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6. 癒されたい

 京夜は用事を終えて帰宅すると、そのままベッドへとダイブした。  茜の姉で腐仲間で編集担当でもある滝本静(たきもとしずか)と打ち合わせをしていたのだが、そこで散々な目にあったのだ。  いつもと同様、萌える話を楽しみながらの打ち合わせだったのだが、京夜の機嫌がいつもの数倍良いということを静は一発で見抜き、根掘り葉掘り聞いてきたのだ。それをのらりくらりとかわす事に神経をすり減らされ、京夜の気力はゼロに近かった。  亨のことを教えるのは簡単だが、教えたが最後、静とその友人である京夜の姉である伽夜(かや)にまで話がいってしまい、とんでもない事態になるのが目に見えている。二人が揃うと京夜一人では太刀打ちできないのだ。自分たちは女だから体験できないけどアンタなら平気、と力強く言われ、誰彼構わず京夜とくっつけようとするのだから始末におえない。  京夜の脳裏には、亨と京夜をくっつけようと全力で挑む二人の姿がはっきりと浮かんでいる。これはきっと現実になる。  大和撫子という表現がぴったりで、黒髪ロングの優しそうな表情の中に凛とした強さを垣間見る事の出来る静と、京夜とは違い派手なイメージが先にくる目鼻立ちのくっきりとした伽夜のすばらしいまでの笑顔。  二人とも黙っていれば美人なのに残念だ、と京夜はいつも思う。しかしそれと同じことを、その二人から京夜も思われている事は京夜の知らぬ事実である。  はぁ、と溜息を吐き出した京夜は手にしていたスマートフォンを枕元にそっと置く。視線を向けてもスマートフォンが光る事はなく、まだ着信もメールもなかった。 「結構すぐに連絡寄越しそうなんだけどなー。お礼とかー」  癒しプリーズ、と呟きながら京夜はベッドの上で転がる。 「でっかいワンコみたいで可愛かったなー。オレの中での最近のブームはワンコ攻」  やっぱり偵察にきた少年Aとの絡みは良かったな、とこの間のことを思い出しながらほくほくしていると、頭のすぐ横にあったスマートフォンが震えた。 「よし、やっときたかー」  笑みを浮かべた京夜がスマートフォンを確認する。しかし、そこに見えたのは期待していた亨の名前ではなく茜のものだった。 「あれー? 茜くんだ。なんだろ」  首を傾げながらそのメッセージを読み始めた京夜だったが、次第にその頬が引きつっていく。内容は今日の京夜の上機嫌っぷりについてだった。  亨との出会いで浮かれていてすっかり忘れていたが、茜も部署は違うが一緒にバイトに入っていた。そして休憩時間に、亨に素性を知られるという出来事があるとは思ってなかった京夜は、少年Aと少年Bの話を茜にしてしまっている。まさかその少年Bと仲良くなったということまでは思いつかないだろうが、勘の良い茜はそれらに京夜の上機嫌の理由があると気付く可能性はある。  きっとのらりくらりと躱す京夜を不審に思った静から茜へ連絡がいったのだろう。茜はそこに書いてある通り、京夜が昼間茜にした話を静にしたに違いない。京夜と伽夜同様、静と茜の姉弟の力関係は明白だった。口止めはしていなかったが、もししていたとしても結果は同じだっただろう。  深いため息を吐きながら次にくるであろう嵐を予想し、京夜はぐったりとベッドに突っ伏す。 「ダメだ……魔王がくる……天敵がくる……オレが欲しいのは癒しなのに……」  そして手にしていたスマートフォンが震えたことに気付き、青白い顔をより一層青くさせ、京夜は何度か目を瞑りそっぽを向いて電話が切れるのを待つ。  しかしそれはいつまでも切れる事はない。  留守電に切り替えようとも思ったが、すでに何コール目か分からないほどに鳴り続けている為、今更留守電にしたら居留守なのがバレバレである。ただでさえ恐怖の対象であるのに、これ以上恐怖レベルを上げる訳にはいかなかった。  京夜は覚悟を決め、ようやくおそるおそるだが表示された名前を見る。そこにはしっかりと『伽夜お姉様』という表示があった。 「……きた、魔王が」  この世の終わりという最終宣告を受けたような暗い表情を浮かべ、京夜は震える指で通話ボタンを押した。 「はぁーい、キョウちゃん、私の電話に出れないなんて、どっかのカワイコちゃんといちゃいちゃしてたの? それ以外の理由なら分かってるわね?」  挨拶もそこそこに京夜の生涯の天敵ともいえる伽耶の声が耳元で聞こえてくる。しかしその声はとても柔らかく楽しげであるのにも関わらず、京夜に絶対零度の威圧を与えていた。  伽耶はどうしても京夜と男をくっつけたいらしく、その手の話ばかりを振ってくるが、京夜自身は以前から女の子が好きだと言っており、男とイチャイチャなどするはずがないのだからそれ以外の理由しかないだろう、と呆れ溜息を吐く。しかしそう思っても強くは反発できず、小さな声で嘘を言う。 「……風呂に入ってたよー」  しかしそれはすぐに見破られ、伽耶に鼻で笑われた。 「嘘おっしゃい。キョウちゃん寝る直前に入るタイプでしょ。今の時間に入るってことはまずないわね。静から聞いたわよ、今日はずいぶんと上機嫌だったみたいね。