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3. 冷却剤をプレゼント
再び京夜が幽霊屋敷の受付に座っていると、近くで女の叫び声が聞こえた。幽霊屋敷から聞こえてくる恐怖の叫び声とはまた違う。遊園地で発せられる声とはとても思えず、京夜はチケットを受け取り客を見送った後、声の上がった方へと目を向けた。
そこにいたのは先ほど見かけた少年Bと少女だった。
先ほどよりは声のトーンを下げたのか、何を騒いでいるのかまでは聞こえなかったが、一方的に少年Bが責められているようだった。戸惑っているのか、鋭い目が揺れている。
「あーあ、まずいなー……」
これは振られるパターンだろ、と京夜は予想するが、それが的中した瞬間、少年Bは少女に思い切り平手打ちをされていた。
叩かれた少年Bもだが、周りにいた人々も唖然とし固まっている。
一人憤慨し平手打ちを食らわすことで満足したのか、少女は足音高くその場を去っていく。取り残された少年Bは明らかに狼狽え、途方に暮れていた。様子を窺っていた人々もようやく我に返ったのか、関わり合いになることを避け、足早に去っていく。
少年Bだけがそこに時間ごと取り残されたような状態で立ち尽くしていた。
京夜は苦笑し、少年Bへと意識的に視線を向けた。少年Bが京夜の視線に気づくようにと思いを込めて。
すると少年Bは視線に気づいたのか、京夜に視線を合わせた。そして京夜と目があった瞬間、顔を赤く染める。それは他人に今のシーンを見られていたからという羞恥心と、向けられた京夜の笑顔に当てられたからだった。
京夜は気にすることなく少年Bを手招く。先ほどよりも狼狽した少年Bは辺りを見渡し、勘違いではなく自分が京夜に呼ばれているのかを確認する。もちろん、辺りに人はいない。それからようやく少年Bは、京夜の方へと近寄ってきた。
「………なんすか」
「ずいぶんと痛そうだったからさー、これで冷やして」
「は?」
差し出されたものに反射的に手を出した少年Bは、受け取った形のまま固まる。京夜が手渡したのは叩くことで冷えるタイプの瞬間冷却剤だった。
先日の少年Aとの絡みは京夜にとって、とてもおいしい出来事だったため、お節介よろしくお礼の一つくらいしたいと思ったのだ。
「せっかく男前なのに腫れたらもったいないから」
あとこれ持って近くの売店に行けば飲み物ももらえるから、と京夜はメモ帳に『この男前に何か飲み物あげてください。ツケは高村にお願いしますねー』と書いて少年Bに渡す。
「こんなの貰えなっ………!」
少年Bはメモ書きを眺めて声を詰まらせた。そしてメモと京夜を何度も交互に見つめ、小さく一つの名前を呟く。
「この字……夜鷹?」
「ふぇ? あれー? キミってオレの後輩? そんな馬鹿な。オレ見たことないし」
今度は京夜が狼狽える番だった。
これほどの男前だったら京夜が知らないはずがない。萌のために全力を注いでいた京夜は、全学年のイケメンをすべてチェックしていたからだ。見逃すはずがない。それ故に少年Bがなぜ『夜鷹』を知っているのか京夜は不思議でならなかった。
夜鷹は京夜が校内新聞で詩を載せていたときのペンネームだ。夜鷹の素性は友人である広報部長しか知らない。すべて謎のままで載せていたのだ。
ただその素性を調べる術は一つだけあった。それは筆跡のみ。他はすべて打ち出された文字だったのに対し、その詩だけは手書きだったからだ。しかし、そこから特定の人物を捜し当てるのは至難の業だ。全員の筆跡鑑定でもしなければ無理だろう。
「キミ、オレの後輩じゃないよね」
確信を持って京夜が告げると少年Bは頷いた。
「後輩じゃない……けど。でもこの字は知ってる。何度も何度も見たから」
「字? ……本当に字だけで夜鷹にオレが結びつくかなあ」
