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5. 望んでいた時間
その様子に京夜はくつくつと笑いながら、手を顔の横で軽く振る。
先ほどは不慣れな敬語を使っている為、敬語を話すことが苦手なのかもしれないと思ったが、緊張しているから敬語がうまく使えないという方が正解のようだ。文学少年である亨にとって、普段なら敬語を操ることは容易いだろう。
京夜としては敬語などどうでも良かったが、社会に出たときに必ず必要になるそれの練習台になっても良いと思ったため、敢えてそれを指摘せずに少し亨の身近な話題を出して緊張をほぐしにかかる。
「そーそー。昔から超好き。あ、急に話変わるけど、さっき亨君の名前聞いてから考えてたんだけど、お兄さんってもしかして薫くん?」
「なんでそれを……」
突然憧れの『夜鷹』の口から自分の兄の名前が出てきた為、亨は口をあんぐりと開ける。
「おー、ビンゴ? 薫くんって線が細い感じだから、一瞬違うかもしれないと思ったんだけど、よく思い出してみれば亨くんと性格や雰囲気が似てるなと思ってさー。それに同じ名字だし」
ワンコっぽいところなんてそっくり、と京夜は胸の内だけで呟く。薫は小型犬、亨は大型犬という違いはあるが、と。
そんな京夜の胸の内など知らない亨は、驚きを隠さず告げる。
「うちの兄貴を知ってるんですか?」
「知ってるも何も、オレの親衛隊の副隊長さんだったし」
「……親衛隊?」
亨は首を傾げてその言葉を口にする。その様子で薫が学校内のことを亨に話していないことに京夜は気付く。このまま話を濁したとしても亨が薫に直接話を聞くのも時間の問題だろうと思い、親衛隊について簡単に説明することにする。薫のメールアドレスは知っているので、事後報告になってしまうが連絡しておけば問題ないだろう。多分、と京夜は自分に言い聞かせ話を続ける。
「そー。うちの高校を受けようと思ったならどっかで聞いたことない? オレの通ってた全寮制の男子校ってゲイの多い学校って名高かったの。もちろん全員が全員そうとは限らないし、オレも違うんだけど。なんかね、そんな特殊な学校だから人気のある人にはアイドルのファンクラブみたいな親衛隊ってのができる仕組みがあって、たちの悪い奴から守ってくれるんだ。で、オレも薫君の入ってる親衛隊にとてもお世話になったというわけ」
亨はきょとんとした表情で京夜を見ていたが、それはゆっくりとと驚きの表情へと変わる。
「は? え? そんな噂知らなかったし、兄貴がファンクラブ?」
その驚きように京夜は心を弾ませた。このような反応は王道転校生のとりそうなリアクションだと。亨の初々しい反応に妄想をたくましくしながら京夜は先を続ける。
「薫君は有能でね、隊長さんと一緒にオレの学園生活を楽しいものにしてくれたんだよー。だから薫くんともお友達。とっても感謝してるんだよ」
「そ、そうですか。うちの兄貴がそんなのに入ってたなんて想像できないし、イマイチ親衛隊とかよく分からないけど……でも迷惑かけてたりしてないなら良かった」
ふわり、と亨が笑うと鋭い目つきが和らぎ、一気に雰囲気が幼くなる。京夜は、ギャップ萌えばんざーい、とほくほくしながら亨の頭を撫でた。その瞬間、亨の顔が一気に風呂上がりのように赤くなる。そのままどう反応して良いか分からないのか、亨は視線を彷徨わせた。
「えっと……その……なんで……?」
「オレ、末っ子だからお兄さん気分味わいたくてー。突然ごめんね」
首を傾げ、手をどけながら京夜が謝罪すれば、亨は慌てて首を左右に振り不快ではなかったことを告げる。
「いや、びっくりしただけだし、嫌だったとかそういうんじゃないし……」
「そっか、良かったー」
へにゃり、という擬音語がぴったりの笑顔を浮かべた京夜の顔を見て今度こそ亨は固まる。
「あれー? どうかした?」
ヒラヒラと亨の目の前で手を振ってみるが反応が無い。数十秒後、ようやく身体機能が回復したのか、亨は溜息を吐き呟いた。
「夜鷹さんって、実物も心臓に悪い」
その言葉を聞いて、京夜は初めて自分が名乗っていなかったことを思い出す。メモに書いたのは名字だけだったか、と思いながら京夜は改めて自己紹介をすることにした。
「あれれー、その言い方だと文章でもオレってば心臓に悪かったみたいだねー。純情な亨くんの心臓打ち抜いちゃった?」
京夜が冗談交じりに笑いながら告げれば、亨は言葉に詰まり俯いた。そんな亨の頭を再び軽く叩きながら京夜は言葉を続ける。
「冗談はおいておいて。その『夜鷹』ってのはここでは無しね。改めまして、オレの名前は高村京夜。大学一年生。バイト先は遊園地。そんで今日は亨くんに発見されちゃいましたー」
「……高村さん?」
語尾が疑問系だったのはそう呼んでも良いかという問いかけだろう。京夜は首を振って、ダメ、と告げた。
否定された亨は、何が悪かったのだろう、と京夜を見つめ返答を待つ。そんな京夜から返ってきたのは思いも寄らぬ言葉だった。
「あのねー、謎だった夜鷹を見つけることができたのは同じ学校でもない、会ったこともない亨君だけ。これってすごいことだと思わない? 何故か三年間見つからなかったのに卒業した今見つかっちゃって驚くしかないよね。むしろ見つけた亨君を尊敬しちゃうよー」
