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第14話

最初の音はクラッカーだった。 パン! と響く音は心地よい軽さで鼓膜を揺らす。 鼻先を掠める火薬の匂いの後には、陽気なアメリカ人と控えめな日本人の声が高らかに重なった。 「ハッピーニューイヤー!」 国は違えど、この瞬間に叫ぶお決まりの言葉は皆同じだ。 新年を祝う親しい人々の声は心地よい。貸し切りのダイナーに集まった人々の半分は夕方から振舞われた酒に酔っ払い、残りの半分はジュースと料理と浮ついた雰囲気に酔っていた。 河津有磨は前者で、そして隣でにこにこと笑顔を振りまく恋人は後者だった。 浮ついた酔いを隠さない有磨はケイティがマイルズに絡んでいる事を目の端で確認してから陽気なBGMに身体を預けるミッチに素早くキスをした。 「……今日くらい飲んだらいいのに」 ほんのり赤くなるミッチに、ワインの入った透明カップを揺らした有磨はにやにやと笑う。 長い足を折りたたむように高めのスツールにちょこんと腰かけたミッチの手には、甘いソーダのボトルが揺れていた。 「うーん。飲めなくはないし、嫌いってわけじゃないんだけどね。なんていうか、時間がもったいないなぁと思って」 「酒と時間になんの関係があんだよ」 「えーと、……ほら、酔っぱらうとなんていうか、すごくふわふわして楽しくて、時間なんてあっという間に過ぎていくでしょ?」 確かに、その感覚に覚えはある。 酒の場での時計の針は、信用ならない程速く進むものだ。 「それはそれで、楽しい麻薬みたいな時間で素晴らしいものだけど。せっかくキミと過ごす初めてのニューイヤーだもの。僕は一秒一秒、しっかりハッピーを噛み締めなきゃ」 有磨は何か言い返そうと口を開きかけ、結局何も言えずに甘やかな気持ちと共に言葉を飲み込んだ。 その様をまじまじ眺めたミッチは首を傾げる。 「今日のアルマ、なんだか元気ないね。お姉さんがいるから?」 優し気な印象のわりに顔のパーツ自体は派手な男だから、目を見開くと表情がくるりと変わる。ミッチの表情の変化が好きだから、つい揶揄ったり振り回してしまうのだが、今日ばかりはずっと笑っている彼を眺めていたいと思う。 だから意地を張る事も誤魔化す事もせずに、恥ずかしさは酒でどうにか誤魔化した。 「元気ないわけじゃねーよ。今ちょっとハッピーと欲情がごっちゃ混ぜになってわけわかんなくなってて口開くと情熱的にアンタを口説きそうになるから黙ってるだけうっわちょ、やめ……きったね!」 「ご、……げほっ、ア、アルマが、もー……なんか、可愛くて素敵な事言うから……うわー一張羅がソーダ味になっちゃう……」 「ソーダ滴るいい男じゃん。つかマジでなんだよそのスーツずるいだろ。背の高い男のスーツとかさ」 「え。そう? マイルズには何着てもお前は大木だなって言われるんだけど。わー嬉しいなぁ今度からアルマをデートに誘う時はスーツ着ようかなぁ」 うふふと楽しそうに笑う。 ミッチがあまりにも楽しそうに笑うものだからすっかり毒気を抜かれ、つられてほのぼのと笑顔を零してしまい、背後に迫った少女の気配に気が付かなかった。 「アールマー!」 「……っうわ、ちょ……ケイティ何すんだ!」 「んふふ。二人でいちゃいちゃしてるのずるーいケイティちゃんも仲間に入る~」 「おまえさっきまでうちのねーちゃんとイチャイチャしてただろ……そっちで百合してろ」 「あーそれ差別用語でしょ? ケイティちゃんは博識だから日本のスラングにも通じておるのだよー発言には気を付けたまえアルマくんー。マリエはいまお子さんたちを寝かしつけに行ってしまってケイティ暇なのだーほらそんな端っこでいちゃいちゃしてないでーみんなと一緒に祝わなきゃー」 「祝うって新年をか?」 「ちっがーうよアルマ! アルマのお誕生日会、結局昨日やれなかったじゃん!」 「あー……」 そう言えばバタバタしていてすっかり忘れていた。 