶっとばしてもらった」 「……駆けつけてくれたのは嬉しいけど、キミが事故ったらそれこそ僕もケイティも自己嫌悪で落ち込んじゃうよ。二人とも無事に辿り着いて良かった。神様に感謝しなきゃ」 ミッチからケイティを保護した旨の電話が入った時、有磨とエマは警察に通報すべくダイナーに集まっていた。 ケイティが居ない事に気が付いた時、すでに時刻は昼を過ぎていた。一体いつから彼女は部屋に居なかったのか。普段ならばダイナー裏に停めてある自転車が無くなっていても、その辺のディスカウントショップに甘いものでも買いに行ったのだろう、と思うだけだ。 しかし今日は記録的な大雨で、朝からほとんどの店がシャッターを閉めていた。外出する人間など一人もいない。こんな天候の中、自転車で出かけるなど自殺行為だ。 連絡が付かないケイティが、数十キロ離れたパサデナでミッチに保護された、と知った時、エマは安堵で床に崩れ落ち、そして有磨は彼女を支える為に随分と苦労して普段は使わない筋力を使った。 車にも電車にも乗れないケイティは、自転車か徒歩で移動するしかなく、この雨の中では帰宅することもできない。 結局ケイティは一晩、ミッチの家に泊まることになった。 有磨はミッチとエマの電話が終わった後、身支度もそこそこに財布と傘だけを掴んでタクシーを呼んだのだった。 頭からタオルを被ったミッチに苦笑気味に窘められ、この大雨の中何も考えずに飛び出した自分の行動について反省したものの、後悔はほとんどしていない。 あのまま自室に居ても、落ち着かずに一睡もできなかったと思う。 「わぁ、もう、キミまでびしょ濡れじゃないかー。タクシーの中まで雨降ってたの? ほら、とりあえず入って。今日は僕の家のタオルが大活躍する日だ」 「……悪い。ケイティは?」 「今シャワールームにつっこんだところだよ。『ケイティちゃんは床で寝る』って言ってきかないんだから、ちょっとアルマもベッドに寝かしつけるの手伝ってね。――あんまり怒んないであげて。悪い事してるってちゃんと自覚あるからさ、彼女」 「うん。わかってる。ほんと迷惑かけた」 「僕は良いよ別に。友達が二人とも無事に僕の家に遊びに来てくれたんだから、賑やかで嬉しいくらい」 眉を落として笑うミッチの懐の深さをひどく実感する。 怒鳴りつけるつもりはなかったものの、憔悴した状態のエマを実際に見ている有磨としては、苛立つ気持ちが無くはなかった。 そのささくれだった棘のような苛立ちが、ほんの少しなだらかになる。 ミッチの柔らかな忠告がなければ、ケイティがサイズの大きい見覚えのあるカエル柄のティーシャツを身に着けてバスルームから出てきた時、もう少し声を荒げてしまっていたかもしれない。 タオルを被った有磨に目を止めたケイティは、一歩下がった後にあまりにもわかりやすく首を竦めて涙を浮かべた。 「……っぅ……うう…………ケイティちゃんは……駄目な子…………」 どうやら有磨の姿を見た途端、罪悪感が湧き起こってしまったらしい。基本的に真面目で、正しくて、潔癖な少女だ。それを知っているが故に、有磨は苛立ちは雨と一緒に流すことに決めて、ケイティの頭を軽く叩いた。 「駄目じゃねーけど心配させんな不良娘。俺は別にいーけど、せめてエマには行き先くらい言っとけ。あと天候考えろ帰ったらエマにめっちゃ謝れよ。あとでもっかい電話しとけ」 「うん……アルマも、ごめん……」 「俺はいいって。心配したけどな。近場のショップ全部回ったけどな。ついでにドーナツ屋まで行っちまったけどな」 「うーごめんなさいー……」 「うん。ミッチにも謝ったか?」 「いっぱい謝った……ミッチもアルマと一緒の事言うんだ……『僕はいいからエマには謝らなきゃ』って……マンマに電話しなきゃー……」 「はよ電話してやれ。さっきはお前テンパってて何言ってんのかよくわかんなかったから。