「そ、尊敬? まさか、夜鷹さんが尊敬って……」
慌てふためく亨の前で、京夜は声を立てて笑う。男前がパニックになっているのもなかなかいいな、なんて京夜が思っていることなど亨は気付く様子もない。
「ちょっとオレが尊敬しちゃおかしい? オレはちゃんと尊敬もできる男だよー」
「いや、そういう訳じゃ無くって、その対象がオレってところが問題で……」
「だって本当のことだし。とにかくね、亨くんにはフレンドリーに接して欲しいから、超フレンドリーに『京夜』って呼んでみてよ。はい、りぴーとあふたみー。きょ・う・や」
語尾にハートマークでも付きそうな口調で言う京夜。
すると亨は、無理、という二文字を高速で紡ぎ、首を左右に振り続けた。これには京夜も苦笑するしかない。
「むー、手強いな。じゃあ、さっきの『高村さん』レベルで『京夜さん』はどう?」
京夜君でもいいけど、と京夜が告げれば、間髪入れずに『京夜さんで』と亨は告げる。微妙な差だが、亨にとっては大きな違いのようだ。
「じゃあ決まりね。わー、自己紹介ついでに連絡先ちょうだい」
じゃじゃーん、とポケットから京夜が取り出したのは、京夜の見た目にぴったりと合うシックな色合いのカバーを付けたスマートフォンだった。
「ささっと亨君も出して出してー」
「はぁ?」
「だって亨君とここで、さよならバイバイ、ってのつまんないしねー。オレね、亨君と次の約束も取り付ける気満々なんだけど。今日はちょっとこの後用事入ってるからあんまり長く話せないし。でも亨君とは読書関連でも話し合いそうだからもっと話してみたいしね。というわけで、亨君の連絡先欲しいなー」
座ったままのためさほど身長差はないが、高校の頃に使い慣れた必殺上目遣いで亨に連絡先をねだる京夜。その姿は亨にとっては生唾を飲み込むほどの威力を発揮したようだ。
しかし京夜の思惑は連絡先を手に入れることの他に、実はもう一つあった。
先ほど亨の兄である薫に話してしまおうと思ったが、よくよく考えてみればそれは薫に『夜鷹』の存在を教えてしまうことになる。三年間の秘密をそう簡単に教えるのも面白くないという理由から、薫くんには知り合ったことを当分黙ったままでおこうね、とお願いという名の強制を強いるつもりでいた。強制とはいってもタダでというわけではない。そこが京夜の小憎たらしいところで、餌として自分の連絡先を差し出したのである。
もちろん、亨を気に入った、ということが大前提だ。
「ほら、早く早くー。それとも、オレと連絡先交換無理ー?」
「いや、それはないけど……」
挙動不審になりながらも亨は京夜に流されスマートフォンを取り出す。それをみた京夜はすかさず、貸してね、と亨のスマートフォンを取り上げ勝手に連絡先を交換する。享が作業を止める間もなかった。
「これに本当に京夜さんの……」
スマートフォンを見つめたままの亨の頭をくしゃりと撫でて京夜は笑う。
「はいはい、オレのアドレスですよー。いつでも連絡してきてね。実は遊園地のバイトってお客さんの途切れる時間って結構あるから暇なんだ。夏休み中はほとんどここでバイトしてる予定だし」
オレの暇つぶしに付き合って、と京夜に甘い表情と甘い声で囁かれれば、男女問わずに一撃でノックアウトだろう。それは男に興味がない人物でもだ。京夜に尊敬の眼差しを向けていた亨も、例に漏れず顔を赤くさせたまま京夜を見つめている。
全寮制男子校で常に人々の関心の的であり続け、無事に外の世界へと生還した京夜。男子校時代に培われたその一連の仕草を武器として、効力を理解し使っていた。自分の武器は最大限に使う主義だった。亨をたぶらかすつもりはないが、お願いを聞いて貰うには手っ取り早い方法を使いたかったからだ。
「とりあえず、今のところは薫くんにオレの事は内緒でお願いねー。芋づる式にばれちゃうかもしれないから、薫君に親衛隊の事は聞かないでね。聞きたいことがあるときはオレに聞いて。懇切丁寧に教える気満々だから。あっ、もうこんな時間か……もう少し話してたいけどタイムリミットだ、ごめんねー」
申し訳なさそうに眉尻を下げ告げると京夜は腰を上げる。続けて亨も腰を上げた。
「あぁ、亨君はまだここにいてもいいよ?」
「オレもそろそろ帰ります。これありがとうございました」
冷却剤を京夜に返し、亨は一礼する。そんな亨に胸の前で手を振って見せて京夜は笑った。
「いいって、いいって。あ、今度は一緒に偵察に来てた子の話とかも聞かせてね」
少年Aの話題をさりげなく振ると、亨が困惑の表情を浮かべた。でもすぐに表情を笑顔に変え亨は頷く。
「特に面白くもないと思うけど、いいですよ。それじゃあ、また」
「うん、まったねー。気をつけて帰るんだよー」
「ぷっ……はい」
まるで幼い子に諭すように気をつけて帰れと言われ、亨は吹き出した表情のままで頷く。それを満足そうに見つめ京夜は、事務所の方へと走っていったのだった。
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