祝い事に煩いミッチは誕生日を祝うつもり満々だったようだが、半月前にささやかな誕生会の予定は消えてしまった。 ミッチとマイルズが年末の様々なパーティーに呼ばれまくったからで、実のところその原因の一つは自分でもあったので特別恨めしいとは思っていない。 『リトル・リトル・キッチンガール』の功績もあった。しかし今やミッチとマイルズの名前を出せば、誰もがとある動画を口にする。 秋の始まりにマイルズが動画サイトに投稿したとあるダイナーを舞台にしたフラッシュモブダンス動画は、口コミで噂が広がり一気に人気動画となった。 夏の終わりのビーチと少々年季の入ったダイナーで、アップテンポでハッピーな曲をBGMに踊るのはミッチとマイルズとその友人達だ。勿論その中には有磨とケイティも含まれてた。 動画を撮りたいから協力してほしい。そう言われた時は、まさかこんな大騒ぎになるものだとは思いもしなかった。 報酬もない、スポンサーもない、ただなんの目的もない無料の動画を、二人は真剣に作った。 ミッチの作るハッピーでキャッチーなメロディと、マイルズの耳につく明るい歌詞が再生数を伸ばした。動画を見た人々の感想は二人の才能を称えるものが多かったが、その中にはぽつぽつとメインボーカルの男性は誰かと真摯に質問してくる声もあった。 少し掠れた伸びやかな声は、頼み込まれて承諾した有磨の歌声だ。 そういえばミッチは自分の歌声を気に入っていた。恋の延長かと思っていたが、歌を気に入っていたのは情とは関係なく本当だったらしい。 金とか権利とか面倒なものが発生しないなら手伝うと言った過去の自分の発言を撤回したいとは思わない。 久しぶりに、人の前に立った。ほんの少しの間とはいえ芸能界に居た時の感覚を思い出し、悪くはないなと思った。しかし映画やテレビなどの仕事には興味を覚えなかったので、動画を見てエマのダイナーとフロッグマンアイスまでわざわざ訪れ口説きにきた芸能関係の人間の誘いは、全て断った。 動画のお陰でやたらと人気になったフロッグアイスは拡張を余儀なくされ、結局エマのダイナーの片隅を改装してアイスキャンディコーナーを作る事にした。 今やカリフォルニアだけには留まらず、世界的にもミッチの動画は人気を集めている。エマのダイナーとフロッグマンアイスはすっかり人気の観光スポットだ。 カエルのティーシャツを着たケイティは特に人気で、彼女はすっかり浜辺のアイドル状態だった。 部屋にこもりっぱなしだった少女は、帰って来た親友と共に今年新しい仕事を始める。従業員たった二名の、日本人観光客向けのツアーガイド会社だ。 動画人気の影響で少々暖かくなったエマの懐も借り、心許ない分は『僕の貯金なんてキミに使う為にあるものだから』などと甘すぎる事を言うミッチから拝借する。 元々有磨はガイドの仕事に興味があった。様々な観光地でガイドと触れ合う事も多い。ただ自分には決定的に金銭とスケジュールの管理ができないと思っていたし、アメリカ人の会社に馴染めるとも思えなかった。 ぼんやりとしているようでそれなりにしっかりとしているケイティが支えてくれるのならば、これほどありがたい事はない。 年末のミッチは連日パーティーとインタビューがぎっしりで、有磨はケイティとダイナーを手伝いつつ新しい仕事の件について走り回った。その上姉が一人で旅行に来たものだから、ニューイヤーのパーティーまですっかり忙殺されていた。 最後のパーティーを抜け出してスーツのまま駆け付けたミッチとマイルズを出迎えた時には、自分の誕生日など忘れてしまっていたのだ。 「そういやそんなもんあったなぁ……」 本来ならば重要な日だ。 有磨がアメリカを離れる決断をする日になる筈だった。三十歳になったら日本に帰ろう。そう思っていたから。 結局有磨は日本の家を姉に丸投げし、アメリカで生きる覚悟を決めた。勿論時折帰るつもりではある。日本を捨てたわけではない。ただ、有磨が帰る場所はビーチシティのダイナーの裏の家だ。 