何があったのかさっさと白状しなさいな」 「いや、特になんもなかったけどなー。ただ天気良かったから気分良くて……」  京夜は天気のせいにしてごまかそうと試みるが、そう簡単に騙される伽耶ではなかった。クスクスと笑う声が聞こえたかと思うと、伽耶の妄想マシンガントークが始まる。 「あ、茜くんからも聞いてるわよ。少年Aと少年Bだっけ? アンタのバイト先おいしいわね。今度静と遊びに行くから。で、実際どうだったのよ。今日少年Bしか来てなかったんだっけ? その子、女の子と来てたんでしょ。前回の少年Aとのデートがフェイクというか偵察だったなんて大変面白くないんだけど、その二人が一緒にいた光景だけは見たかったわー。その女の子邪魔よねー。障害がある方が燃えるものだけど、異性という存在の障害はかなり重いわよねー。でもでもー、少年Bがその女の子に振られるっていう設定なら良し。傷心の少年Bがたまたま通りがかった茜君に慰められてたりしても萌えるんだけど、まあ話を聞く限りそれはないから、アンタが少年Bに懐かれたりしてたらかなり萌えるんだけど」  頬がぴくりと動き京夜の動きが止まる。  当たらずとも遠からずな発言を伽耶がしているのは京夜の気のせいだろうか。腐女子とは他人の体験を悟ることが出来るものなのか。そんなまさか、と京夜は乾いた笑いを浮かべるしかない。 「とりあえず、おねーさまが萌えるような展開はなかったと思う……」 「はい、ウソー。キョウちゃん、嘘をつくなら完璧にね。まあ、そもそも私に嘘をつこうと思うのがまず間違いなんだけど。……ま、今日のところはいいわ。愛しのダーリンが帰ってきたから特別に詮索しないでおいてあげる。その方が後々楽しい事になりそうだし? ただ次はないから覚悟しておきなさいね。今日はうちの旦那様、龍一くんに感謝しなさいな」  電話の向こうから伽耶の夫である崎本龍一(さきもとりゅういち)の声が聞こえてくる。京夜は、ようやく止まったマシンガントークにほっと溜息をついた。結婚してからしばらく経つというのに、新婚気分が抜けていない二人に感謝する。京夜は心の底から安堵しながら、伽耶に龍一への感謝の言葉を伝えた。 「はーい。オレの救世主の龍一さんに心の底からありがとうって伝えて。よろしく」 「分かったわ。とりあえず無茶な事だけはしないで楽しみなさい。コレでも心配はするんだから」 「分かってる。じゃ、また」  伽耶の無茶な行動や言動には振り回されてはいるが、言葉の端々に京夜を思い心配する言葉がちりばめられており、京夜は電話を切りながら知らず知らずのうちに自分の口角が上がっている事に気付く。ツンデレとまではいかないが、姉の不器用な優しさに毎度胸の中が暖かくなった。絶対王政のようなものはあるが、一般より仲の良い姉弟だと京夜は自負している。  そんなことを思っていると、手の中のスマートフォンが震えメッセージが受信される。再度茜からのものかもしれないと京夜は思ったが、今度こそ京夜が待ち望んでいた亨からのものだった。  急いで見てみると、『今日は本当にありがとうございました。お話しできて嬉しかったです』ととってつけたようなテンプレートかと思われる文章が書いてある。しかしその下に書いてある言葉に京夜は笑みを深めた。 『……本当にまた連絡してもいいですか?』という言葉が、少しスクロールしなければ見えないところに書いてあったのだ。 「かっわいいー!」  地の底まで落ちたはずの京夜のテンションが急浮上する。おずおずとこれを言葉にする亨を思い描き、ワンコだワンコ、と京夜はベッドの上でごろんごろんと転がった。 「やっぱり癒しだー。荒んだ心に染み渡るー」  ひとしきり悶えた後、京夜はいそいそとメッセージを打ち始める。顔は依然としてにやけたままだ。 「こっちこそ『夜鷹』をみつけてくれてありがとーう。連絡くれないと拗ねちゃうぞ……っとね。うわー、自分きもーい」  文字を打ちながら言う京夜の独り言はどこか不気味だ。しかもケラケラと笑いながらというのだからその不気味さが際立つ。 「可愛い生き物は愛でないとダメだよねー。図体でかくても性格がこんなにワンコで可愛いとたまらんよねー」  一瞬、高校の頃に出会った大切な友人を思い出し微笑んだ京夜は、ご機嫌な様子で鼻歌を歌いそのままメッセージを送る。そしてすぐさま次の本のプロットを練り始めた。気分が良い今夜は良いネタが作れそうだ、と京夜はほくそ笑む。京夜は気分が乗っている時に一気にプロットを練り上げるタイプだった。  大まかな構想を練り上げた京夜は手元のスマートフォンが再び震えたのを見て手に取る。亨からだと確信しスマートフォンを眺めた。 「はい、きたー!『近いうちに必ず連絡します。おやすみなさい』かー。なんだこれ、初々しいカップルみたーい」  自分で言っていて恥ずかしくなったのか、京夜は熱くなった頬を手で仰ぎながらスマートフォンを閉じて笑う。ころん、と壁に顔を向けて転がると頬を艶やかな黒髪が滑り落ちた。 「今年の夏休みは面白くなりそーう」  大学生の夏は長い。まだ夏休みは始まったばかり。  京夜はこれからのことを思い、期待に胸を膨らませた。

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