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1・不幸な僕と君のしあわせ-1

 遠出すると必ず雨が降る。雨が降ると、必ずトラックに泥水を掛けられる。傘は半分の確率で盗まれる。自転車も三回は盗まれた。極めつけは、この痣だ。右腕から右頬にかけての、赤黒い痣。昔火事に巻き込まれた火傷痕だが、巻き込まれるにおさまらなかったのは、その廃屋の放火魔と疑われたことだった。僕はあの廃屋に猫がいるのを知っていたから助けに飛び込んだだけだったのに。ちなみにその猫は、後日再会した際にはもう僕のことを忘れており、ひどく威嚇されてひっかき傷を喰らっている。  放火魔の疑いはじきに晴れたが、それをきっかけに体よく親に捨てられた。人のいい叔母に育てられながら親が迎えに来るのをいい子に待っていたと思ったら十年近くが経っていた。奨学金をフル活用して大学へ進学し、やっと腰を据えたボロアパートの下宿先へ、父親が遂に会いに来たと思ったら、普通に金をせびられた。僕はしがない学生である。夢である学問の道に進むため少ないバイト代でどうにかこうにかやりくりしている、健気な大学院生である。でも家族のことは好きだったから可哀想な父親だったから金を渡した。信用して渡し続けて、気付いたら家賃を払えなくなった。  験を担いで右足から家を出たらその足でウンコを踏んだ日から、どうやら僕の人生は不幸と決まってしまったらしい。あれは確か十歳の誕生日の出来事だったので、僕はもう十二年も不幸な人生を送り続けているということになる。これは既に堂々と不幸体質を名乗れる領域だ。ファッション不幸に自惚れる悲劇の大衆に胸を張り、吾輩は不幸であると宣言しよう。 「ああ、俺、実はゲイなんだ」  だから一瞬、またか、と思った。  家賃を払えなくなって大切な学費に手を染める禁忌を犯しかけ、見かねた友人に拾われて、ルームシェアを開始した記念すべきその夜に。かの友人が突然トンデモ話を暴露してきて、またいつもの不幸体質か、と失礼にも思いそうになってしまった。  馴染みの安居酒屋でホッケをつっつきながらする下世話だ。彼女いないの、お前モテそうなのに。という話題振りは、ありふれすぎるほどありふれている。そのありふれた問いかけに、「いる」「いない」以外の答えが返ってくるなんて考えもしない、まして隣に座っているのは、十年以上も付き合いのある相手だった。  なんと言っていいのか分からず、黙ったのか曖昧に相槌を打ったのか。右手に掛かっていたグラスを無意識に上げて気まずさを流し込もうとすると、一言目とまったく変わらない調子で、友人はこう付け加えた。 「ゲイって言うかバイセクシャルなんだけどな。でもゲイって言ったほうが分かりやすいだろ、どっちもいけるけどどっちかっていうと男だし」  三つ年上の社会人、山田紅蓮の告白は、なんとも飄々としたものだった。

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