明日俺と一緒に帰るぞ、雨あがってたらだけどな。ほらプライベートな会話は寝室でしてこい」 西側のドアの向こうは寝室らしい。ミッチに背中を押され、ケイティはとぼとぼと扉の向こうに消えた。 残された大人二人は、自然と息を吐く。へこんでいる子供の相手は不得意だ。それはミッチの方も同じようだった。 「まあ、誰も傷つかずに事が終わりそうで良かったよ。とりあえず座って。珈琲淹れるけど飲む?」 「ありがとう、貰う」 素直に礼を述べ、熱い珈琲を受け取る。本当はビールの一本でも開けたいような気持だったが、へこんでいる子供の前で酒を飲むのも気が引けた。 ミッチの部屋は思っていたより手狭で、よく言えばこじんまりとしていて小奇麗だ。悪く表現するなら狭くて何もない。 ダイニングキッチンは作業スペースも兼ねているらしく、作業用と思われるパソコン機器やオーディオ類が窓際に鎮座し、その前に一人用のデスクと椅子が揃えてある。 他の家具と言えば、今有磨が腰を下ろしている二人掛け程度のソファーのみだ。 あとは寝室とバスルームがあるだけらしい。 高級住宅街でもあるパサデナに住んでいる、と聞いた時は豪邸とは言わずともそれなりに広い部屋で暮らしているのだろうと想像したが、これでは有磨が間借りしている部屋と大して広さは変わらない。 勿論金がないわけではないだろう。 「……狭いとこ好きなの?」 手持無沙汰に珈琲をすすりながら、デスクチェアーに腰掛けるミッチを見上げる。 連絡があった時には何も考えずにとにかくケイティの無事を確認するために走ったが、よく考えてみれば有磨はミッチの部屋を訪れるのは初めてだ。 そう考えると妙に落ち着かない気持ちになる。適当に言葉を選んだせいで本当にどうでもいいことを訊いてしまった有磨だったが、対するミッチは特に気にする様子もなくふわりと笑う。 「うーん好き、かも。広い家って落ち着かなくて、だから実家とか本当に苦手……あーいや、もしかして僕、実家が苦手だから広い家も苦手になっちゃったのかな?」 「実家ってどこにあんの」 「ハリウッド。僕の母さん、スーパースキャンダラスな色恋多き大女優だからね。そりゃ家も派手だよ」 「あー……えーと、なんだっけ……ヴァネッサえーとサランデル?」 「混じってる混じってる。母がヴァネッサ・ウォーカー。妹がイヴ・サランデル。有名な女優二人よりも地味な息子の方をよく知ってる人間なんて、世界でキミだけかもしれないよ。みんな、僕を呼ぶ時の枕言葉はあのヴァネッサの息子、だからね」 別にいいけどねーとぼやく男の人生が、有磨は少し興味深く思えた。 隣の寝室からは、ケイティの声がぼそぼそと聞こえる。エマとケイティは仲がよく、有磨が黙っていても延々と二人で話し続けている時もある。まだしばらくは、有磨とミッチは二人きりで過ごさなければならない筈だ。 「ところでさ、ケイティに日本に帰る話したんでしょ?」 そう言ったミッチは、すとんと有磨の横に腰を下ろす。急に隣に座られ、少々びっくりしたことはおくびにも出さず、しれっとした顔で珈琲を啜った。 「……した。した、けど、あー……滅茶苦茶後悔してる」 「え。何に? 何も言わないで帰国して、さっと帰ってくるつもりだった?」 「いやそうじゃなくて……もっと言い方とか色々あったんじゃないかなーってさ。……俺さ、なんていうか……その身一つでアメリカ来て、その身一つで帰る気になってたなって。確かに荷物とか職とか、そんなもん今の俺にはほとんどないし、物理的な持ち物はめっちゃ少ないけど。友達を置いてくんだってこと、たぶん、ちゃんと実感してなかった」 自覚があれば、実感があれば、もう少し言葉とタイミングを選んで考えたかもしれない。 本当に手ぶらのつもりでいた。アメリカに来てから培った友人との時間を、有磨は持ち物としてカウントしていなかったのだ。 