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21.わがまま6
「……紗香様、お願いです」
テーブルの下で、晴太郎の膝の上にあった彼の手を、上から覆うようにぎゅっと握る。
「あと1日だけ……今日だけ、時間を貰えませんか?」
隣に座る彼の目が、驚きで見開かれたのが視界の端で見えた。
「……七海。晴ちゃんに何を言われたか分からないけど、甘やかすだけがこの子のためじゃないのよ? 時には、厳しく——……」
「いいえ、違います!」
紗香の言葉を最後まで聞かずに遮った。
「これは、私のわがままです」
主人に命令されたわけではない。誰も、七海に命令なんてしていない。
——これは、七海の意思だ。
「このまま、晴太郎様に悲しい顔をさせたまま帰したくない!」
暑くないのに額に汗が浮かぶ。走っていないのに、心臓がバクバクと音を立てて息が上がる。力を入れていないと手が震えてしまいそうだ。
「お願いです! 私に、晴太郎様の隣に居られる時間を下さい!」
自分勝手な我儘を言うことが、こんなにも勇気がいることだったなんて、七海は知らなかった。
七海の力強い言葉に、紗香は何も言い返さなかった。ただただ、驚いた顔で七海のことを見つめていた。その間もバクバクと心臓の音は鳴り止まない。この静かな部屋にいては、他の人に聞こえてしまいそうだ。
「七海、お前……変わったな」
意外にも最初に沈黙を破ったのは、今まで一言も発していなかった黒木だった。
変わった、と言った黒木の意思が分からず、首を傾げた。そんな七海を他所に、黒木は隣に座っている紗香に向き直る。
「お嬢様、私からもお願いです。七海がここまで意思を突き通そうとしているのは初めてです。どうか、彼に時間を」
紗香に向けられた彼の言葉で、七海ははっとした。
——意見がぶつかったとき、受け入れること、謝る事が相手のためになるとは限りません。わかりますよね?
以前、自身の指導係であった須藤に言われた言葉が頭の中をよぎる。
ダメだと言われ続けていたが無意識にやってしまう自分の悪い癖。それは、自身の意思や考えを通そうとしないこと。
ずっと治すことができなかったのに、七海は今、自分の意思を貫こうとしている。しかも、周りの人に迷惑がかかる、自分勝手なわがままを。
紗香や黒木、そして中条家に関わる人たちの前で、自分の意思を主張したのは初めてだったのかもしれない。
「ええ……私も驚いたわ。晴ちゃんのために、なんて言ったら許さなかったけど……七海の、初めてのわがままだものね」
わざわざ仙台まで来させられて。かなり迷惑を被っているはずなのに、紗香は嬉しそうにクスリと笑う。
「いいわ。あと1日、時間をあげましょう」
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