重要な意味を失った十二月三十一日は、ただのいつもの年末の日だ。 変わったことと言えば姉がいる事と、そして自分に恋人が出来た事くらいだが、新年の騒ぎの間に無理やりぶち込んでまで祝われる事のようには思えない。 ケイティに背中を押され、友人や知人が軒並みハッピーに酔っ払うテーブルに押し出される。 自分の子供と一緒にオリバーとアベリィも寝かしつけてきた鞠絵は、エマに感謝されつつワインのグラスを持たされている。あまり英語が得意ではないと自称していたが、エマとケイティが若干覚えている日本語のお陰でこの旅は快適そうだ。 目が合うとにやっと笑う。有磨が彼氏と肩を並べている事が嬉しいらしいのだが、笑い方がそっくりで腹が立つ。 ソーダのグラスを持ったケイティも、にやにやと笑顔を隠さぬまま椅子の上に立った。 「おいケイティ転んだらどうすんだ降りろ危ない」 「大丈夫だってーケイティちゃんお酒飲んでないもーん。乾杯の音頭は派手にいかなきゃー」 「倒れるならマイルズの方に倒れろよ」 「なんで俺なんだ。ミッチの方に倒れろケイティ。いやいいからさっさと乾杯しようぜ、あー……ところで何の祝いの音頭だ? 誰がどんだけハッピーな祝いなんだ?」 「まずはアルマー! 誕生日! おめでとう!」 「あとはケイティ。脱引きこもりおめでとうだな。よろしく社長」 「え、アルマが社長でしょ? アルマが社長って話で一昨日決まったじゃん!? やだよケイティちゃんは社会的な責任とか背負いたくないー! あ、いっそミッチがオーナー……そうそう、ミッチとマイルズもおめでとう! 『フロッグマン・ヒーロー』ええーと、何万再生? 二百万だっけ?」 「百超えてから数えるのやめたよ。ありがとうケイティ。ミズ・カワズも旦那さんの退院おめでとう」 「ありがとうミスター・ウォーカー。来年は三人で来るわ」 「えーと後はない? これで取りこぼしない? ハッピー祝うなら今だよ? なんでもいいよ、一緒に祝っちゃおう。いっぱいあった方が楽しいもん。あ、あとひとつ、アルマウィキデビューおめでとうー」 にやにや笑うケイティの脇腹をつつき、いいから乾杯しろと促す。 河津有磨は日本語版ネット辞書に名前はないものの、見事ミッチェル・ウォーカーの同性の恋人としてアメリカ版のウィキにひっそりと存在を残した。大したニュースにはならずに、クリスティーンの存在はミッチの周りから消えていった。彼女は相変わらず挑発的な言動をSNSで拡散し、動画を繰り返し上げている。けれどそのどの動画よりも、ミッチとマイルズが作り上げた『フロッグマン・ヒーロー』の方が世界で再生されている。 なんでそんな金にならない音楽を作ったんだと聞いたことがある。 きょとんとした顔で三回瞬きをしたミッチは、有磨の好きなふわりとした笑顔を見せて『作りたかったからだよ』と言った。 音楽を作りたかった。ただそれだけだと言う。 カエルのティーシャツの少女と、少し背の低い日本人男性が隅で踊る動画は、これからも拡散されて再生数を伸ばすことだろう。 「なんかいっぱいあってよくわかんなくなってきちゃったー! とりあえずおめでとう! とりあえずありがとう! 明日からもよろしくね! 世界全部が幸福に溢れますように、『僕のヒーローにお願いしなきゃ!』」 最後にマイルズ特製の歌詞を歌ったケイティに合わせ、色とりどりの腕が甘い飲み物を掲げて叫んだ。 Happy birthday. Happy new year. Thank you anyway. 明るい声の中で、手を繋いだミッチと有磨は顔を見合わせると、明日もよろしくと笑った。 きみと出会って人生が変わったのか、わからない。 それでも幾度の失意を、その柔らかな言葉ですくわれたと思うから、きっとサンキューを言うべきだと思う。 へこたれている人生をどうにかしてくれる存在がヒーローならば、キミは僕のヒーローだった。 →end

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