「ケイティって、いくつだっけ?」 「十六歳。飛び級かなんかで大学の途中くらいまで行ってるような話してたけど、歳は十六」 「……十六歳の頃って、何してた?」 「あー……何してたっけ。高校だろ? あの時は結構大人ぶってたけど、ガキンチョだったなーって今なら思う」 「わかるよ。子供だったよね。今が大人かどうかはともかくさ。ケイティ、僕に頼みに来たんだって。アルマが日本に帰らないように説得してって、言いに来たんだって。その為にこの雨の中何時間も自転車漕いだんだってさ。――ケイティにとって、キミは親友で、そして距離の悪魔から救ってくれたヒーローなんだね」 乗り物に乗れない少女は、どうせどこにも行けないと部屋から出なくなった。 一日のほとんどの時間を自室で過ごす彼女が外に出るようになったのは、有磨が自転車を贈りつけてからだ。 頭がいいのにふてくされている子供がかわいそうで嫌だった。同情だったのかもしれないし、ただの親切だったのかもしれない。無神経な大人のプレゼントだったのかもしれない。 それでもケイティは喜び、どこにでも自転車で繰り出すようになった。 「ヒーローは十六歳のヒロインを泣かせて雨の中放り出したりしないだろ」 「でも、追いかけてきた。ちゃんと謝るように諭したし、明日は一緒に帰るんでしょ? やっぱりキミは、ケイティのヒーローだ。マイルズならきっとキミを忍者の末裔って設定にしただろうなぁ」 「忍者の末裔で、元ベーシストで、今はカエルのアイスキャンディを売るヒーロー?」 「そう。ヒーロースーツは緑と紫。キミの売るフロッグマンアイスの色。明日はアイスが飛ぶ様に売れるような晴天だといいよね。雨が降った後はさっぱりとした晴天じゃなきゃ、なんだか気分がすっきりしないもの」 カラッと晴れたビーチは暑く、それはそれで憂鬱だと普段ならば思う。けれど晴れるといいねとほほ笑むミッチに対し、有磨も素直にそうだなと頷いた。 手の中の珈琲は、ほんのりと温くなっている。寝室からはもうケイティの声はしない。もしかしたら疲れ果てて寝てしまっているのかもしれない。 「……そういや、ケイティが着てたティーシャツ、ミッチの服? だよな?」 「うん。うち、妹が泊まりに来たりもしないから、女性用の服とか無くて。買いに行くにもこの雨じゃあねー……」 「もしかして最初に会った時着てた?」 「あのカーミットのティーシャツ? え、そうだっけ」 「カーミット?」 「え。ほら、セサミストリートのカエル……あ、日本ってセサミストリート放映してない!? これもしかしてカルチャーショック……?」 「いやセサミストリートは知ってる。知ってるけど俺詳しくないから、なんか赤いもさもさした怪物と、青いやつと、でっかい黄色い鳥が居たことくらいしか……あと丸いのと細長い兄弟? みたいなやつ?」 「わりと覚えてる方だよ合ってるよ。エルモとクッキーモンスターとビックバードだね。アーニーとバートは兄弟じゃなくてルームメイトだけど。僕のティーシャツはカエルのアナウンサーのキャラクターだよ。かわいいでしょ、カーミット。子供の頃、よくカーミットに似てるって言われてさー、実は一時期僕のあだ名は『蛙男』だった」 「フロッグマン……」 「そう、キミとお揃い。だからちょっと、運命感じちゃったのかもしれないなぁ」 そう言われてみれば、柔らかなミッチの表情はとぼけた顔のカーミットと似ているかもしれない。もっとミッチの方が目はぱっちりとしているが、大きく開いた口元はそっくりだ。 「アルマは、なんでアイスキャンディの形をカエルにしたの? なんか、あんまり見ないよね。もしかして日本で流行ったりしたの?」 マグカップを置いたミッチに問われ、思わず有磨は言葉に詰まる。 アメリカに渡ったばかりの自分は馬鹿で、そしていきがっている割に感傷的で、その上何も考えていなかった。 