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第9話
歩はパチンと両手を合わせ、左の手を軽く握り、右の手を上から包む。すると閃光が歩の手から放たれた。光の束はよけたが、熱風をよけきれず、春陽は後ろに吹き飛ばされた。華も驚いて尻もちをついている。
「やめなさい、歩! 華も!」
中庭に面した漆黒の邸のほうから聞こえてきた諌めの声に、歩の体がぴくっと揺れた。
「あ……はな、ごめん。春たんも……」
「歩くん……! 華ちゃん……!」
春陽は、ようやく落ち着きを取り戻した歩と、ゆっくり立ち上がった華を両手で抱き寄せる。
「ごめんね、僕が大きな声を出したから……。尻尾と獣耳に驚いたんだ。だから二人とも喧嘩しないで」
華がおずおずと顔を上げ、か細い声で問う。
「春たん、あたしをまもってくれたの? おこってないの?」
「全然怒ってないよ。驚いただけ。ごめんね」
「うぅぅ、春たん、ありまと。はなをきらいになっちゃイヤ」
華がぐしゅぐしゅと涙を袖で拭いながら春陽にしがみつく。歩が勢いよく駆けてきた。
「ボクも春たん、しゅきー。こうげきしてごめんね。いたかった?」
「ううん。大丈夫だよ」
「ふええぇん。春たあぁぁん」
もふもふとした尻尾がぷるぷると震えているのを見て、春陽の胸が痛んだ。
二人の肩を抱き寄せ、頭をゆっくり撫でる。そっと確かめるように獣耳に触れると、二人はぴくりと体を跳ねさせ、「やー、くすぐったい」と涙で濡れた頬を緩めて笑った。
やわらかな感触、そしてくすぐったそうに笑う子供たちの様子に、玩具ではなく、本物の獣耳と尻尾だと理解した。
「歩くん、華ちゃん……嫌いになったりしないよ。二人とも大好きだから泣かないで」
「はなも。春たん、しゅき」
「あゆむだって、しゅきだもん」
春陽が二人をさらに強く、包み込むように抱きしめると、嬉しいのだろう、二人の獣耳が頷くように動き、尻尾が左右にぱたぱたと揺れた。愛らしい仕草に、二人の耳と尻尾が本物でも玩具でも、大差ないような気持ちになっていく。
「――歩、華」
静かだがよく通る声が聞こえ、そちらを振り向いた春陽は、ハッと息を呑んだ。
恐ろしいほど美しい顔をした男が、そこに立っていた。研ぎ澄まされた刃のような美貌を持ち、歩と華と同じように白色の着物を着て、金髪に近い明るい髪をしている。
「あ、先ほど歩くんを諌めてくれた方ですね。は、初めまして。その……」
緊張してしどろもどろになる春陽を見つめ、信じられないほど美しい男性は訝しげに眉根を寄せた。
「どちら様ですか? 勝手に邸に入り込んで――」
この上なく整った顔立ちに怒りの感情が浮かんでいる。ひやっと冷たい汗が背中を伝い落ちた。
「あ……すみません。ぼ、僕は、怪しい者では……」
学校だと勘違いして、勝手に入り込んだことを謝罪しなければと思うのに、美麗な彼から発せられる人を圧するような気配に、喉から声が出なくなった。
男性はすっと顔を歩と華のほうへ向けた。
「歩、華……」
「ご、ごめんなさい、とーちゃ」
「もうしません。ごめんなさい」
とたとたと二人が駆け寄ると、美形の男性から発せられていた憤怒が薄まった。ほっとしながら、春陽は歩と華と向き合っている男性を見つめる。
(この人が、二人のお父さんなのかな。すごくきれいな人……どうりで……二人とも可愛い顔をしているはずだ)
父親がこれほど美形ならと納得する。
「感情に任せて印を結んではいけないと教えているだろう?」
「あいっ、きをつけるー」
「ごめんなさい、とーちゃ」
二人は美形の父親に頭を下げると、ぽつんと立っていた春陽を紹介してくれた。
「とーちゃ。おともだちの春たん!」
「おにわで、いっしょにあそんでいたの」
眉を上げて美青年は春陽を見た。
「わかった。俺はこの人と話がある。和代(かずよ)が昼食を作っているから、もう少し外で遊んでいなさい」
「とーちゃと春たんと、いっしょにあそぶー」
「俺はこの人とあとから行く。奥の花壇で紫陽花が咲いていた。見に行っておいで」
「わぁ、アジサイたのしみ。いこう、あゆむ」
「うん、いこうー。春たん、とーちゃ、あとでー」
二人は手を繋ぎ庭園内の花壇のほうへ、とたとたと元気に駆けていく。その後ろ姿を見送った美貌の父親が、春陽へと向き直り、表情を変えた。
「さて――お前は不法侵入者だという理解でいいか?」
「……!」
美形の彼が睨むと迫力がある。春陽は怯えながらもあわてて言い訳をする。
「ち、違うんです。その、すみません。間違えて……狐神学園だと」
「狐神学園はあっちだ」
彼の白く長い指が動いた先は、この屋敷から少し下った場所にある、白色の三階建ての校舎だ。小中一貫校にしては小規模だが、校庭の遊具や広いグランドが見え、今さらながら、この屋敷を学校だと勘違いしたことが恥ずかしくなった。
「す、すみませんでした。僕はこちらに来たばかりで……裏の出入り口が開いていたので、学校だとばかり……」
春陽が深く頭を下げて謝罪すると、男性はため息をついた。
「誘拐犯かと思って肝が冷えた。裏口から入ってきたのか……」
横を向いて思案していたが、彼はじきに顔を上げた。
「それで、お前は学園へなんの用だ? 日曜日は誰もいないし、校内には入れないはずだ」
「えっと、家からどのくらい時間がかかるか、調べておこうと思ったんです。明日、採用試験があるので」
実際、こうして学園の場所を間違えてしまった。下見は大切なのだと改めて思う。
「採用試験? ああ、事務職員の……」
「は、はい。よくご存知ですね」
なぜ彼が狐神学園の事務職員の採用試験について知っているのだろう?
(あっ、もしかして、彼も採用試験を受けるとか……?)
募集人数は一名のはずだ。こんな見たことのないほど美麗で長身で頭の良さそうな人がいたら、誰だってそちらを採用するだろう。しかもこんなお屋敷に住んでいるのだ。勝ち目はないと、春陽の希望がしぼんでしまう。
「あの……あなたも明日の試験を、受けられるんですよね……?」
おずおずと尋ねる春陽に、彼は呆れたような顔になった。
「的外れなことを言う奴だ。俺は狐神学園中等部で数学を担当している教師だ。名前は綾小路仁――」
「えええっ!」
春陽は口を大きく開けて凍りついた。この人が小中一貫校の数学教師だということもびっくりしたが、何より仁という名前に驚いたのだ。
(あ、綾小路仁……聞いたことがある……。仁さん? あ、もしかして)
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