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第66話 ただ切なくて

   家に帰ると僕は母さんにただいまも言わずに自分の部屋へ飛び込み、ドアを背にずるずるとしゃがみ込む。  さっきまでのことがぐるぐる頭の中で回る。  すぐに律が追いかけて帰って来るかと思ったが、その気配はなくて。  徐々に頭が冷えて落ち着いて来ると、訪れたのは後悔と罪悪感だった。 「……律の顔に傷つけちゃったな。おまけにそのこと謝りもしないで逃げて来ちゃった。ごめんね、律……」  僕は一人呟き、深く溜息をつく。 『勝手だよ! 律は本当に勝手だ!』  どうしてあんなふうに言っちゃったんだろう。  律がモテることは最初から分かってたことだし、それに隣の女の子のことだって、律は僕がしつこく絡まれるのをとめてくれただけなのに。  何より合コンの誘いを断れなかった僕が一番悪いのに。  頭の冷静な部分ではそう思うのだが、心のどこかはまだモヤッている。  結局は狭量な僕の嫉妬だ。  律と付き合っているとこれからも同じような場面に何度も出くわすだろう。 「その度にこんなふうになってたら、もたないよね……」  再び呟いたとき、ドアがノックされた。 「陽馬、いるんだろ?」  続いて律の声。  背中越しにドアを挟んで律がいる。 「頭、冷やしてきたから……開けてくれないか、ドア」 「…………」  僕は少し迷ったあと、立ち上がるとそっとドアを開けた。  ゆっくりと律が入って来る。  律の顔からはさっきの不機嫌さは消え去り、今はなんだかとても疲れたようなそれになっている。  そしてその頬には僕がつけたひっかき傷がくっきり残っていて。胸が痛んだ。 「ごめんなさい……」 「ごめん」  二人の声が重なる。  律はサラサラとした髪をかき上げながら気まずそうに言葉を続けた。 「陽馬は何も悪くないんだから謝る必要ないよ?」 「だって、その傷……」 「え? ああ、この傷のこと? こんなのかすり傷にも入らないよ。数日で綺麗に消えちゃう」 「でも……」  僕は手を伸ばすと律の頬の傷に触れた。  もう血は止まっているが、律の綺麗な顔についた傷は目立つ。 「痛くない?」 「傷は痛くない。……でも胸が痛い」  律は僕の手に自分の手を重ねると言った。 「え?」 「俺、本当におまえのことになると余裕がなくなるって言うか、独占欲が半端なくて。俺以外の誰かが陽馬に触れたり見つめたりすることが許せない。だからあの女が陽馬に話しかけたり触れたりしてるのを見て、嫉妬でどうにかなりそうだった」 「律……」 「一歩間違えたらアブナイ奴なんだろうけど、でも、陽馬、好きなんだ……」  律は重ねていた手を唇へと持って行ってキスを落とす。  僕の胸が切なく疼いた。

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