売るものは何でもよかった。比較的甘いものが好きで、暑さが苦手な有磨はすぐにアイスにしようと思い立った。 何か、自分だと表現できるようなもの。主張できるもの。トレードマークのようなもの。 そう考えると、自ずとモチーフは一つに絞り込まれた。 「……いやあの……俺、日本でのあだ名が、えーと……ケロちゃんで……」 「ケロ? なんで?」 「カエルの鳴き声、日本だとケロケロなんだよ。こっちだとえーと……」 「リビットかな。もしくはクローク」 「いいよなこっちは擬音がわりとかっこよくてさ……」 「ケロケロ、かわいいと思うけど。なんでカワズユウマの愛称がケロになるの?」 「カワズって、別の字を当てるとカエルの事だから。だから学生時代からバンド時代も、俺のあだ名はケロちゃんで、イメージカラーはずっと緑。最初にこっち来てケイティに会った時も、俺の髪の毛真緑でさ。あいつそれがかっこいいって言って、俺が黒髪に戻すと怒んの……いまは毛先だけで許してもらってるけど」 「あー。なるほど、なんかいろんな謎が一気にとけた。じゃあフロッグマンってアルマの事なんだねぇ」 じゃあお揃いだ、とミッチは笑う。 こんな恥ずかしい適当すぎる上に自己主張が激しい由来を話したのは初めてで、有磨は今にも逃げたい程恥ずかしかった。 別になんでもいいと言いながらも、自分の名前を由来にしたアイスを毎日売っている男なんてダサい。その上、お揃いという言葉がまた別の意味で痒く、どうにもならないような尻の座りの悪さを覚える。 外の雨は止まない。 何も考えずに飛び出して来たが、よくよく考えれば有磨もミッチの家に泊まることになる。 今更ながらそのことに思い当たり、慌てて有磨はミッチに頭を下げた。 「あ、つーかごめん、俺なんも考えないで来ちゃったけど、えーと俺床でも寝れるから。もしくはこの辺でどっか安いホテル……」 いまになって慌てる有磨に、ふは、とミッチが笑いを零す。 「このあたりにホテルなんかないよー。残念だけどベッドは一つしかないからケイティに譲るし、アルマには不便を強いるかもしれないけど。床よりソファーの方がマシだとは思うよ」 「ミッチはどこで寝んだよ」 「んー。うーん僕はそうだなぁ。一晩くらいなら、作業してれば寝ない時もあるし、集中さえすればわりと、起きてるのは苦じゃな――ちょ、アルマ、近い近い何、え……」 「……ソファー、二人で寝たら狭い、か、やっぱ」 「…………えーと。狭いかどうかは別にしてそれってすごく可愛いお誘いすぎて僕はどこから夢を見てたのかなって感じなんだけど正気? キスしちゃうくらい近いしアルマ今ソファーでイチャイチャみたいな感じになってるよ僕たち。正気?」 「正気じゃないかもしれないけど夢じゃねーよなんだよ正気に戻ってほしいのか……」 「あの、嬉しい、けど、大人としての自制心がすごーく試されてるなーって思う」 「しねーよ馬鹿。ケイティいんだろ」 「だよね。ですよね。わかるよ。そういうところが好き。ほんと真面目でいいよね。大好き。かっこいい。じゃあアルマは今僕とちょっとイチャイチャしてスキンシップしたいだけ?」 「言葉にすんな馬鹿そういう逐一確認するとこ俺も好きだよ」 ふははと笑ったのはどちらだったか。キスを仕掛けたのもどちらが先かわからない。触れるような軽いキスは出会った頃のバイト代を思い出させ、また無駄に痒くなる。 暫く軽いキスを繰り返した後に、くったりとミッチに寄りかかった有磨は、顔を見ないようにと務めながら言葉を喉から捻りだした。 本音を言うのは怖い。そしてとても勇気がいる。 「俺さ、滅茶苦茶ミッチに頼ってる、と思う……なんつーか、俺の隣に居るのがアンタで良かったなって、思うよ……」 絞り出した本音に対するミッチの返答は深いキスだった。 