すでに京夜は夜鷹が自分であることを否定する気はない。特別な理由から素性を隠していたわけではないからだ。ただ単に、誰か一人でも見つけられたらすごいよねー、と冗談半分で行った広報部長との遊びだった。
しかし京夜と接する機会が多々あった校内の人間ではなく、外部の人間がその素性を探り当ててしまった。この場合はなんと賞賛したらよいのだろう。
「オレには分かる。で、本当にあなたが夜鷹さん?」
期待に満ちた瞳で少年Bは京夜を見つめる。それは高校生の頃によく向けられていた視線に似ていた。
少年Bはすでに自分が少女に手酷く振られたことなど忘れているようだった。彼が浮かべるのは、まるで自分の大好きなアイドルかなにかに会ったときのような表情と視線。京夜はそういった時の対応で癖にもなっている得意の笑みを浮かべて頷き、そのまま少年Bを躱そうとした。しかしそれは失敗に終わる。
「オレ、校内新聞に載せてた夜鷹さんの詩がすごく好きで。でもオレ、違う学校なんで兄貴にそれ毎月送って貰ってました。『夜鷹』のことは誰も知らないってことだったけど、でも卒業したことだけは確かって聞いて、もう読めないのかと思ったらすごく残念で…」
憧れの人物と対峙しているのと相手が年上だからということで、頑張って不慣れな敬語を使おうとしているのだろう。少年Bの言葉はどこかたどたどしい。
「他の学校の校内新聞をわざわざ取り寄せて? うわー、ありがとー。びっくりだ」
京夜は躱すのも諦め、改めて少年Bに笑いかけた。今度の笑顔は心からの笑みだ。自分の作品を好きだと伝えられて嫌な人間はいない。京夜の本当の笑みを見て少年Bは頬を赤らめた。
「まさか字だけで外部の人に夜鷹って当てられるとは思ってなかったし、すごい運命的ー」
「新聞、全部取ってあるし。本当は……兄貴と…夜鷹さんと同じ学校に行くつもりだったんだけど、オレ、馬鹿だから無理で……」
赤らめた顔を俯けた少年は、年相応に見えて京夜は小さく笑った。
「そっかー。でもそんな学校なんて括りどうでもいいんじゃないかな-? ほらここで会えたし。オレ的には夜鷹見つけられる人なんて出てこないと思ってたから嬉しいし、オレの作品そんな大事に思ってくれることが嬉しいし、もっと優しくしてあげたくなっちゃうなー」
機嫌良く京夜が少年Bと話していると、タイミング悪く遠くから客がやってくるのが見えた。あちゃー、と言いながら京夜は首を軽く傾げつつ少年Bに告げる。
「ね、もっとオレと話したい?」
「もちろんっ!」
少年Bは間髪入れずに勢いよく頷いた。
「じゃ、オレを見つけたご褒美ねー。その紙持ってお茶してて。今日は五時で上がりだからその後話そうか」
「本当に?」
不安に揺れる瞳で少年Bは京夜を見つめる。まるで主人に置いていかれそうになっている犬のようだった。なんだこのワンコ、と京夜は萌えで腐男子メーターが振り切れそうだと思う。初めに見たときから不良ワンコっぽいとは思っていたが、自分に対してこんなワンコっぽい対応をされると萌え殺されそうだった。
「だからご褒美だってば。えっと……キミの名前は?」
「柿崎 亨 」
「よし、亨くんね。覚えた。じゃあ、またあとでねー」
京夜はヒラヒラと手を振って、少年Bもとい亨を見送る。それと入れ違いで客がチケットを持ってやってきた。
目の端に映るのは手にした冷却剤とメモをじっと見つめている亨の姿。その顔が嬉しそうに綻び背を向けるのを映しながら、自分の頬が上がるのに京夜は気づく。
去り際に見えた亨のジーンズの後ろポケットに入っていた本の作者が、京夜も好きな作家だったことにもどこか共感を覚えていた。
そして何より、亨の見た目は不良っぽくも見えるのに、実は文学少年なところが京夜のギャップ萌え心を大いに刺激したのだった。
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