こんな風に他人に身体を預けるのはいつぶりだろう。まるで心も半分受け渡すかのような錯覚に陥る。 有磨はアメリカで、ケイティとエマとの関係を背負った。そして二十九歳の夏、ミッチとの関係もまた、無視できない重さとなった。 深いキスを遮ったのは、けたたましい着信の音だ。 有磨は相変わらず電話を持っていないので、勿論鳴り響いている携帯の持ち主はミッチだ。 珍しく少々煩わしそうに眉を寄せたミッチは、手を伸ばして机の上の携帯を手繰り寄せると、画面を一瞥して眉を落とした。 「マイルズだ。……忘れ物でもしたのかな」 ちょっとごめんねと前置いて、その場でミッチは通話ボタンを押す。彼が何かを言う前に、有磨にも聞こえる程の音量でマイルズが何かを喚き始めた。 しかし焦っているせいか、ひどく早口で有磨にはうまく聞き取れない。 「え、ちょ……落ち着いて……何? 雨の音がうるさいんだよマイルズ。え? ネット? パソコン切ってあるから今キミと電話してるこの端末で見るしかないけど、何……………………?」 段々と、ミッチの表情から気安い雰囲気が消えていく。代わりに現れたのは緊張で、何事かと案ずる有磨が声をかけるよりも先に、寝室のドアからおずおずとケイティが顔を出した。 「あのー……あの、ケイティちゃん、別に覗き見するつもりなくて、タイミング計っていただけなんだけど…………ミッチ、あのね、ちょっとどうなってんのかわかんないんだけど、これ」 そう言って彼女が差し出したタブレットには、背の高い男が大胆なドレスの女と連れ立って歩く明度の低い画像が映し出されていた。 画像が荒く、顔まではわからない。けれど外国人の有磨でさえも、男の背格好がミッチに似ていると思った。 そしてその二人は明らかに友人以上の関係で、お忍びでデートを繰り返している、という雰囲気を持っていた。組んだ腕と、近すぎる双方の口元がそれを表している。 絶句するミッチの耳元で、マイルズはまだ何かを喚いている。けれどその内容は相変わらず有磨にはわからない。彼の英語が早すぎるせいではない。今の有磨は、頭が混乱してうまく言葉が飲み込めない状態だった。 「――え。誰これ? うっそ僕?」 最初に口を開いたのはどうにか正気に戻ったミッチだった。 そして怪訝そうに画面を凝視し、いやいやいやと頭を振る。 「待って違う僕じゃない。僕こんな服持ってないし。え、なに? これ僕って事になってるの? 隣の人アレじゃない? なんか先月ネットかなんかで炎上してた歌手じゃない? あ、そうそう。クリスティーンなんとかさん。え、いや会ったことないよ。だからこれ僕じゃないって本当だよ。だって春先からこの夏はずっとアルマのいる海岸にしか行ってないもん」 電話の向こうのマイルズに言葉を返しながら、ケイティと有磨に対しても首を振ってみせる。 確かに言われてみれば、似ている誰かに見えてきた。しっかりと顔が映っているわけではないので、他人と言われればそう見える。 「何これ、スキャンダル? でも僕じゃな――えええ……なんでまたそんな。あーうん。ちょっとごめんマイルズ、とりあえず今マスコミとかは家に周りにはいないだろうし、また後で落ち着いたら電話する。本当だよ。だから一回切るね、心配してくれてありがとう。でも絶対僕じゃない」 再度念押して、ミッチはひとまず電話を置く。 まだ状況についていけない有磨だったが、どうにか息をして声を出すことができた。 「……もしかして、なんかヤバい感じ……?」 「あー。どうかな。わかんない。でもまあ、この女の人が見ず知らずの人だっては本当だからええと、とりあえず」 珈琲淹れようか。と力なく笑ったミッチの奥で、相変わらず降り続ける雨はひどく不安な音を響かせていた。

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